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リストラ日記アーカイブ 2012年2月
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575 自殺者数と失業者数の相関関係 2012/2/1(水) 
576 1月後半の読書 2012/2/4(土) 
577 ハローワークを頼りにしていいのか? 2012/2/8(水) 
578 外国人研修制度という名の移民政策 2012/2/11(土) 
579 パスワードについてちょっと雑談 2012/2/15(水) 
580 2月前半の読書 2012/2/18(土) 
581 新聞に想うこと その1 2012/2/22(水) 
582 新聞に想うこと その2 2012/2/25(土) 



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自殺者数と失業者数の相関関係 2012/2/1(水)

575

昨年2011年の自殺者数は、2〜3年前から大きく騒がれ、多額の対策予算をとって、様々な手をうってきましたが、その結果は前年より1,100人ほど減った(3〜4%のマイナス)ものの、14年連続して3万人を超え30,513人となりました(警察庁統計)。

1年365日で割ると、1日平均で83.6人が自殺で亡くなっています。

しかもこの統計に表れる自殺者数は、遺書が残されていたり、ハッキリと判明しているケースだけで、事故死や病死と区別がつかないような時は、残された遺族のことを考えると自殺とは判断されないでしょうから、実態としてはもっと多いはずです。

例えば処方されていた睡眠薬を多目に飲んで死亡した場合、遺書があれば自殺になりますが、本当は自殺目的でも遺書を書かずに発作的に飲んでしまった場合だと、間違えて飲んでしまったと誤飲事故の扱いになることもあるでしょう。

「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」や「生きて虜囚を辱めを受けず」など、昔から日本人の気質として自殺者が多いのは有名ですが、国別にどの国の人が自殺する割合が高いをみる自殺率は「国民10万人あたりの自殺者数」で比べます。そのできるだけ新しいデータでの国際比較が下記の表になります。


(各最新データ、日本は2010年)

自殺率の国別比較では、韓国、ロシアは日本より上位ですが、米国やドイツの2倍以上、英国の3倍以上と、先進国からするとやはり異常に高いと言わざるを得ません。日本、韓国、東欧諸国については「自殺の多さは文化」「民族の特性」とも言えそうですが、決して誇れる文化でも特性でもなさそうです。

自殺と宗教がなにか関係しているのかと思って調べてみました。自殺率の多いそれぞれの国でもっとも多い信仰宗教、あるいは無宗教は下記の通りです。

リトアニア ローマ・カトリック教会(79%)
韓国 無宗教(約半数) プロテスタント(約30%)
ロシア ロシア正教会(大半)
ベラルーシ 東方正教会(80%)
ガイアナ ヒンドゥー教(28%) プロテスタント(16.9%)
カザフスタン イスラム教(47%) 正教会(44%)
ハンガリー カトリック(67.5%)

と、ほとんど宗教と自殺はどうも関係なさそうです。

以降のデータはすべて日本のものですが、自殺する人の職業はと言うと、圧倒的に多いのが無職者で18,673人(59%)、次が被雇用者(勤め人)8,568人(27%)、その次はずっと少なくなり自営業者・家族従事者で2,738人(9%)です。この上位3つで全体の95%を占めています。いじめ問題や友人関係、恋愛など悩みが多そうな学生(小・中・高校、大学生)の自殺者は意外と少なく928人(全体の3%)です。

年代別では50歳〜59歳の50代が最も多く、次が60代、その次が40代で、いわゆる中高年者がほとんどです。ただ女性に限ってみると、50代の次は30代となっていて、その点が男性と違います。

ちなみに私は、その自殺がもっとも多い「魔の年代」の真っ只中にいます。そうなんです、この年代になると「毎日つらいだろ、そろそろ楽になったらどうだ?」と耳元でささやきが聞こえるようになるのです。嘘です。

井上陽水の古い歌じゃないですが、「若者の自殺が増えてきてたいへんだ」と言われますが、実は19歳までの自殺者は全体からすると誤差の範囲とも言えるわずか1.7%です。中高年者の自殺と未来のある若者の自殺では損失価値が違うと言われそうですが、それは差別でもあり、また実は取り立てて大騒ぎするような数ではないことは確かです。

自殺の原因別は、



健康問題 48%
経済・生活問題 22%
家庭問題 13%
勤務問題 8%
男女問題 3%
学校問題 1%

となっています。(いずれも2010年データ)

この自殺の原因を見る限り、もし自殺者を大幅に減らす対策をおこなうならば、学校のいじめ問題対策やリストラ問題対策でもなく、今すぐにおこなうべきは「精神と肉体の両面での医療、介護、福祉(ケア)」と、それらに関係して「経済的負担の軽減」と「社会復帰するためのサポート」に尽きます。

と書くと、先月読んだ山本譲司氏著「障害累犯者」に登場してくる「知的あるいは聴力障害者」に対するサポートと非常に似ています。しかしそうした障がい者と自殺の関連は調べていません(調べようがない)ので、関係があるのかないのかは不明です。

無職者の自殺が多いというのも、リストラなどによる解雇が直接原因というより、健康を害し(あるいは障害があって)仕事を辞めざるを得なくなり無職、あるいは倒産やリストラなどにより退職した後、数カ月の雇用保険受給期間を過ぎても再就職がうまくいかず、いよいよ生活に困窮し追い詰められてというパターンだと考えられます。

リストラ解雇問題は自殺者を生み出す間接的な要因としては考えられますが、自殺者対策はリストラを問題視する以前に、働く意欲のある人にとって、再就職や新規開業などが容易にでき、万が一うまくいかなくても、心のケアと生活費のサポートが受けられるセーフティネットの拡充が必要と言うことでしょう。しかしこれでは国にお金がいくらあっても足りそうにありませんね。

さて、次に「失業者数と自殺者数には相関関係がある」としたり顔で語る人やメディアが多いので、過去からの推移を失業率と自殺者数、それに失業率と反相関関係にあると言われている名目GDPと3つ並べて見ることにします。※名目GDP(物価を考慮しない国内の経済活動の総額)



理論上は失業率が下がり(失業者が減り)、より多くの人が経済活動に関わることになれば、自動的に名目GDPは上がる(増える)はずです。しかしグラフではあまりその傾向は見て取れません。

では失業率と自殺者はというと、失業率はバブル崩壊後の1990年頃から徐々に上昇していきますが、自殺者数は1998年に一気に上がった以外、その前後はほぼ横ばいであとは目立った動きはありません。一見すると関係がありそうに思えますが、その二つに「ハッキリとした相関関係はない」と言えるでしょう。

1999年は失業率が4.1から4.7%と0.6ポイントも急増し、名目GDPが1%下がりましたが、自殺者は横ばい(0.5%の微増)です。2003年は失業率が前年から0.1ポイント下がったにも関わらず名目GDPも下がってしまいました。そして自殺者数は前年から7ポイントも一気に急増することになります。

しかしいったい自殺者が急増した1998年にはなにがあったのでしょうか?もしかすると自殺者のカウント方式が多少変わったのかもしれませんが、警察庁調べと総務省調べを比べてみると、総数は違うものの同じ傾向が見られますのでそれも違うでしょう。

GDPが上がると自殺者は減少し、逆に下がると自殺者は増加するという傾向は、先ほどの失業率よりはなんとなくですが反相関関係にありそうです。それでも2001年や2008年のように双方とも下がっているという年もあり、もっと詳しく分析するには、経済活動や失業以外の他の要因、例えば人口構成比の変動、当時の世相、金融施策、人気タレントなど影響力を持つ人物の自殺、集団自殺の流行などについても考慮する必要がありそうです。

■関連過去日記
2010年2月 338 自殺者数が年間3万名を超えている意味
2009年7月 246 自殺考その3
2007年7月 052 自殺考その2
2002年5月 029 自殺考

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1月後半の読書 2012/2/4(土)

576
あかね空 (文春文庫) 山本一力

山本一力氏は1948年生まれの今年64歳、15年前に江戸時代の庶民の生活を描いた「蒼龍」でデビューし、そして10年前にこの「あかね空」で直木賞を受賞されました。デビュー以来数十の作品を出しておられますが、私は時代物、特に江戸時代の小説はあまり興味がなかったので、今までに読んだことがありません。

作家へデビューしたきっかけというのが面白く、バブル時代に億単位の借金を背負ってしまい、それを一気に返済するため起死回生策として小説を書いたということです。道理でこの小説でも、主人公の長男が博打で多額の借金を背負ったり、店賃の支払い、豆腐一丁の値段などお金にまつわる小事がしばしば出てきます。私も貧乏人ゆえに、お金には細かい性格なのですが、小説においてこれほど細かくお金にこだわって書かれているのも珍しいでしょう。

内容は、京都で修行をしてきた貧乏な豆腐職人が、新天地を求め、江戸の下町にやってくるところから物語は始まります。貧乏長屋に居を構え、硬く歯ごたえのある江戸風の豆腐に対抗して、上品で柔らかい京豆腐を作りますが、これが当初はさっぱり売れません。

しかし長屋の仲間などにも支えられ、少しずつ販路が増えていき、商売は少しずつ順調になっていきます。そして結婚して跡継ぎになる2男1女をもうけます。

幸福と不幸は裏表で、妻や跡を継いだ息子達との間にギクシャクとした関係が残ったまま、主人公が亡くなってしまいます。後に残された妻と子供達は、、、あとは読んでのお楽しみと言うことです。いずれにしても江戸時代の市井が肌で伝わってくる小説です。

親子二代にわたる大河小説とも言えますが、上記のようにやたらお金に細かく、よく言えば丁寧、悪く言えば執拗に書かれている時代もあれば、いきなり数十年がすっ飛んでしまっているところもあり、ことの重大さと時間の流れが一定ではなく、ちょっと面食らうところがあります。


告別 (ハヤカワ・ミステリ文庫) ロバート・B・パーカー

ボストンの私立探偵スペンサーシリーズ11作目の作品で1992年に日本語訳が出ています。

今回の事件は、あるダンスチームの主宰者から怪しい新興宗教集団に自分の恋人がさらわれたと言う事件に首を突っ込むことになりますが、本当の事件はというと、スペンサーの恋人スーザンが精神科医の学位を取った後、ひとりになりたいと遠く西海岸へ行ってしまうことにあります。

そのためタフガイだったはずのスペンサーは精神的にヨレヨレになってしまい、しかもスーザンに男がいることまでわかり、振る舞いが暴力的になるのはまだいいとしても、生きていく気力までを失って、クライマックスでは拳銃を構える犯人に向かって手ぶらで向かっていき、そのため胸を2発撃たれ、意識不明の重体となってしまいます。

物語の内容というか事件そのものは、やや薄っぺらく、ご都合主義的に思いますが、タフガイのスペンサーが、イアン・フレミングの描く本当の007ジェームス・ボンドの姿−−任務のためとは言え、人をひとりやむを得ず殺してしまい、そのせいで、酒浸りになり、ひとりで悩んで苦しむ−−とダブって見えます。


■スペンサーシリーズ関連過去記事
スペンサーシリーズの読み方(初級者編)
さらばスペンサー!さらばロバート・B・パーカー
ハードボイルド的男臭さ満点小説


陽だまりの彼女 (新潮文庫) 越谷 オサム

一般的に言う「ファンタジーノベル」ってヤツなのでしょう。全体の9割は単なる学校のクラスからはみ出した者同士の、理想的な同級生恋愛とその後の結婚生活?って思ってしまいますが、最後の1割でそれがいっぺんにひっくり返えることになります。そこはま、お楽しみということで。

私的には、このような女子中・高校生、またはその頃の多感な頃の感情がまだ強く残っているロマンチック派な女性(書店の女性店員さんにそういう人が多そう)が読むと、それはそれはきっと楽しめるのでしょう。

が、中年を超えて、やがて老年にもさしかかろうかというリアリストな男が読むにはさすがにちょっと苦しいです。水だけでお腹が一杯になってしまったような感覚です。

いや、でもハーレクイーンのような、いかにもお嬢様やお姫様になりたかった女性向けに作られたものではなく、(若い)男性が読んでも十分に面白いと思える斬新なストーリーです。

ただ9割が現実的なホンワカした話しが山盛りで、残り1割だけに、ミステリーかつファンタジーというのは、、、と、まだ言うか。


廃墟に乞う (文春文庫) 佐々木譲

佐々木譲氏の小説では、北海道警刑事のシリーズが大ヒットしていますが、その流れをくむ刑事が主人公の連作短編集です。ただし登場人物は他の道警シリーズとかぶってはいません。そして過去の実績と実力と照らし合わせると遅きに感じる直木賞を受賞(2009年下期)したのがこの作品です。

私個人的には、佐々木氏の小説は文庫化されたものはほとんど読んでいますが、その中でもどちらかと言えば現代の警察もの以外の「エトロフ発緊急電」(1989年)や「昭南島に蘭ありや」(1995年)に代表される太平洋戦争ものや「天下城」(2004年)「くろふね」(2003年)など歴史もの小説が好きです。

さてこの小説の主人公は北海道警察本部捜査一課の刑事ですが、終章で明らかにされるある事件がきっかけで心的外傷後ストレス障害(PTSD)に罹り、現在は治療のため休職中の身。したがって4週間に一度心療内科を受診するだけで暇を持てあましています。

そこで知り合いから頼まれ、行き詰まっている事件の調査や真相を単独で行うことになります。もちろん休職中ですから調査の権限も警察手帳もない状態です。アメリカの小説に出てくるようなタフな元警官の私立探偵を日本版で作ろうとしたら、このような手法にするのがベターでしょう。

そして捜査を始めると地元の警察から「余計なことをするな」と煙たがられ、時には事件に関係する地元のヤクザに絡まれそうにもなります。激しいアクションもなければ、華麗に活躍する場面はありませんが、警察では追い切れない、または公にできない事件の裏側を、地道に詰めていき、明らかにしていくというスタイルは新鮮です。

そして事件の大筋が見えた段階で、地元警察のプライドを傷つけないよう、そして刑事の手柄となるよう巧みに捜査の範囲やベクトルを修正し誘導していきます。

アメリカの私立探偵小説の主人公ならば、警官に楯突いてでも強引な捜査をおこない、ドヤ顔で結果だけを警官に伝え、恩を売っておくために手柄を渡すというパターンが多いのですが、この小説の主人公は休職中とは言え同じ警官同士ということもあり、地元警官への気の使い方は半端ではなく、これを読むと逆に警察官のプライドの高さと縄張り意識の強さだけが際だちます。


血と骨 梁石日(ヤン・ソギル)

梁石日氏の作品は「闇の子供たち」「海に沈む太陽」続きたぶん3つめの購入です。この「血と骨」も「闇の子供たち」も映画になっているので、すでにそちらを観たと言う人もいるでしょう。また実質的な小説家としてのデビュー作「タクシー狂躁曲」も「月はどっちに出ている」というタイトルで映画化され、大ヒットしています。

梁石日氏は1936年生まれですから今年で76歳です。1936年と言えば日本では二・二六事件が起き、政治にも軍事色がより一層強まる頃で、ヨーロッパはドイツを中心とする第二次世界大戦(1939年〜)の響きが近づきつつある、暗雲立ちこめる混乱の時代でした。

 
この小説は、そのような時代に多くの同胞達とともに朝鮮から出稼ぎ労働として日本に移住してきたある
型破りな大男の半生で、その大男のモデルとなったのは、他でもなく著者梁石日氏の実父です。

大阪には在日韓国・朝鮮人が数多く住んでいますが、戦前、戦中は安い工場労働者として根深い差別と貧困で苦しみ、戦後は他の日本人同様、すべて失った焼け野原からの出発です。そのような時代を背景としたひとりの在日朝鮮人とそのまわりにいた家族や同胞、愛人などの狂おしいほどの生と性が描かれています。

この小説では父親の半生がメインにその父親の言葉で語られますが、話の途中には、飛田新地の娼婦だったり、強引に結婚することになった妻だったり、同胞の幼なじみであったり、最後には長男(つまり著者がモデル)の視点で語られたりと、場面、場面で主体となる主人公がコロコロと変わっていくのが特徴です。

時代も時代ですから、その貧しさと狂気、日本が物資不足の中で世界と戦争を始めようとする異様な集団的な興奮状態の世相と、それに加えて酒と博打と暴力の世界にどっぷりつかり、理不尽までに自分勝手な父親の暴れっぷりに、読み進むのが途中で苦痛になってくるほどの重くてつらい内容が続きます。どうにか最後までキチンと読めましたが、精神的に不安定なときにこれを読むのはあまりお勧めしません。

主人公は蒲鉾の加工職人ということで、初めてその仕事のことを知りましたが、ほぼすべてが自動化されている現在とは違い、高級食材として手作業で作られていた雰囲気がよく伝わってきます。そう言えば私のまだ小さかった頃(昭和30年代)の蒲鉾は、カネテツなど大手食品メーカー以外のものは、板からはみ出していたり、山の形が少し歪んでいたりして、もっとずっと手作り感が残っていたように思います。


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ハローワークを頼りにしていいのか? 2012/2/8(水)

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会社を退職したり、解雇されたりして、直後に次の仕事が始まらないと、お世話になるのがハローワークです。私の年代は1990年から使い始められたハローワークという愛称よりは、正式な(公共)職業安定所(職安)といったほうがずっと馴染み深いのですが、以前は仕事でも、また個人的に退職したあとの失業保険の手続にも何度も通った場所です。

組織的には、厚生労働省→都道府県労働局→ハローワークとなっていて、さらに地域によってはハロワの出張所などもあります。

多くの人にとってこのハローワークは、

 1)仕事を探す、相談する
 2)失業保険(雇用保険)受給手続をする
 3)不法労働など労働トラブルを相談する
 4)職業訓練を申し込む


ですが、雇う側(企業側)にとっても、

 5)求職者を募集する
 6)社員の雇用保険の取得、喪失手続
 7)各種助成金の手続
 8)民間職業紹介、労働者派遣関連手続

などがあります。

比べるほど多くの役所のことを知っているわけではありませんが、私の経験で言えば、ハローワークはやる気を感じられない役場の中でも上位にランクされます。

その理由としては、税務署や市税などを納める市役所などと違い、市民や企業にお金を支払う一方のお役所だけに、何ごとにも消極的でスローモーなのです(一応雇用保険の徴収部門ではありますが、他の税金や保険料と比べると桁違いに少ない)。

税金や保険金を支払う仕事だけに、ことを慎重に運んでいるだけという自負があるのかもしれませんが、特に斬った張ったの厳しい民間企業で働いてきた人にとって、彼らの思考・行動・決断スピードの遅さは、イライラを通り越していったん帰って一仕事終えてからまた来るよと言いたくなるほどです。

彼らにとっては1日何件の相談に適格に応じるかが評価のポイントではなく、9時から5時までにトラブルなくどうやって過ごすかが重要なポイントなので、相談や手続1件あたりの効率や、来所者の長い待ち時間や、的確な対応ができる知識の吸収にはまったく興味がありません。

それに、不正受給を防止するためなのでしょうが、「人を見たら泥棒と思え」とばかりに、ひどく疑いのまなざしと人の心を平気で傷つける言葉で対応をします。私も必死で再就職に努力していた時、すでに民間の紹介会社から紹介を受け面接も受けていたにもかかわらず、「本当ですか?証拠ありますか?」としつこく問い詰められました。

ましてや、失業して肩を落として手続に来ている人に対して、励ますようなひと言を言うことは絶対になく、それまでたっぷり収めてきた雇用保険を、失業してその受給申請をすると、保険金詐欺師を相手にするように、嫌々時間をかけて手続をおこないます。まるでお上のお金を下賜してやると言わんばかりです。

ま、すべてのハロワのすべての窓口担当者がそうでないと思いますが、過去に全国15箇所ぐらいのハロワに出入りした経験からすると、概ねどこも似たような感じです。都会だからとか地方だからという差もなく、概して失業保険給付者の多くは弱気で下手に出るのをいいことに、役人の態度は江戸時代のお代官のように横柄で高圧的です。

もっとも失業する恐れのない公務員に、雇用保険受給者の気持ちがわかるとも思えませんし、また業者相手にしても、一番下っ端とは言え厚労省の許認可の一端を持っているので、管轄する業者(主として人材ビジネス系企業)に対しての威張り方も半端ではありません。

そういうハロワに改善勧告がありましたので、ザマミロです。

2012年1月31日(朝日新聞)
求職者の望む仕事把握せず ハローワークに改善勧告

記事の内容は、総務省が全国31箇所のハローワークを調査したところ、求職者の希望する仕事や希望勤務地を把握しないで紹介をしていたり、受け付けた求人内容の労働日数が不正確だったり、最低賃金未満の仕事をノーチェックで受け付けていたとのことです。その他にも求職相談の記録の7割に不備があり、職業紹介後に採否結果を確認していないケースもあったとのこと。

でもこれは調査に入ると予告され、調査前にまずいことは一生懸命に隠した残りの一端でしょう。不意打ちで覆面調査でもやれば、もっととんでもない報告がゾロゾロと出てくるのは間違いありません。

例えば、上記の求職者の希望を把握せず紹介というのは、実際にはほとんど紹介なんかしていないことがバレるのを恐れて、後付けで紹介したことに書類上しただけと推測できます。普通なら希望条件を聞かずに仕事の紹介なんかできるはずもありません。

また企業から受け付けた求人内容に不備があったのも、調査があることを知って、慌てて求人を集めまくった結果か、あるいは日常的に求人の内容にまったく関心がない(=求職者に紹介する気持ちがない)かのどちらか。

求職相談の記録の7割に不備があったというのは、通常そのような仕事はしていなく、調査日までに想像や経験から鉛筆なめなめ夜なべして慌てて作ったものと想定できます。

調査は普通何日か前に『○月○日にこういう目的で調査をおこなうので、「求職者への紹介事例」「過去1年間の紹介実績」「求職者の相談記録」などを用意しておくこと』という予告がされますので、それから慌てて作ってもまぁ間に合うわけです。

結論としては、ハロワで仕事紹介を頼んでも、偶発的な幸運を除き、期待してはいけません。ハロワは失業保険をもらい、さらに職業訓練を受ける手続の場だという気持ちで付き合ったほうがよさそうです。

ただ最近は有料職業紹介や求人サイト、チラシにお金をかけずとも、とりあえず無料のハロワに求人出しておけば、いくらでも求職者が集まるからという零細企業やブラック企業が増えているらしいので、そういうケチな会社に相当高い競争率で入りたいならハロワもありかも知れません。

話は変わって、ハロワの所長は都道府県庁から定年前のほぼ上がりの小役人がやってきますが、なんたってやっと手に入れた一応は一国一城のポスト、所長ですからその偉ぶりは見事なものです。そしてまた、小役人には必須の「下には強く上には弱い」という伝統はもちろん受け継いでいます。

ハロワの上に立つ都道府県庁の労働局には霞ヶ関の厚労省から、まだ20代か30代と思える若きエリートキャリア官僚が経験を積むという目的で数年を過ごしています。必ず数年で移っていくので都道府県にしてみればお客様扱いです。

当然ながらハロワの60歳近い所長も、霞ヶ関から出向してきた高級官僚には平身低頭で、外部から見るとあのふんぞり返っていた所長が、身体の前後を入れ替えたようにペコペコしている姿に思いきり笑えます。そうそう見る機会はないと思いますが、私は見たことがあり実際に笑いました。

そして今回のように国の調査で叩かれるのは都道府県の小役人と相場は決まっていて、いかにもみせしめ的でもあり、ハロワに不満を持つ一般庶民に対し、一種のガス抜き的なセレモニーかなという気がしてなりません。


   


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外国人研修制度という名の移民政策 2012/2/11(土)

578
現在公式に外国から日本へ来ている研修実習生はどのぐらいいると思いますか?

  (1)5万人 (2)10万人 (3)20万人

・・・答えは後ほど本文中で

昨年の東日本大震災に続く津波で、仙台の水産工場が被害を受けましたが、その際に中国から来ていた実習生達をいち早く山の上へ避難誘導し、自分はまた工場へ戻ったために津波にのまれ亡くなった日本人工場責任者の美談が、繰り返し日中両国で報道されていました。

あの時出てきた水産工場での仕事(おそらくだが鮮魚をさばいて加工用機械に入れる。あるいは出荷前の製品をチェックするなど)が果たして技能実習と言えるのかはここではさておきます。

また地方の農村部では働く人の高齢化が進み、重労働で体力が必要な収穫や出荷準備は、外国からの若い実習生がいなければとても続けていけないという話しもよく聞きます。

都会では、80年代後半のバブルの頃から、飲食関連を中心にアジア系外国人労働者をよく見かけるようになりましたが、こちらはどうも実習生というわけではなく、多くは留学生(のアルバイト)や、正式な労働ビザのようです。

今ではなくてはならない外国人労働力ですが、基本的に国家の方針として移民の受入は原則認めず、長期滞在ができる正式な労働ビザを取得することは非常に厳しい日本です。しかしバブル以降、3Kと呼ばれる仕事に就きたがらない若者が増え、そうも言っていられなくなり、簡便に単純労働力として外国人を受け入れられるようにしたのが「外国人研修制度」と言われています。

この制度、本来は「開発途上国への国際貢献と国際協力を目的として、日本の技術・技能・知識の修得を支援する制度」(wikipedia)と表向きはなっていますが、実際のところは、日本の若い人がやりたがらない単純労働を、代わりにやってもらうための制度と言ったほうがわかりやすいかも知れません。似ていますが職種や期限に定めがなく、ブラジルなどからの日系人を優先的に受け入れる「日系研修員受入事業」とはまた別の制度です。



当然、このような机上の穴だらけの制度には、様々な問題が起きていて、特にひどいのは、研修生とは名ばかりで、単に安い労働力の確保とみている強欲な経営者が悪用している例や、中には出稼ぎして大金が手に入るからと誘い、渡航費や保証金を出させ、借金まみれにしてパスポートを取り上げ、借金返済まで厳しい強制労働をさせていた悪質業者まであったそうです。

現在は何度か法改正をおこない、入国期間は最長3年間、入国時に日本語や生活習慣などの研修、最低賃金等の労働法令が適用、不正行為を行った企業の受け入れ禁止期間の延長などを決めていますが、まだ穴だらけという印象はぬぐいきれません。

しかし本当にすべての穴を防いでしまうと、格安の労働力が減ってしまい、高齢者ばかりの地方の農業や水産業が崩壊してしまい、円高や内需激減に苦しむ零細工場が、軒並み倒産してしまうのではと言われています。確かに失業率が高いからと言っても、少子化でますます減っている若者が、地方へ行って最低賃金ギリギリの安い賃金で、過酷な環境で農業や水産業の単純作業に就くとは考えられません。

この制度で入国している外国人数ですが、2005年には約8.3万人、2010年時点では約10万人です(最初の質問の正解は10万人でした)。意外と少ないような気もしますが、雇用環境の悪化で技術や能力のいる仕事が満足にない中で、今のところこの制度を現状よりももっと積極的に使って外国人を呼ぼうという動きはなさそうです。

しかし上記のような農業、水産業をはじめ、建築、土木、製造、各種サービスや介護といった仕事は今後ますます人手不足に陥ることが予想されます。多くの若者がそれに就かない限りは、海外から来てもらうしか方策はなく、逆に途上国からは日本で仕事をすることで、効率よくお金が稼げ、うまくすれば技術も身につくということで、本来はもっと積極的に進めていくべきことかもしれません。

そうすれば少子化ゆえの経済衰退にも多少なりとも歯止めがかかり、3年とは言わず最長20年ぐらいは居住権を認め、結婚してからも日本で生活してもらうことで、税金や生活費や教育費も支払ってもらい、特にシュリンクしていく地方経済の活性化につながるのではないかと期待しています。

現在のところ、研修生の国別内訳は、中国が全体の78%(2010年)と大半を占め、その他の国としてはベトナム(8%)、インドネシア(5%)、タイ(1.8%)などからも受け入れています。

中国はもはや日本で働くよりも自国で働くほうがメリットが大きいとも言えますので、今後は減少していくでしょう。その代わりに、インドネシア、ベトナム、フィリピン、モンゴルあたりからより多くの研修生を受け入れ、過去に迷惑をかけたお詫びというわけではないけれど、もっと両国のメリットにつながるよう、優遇していってもいいのではないでしょうか。

ただ、外国の一部からは、この制度自体が人身売買と映ることもあり、アメリカ国務省が昨年まとめた「世界の人身売買の実態」にもこの制度の記載があるそうです。そうではなく、両国にとって望ましい形での有期移民制度として発展させていく法整備と体制作りが必要でしょう。そうでないと、まったくみっともない話しです。


     


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パスワードについてちょっと雑談 2012/2/15(水)

579
今から40〜50年前までは、銀行での取引は通帳と印鑑だけで、もちろんパソコンもWebもなかったので、暗証番号やパスワードを個人で持っている人はいませんでした。しかし今の日本社会で生きていくには、数々の暗証番号やパスワードを持っている必要があります。

50代以上の人が最初に暗証番号を持つことになったのは、銀行業務合理化のため自動支払機とキャッシュカードが導入されたことにより、暗証番号を個人ごとに持つことになった時ではないでしょうか。そして、続いてクレジットカードのブームが起こり、それにも数字4桁の暗証番号が必要となります。したがってその世代の多くは同時期に作ったためキャッシュカードとクレジットカードの暗証番号が同じです。

親方日の丸で合理化の必要がなかった郵便局に口座を持っていた人は、銀行がキャッシュカードの発行を始めてから遅れること10年以上経ってから、ゆっくりと始まりました。したがってかなり長いあいだ通帳と印鑑だけの取引がなされていましたので、暗証番号もかなり後になってから必要となりました。

一方今の若者は、自分で銀行口座を作るよりも前に、携帯電話やパソコンを使う際、パスワードを自分で決めて入力する必要があるため、その時点で暗証番号やパスワードで認証してもらうシステムに慣れてしまいます。

私は暗証番号を覚えるのが苦手ですぐに忘れてしまいますが、それを苦と感じるかそうでないかは、社会人になってからやむなく必要となったか、それとも子供の頃から生活の一部として存在していたかの差だろうと考えています。

若い人にはわからないでしょうけれど、年を取ると、数カ月前に決めたパスワードを始めて使うとき、それを何かにメモでも残しておかない限り、記憶しておけるなんて至難の技に等しいことなのです。私なんかは1週間前に決めたパスワードでも怪しいです。

今考えると、例え数億円のお金を預けている貯金口座であったとしても、4桁の数字の組み合わせ、たった1万通り(10の4乗)で解けてしまうというのはなんとも心許ないセキュリティだと思います。しかし現在でもその方式が変わらない(補助的にIC化や掌紋認証というのがありますが)というのは、利用者の便利さ(記憶力とか操作性)と最低限のセキュリティを天秤にかけると、案外それで十分なのかもしれません。

もちろん銀行取引の場合は、3回連続して認証に失敗すると、口座がロックされるとか対策は打たれていますが、お金の引き出しができるキャッシュカードですらこれぐらいの緩い認証で済んでいるのに、なぜかパソコンやネットワークの世界では「パスワードはアルファベット大文字小文字を混ぜ、数字、記号も含めて8文字以上(推奨15文字)、しかも3カ月に1回は変更するように」なんて厳しいルールがあったりします。

その堅牢なパスワードで守っているのはと言えば、影響力もないたかが匿名個人ブログの管理者権限だったり、メールマガジンを送ってもらうための会員登録だったりするわけで、アホらしさ満開です。

ちなみに多くの人はネットワークで利用するパスワードは、簡易なところでは英数字で4〜6文字程度が多いでしょう。しかしキャッシュカードと同じわずか4文字でも、英字が入ると組み合わせは一気に巨大になります。

ただその承認処理をキャッシュカードのように物理的におこなうのではなく、プログラムで自動実行させれば4桁の暗証を解くには数秒しかかかりませんから、それを避けるため、できるだけ多くの文字数にしてリスクを回避しているのでしょう。

■質問
パスワードを設定する場合、「桁数を増やす」のと「英文字・数字・記号の文字の種類を増やす」のとどちらが効果が高いでしょうか?(記号は便宜上30文字とする)



こうして見ると、微妙なところですが、文字の種類を増やすより、パスワードの桁数を増やす方が、パターン数は増えていくのがわかります。そして、文字の種類を増やす場合は、数字のようなわずか10文字しかないものではなく、記号のように30文字以上もあるものを使うと、その効果はてきめんです。

●文字種類を加える
英小文字 4桁 456,975パターン
英小文字+記号 4桁 9,834,496パターン (22倍)
数字+英小文字+記号 4桁 71,639,296パターン (157倍)

桁数を増やす
英小文字 4桁 456,975パターン
英小文字 5桁 11,881,376パターン (26倍)
英小文字 6桁 308,915,776パターン (676倍)


ちなみに大小区別のない英文字だけ4桁のパスワードを、解除ツールで解くには約3秒、6桁でも37分、8桁でようやく17日間だそうです。

大小英文字+数字+記号で4桁は約9分、6桁で54日、8桁では1千年かかります。おそらく国家機密や大手企業の重要情報でもなければ1カ月以上かけて解除しようとは思わないので、大小英文字+数字+記号で6桁のパスワードをかけておくと、通常個人レベルとしてはかなり頑丈なパスワードといえます。

「記号って入力するときに面倒」と思われがちですが、通常パスワード入力画面は半角入力に固定されますので、わざわざShiftやF8キーを押さなくても、通常のアルファベットや数字と同じように打てる記号がありますから、それを使えば面倒ではありません。

あと、パスワードとして使える記号は、それぞれに決まりがあって、必ずしも種類が一致していませんので注意が必要です。一般的に記号として使えるのは下記の33種(一番最初は半角スペース)ですが、例えばスペースや\などが記号として使えないところもあります。
  !"#$%&'()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~

すべての文字を含むパスワードの作成の仕方として、例えば愛車の自動車の名称や形式番号など(例:Audi2.0)でうまく組み合わせて使うと忘れてもすぐに思い出したり調べることができます。あと一般の英字辞書に出てくる単語の組み合わせは一気に解析しやすくなるので使わないというのが常識です。


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2月前半の読書 2012/2/18(土)

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迷宮 (集英社文庫) 清水義範

著者はSF小説を得意としながらも、ミステリーやコラムっぽい話しまでかなり幅広く活躍されている方です。私も1990年代に短編集で「深夜の弁明」「ビビンパ」などを読んでいますが、非常にユニークな方という記憶があります。

この「迷宮」は1999年初出の小説なので今から13年前のものになります。ブックオフで購入したことがバレバレでして、その場合は著者にはまったく実入りがないので申し訳なさでいっぱいです。だからと言ってベタ褒めするようなお調子者ではないので、率直な読後感想です。

まず内容はいきなり驚き連発です。このようなスタイルは決して珍しくないと解説にありましたが、いやいやどうして十分に珍しいです。解説者の場合は「俺はお前等と違ってもっといっぱい読んでいるんだぞ」という見栄がありますから、知ったかぶりでもなんでも有効に使わなければ食っていけません。

まず病院と思える室内にひとりの男が連れてこられ、かと言ってなにか拘束されているようなわけではなく、単に過去に起きた特定のある凄惨な殺人事件の新聞記事や週刊誌記事、それを題材として小説を書こうとしている人の取材メモ、手紙などを治療の一環と称され読まされます。というか小説ですから文章で表されます。治療にしてはかなり過激とも思える療法です。

読者としてはその過去の殺人事件のことにだんだんと詳しくなっていき、それを読まされている男がおそらくこの事件に関わりのある人物だと感じてきます。記憶喪失の主人公も当然それに気付きはじめます。うん、これだけでもなにかゾクゾクします。

というだけの話しなんですが、組み立てが素晴らしいというか、作者が新聞記者が書いた原稿、週刊誌のライターが書いた原稿、小説家が取材したメモ、小説家が師と仰ぐ先生にこの件で相談した手紙、先生からの返事、警察の聴取記録などひとつの事件について様々なパターンでその真相を想像したり探って書いていくのはこれは凄いし、それが一気に読めるのはたいへん面白い試みです。ただ最後が突然終わるので、これがやっぱり清水義範氏の持ち味なんだなぁと思い知らされたり。


阪急電車 (幻冬舎文庫) 有川浩

2004年「塩の街」でデビューしその後大活躍中の女性作家さんです。自らライトノベル作家と称するように、軽いノリで大人の機知をうまく表現する現代の売れっ子必須要素を備えている感じです。

この作品は「阪急電車 片道15分の奇跡」として映画化もされましたが、わずか片道15分の阪急今津線の各駅ごとに主人公を入れ替え、様々な人生模様を軽いタッチで描かれています。

同沿線には名門の関西学院大学や阪神競馬場、子供でも知っている宝塚歌劇場、大正時代にできた宝塚ホテルなどユニークで歴史ある施設が多い場所です。

そういえば1月に甲東園駅前にあるマクドナルドが関西学院大学にマナーの悪い学生を注意して欲しいとクレームを入れたら、学校側は出入りを禁止すると学生におふれを出したことがありました。その甲東園駅もこの今津線の駅のひとつです。

おそらくこの小説と映画のおかげで、あこがれて全国から若い人が押し寄せてきたのではないかと思われますが、なにかそうさせてしまいそうな、男女の微笑ましい出会いや、くだらないDV男と別れるきっかけとなる乗客のひと言など、ほのぼのとさせるものがあります。

残念ながら私の年齢では、もうときめきもなにも湧いてきませんが、青春時代を送るならこの街がいいなと思わせる、そして阪急電鉄から表彰状と金一封がもらえそうな同時進行の短編物語です。


ひとがた流し (新潮文庫) 北村薫

2005年から2006年にかけて朝日新聞に連載されていた小説です。主人公はテレビ局の独身中年女性アナウンサーで、高校、大学時代からの同性の友人達と今でも仲良く付き合っています。その女性同士の友情の話しが淡々と続いていきます。

序盤から終盤近くまで特に話しで盛り上がるところもなくずっと平板なまま過ぎていきます。眠たくなるのをこらえるのがたいへんでした。北村氏の小説にしては妙だなと思っていましたら、案の定終盤近くになってから主人公に大きな事件が起き、そこから一気に急展開となります。

女子アナと言えば華やかでモテモテで脚光を浴びてと思いがちですが、40歳を超えたベテラン局アナだと、そういう華やかな世界ではなく、ナレーションや取材先からの中継で時々顔をだす程度の地味な存在となってしまいます。

しかしベテランアナともなれば、ニュース番組でのメーンキャスターの道もあり、主人公は密かにその道を目指しています。そこへ行くまでの苦労話などはほとんど出てきませんが、ようやくその主役の座が回ってきそうなときに、思いもよらなかったことが起きるのです。

タイトルは主人公が子供の頃に、澄んだ綺麗な川に「ひとがた」の紙に願いを書いて流した行事について、ある本では「ひとがたに書くのは悲しみや持病など捨ててしまいたいこと」と書いてあり、それにずっと違和感を覚えていたところ、ある人から「願いを書くこともある」と聞いて、自分達のおこないが間違っていなかったことに安心するところから用いられています。しかしそのタイトルと、小説の中身とはあまり関係がなさそうです。


読者は踊る (文春文庫) 斎藤美奈子

以前読んだ米原万里氏(故人)の書評本の中で、やたらと誉めちぎっていた斎藤美奈子氏の書評本を読んでみることにしました。米原万里氏の書評を読んだ時もそうでしたが、書評にはその中でお薦め本というのがあり、自分の趣味の中には入っていない本でも面白そうな本を積極的に取り込むことで知識や興味の偏りを防ごうとしています。米原氏の書評の中からは佐藤優氏の本などいくつか発掘できました。

この本では、聖書からグルメガイドや辞書、教科書、学習漫画まで広範囲に200冊以上の本に触れ、舌鋒鋭く、また諸先輩方々や業界の大物にもなんらひるむことなく、気の向くまま思うままに書かれているので、これがたいそう面白くて笑えます。しかし逆にすごく読みたくなる作家さんや本のことはあまり紹介されてなく、新たな分野や作家さんを発掘する目的だとちょっと物足りないかも。

著者は1956年生まれということで私と1歳違いの同年代です。ステレオタイプで語るわけではないのですが、この世代というのは何かにつけて団塊世代が食い散らかしたその後始末と、社会に入ってからも、ドカンと居座って騒がしいその(悪い)影響をモロに受けざるを得なかった世代で、多少は世の中に対して皮肉っぽくなるのも仕方なしです。

現在は朝日新聞の文芸時評を書いているそうですが、その団塊世代にもっとも支持されているであろうお堅い新聞ではおそらく控えめにしか書けずストレスが溜まりまくりでしょうが、自分の本なら名誉毀損になりはしまいか?と思えるギリギリまで、バッサリと斬り捨て御免ができます。

一方では著者本人も書評だけでなく小説などを書いていますので、自分の書いた本の書評についてもぜひ取り上げてもらいたいものです。おそらくその書評を書いた人や書評自体をまたバッサリと斬るのでしょう。

半端ではない読書量と、同じテーマの本を比較するために何冊も読むという執着心?、それになにも怖いものなしというところは、米原万里氏とも相通ずるところがあったのでしょう。この文庫版では解説に米原万里氏が登場しています。


九つの殺人メルヘン (光文社文庫) 鯨 統一郎

鯨統一郎氏の小説は、早乙女静香シリーズの「邪馬台国はどこですか?」(1998年)に続き2冊目です。この「九つの殺人メルヘン」は2004年刊で、バーの中で謎を解くスタイルは「邪馬台国はどこですか?」と似ていますが、シリーズとしてはこちらは「桜川東子シリーズ」ということで別のものとなります。

タイトル通り九つのグリム童話に関連した不思議な殺人事件をテキパキと解決していくメルフェンを専攻する女子大生桜川東子と、バーのマスター、刑事、犯罪心理学者の三人の厄年トリオのうんちく話しが中心です。

童話の話し以外にも厄年トリオが、日本酒の話しや少年時代の思い出話し等、数々の雑学を披露してくれますので、飽きることがありません。しかし、デビュー作「邪馬台国はどこですか?」でも感心しましたが、鯨統一郎氏の守備範囲の広さには驚かされます。「2011年8月前半の読書

すでによく知られていることですが、グリム童話の本当のストーリーは、絵本やディズニー映画で描かれているのとは大きく違い、かなり残酷かつ、非道な内容であると解釈されていますが、その解釈をうまく利用しながら、身近で起きた殺人事件の謎解きをおこなっていきます。

登場する童話と新解釈は、
  ヘンデルとグレーテル→口減らしのための子捨て
  赤ずきん→不良娘の夜遊びと視覚失認症
  ブレーメンの音楽隊→死ぬ前の一瞬の夢
  シンデレラ→ガラスの靴は性の相性
  白雪姫→父親との近親相姦
  長靴をはいた猫→悪漢ネコのピカレスクロマン
  いばら姫(眠れる森の美女)→エクスタシーと性交渉禁止
  狼と七匹の子ヤギ→母親の愛人による子への虐待
  小人の靴屋→怠け者の願望

童話の新解釈本は今ではいろいろとありますが、本書の参考書籍にもなっている「メルヘンの深層―歴史が解く童話の謎」森義信著あたりを読んでみたくなりました。


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新聞に想うこと その1 2012/2/22(水)

581
我が家では今でも朝日新聞をずっと購読しています。私が物心ついた頃からずっと家では朝日新聞でしたが、私が大学に入学するとほぼ同時期に、両親、兄弟が仕事で実家を離れて暮らすようになり、その時点で私の意志で4年間だけ地元の地方新聞に切り替えました。理由は別にたいしたことではなく、その地方新聞の販売店が家のすぐ隣にできて頼まれたからという単純な理由です。

やがて大学を卒業し、実家を離れて1人住まいをするようになってからは、日経新聞を取るようになりました。1980年代はまだ「ビジネスマンで日経新聞を読んでないヤツは信用できない」ぐらいの感覚がありました。

そして一度それに慣れてしまうと、もう毎朝、日経新聞に目を通さないと不安で仕方なくなってきます。なにか自分が知らない間に仕事上の大きな話題や事件が1ヶ月ぐらい先にすっ飛んでしまい、浦島太郎になってしまうんじゃないかと焦り、新聞社の思惑通り自分を追い詰めてしまっているのです。

20代後半に結婚をして、それまでの寮代わりに住んでいたワンルームマンションから新婚用のマンションへ引っ越しをしました。その新居で妻に聞いたところ妻の実家でも朝日新聞を取っていたというので、自宅用に朝日新聞、自分用に通勤時に読むための日経新聞の2紙併読という形になりました。その組み合わせで13年間、日経新聞は学校卒業以来20年間続くことになります。

40代前半に思わぬリストラで退職に追い込まれてしまい、次はすぐに決まるだろうと楽観していた再就職もなかなか決まらず、数カ月間失業保険で食いつなぐ必要が出てきたため、日経新聞や有料のクレジットカードの解約、住宅ローンの月々返済額の減額(返済期間を延長)など日々出て行くお金を減らすことにしました。

あれほど日経新聞を読まないと不安感がいっぱいだったのが、失業して無職になると、もうどうでもよくなります。取り残される感は引き続きありましたが、家計がそれを押さえ込みます。それに経済・企業・ビジネスの内容にはもの足りませんが、朝日新聞がありましたので、大きな不便は感じません。

朝日と日経の差は、内容もさることながら、連載小説に大きな違いがあります(そこかよ)。

朝日はどちらかと言えば女性、特に奥様方に向けたテーマで、日経は明らかに硬軟織り交ぜながらも中高年男性向けです。

私が日経を購読していた頃(1980年〜2001年)の連載小説(朝刊)はと言えば、

城山三郎 「男たちの好日」1980年
渡辺淳一 「化身」1985年
阿刀田高 「花の図鑑」1986年
津本 陽 「下天は夢か」1986年〜1989年
隆慶一郎 「花と火の帝」1988年〜1989年
連城三紀彦 「褐色の祭り」1989年〜1990年
遠藤周作 「男の一生」1990年〜1991年
三浦哲郎 「夜の哀しみ」1991年〜1992年
宮本 輝 「朝の歓び」1992年〜1993年
渡辺淳一 「失楽園」1995年〜1996年
辻井 喬 「風の生涯」1999年〜2000年
(※記憶と検索で調べても上記ぐらいしか判明しません。知ってる方がいらっしゃったら穴を埋めてください。)

一方の同時期の朝日新聞の連載小説(朝刊)はというと、

遠藤周作 「女の一生〈第1部〉」1980年〜1981年
遠藤周作 「女の一生(第2部)」1981年〜1982年
松本清張 「迷走地図」1982年〜1983年
加賀乙彦 「湿原」1983年〜1985年
城山三郎 「秀吉と武吉」1985年
辻 邦生 「雲の宴」1985年〜1987年
三浦朱門 「ささやかな不仕合わせ」1987年
干刈あがた 「黄色い髪」1987年
佐藤愛子 「凪の光景」1987年〜1988年
宮尾登美子 「きのね(柝の音)」1988年〜1989年
椎名 誠 「銀座のカラス」1989年〜1991年
筒井康隆 「朝のガスパール」1991年〜1992年
渡辺淳一 「麻酔」1992年
曽野綾子 「夢に殉ず」1993年
遠藤周作 「女」1994年
皆川博子 「朱紋様」1994年
澤田ふじ子 「これからの松」1994年〜1995年
杉本章子 「残映」1995年
陳 舜臣 「チンギス・ハーンの一族」1995年〜1997年
堺屋太一 「平成三十年」1997年〜1998年
樹のぶ子 「百年の預言」1998年〜1999年
宮城谷昌光 「沙中の回廊」1999年〜2000年
村田喜代子 「人が見たら蛙に化れ」2000年〜2001年

ま、人気作家はかぶっていますが、その内容は対照的です。特に日経はおじさん向けですべて男性作家ばかりです。

それはさておき、再就職後にもすっかり日経新聞を読まない生活に慣れ、当時普及し始めたネットニュース+自宅へ帰ってから朝日新聞+テレビニュース+ネットニュースで十分事足りるようになりました。つまりこの時点で私の新聞に対する期待はかなり薄まってきたことになります。

そして現在、新聞をとっていて一番役立つのが土曜日に大量に入る特売品のチラシです。食料品から日用品、家電製品の安売りチェックは欠かせなくなっています。また近所の不動産の状況や便利なサービスの案内など、休日の朝は新聞の中身を読むよりも、チラシ広告を眺めている時間が多いぐらいです。しかし家族のうち何人かはiPadやパソコンで読むニュース以外にも一応新聞には目を通しているらしく、まだ今のところはとるのをやめようという判断はありません。

「2011年新聞・テレビ消滅」という本がありましたが、案の定タイトルだけのこけおどしに過ぎず、結局どこもつぶれずに立派に存続していますが、うちみたいな中年夫婦と子供三人の世帯でもその役割が終わりに近づいてきていると実感できるのですから、引退して暇を持てあます高齢者世帯以外では、家で新聞をとる習慣は相当に減っているのは間違いなさそうです。

次回その2では、その新聞の購読数推移などを調べてみます。


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新聞に想うこと その2 2012/2/25(土)

582
新聞に想うこと その1」では、私の新聞人生の半生を語りましたが、世間では今でも新聞は数多く読まれているのか?という購読者推移を調べてみました。

2007年頃をピークに日本の人口は減り始め、現在はまだ伸びている世帯数も、やがて下がることは間違いなく、いずれ自然減で新聞購読者は減っていきます。しかし新聞は家電製品や自動車、食料品、学生数などと違い、人口減になってもそれが直ちには影響を受けにくい理由があります。

それは新聞の購読者の層は、進学や就職・結婚で必要となる家電製品や、生活に必要だったり、趣味で買ったりする自動車とは違い、比較的年齢の高いところにあり、人口減の影響をまともに受けるようになるにはまだ数年から十数年先のことだからです。つまり今65歳前後の団塊世代が寿命の尽きる頃、あるいは子供の頃からPCや携帯が身近にあり、新聞を必要とせず育ってきた人達が社会人になる頃です。

それでも発行部数が減ってくるのは、

1)我が家のように経費削減のため2紙とっていたのを1紙に減らした
2)テレビやネットで情報を得るようになり新聞が不要となった
3)1人住まいを始めたが、新聞は不要(または無駄)と考える
4)会社や団体で経費節減のため購読紙を減らしたりやめた
5)スマートフォンやモバイルPCがあるので、駅で新聞を買わなくなった


などが考えられます。

それでは発行部数がどのぐらい減ってきたのか、グラフで見てみましょう。

 新聞の発行部数の20年間推移(新聞協会経営業務部調べ)


このグラフでは、朝刊・夕刊セット販売(新聞販売店の配達)を見ると、20年前の1992年が19,752千部だったのが2011年では13,236部へと6,517千部(33%)も落ちていることがわかります。同期間新聞全体では3,593千部(7%)のダウンですので、特にセット売りの新聞配達所経由のダウンが大きく目立ちます。

合計部数だけを抜き出してもう少し詳しく見ると、下のグラフになります。



1996年から2001年にかけてはバブル後遺症もなんのその、新聞社は我が世の春を謳歌していましたが、1997年をピークにジワジワと下げ続け、2004年にいったん下げは止まったかと思いきや、翌年から昨年まで7年連続して下がり続けます。今年(2012年)も、今のところ伸びる要素は見当たらないので発行部数は確実に落ちるでしょう。

紙の新聞の発行部数が減っても、日経や朝日が始めている携帯やスマートフォン、PCなどへ配信する電子版が増えていけば、ある程度の穴埋めができますが、まだスタートして間がなく、本格的に普及するとしてもまだ先のようです。

次に日本の世帯数と新聞発行部数を比較してみます。2011年現在世帯数はまだ緩やかな上昇傾向にあります。これは仕事や学校のために都会へ出て行く子供と核家族化、シングルライフの増加、子供と離れて過ごす高齢者など様々な理由があるでしょう。世帯数は増えているのに新聞発行部数は下がり、当然1世帯当たりの新聞発行部数は大きく下がります。



このグラフを見ると、1世帯当たりの新聞発行部数が1を切ったのが2008年です。1992年以前のデータが手元にはないのですが、おそらく統計以来初のことでしょう。それでも1世帯平均1紙を購読している国は世界中探してもそうはないでしょう。

新聞は各世帯に配達されるものばかりではなく、駅売りもあれば、企業や商店などへ配達されるものも相当数あります。また1世帯で二紙以上購読している家も少なくないでしょう。したがって、実際のところとっくの昔に1世帯平均1部の購読はきっていたことになります。

私の子供の頃(1970年代)、自宅に新聞をとっていない家はまずなく、下宿や寮住まい、単身赴任者でもなければ新聞を購読しないことは考えられなかったことからすると、あらためてその変化に驚かされます。

新聞社は新聞の発行数や販売数だけで売上が決まるわけではなく、広告や関連事業(書籍出版やネット収入、カルチャースクール、物品通販など)もあり、販売店も購読契約戸数以外に広告チラシ収入や新聞以外の宅配事業などをおこなっていますので、必ずしも「発行部数減=売上減」ではないでしょう。またここ数年は電子版の有料配信に大きく期待する向きもあります。

しかしいずれの対策もあまりにも巨大化した新聞社にとっては焼け石に水で、販売部数の減少はいずれ命取りになるはずです。ここ数年の傾向を見る限りでは、系列のテレビ局も巻き込んだ「巨大メディア崩壊」というX-DAYが近づいてきているのは間違いないでしょう。果たしてその時に、日本航空や東電のように政府が全面的に支援をしてくれるか?と言うと、それはほとんど期待できないでしょう。


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