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日本の農業はどこへ向かうか マイカーで東京から京都まで旅行する場合 ゴルフをプレイしている人の年代層割合に驚いた 世界と日本の宗教別信者数 2021年版出版社不況 客員教授と非常勤講師ってなんだ? ロバート・B・パーカー「スペンサーシリーズ」全巻まとめ 窓ガラスの熱割れで火災保険は使えるか? 天然素材でも綿はよく燃えるらしいことがわかった やっとのことでJ:COMを退会した 貯まった1円玉はどうする? 自動車整備士に未来はあるか? 液晶テレビが壊れた件 リタイア後の心配事 運転免許証取得者は意外にも増えている 著者別読書感想INDEX −−−−−−−−
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リストラ日記アーカイブ 2017年8月 読みやすいようにアーカイブは昇順(上から古いもの順)に並べ替えました。上から下へお読みください。 日記INDEXページ(タイトルと書き出し部の一覧)はこちらです |
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---------------------------------------------------- 7月後半の読書と感想、書評 2017/8/2(水) 1148 漂えど沈まず 新・病葉流れて (幻冬舎文庫) 白川道 2015年に69歳で急逝した著者の2013年発表の作品(文庫は2014年)で、自伝的な長編小説です。 あらためてこのシリーズを一覧にしておくと、 病葉流れて 1998年 朽ちた花びら―病葉流れて 2 2004年 崩れる日なにおもう―病葉流れて 3 2004年 身を捨ててこそ 新・病葉流れて 2012年 浮かぶ瀬もあれ 新・病葉流れて 2013年 漂えど沈まず 新・病葉流れて 2013年 そして奔流へ 新・病葉流れて 2014年 となります。 主人公が一橋大学に入ったところから始まり、そこで麻雀や競輪のギャンブルの指南を受け、さらに女性関係も華やかになり、その後大学を卒業して大阪の三洋電機に入社するも、息苦しい会社員生活にすぐに飽きてしまいたった3ヶ月で退職し、株や商品取引の一攫千金の世界を知って一財産を作ると、その後東京に戻り、広告代理店の東急エージェンシーに入社して、淡々と退屈な業務をこなす一方で高額レートのギャンブルに染まっていくというのが「浮かぶ瀬もあれ」までのストーリーでした。 あと残るところ、この「漂えど沈まず」と次の「そして奔流へ 新・病葉流れて」で亡くなったので、その先の株式相場に手を出してお縄になるところまでは出てこないと思いますが、著者の波乱の人生を垣間見れて面白いです。 このような作者自身をモデルにした一般的には私小説は和洋問わず数多くありますが、何年もかけて長編シリーズに仕上げたものでは、日本では五木寛之氏の「青春の門」が有名です。その他にも宮本輝氏の「流転の海」シリーズ、花村萬月氏の「百万遍シリーズ」などを好きで読んでいます。 ただ、作者が亡くなると中途半端なままで終わってしまうこともあり、こうした何年(何十年)に渡ってのシリーズにはリスクがつきものですね。 もし段取り上手なw私だったら、一応完結まで書いておいて、信頼できる人や法人(出版社や弁護士事務所)に預けておき、亡くなったらそれを順番に出版して欲しいと遺言しておくでしょう。それが読者に対する最後のお勤めというかお礼という形になります。 さて、この作品ですが、下のシリーズ最終編になる「そして奔流へ」とほぼ一体となった作品ですので、下で書くことにします。 ★★☆ ◇著者別読書感想(白川道) そして奔流へ 新・病葉流れて (幻冬舎文庫) 白川道 2014年に単行本が発刊され、亡くなった2015年4月の8ヶ月後にこのシリーズ最後となった自伝的小説の文庫版が登場しました。 文庫版の解説には事実上の妻であった新潮社の出版部長である中瀬ゆかり氏が書いています。幻冬舎の本に新潮社の社員が寄稿するという珍しいパターンです。 内容は、上記の「漂えど沈まず」とほぼ同じような、賭け麻雀や競輪、女性関係の話しがダラダラと続きます。昭和時代の肉食系男子なら一度は夢で妄想するような世界です。 要は大阪で大ばくちをうって大金を手にし、知人のつてで広告代理店の東急エージェンシーに入社、女子大生モデルや会社の同僚で大企業のお嬢様とも付き合い、さらに一橋大学の学生時代に知り合った新宿のクラブのママとも関係を続けるというアウトローなギャンブラーとして20代を過ごしていきます。 しかし賭け麻雀で知り合った会社の幹部に頼まれてやった裏金作りがとうとう会社にバレて、その幹部と同様に自ら会社を退職し、いよいよ本命でもある株の世界へ踏み入れ始めたところで終わってしまいます。 その後のことは、デビュー作の「流星たちの宴」(1994年)に出てきますので、そちらを読むことをお勧めです。 ★★☆ ◇著者別読書感想(白川道) 本と私 (岩波新書 新赤版 (別冊8)) 鶴見俊輔編 団塊世代より上の世代にとっては大変よく知られた哲学者であり、評論家であり、政治運動家でもあった鶴見氏が選者で編者となった2003年刊の新書です。 「本と私」というテーマで岩波書店が創業90年の記念事業として一般から公募し、応募があった818作品の中から19作品を編者が選び収録したものです。 もちろん通常の読書感想文というのではなく、本との出会いとその後の人生にどういう影響を与えたのかなど、人生論や哲学的ないたって真面目で、しかし読者にも深く染み渡るような作品が多く、すぐれた短編集を読んでいるような印象を受けます。 若い人の作品もありますが、やはり激動の戦争中からモノが不足した戦後間もない頃の話しが多く選ばれています。 こうした作品を読んでいて気づくのは、過去には本を手に入れるのに大変な苦労をしたり、古本でも高額でなかなか買えなかったり、何度も繰り返して読むことが当たり前だったりしたのだなぁってこと。 今の世の中では、すっかり書籍は邪魔者扱いされ、紙の本を読むというのはなんだかダサいことみたいに思われてしまっています。古本も100円から多くあり、売れるのは出版されたばかりの新刊書が中心と、書籍と書籍を生み出す作家などにとっては極めて不遇の時代です。 ま、デジタル化は資源の節約につながるとか言う人もいますが、そういう人に限って、数年ごとにエコカーと呼ばれるクルマを買い換え、多くの処理ができない危険な廃棄物をいっぱい出していることに気づいていないのでしょう。 ★★★ 落日燃ゆ (新潮文庫) 城山三郎 元内閣総理大臣で、太平洋戦争の責任を問われ、唯一文官としてA級戦犯として処刑された広田弘毅を描いた小説で、今から43年前の1974年に単行本、1986年に文庫版が出版されました。 過去2回(1976年と2009年)テレビドラマ化されていて、私も1976年版(主演:滝沢修)を見た記憶があります。 いずれにしても悲しいお話で、戦争をなんとか回避しようと外交努力で動き回った文民の政治家が、軍部の暴走を止められず、その余波をまともに受け、しかも終戦後には我が身かわいさで必死に罪を他人になすりつけようとする軍人や政治家が多い中、一切の弁明はせず、天皇を守り日本を守れるなら誰かが責任を取らなければならず、それは自分だという思いで淡々とA級戦犯として処刑されるに至ります。 彼がどういう思いで外交官となって世界に出て行き、誰とどのような外交交渉をして、やがて政治家になったあとは軍部のやり方に異議を唱え、何度も衝突し、血気盛んな若手将校ににらまれ、いつ暗殺されてもおかしくない状況にもなりながら、結局は欧米との戦争に入ってしまう道を作ってしまったかという歴史が著者によって熱く語られていきます。 もっとも官僚や政治家が、小説に書かれるほどに清廉潔白で、罪や野心がひとつもないなんてことは考えられませんので、話半分だとしても、日本の重い歴史の一端を不幸にも担った人であることは確かでしょう。 これを読むと、増長していく軍部が、政治を手中に収め、国民世論をも味方に付けて、神の国が負けるはずがないという根拠のない根拠で戦争の道へと進んでいったあの時代がよくわかります。 そうした右傾傾向と感情的な扇動政策は、決して70数年前だけのことではなく、現代でも十分に起こりえることで、今に生きる国民は、果たしてその時の反省と理解をいつまで保持できるかなということを考えさせられる小説でした。 ★★★ いっぽん桜 (新潮文庫) 山本一力 2003年に単行本、2005年に文庫化された江戸の庶民を描いた、「いっぽん桜」「萩ゆれて」「そこに、すいかずら」「芒種のあさがお」の4編の時代小説です。 著者の作品では、直木賞に輝いた「あかね空」や同じく江戸の庶民を描いた「だいこん」、難破して漂流中にアメリカ船に救助された中浜万次郎を描いた「ジョン・マン」などの時代ものの長編小説や、自伝的な要素を盛り込ませた現代小説の「ワシントンハイツの旋風」など数多くの作品がありますが、出色な短編作品も多くあります。 この作品でも、江戸の市井の庶民達が生き生きと暮らす日々を描いていて、まるでその様子が目に浮かんでくるようです。 タイトルにもなった「いっぽん桜」は、苦労し長く勤めて大番頭まで上り詰めた主人公ですが、後進の若い人にそれを譲らなければならなくなった時、気持ちが萎えてしまい、請われて別の仕事に就くものの、大きな仕事をやってきた自分がなかなか捨てられず、前と同じやり方を強引に推し進め、周囲から鼻つまみ者にされてしまいます。 しかしある出来事から自分が間違っていたことに気がつき、サバサバとした気分になるという現代の定年退職、再就職組に向けた応援歌たる物語です。 4編ともそれぞれ季節に応じた花が脇役ですがポイントとなっていて、美しい短編と言えるでしょう。 ★★☆ ◇著者別読書感想(山本一力) 【関連リンク】 7月前半の読書 思考の整理学、白砂、ちょいな人々、静かな黄昏の国、召集令状 6月後半の読書 反逆、死にたくはないが、生きたくもない。、黒警、尖閣激突!ドローン・コマンド 6月前半の読書 本日は、お日柄もよく、巨人たちの星、ぼくらの民主主義なんだぜ、戦艦大和 ---------------------------------------------------------- 葉書の文化は風前の灯火か? 2017/8/5(土) 1149 まだ幼年期か小学校低学年だった頃に、母親宛に毎月1度は送られてくる祖母(母親の母親)からのはがきを眺めるのが好きでした。 明治生まれの才女?が、万年筆で流れるように崩した女性っぽい文字で書かれ、達筆?すぎて文字はほとんど読めませんでしたが、はがきの匂いとインクの匂い、そして小さなはがき裏面いっぱいに、今から思えば子を思う親の気持ちが幼い子供心にも響いていたのだと思われます。 はがきを出したりもらったりすることは、年賀状を除き、広告のDM以外ではほとんどなくなりましたが、無味乾燥の電子メールとは違い、当時の切手や色あせてくる紙の質、それにその人の性格や書いたときの感情がにじみ出ている手書き文字に情緒があります。 最近、サマージャンボ宝くじを30枚買いましたが、その時にもらえるキャンペーン応募はがきを出すとき、そのはがきに貼る切手が50円切手しか手元になく、追加の12円切手をわざわざ買いに行くのも面倒だし、それに追加の切手を貼れる場所も見当たらず、仕方なく手持ちの80円切手を貼って出すことにしました。 ちょこちょこと値上げされて、その都度、手持ちのはがきや切手が使いにくく、時には無駄にしてしまうことが多く、困ったものです。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 私の中では郵便局等で売られている切手を貼らなくてもよいはがきの名称は「官製はがき」として認知していますが、ご存じの通り2003年に郵政事業が国営事業から民営事業化され、はがきを発行する日本郵政はもう「官」ではなくなりました。つまり「官製はがき」ではなくなり、今は「郵政はがき」と公式上は呼ばれています。 一般的な呼称「郵便はがき」は「官製はがき」に対する切手を貼って出す「私製はがき」の公式名称ですので、呼び方が「官製」から「郵政」に変わったことで「郵政」と「郵便」の区別がつきにくく、誤りをなくすため今でも「官製」を使う人が多いと言うことです。 同様に、国鉄がJRに変わってからしばらくのあいだ「国電」という言い方は普通に使われていましたものね。代わりに付けられた「E電」という名称は結局定着しませんでした。 その「郵政はがき」ですが、数年に一度、年賀状の失敗分や余った分、それに料金が変わる前のはがきをもって、郵便局へ新しい「郵政はがき」へ交換しに行きました。 はがきの交換には手数料がかかりますが、数多く持って行くと、枚数に応じて等価交換してくれて手数料を別途支払わずに済むことを先日知りました。簡単に言えば交換枚数は減るけれど持ち出しの現金手数料は不要ということです。発生した端数の金額分は切手でもらうこともできます。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ さて、昭和の半ばぐらい(1970年頃)までは遠方の通信手段と言えば、電話か手紙やはがきしかありませんでした。 その電話も長距離通話はめちゃくちゃ高く、実用的ではなかったので、前述のように実家の親と遠くへ嫁いだ娘とは手紙やはがきで連絡を取るのが普通でした。 それが1985年に電電公社が民営化されて、一気に長距離電話が安くなったことで、気楽に電話で話すことも可能となってきました。そう考えると電話は民営化されて値段が下がったのに、郵便は民営化されても次々と値上げされているのは腹立たしい限りです。 全国統一料金、サービスで、職員が元公務員の割高な人件費、通信事業とは違い労働集約的な業務であることなど様々なハンデを抱えていることはありますが、それに加えて投資で4000億円をドブに捨てるようなアホな経営者達がいるので、今後も郵便料金の値上げが頻発しそうな勢いです。 日本郵政「M&A蟻地獄」、お荷物の郵便抱えた民営化の末路(ダイヤモンド・オンライン)
ま、郵政事業は巨額の国の税金や年金、国民の財産を預かり、事業資金不足になることは考えられませんが、こうしたあきれた放漫経営は、その昔、社会保険庁がその当時は有り余る年金積み立て金を湯水のごとく使って、豪華な保養所やホールなどを全国に建設し、そこへ役人を次々と天下りさせて高給を支払ってきた構図と変わりありません。 すでにお亡くなりになっていますが、ヤマト運輸で宅急便の生みの親である小倉昌男氏がもし日本郵政の経営を任されたら、おそらく世界に冠たる郵便、金融、保険、運輸、流通の国際総合会社を作り上げたでしょう。もちろん役人や役所が大嫌いな小倉氏がそのような話しを受けるはずもないことですが。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ はがきと手紙の話しに戻りますが、これらの取り扱い数の長期的な推移を調べようとしても、なかなか適当な資料がみつかりません。 日本郵政が公表しているデータは平成23年度(2011年度)までで、それ以前のデータは総務省の統計データから引っ張ってきました。 第一種(定型封書)と第二種(はがき)の国内取り扱い数推移 1996年には封書が125億通、はがきが68億通と言いますから、国民ひとりあたりに換算すると、封書が年間104通、はがきが57通ということになります。 それが2016年には封書が84億通、はがきが63億通となっています。同様に国民ひとりあたりに換算すると、封書が年間70通、はがきが53通ということになります。 意外にはがきの枚数はあまり変わっていません。 実感としては、年賀状の影響で封書よりも葉書の方が受け取る枚数が多いような気もしますが、毎日のように届く封筒のDMなどを考えるとそうなのかも。 それにしてもこの20年間で封書の落ち込みが3割減と大きい感じです。 はがきや手紙といったアナログではあるけれど、風流な文化はできればいつまでも残していきたいものです。 【関連リンク】 1110 宅配業者は本当に困っているのか? 830 宅配ビジネスのラストワンマイル 755 電子書籍を普及させるには ---------------------------------------------------------- 人工股関節全置換手術とVIP舛添要一さん 2017/8/11(土) 1150 前東京都知事の舛添要一氏は知事時代の2015年4月に変形性股関節症で人工股関節全置換手術を受けられました。 手術後、都庁に復帰後、オリンピック関連のニュースで登場するたびに時には杖をついて不自由そうに歩く姿もよく映し出されていました。(写真はTOKYO MXテレビより) 毎週のように東京から離れ、公用車を使って湯河原の別荘へ行っていた理由を記者から尋ねられたときも「私は足の手術をして、足を伸ばして入れる別荘の風呂で療養していた」というような発言をされていました。 その人工股関節置換手術を受けるまでの話しをブログに書いておられます。 変形性股関節症について(1) この(1)から(11)まで続きます。 私とほぼ同じ時期に人工股関節置換手術を受けられたと言うこともあり、その動向を注視していましたが、手術において私が2016年に受けたものとやや違っているなぁと思い、その違いを書いておきます。 舛添氏が手術を受けたのは帝京大学医学部附属溝口病院整形外科で、執刀医は中村茂教授という話しを聞いたことがありますが、事実かどうかは不明です。 舛添氏のブログでは、2015年4月2日に左股関節人工股関節置換手術をし、2年後の2017年7月7日に右側の手術をされたということです。 その最初の手術について詳しく書かれていますが、2年前の人工股関節全置換手術では、新職員を前に訓示(職員入都式)し、その後も仕事をした上で入院、翌日の朝に手術ということでした。 手術前に貯血をするのは同じですが、舛添氏の場合「念のため自分の血液800ccを事前に採取し、輸血用として冷蔵保存」とありました。私の受けた病院では貯血はその半分の400ccだけでした。 「手術は朝8時から始まり、お昼頃に部屋に戻った」とありますから、手術に3〜4時間かかっていることになります。片側だけの手術としてはちょっと長いかなって気もします。ただその時間中は全身麻酔で意識がないので、実際の手術時間は聞かない限りわからないものです。 病室に移ってから輸血、栄養剤注入、カテーテルでの排尿などとこれは私の場合と変わりありませんが、「寝たきりになると、血栓が問題となりますので、ベッドの上で、両足の爪先を動かす動作をして予防に努めました」とあるのは通称エコノミー症候群対策だと思いますが、フットポンプは使っていなかったのでしょうかね?私の受けた病院では気がついたときから両足にフットポンプが付いていて圧縮と開放が繰り返されていました。 「手術の翌々日の3日には、自分の口から朝食を摂りました。」とあるのは「入院の翌々日(手術の翌日)の3日には・・・」の誤りでしょう。手術翌日の朝食からというのであれば同じです。 「4日(手術の翌々日?)には尿カテーテルを外し、車椅子から歩行器へと移行しました。」とありましたが、私の病院では、手術の翌朝にはカテーテルを外し、立ち上がる練習&車椅子をおこない、トイレへの移動はひとりで可能でした。カテーテルで尿をとるのは短い方がいいです。 「ベッドの上でも、両脚のあいだに枕やクッションを挟んでおきます。また傷口を守るため、仰向けではなく、身体の右側を下に、左側を上にする体勢にせねばならず、寝返りも打てません。」 とありますが、私が手術を受けた病院では手術後の禁忌体勢はまったくなく、体勢は自由で、手術翌々日のリハビリでは理学療法士から「では正座してみましょうか?」と無茶なことを言われました。 このあたり病院のやり方というのはちょっと遅れている?って気もしますがどうなんでしょう。 それ以外では、「4月15日には、シャワーを浴びる許可がおり、2週間ぶりにすっきりとした気分になりました。」と書いてありましたが、4月2日に手術で15日にシャワーというのはいくらなんでも遅すぎな感じです。 私が受けた時は、手術の3日後にはシャワーをひとりで浴びることができました。その後も毎日リハビリで汗をかいた後はシャワーで気持ちよく流していました。 4月1日に入院し、2日に手術、そして「4月28日に無事退院することができました。」ということは、なんと手術後26日も入院、リハビリをされていたことになります。さすがVIPです。 私が受けた病院では昨年皇室の方(75歳)が両足股関節の同時置換手術をされてましたが、やはり入院は22日間でした。片足の手術で26日とは軟弱過ぎ〜って気もします(両足同時手術の場合、リハビリは片足手術の2倍ぐらいの期間と言われています)。 もっとも「2017年7月7日に同じような手術を受けました。今回は前回よりも10日間早く退院しました」とありましたから、初回の2015年4月の手術が異例の長さだったとも言えます。VIP待遇で、退院して自宅で療養&仕事をするより、病室で仕事をするほうがよいと判断されたのかもしれません。 私が手術を受けた病院では、片側だけの人工股関節手術の場合、平均で入院は13日ほどで、私の場合はリハビリも順調にいったので、手術後8日で退院しました。早くなったとは言え舛添氏の2017年の2回目の手術(おそらく16日間)の半分ですね。 そして、術後2週間後には杖をついてですが、満員電車にのり、駅の階段も登り降りし、普通に通勤してました。舛添氏のように、手術から4週間後に悠々とワゴン型の専用車で送り迎えしてもらえるわけもなくです。 いかに舛添氏が、変形性股関節症から人工股関節手術をしたと言っても、それは十分にVIP待遇されており、一般の人からすれば羨ましい限りの入院、リハビリ生活と、周囲の対応です。 なので、舛添氏は「湯河原の別荘へは療養を兼ねて」とか無粋な言い訳や「都庁スタッフが病院へ報告へ来ていたので仕事は続けていた」とか特権意識丸出しの苦しい言い訳などせず、せっかく病院に長く入院したのですから、VIP用特別室にこもっていないで、そこで多くの難病の患者さんと触れ合って、励ましたり励まされたりするのが本来の政治家の姿ではないでしょうか。 病院は都内ではなく神奈川だったので、お金を含めすべての損得に敏感な舛添氏らしく、神奈川の市民達と触れ合っても無駄との判断なのかもしれませんが、、、 私だって自分でネットをつないで手術の翌日からベッドの上で普通に仕事をしていたぐらいですから、変な特権階級ぶった病気自慢、仕事自慢、そして人に気の毒がってもらうような発言はするべきではないでしょう。 それにしても人工股関節の置換手術をする場合、病院によって、手術方法や入院期間(リハビリ期間)など大きく違うものです。病院選びは自分の考えに合ったところを慎重に探すべきですね。 【関連リンク】 1046 変形性股関節症の人工股関節全置換手術(3) 1037 変形性股関節症の人工股関節全置換手術(2) 1033 変形性股関節症の人工股関節全置換手術(1) ---------------------------------------------------------- 8月前半の読書と感想、書評 2017/8/16(水) 1151 転落の街(講談社文庫)(上)(下) マイクル・コナリー 2011年発刊で、翻訳版は2016年刊のハリーボッシュシリーズの第15作品目で最新作です。日本で最新作と言っても、すでにアメリカでは、まだ翻訳版が出ていないシリーズの5作品が出ていますので、この順次出てくると思われますので楽しみです。 未解決凶悪事件の担当をしているハードボイルドなハリー・ボッシュ刑事もそろそろ定年を迎える時期が近づいてきていて、ロス市警本部で定年延長の話しが持ち上がってきています。何十年といつまでも壮年だったパーカーのスペンサーシリーズとはその点は違いますね。 内容は、未解決凶悪事件と、同時に有力な市会議員に指名された事件の捜査を、中国系の若いパートナー刑事と並行して進めることになります。 元ロス市警副本部長で若きボッシュとは深い因縁のある間柄だった有力市会議員の息子が、ホテルから転落して死亡します。 それは果たして自殺なのか事故なのか、それとも殺人なのかということでボッシュと相棒は捜査を進めていくわけですが、その間にも最近の科学捜査であらたに判明してきた未解決事件にも首を突っ込んでいきます。 このボッシュシリーズではよくありますが、全く関係がない二つの事件を同時に進めていくことで、読者を飽きさせず、また一粒で二度美味しいじゃないですが、その二つの事件が時をほぼ同じくして解決していくというちょっとご都合主義的なところがあります。 今回も、タイトルにもあるとおりホテルからの転落死の謎と、それとまったく関係がない未解決事件の不可解なDNA検査結果を周囲の人を巻き込みながら並行して捜査を進め、同時に解決していきます。 大衆エンタメに走り過ぎたきらいのある前作「ナイン・ドラゴンズ」はいまいち評判が悪そうですが、今回はそうしたベテランの域に達した老練で冷静なボッシュ刑事の活躍が見られます。 ★★☆ ◇著者別読書感想(マイクル・コナリー) となりのクレーマー―「苦情を言う人」との交渉術 (中公新書ラクレ) 関根眞一 2007年出版の新書で著者はデパートでお客様相談室を長くやってきたクレーム対処のプロの方です。 具体的なクレーム対処法というのも少しは出てきますが、メインは心構え的な話しが中心で、それをマスターしておけば、たいていのクレームにも動揺することがなく、また顧客を逃すことなく収束させられるという精神論的な話しです。 クレーム処理は様々な場面で出くわすことがありますが、そうした時の対処法を知っているのと知らないのとでは円満解決できたり、逆に一歩間違うと訴訟沙汰に発展することなどよくあることです。 また最近増えてきているのが「モンスター●●」と言った、クレームのためのクレームを趣味か商売にしているような頭の悪い人が増えてきている問題対処法なども一読する価値はあります。 個人的にも今は引っ越していっていませんが、隣人と些細なことでトラブルになったことがあり、本当に不快な日々をおくった経験があります。 これも最初の対処を誤ったせいで、相手がつけいる隙を与えてしまったわけで、どうしてもそうしたトラブル時にはお互いがカッと感情的になりがちなので、今から思えば反省するとともに、プロのクレーム処理ならどうやってこうした難局を切り抜けるのかな?ということを考えると、案外冷静に客観的に物事が見え、対処ができるようになるかも知れません。 ★★☆ 長女たち 篠田節子 10年以上八王子市役所に勤務していたという異色の作家さんですが、1990年に「絹の変容」で作家デビュー以来着々と作品を生み出し、1997年には「女たちのジハード」で直木賞を受賞して押しも押されぬ売れっ子作家さんになっています。 この作品は、2014年の作品で、「家守娘」「ミッション」「ファーストレディ」の3編からなる中編小説です。 テーマはタイトルにもある通り、老いた親と長女という深い関係性で、長女視点で書かれた介護や仕事、恋愛などとなっています。 男性、しかも中高年が読むと主人公に感情移入はできず、ちょっと理解しがたい思考や行動を客観的にみるしかないのですが、現在進んでいる一人っ子の家庭では、こうした様々な親と長女の関係が社会の中で大きく捉えられるようになっていくのでしょう。 長女に頼りたい親と、他の兄弟のように自由に外へ出て行きたい長女とで、肉親の関係ゆえに重苦しい葛藤が生まれていくというのは想像が容易です。 男からすれば、だからどうした?っていうような些細なことまで気に病み、あれこれ自問自答するなど、想像できないところがわかって自分が老いたときには気をつけようと思ったり。 ★★☆ ◇著者別読書感想(篠田節子) 殺戮にいたる病 (講談社文庫) 我孫子武丸 以前「弥勒の掌」(2005年)を読んだことがある作家さんの1992年発刊の割と古めの犯罪ミステリー小説です。 2011年9月後半の読書「弥勒の掌」 (文春文庫) 最初読み始めた時には、25年も前に書かれた小説とは知らなかったのですが、読んでいくうちに、携帯電話も出てこないし今なら犯罪捜査には欠かせない監視カメラの存在もまったくないので、これはバブル時代かそれ以前の話しだなぁって気がつきました。 主人公は被害者の妹と一緒に犯人捜しをする元刑事ということになるのでしょうけど、その他にも、平凡な家庭の主婦と、連続して快楽殺人を犯していく犯人の二人の視点でも描かれています。 凝ったミステリーなので最後のクライマックスを書くわけにはいきませんが、ま、よくあるパターンと言えばそうですし、まったく現実的ではなさそうと言えばそうなる微妙な感じです。 死体損壊や屍姦など、決して気持ちの良い話しではなく、終わり方も異常でちょっと奇をてらいすぎた?って感じです。 でも1992年頃って、片田舎ならともかく、目撃者が多くいる都会の中で連続殺人が行えるほど警察の捜査能力って低かったのでしょうかね?ちょっと時代を感じてしまいました。 ★☆☆ ◇著者別読書感想(我孫子武丸) 【関連リンク】 7月後半の読書 漂えど沈まず、そして奔流へ 新・病葉流れて、本と私、落日燃ゆ、いっぽん桜 7月前半の読書 思考の整理学、白砂、ちょいな人々、静かな黄昏の国、召集令状 6月後半の読書 反逆、死にたくはないが、生きたくもない。、黒警、尖閣激突!ドローン・コマンド ---------------------------------------------------------- マンホールで転ける原因 2017/8/20(日) 1152 NHKの『所さん!大変ですよ「足元に迫る危機!?マンホール・スリップ続発の怪」』で、マンホールで滑って転けたというバイクや自転車事故が急増しているとの話題が取り上げられていました。 番組ではバイクなどがマンホールで滑って転ける原因を、「高度成長期の60年代から急速に普及したマンホールが老朽化して、表面がツルツル状態になっているから」という結論でした。 過去はマンホールの蓋の耐用年数は30年とされていましたが、その上を通行する車両の多さや重量が想定を遙かに超えて、現在では車道のマンホールの耐久年数は15年、歩道用は30年という国交省の基準となっているそうです。 しかし予算がないとかで、交換の緊急性があまりないこうしたマンホールの更新は後回しにされ、現在全国で300万基ものマンホールの蓋が30年を超えたり激しい摩耗で老朽化しているそうです。確かに昭和時代風の古そうな模様のマンホールを時々見かけます。 そしてマンホールは一般的に思い浮かぶ下水道以外にも、ガスや上水道、電力、通信など様々なインフラで使われています。 なので、私がバイクで走る住宅地の道路ではマンホールを踏まずにたった10mを走ることができないほど、道路のあちこちに連続してマンホールが出現します。 そして事件が起きます。 新しく買ったバイクには「コンビブレーキ」というアホな装備が国交省の指導?のもと付けられています。今では付けるよう法制化までされています。 二輪車への先進制動システム(アンチロックブレーキシステム(ABS)/コンバインドブレーキシステム(CBS))の装備義務付け(新型車:平成30年10月1日以降、継続生産車:平成33年10月1日以降) この中の「コンバインドブレーキシステム(CBS)の装備義務付け」がトラブルの原因となります。 コンバインドブレーキシステム(CBS)、ホンダではコンビブレーキという名称ですが、どういうブレーキかというと、本来なら後輪だけにかかるはずの従来の後輪用ブレーキを、わざわざトラブルの元となる前輪にも制動力をかけるという装置です。 なぜトラブルになるかと言えば、自動車の場合なら2輪だけにブレーキをかけるより4輪にかけたほうが停止距離は短くなるとアホな学者と役人がそれと同様だろうと考えたわけですが、2輪の場合は四輪と違い、濡れた路面、滑りやすいマンホール、濡れ落ち葉、砂が浮いたアスファルト、雪道など、どこにでもある路面環境において、走行中にコンビブレーキで前輪に制動を加えたら間違いなく転倒します。プロドライバーでも転倒します。 自分が2輪の新型車を買ってすぐ、雨上がりの路面で転倒したから言うわけではありませんが、最近、バイクの転倒が増えているのは、マンホールの老朽化という問題よりも、実は圧倒的にこのコンビブレーキに原因があるのではないかと推測しています。 ちなみにGoogle検索で「コンバインドブレーキ」と入れてみてください。補助機能として「コンバインドブレーキ キャンセル」とか「コンバインドブレーキ 転倒」とかが標準で出てくるぐらいにポピュラーになっています。私も現在はそれに習って、コンバインドブレーキはキャンセルしています。 過去にこのコンビブレーキについては書いています。 「二輪へのABSとCBS装着義務化の疑問」
2輪ABSは前後輪ともタイヤがロックしない仕組みで、こちらは特に問題はないと思われます。従って高価な大型二輪車には高価なABS装備がされ、低価格な小型バイクには安価なCBSが装着され、おそらく数多くの被害者(死亡事故も)が出ているはずです。 ただこのコンビブレーキで事故が起きても、警察は「スピードの出し過ぎ」「安全確認不足」「適正な制動をかけなかった」など、ライダーの責任で、転倒事故もライダーの運転技量が原因とし、チャンチャンと終わってしまいそうです。 国交省が法で定めたコンビブレーキが実は事故の主因であるとか、多くの税金を収めてくれて、天下り先を提供してくれる大メーカーの製品に欠陥があるとは言いませんし言えません。 あと何人が犠牲になればこのコンビブレーキの問題がマスメディアなどで大きく取り上げられ、国交省やメーカーが重い腰を上げるのでしょうか。 おそらくですが、裏ではこそっとコンビブレーキをABSに切り替えていって、コンビブレーキはなかったことにしようとする動きが進んでいるのかもしれません。 【関連リンク】 1081 高齢ドライバに対する偏見と規制 1058 二輪へのABSとCBS装着義務化の疑問 658 自転車のマナー違反が特にひどい ---------------------------------------------------------- 気になる自動車運転マナー 2017/8/23(水) 1153 最近特に気になる自動車の運転マナー低下について書いておきたいと思います。 まず片側1車線の市道とか県道とかに多いごく一般的な道路で、右折レーンなどがない場所で右折をするときや、反対車線側のレストラン等の駐車場へ入るため右折横断をしようとする際の時です。 その場合、対向車が続いてきている場合は、右折の指示器を出して停まって待つわけですが、中央線に近づいて停めるとか、場合によっては中央線を少しまたいで平行に停めると、後続車がその左横をすり抜けて先へ進める場合が多々あります。 しかし、最近はどうもそうした後続車のことを考える人がすっかり減ったみたいで、中央に寄ることもしなければ、車を斜めにして停め、後続車が横をすり抜けられないようにしているバカが多いのです。ってもちろんそういう周囲のことを考えないバカは、自分が他人の邪魔になっていると気がついてはいないと思いますが。 最近の自動車はやたらと幅がでかくなってきて、日本の狭い道を走るのには適さず、横をすり抜けるのも難しくなってきたということもあるでしょう。小型大衆車の代表と思っていたシビックの新型車の幅は1800mmですから、クラウンと変わらない幅です。 野暮ったいカローラやサニー全盛の時代に颯爽とカッコ良く登場したときには感動だった初代シビックの幅は1505mmですから、この45年のあいだにざっと幅は30センチも拡がったのですね。もうこれは立派なメタボで、肥満大国というのは国民でなくクルマのことなのかも知れません。 ごく平凡な人が好む平凡な形のセダンだったトヨタ・カムリも、1980年に登場したした時は幅は1645mmでしたが、新型のカムリは1840mmと約20センチもデブっています。そりゃ町中での運転もしづらくなりますって。 幅が拡がっても運転の上手な人なら、ギリギリの隙間でも難なくすり抜けられるのでしょうけど、世の中の趨勢はそうした幅がやたらとでかい、見栄を張りたい車を運転している人ほど運転が下手っぴという構図になっていて困ります。 従って、そうした片側1車線の道路では、今日もまたちょっとした運転マナーである程度は避けられる不要な右折渋滞が繰り返されているのです。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 次に交差点を左折する時のマナーというか、これは道交法でも書かれていますが、左折する場合は、左折信号を出して路肩によって左折をするというのが当然の行為です。 道交法34条(交差点における通行方法等) 車両は、左折するときは、あらかじめその前からできる限り道路の左側端に寄り、かつ、できる限り道路の左側端に沿つて徐行しなければならない。 法律に「できる限り左側端に寄り」と書いてあっても、最近の運転を見ていると、交差点近くでいきなり右側へ寄るので、右折したいのかな?と思っていたら、そうではなく左折をスムーズにするためなのか、まず右側へ大きく膨らみ、そして左折していくクルマが圧倒的に多いのです。 レース雑誌や教習所などでもアウトインアウトの走り方を教えるものだから、そうするのが当たり前と思っているのか、それとも周囲のことはどうでもよくて自分がスムーズに走れることが最優先ということなのか、多分お馬鹿さんなので後者だと思います。 あと考えられる原因として、クルマの最小回転半径が年々大きくなって小回りができないクルマが増え、結果、曲がるときにはトラックみたく大きくまわるというのが習性になってしまっていることも考えられます。これもまたクルマのメタボ化悪影響です。 左折で左側を大きく空けるとなにが起きるかというと、左端に寄って走る自転車やバイクがその左折に巻き込まれやすくなります。 そりゃそうです、目の前にいた邪魔なクルマが右へ寄ってくれて、前がパッと空いたらスピードを上げたくなります。そうするといきなり右へ寄ったはずのクルマが目の前に現れるわけでガッチャーン! 同時に右左折のウインカーを出すのが遅い車が圧倒的なので、それも右左折事故を増やす原因となっています。 またそうした左折で右へ出て膨らむと、左折渋滞が起きやすくなります。 左折渋滞とは、横断歩道を渡る歩行者等のため、左折するクルマが左折できずに停まったままで、直進したい後続車もその影響で信号が変わるまで動けなくなる状態です。 少し広めの片側1車線道路であれば、左折車が左端に寄せてくれたら、直進車はその右横をすり抜けて直進できる場合がよくあります。 しかし上記で書いたように大きく膨らんで斜めにしたまま車道を塞ぐように停まるものだから、後続車は横をすり抜けられず、結果渋滞が発生することになります。 最後に、信号が少ない国道や、高速道路のような場所でも、やたらとブレーキを踏むマナーがなっていないド素人が増えているのも懸念しています。 なにも交通に支障がない道で、前は空いているのにいきなりブレーキを踏まれて後続車がビックリ仰天で急ブレーキということも時々起きます。 前の車のドライバーにしてみれば、走りながら場所を探していたり、考え事をしていたりして後続車のことなど考えてはいないのでしょうけど、迷惑千万です。 高速道路での自然渋滞の一番の原因は、そうした不要なブレーキから始まり、それが後続車へ次々と伝わっていくことで起きることがよく知られています。 ある程度の車間距離さえとっていれば、前の状況から、早めにアクセルで調整すればスピードは落ちるので、高速道でブレーキをかける必要なんてそうそう滅多にありません。それができないブレーキをパカパカ踏むお馬鹿ドライバーが多いのですよね。 いずれも後続車のことは知らない、関係ない、気にしないというマナーの欠如が不要な渋滞を引き起こし、それにより多くの人の時間や燃料など経済損失を引き起こしている結果となります。 自動ブレーキや自動運転もいいですが、車を運転するときには周囲に気を配る最低限のマナーぐらいはちゃんと覚えてからにしてもらいたいものです。自動運転にそうした気配りができるようになるまで、まだかなりの時間を要しそうです。 【関連リンク】 994 自動運転の未来 751 自動車事故と車種や装備の関係 557 運転免許証の取得推移と乗用車保有台数推移を並べてみる ---------------------------------------------------------- 地方の可能性と限界 2017/8/26(土) 1154 藻谷浩介氏などが書いた『里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』という本を読み、その感想は次の回で書きますが、その内容は簡単に言えば「人口減少に向かう日本ではマネー資本主義は終わり、これからは里山資本主義だ」ということです。 「里山資本主義」とはなんぞや?とか、これから流行していく理由、今実際に里山で起きていることなどが丁寧に取材されて書かれていますが、逆に書かれていないことが気になってしまいます。 ■気になる点 1)都会の人と地方の人が、価値観や生活パターンの違いによる心理的な障壁はクリアできるか 2)地縁、血縁の関係が濃厚な地方へ、縁もゆかりも亡い都市人間が入っていって受け入れられるのか 3)クルマやエレベーターに慣れた都会育ちに、厳しい環境の中で生活できるのか 4)高齢者は何かしら持病があり、障害を持つ人も多いが、そういう人への医療体制や通院はどうするのか(移住するのは若くて健康な人ばかりではない) 5)都市部なら専門医がいて当たり前に受けられる高度な医療が受けられないリスクを理解しているか 6)家族が地方へ移住すると家族同士が遠く離れ、介護や緊急の際に困らないか 7)近年の自然災害はインフラが脆弱な地方に集中している実態があり、そのようなリスクが高い場所へ移住するメリットがあるのか 8)都市から来た人が本書に書かれているようなつましい暮らしをするなら、それで地方の財政が潤うことはなく、逆にインフラの整備や社会保障費などのコストが増えないか などなど。 地方はいま分散する集落を一箇所に集約するコンパクトシティ構想が進められています。生活インフラや医療・介護体制などを効率よく運営し、負担を少なくするため他に選択の余地はないように思えます。 「里山資本主義」が可能な場所というのは、山奥に閉ざされた寒村と言えるそのような集落ではなく、高齢化が進みつつも、近場に大消費地があり、高速道路や交通網が近くにあり、農業も林業もやり方次第ではまだ発展できる素地がある場所に限定されるということになりそうです。 それならば、いわゆる別荘地のような場所、例えば伊豆高原、軽井沢、那須、有馬、南紀白浜といった場所は里山資本主義の可能性をもった場所です。ただ別荘地に住む住人が、新しい住人を喜んで受け入れるか、そしてつましい生活を気に入るかどうかはわかりませんけど。 別荘を持っている人達は、里山が好きで、自給自足で畑で働き、隣近所とも密接な関係を作っていくという人種ではなく、人よりもマネーが大好きという「マネー資本主義」の権化みたいな人が比率的には多いような気もします。 なかなか里山資本主義のイメージが湧いてきません。 案外、そうした試みは、マスメディアなどに取り上げられるようなものではなく、一部の里山に住む人と里山で暮らしたいと思う人が自由に始め、失敗も成功もありながら、やがてはそれなりの形となり継続していくようなものかもしれません。 そうであれば都会に住む一般の人にはそうした活動はまず知られることがないのでしょう。本書に何度も書かれているとおり「メインストリームではない」ということなので、それで良いのかも知れません。 老後にはお金があまりかからず安全で、そして夜は静かな環境で、のんびり暮らしたいというのは多くの人が願っているのではないでしょうか。しかし里山資本主義はそうした高齢者を呼びこみたいという話しではありません。 まもなく高齢者となる私も電気ガス水道ばかりに頼らずに、薪ストーブや、綺麗な井戸水など自然の中で暮らしたいという夢は持っています。でも健康な若い人に、出会いも少なく、刺激もないそういう暮らしがどこまでアピールできるのか、気になるところです。 【関連リンク】 1089 プチ移住という選択 1069 世帯数や住宅総数は増えていき、空き家も増える 999 覚悟の地方移住か都市部で介護難民か ---------------------------------------------------------- 8月後半の読書と感想、書評 2017/8/30(水) 1155 白ゆき姫殺人事件 (集英社文庫) 湊かなえ 2012年単行本、2014年に文庫化された長編ミステリー小説で、2014年には「白ゆき姫殺人事件 容疑者【城野美姫】は、魔女か? 天使か?」というキャッチコピーで、井上真央、綾野剛の主演で映画化もされています。 なかなか凝ったミステリーで、長野県で起きた女性殺人事件について、主人公のひとりの気の弱そうなフリーライターが、犯人捜しのため、ネットを使ったり、関係者と会って順々に調べていくという形を取っています。 もうひとりの主人公は、その殺人事件で、一番の容疑者と見られた女性で、殺された美人会社員と同期入社で、なぜか事件後に行方不明となっています。 それにしても捜査をしているはずの警察の動きや情報はまったく出てこなく、雑誌のフリーライターが聞き回る情報だけで殺人事件の話しが進行していくというのは、ちょっと不思議な感覚です。 そうした不可解な点も含め、最後のクライマックスに向けて盛り上がったところで、あっさりと警察が真犯人が逮捕し、その模様がテレビから流れてくると言うのが意外と言えば意外なところです。 これはなかなか真犯人はわかりません。いや〜女ってやっぱり怖い、、、 ★★☆ ◇著者別読書感想(湊かなえ) 里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く 藻谷浩介 NHK広島取材班 2010年に出版されて大ベストセラーになった「デフレの正体」の筆者とNHK広島取材班がタッグを組んだ作品です。 里山と言えば、少し前ならTOKIOのダッシュ村をふと思い出したりしますが、あのような山間に囲まれた地で農業を中心に半自給自足をおくっている昔ながらの風景です。 アメリカを中心とする「マネー資本主義」に対応した「里山資本主義」という造語を新たに作り、今後経済が縮小していく日本において、ある一定の人口を支える基礎的な生活パターンとして、里山で暮らすという選択肢を提案しています。 また疲弊した地方において、なぜそうなったのかという根本原因を明かし、これからの地方のあるべき姿も示しています。 長らく都市に住み続けていると、どうしても地方、その中のさらに人口減少地域のことについては、単に税金の無駄遣いというような理解しかできませんでしたが、実際にその中で知恵を絞り、仲間と共同社会を築いている人達もいるということに励まされます。 同書では「目のうろこが落ちた」という表現が何度も出てきますが、よほど分厚いうろこが覆っているのは都市住人に共通しているのかも知れません。 例えば、同志社大学教授の浜矩子教授の言葉として出てきていますが、「シェア」という言葉が今までは独占という「市場占有率」という意味で使われてきたものが、最近では「分かち合い」という意味で使われるという180度変わってしまう言葉すらあるということにはハッとさせられました。 そうした、地方に実際住んでみないとわからないことってあるものです。 都市住人がすべて地方に移住できるはずもありませんが、ある一定の老若男女が今後地方へU・Iターンすることで、成熟期におけるバランスがとれた都市部と地方の社会がうまく機能していくのかも知れないなとこの本を読んで気がつきました。 ★★★ デセプション・ポイント (上)(下) (角川文庫)(上)(下) ダン・ブラウン トム・ハンクス主演で映画化もされた2003年刊の「ダ・ヴィンチ・コード」で一躍大ベストセラー作家に上り詰めた著者の、その「ダ・ヴィンチ・コード」の2年前、2001年の作品です。 タイトルは直訳すると「欺瞞箇所」となりますが、アメリカ国家や巨大組織がもし徹底した欺瞞工作を国民や世界に向けておこなえば、どういうことが可能か、そしてどういうことになるかという実験的な小説です。 アポロ計画以来特に大きな成果を生んでいないNASA(アメリカ航空宇宙局)とそれをサポートし続けてきたアメリカ大統領の側近は、強い危機感から大きな博打をうつことを計画し、実行に移ります。 そしてNASAの活躍が認められれば、NASAの巨額の税金垂れ流し問題を糾弾し、民間での宇宙産業振興を進めたい現大統領の対立候補を打ちのめすことが可能になります。 それには多くの秘密と工作が必要となり、NSA(国家安全保障局)、NRO(国家偵察局)、そして民間の学者を含め、複雑に政治と軍とインテリジェンスと学術、それにマスメディアが絡み合ってきます。 古生物学や宇宙物理学などテクニカル面や、北極近くの気象情報など、読んでいても何のことかさっぱりわからないという部分も多々ありますが、それはさておき、昔、月面着陸陰謀説というのがあり、アポロ計画で実際には月面着陸はなく、映画セットを使って月面からの中継をしていたというようなスケールのでかい国家を揺るがす欺瞞と陰謀が今回のネタです。 ★★☆ ◇著者別読書感想(ダン・ブラウン) 漂流者たち 私立探偵・神山健介 (祥伝社文庫) 柴田哲孝 「渇いた夏」(2008年)、「早春の化石」(2010年)、「冬蛾」(2011年)、「秋霧の街」(2012年)と春夏秋冬の4部作として終わったと思っていた私立探偵 神山健介シリーズで、2013年に発刊された番外?編です。 福島県白河市に住む私立探偵の主人公は3.11の東北地震に遭います。 そして同時に以前勤務していた弁護士事務所から、行方不明になった人を捜しをして欲しいと依頼がきます。 その行方不明となった人物は元弁護士で、現在は議員秘書ですが、東京で同じ議員秘書を殺害し、事務所にあった表には出せない6千万円を持ち逃げし、地震のあとの津波で流されたクルマが福島のいわきで発見されたとのこと。 しかし地震直後のこともあり、道は方々で寸断され、福島原発事故もあり通行止めに遭い、被災地ではガソリンは欠乏し、泊まるところも食べるものもない極限状態で、愛犬カイとともに男の影を追って被災地に入っていきます。 ちなみに、主人公が震災直後にたどる道は、私も震災発生から2年後の4年前にたどった道とかなりダブります。 ただ私が行ったときは震災後2年が経過し、主要な道路や橋はかなり復旧が進んでいましたが、少し脇道に入ると、まだあちこちに津波で流されてきた漁船やボート、壊れたクルマなどがそのまま放置されていて、その時の被害がありありと浮かんできます。 678 東北巡り 2013/1/16(水) 元々はこのシリーズは4作で終わるつもりだったのが、主人公が住む福島で大きな災害(地震、津波、原発事故)が起き、それを実際に目の当たりにした著者自身が、それをテーマにして番外編の作品として一気に書き上げたものと思われます(想像です)。 作品を通して、反原発、放射能への恐怖、政府への不信が客観的に語られていて、書かずにはおかれなかったという著者の信念が感じられる作品です。 ★★★ ◇著者別読書感想(柴田哲孝) 【関連リンク】 8月前半の読書 転落の街、となりのクレーマー―「苦情を言う人」との交渉術、長女たち、殺戮にいたる病 7月後半の読書 漂えど沈まず、そして奔流へ 新・病葉流れて、本と私、落日燃ゆ、いっぽん桜 7月前半の読書 思考の整理学、白砂、ちょいな人々、静かな黄昏の国、召集令状 |
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