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リストラ日記アーカイブ 2012年6月

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日記INDEXページ(タイトルと書き出し部の一覧)はこちらです

611 海外移転で製造業の労働者はどこへいったのか? 2012/6/2(土)
612 5月後半の読書 2012/6/6(水)
613 関西風味  2012/6/9(土)
614 企業は若者の早期離職を恐れるな 2012/6/13(水)
615 6月前半の読書 2012/6/16(土)
616 ガソリンスタンドの経営が厳しいと言うことはわかるが 2012/6/20(水)
617 人口減少と年金受給者増加 2012/6/23(土)
618 リニア中央新幹線は「新・夢の超特急」か? 2012/6/27(水)



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海外移転で製造業の労働者はどこへいったのか? 2012/6/2(土)

611
製造業の工場海外移転は1990年代からすでに始まっていましたが、本格的に進むのは2000年に入ってからです。

戦後は焼け野原となった国土で、多くの労働者の受け皿として、また高度経済成長の牽引役として日本各地から動員されてきた工場労働者は、バブルの終焉となった1992年を頂点にその後現在まで下降傾向にあります。

戦後の初等教育では一貫して将来製造業の従業員になるための訓練をおこなってきたと言って差し支えありません。つまり単独プレーや独創性など個性は押さえ込み、均一化された大量生産に向く、金太郎飴のような人材を育成することが国家的プロジェクトとして最大の目標だったわけです。

製造業に関わる労働者数を具体的に数字で見ていくと、1970年に1,377万人と就業者全体の27%が製造業でした。20年後バブルの頃1990年は1,505万人で24%が製造業に従事していました。およそ3〜4人に一人の割合です。

それがさらに20年後、2009年には製造業の就業者は1,037人と20年前から468万人減り、就業者の割合は17%となります。大ざっぱに言えば雇用される労働者のうち1970年は10人中3人が製造業だったのが、約40年後の2009年には10人中2人以下となってしまったということです。

下記のグラフは2002年に調査項目(産業分類)が大幅変更となり、1968年から2002年までと、2002年以降のふたつに分かれています。これは従来「サービス業」などで一括りにしていたものを、「医療・福祉」などに分割し細かくしたことによります。

グラフ1産業別就業者推移(1968年〜2002年)

出典:総務省統計局日本標準産業分類別雇用者数(年平均)から抜粋

グラフ2産業別就業者推移(2002年〜2009年)

出典:総務省統計局日本標準産業分類別雇用者数(年平均)から抜粋


しかし製造業の就業数の絶対数だけで見ると、1970年1,377万人、1990年1,505万人、2009年1,222万人と、率で見るのとは違ってさほど大きな変動があったようには見えません。それは団塊世代など就業者総数が2000年半ば頃まではずっと増加傾向にあったので、そのようなことが起きます。

絶対数では大きな変動がないと言っても、過去製造業で働く人がもっとも多かった1992年の1,569万人と比べると17年後の2009年は1,097万人と472万人も減少しています。不況の影響ももちろんありますが、この減った数の何割かは工場の海外移転に絡んでいるものと思われます。

ではこの約472万人の人達は、製造業からいったいどの産業へいったのでしょう?

まず第一に、上記産業別就業者推移グラフを見ると、製造業、農林業の労働者は大きく減少していますが、「サービス業」が大きく増加しています。1992年と2002年の10年間で323万人も増加しています。産業間の労働者の移動のまずひとつめとしてそれが見て取れます。

そのサービス業を細かく分類した2002年以降のグラフ(上記グラフ下)を見ると、2002年から2009年の直近7年間で「医療・福祉」で147万人の増加、「サービス業(他に分類されないもの)」が79万人増加しています。この分類では「コンサルや広告代理店、人材ビジネスなど」などが該当します。その他では「情報通信業/金融・保険業」で50万人の増加で、上記3つを合計すると276万人が増えていることになります。

2002年以前の詳細は不明ですが、おそらくこの「医療・福祉」「その他サービス」「情報通信・金融保険」で製造業で減った470万人の大部分をカバーしているのと思われます。

第二として生産人口の15〜64歳の完全失業者数はどうだったかというと1970年1月は55万人(完全失業率年平均1.1%)、1993年1月は148万人(同2.5%)、2002年1月は351万人(5.4%)、2009年1月は286万人(5.1%)ですから、1993年と2009年を比べると失業者が138万人も増加していることになります。

つまり、医療福祉、サービス業、情報通信などへの労働移転が進む一方、それに漏れてしまった人が失業者となったと推測ができます。

次に、製造業や建設業でモノ作りをしていた人(工場労働者や建設労働者)が、その後どういった職種に変わっていったのかをやはり統計を用い推定してみます。

下記のグラフは職業別就業者数推移です。


出典:総務省統計局職業別就業者数(全国、年平均)

「製造・制作・機械運転及び建設作業者」がもっとも多かったのが1992年の1,726万人でした。それが18年後の2010年は1,278万人と448万人減っています。上記の産業別より就業者数が多いのは「建設作業者」が入っているからと推測できます。

一方1992年から大きく増えているのは「保安職業,サービス職業,運輸・通信従事者」で220万人増、「管理的,専門的,技術的職業従事者」が133万人増、「採掘作業者,労務作業者」が77万人増(3つ合計で430万人)で、この3つの職種へ変わっていったと考えられます。

意外だったのは、感覚的には増えているだろうと思っていた営業職や小売業などに従事する「販売従事者」は増加どころか逆に減少傾向にあります。

それに製造業の労働者人口の減少以上に「農林漁業作業者」が一貫して下げ続け、統計のある1962年時点と比べると2010年はその2割に、ここ10年間だけを見ても20%の減少と歯止めがまったくかかっていません。第一次産業に従事する人達の高齢化と跡継ぎがなく廃業することが多くなってきていますので、今後もこの傾向は続きそうです。

もしかすると、製造業労働者の本当の受け入れ先にすべきは、サービス業やハローワーク(完全失業者)ではなく、農林水産業や畜産など第一次産業ではないのかと思ってしまいますが、勤務場所や所得、季節労働、零細規模、仕事の厳しさなどがあり、第三次や第二次産業から果たして第一次産業へ移れるか?と問われるとその難しさは容易に理解ができます。

最近になってようやく一部の事業家が大規模農業を始めたり、年間を通して栽培が可能な野菜工場が始まったり、事業運営を会社組織にして従業員が安定した収入を得られるよう第一次産業も少しは変わってきていますが、まだまだホンの一握りでしょう。

なぜ第一次産業改革が進まないかというと、やはり補助金や補償金、奨励金など既得権益を受けている人や組織が規制緩和や自由化への反対と農業改革に抵抗感が強いことがあります。政治家にとってみればそのタブーに手を出せば、次回は落選間違いなしで、農家とJAなどの関連利益団体を敵に回すことは、郵政改革で郵政族を、金融ビッグバンで金融族を敵に回したのとでは桁違いの反発を喰らうことになるでしょう。

本来なら古くから農家などの支援が強かった自民党から、サラリーマンの労働組合の支援が強い民主党に変わった段階で、それらの既得権益を打ち破らなければならなかったはずでしたが、まだ政治基盤が弱い民主党には、そういう思い切った政策がとれませんでした。

しかし債務超過のいま、いつまでも食糧自給率を盾にする第一次産業だけ補助金を出せるはずもなく、そして緊急の国家課題として雇用対策というのがあり、それの解決法としてこの農業・漁業・畜産業の改革を国家政策として押し進めていくことが日本の将来にかかっているのではないでしょうか。

ぜひ政治と民間の力で、細々とした田畑の個人農家や、休耕地を集約し、それを民間企業に委託して、また産学一体となり最先端のバイオ技術などを利用し、安全でしかも効率のいい農業や水産業を目指すべきではないのかなと思っています。

そうすることにより、高齢化して後継者不足で破綻寸前、補助金頼みの産業に活力を与え、行き場を失っている労働者や失業者が、安心して働くことができる政策を、早急に打ち出してもらいたいものです。


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5月後半の読書 2012/6/6(水)

612
家族の言い訳 (双葉文庫) 森浩美

著者の森浩美氏は1960年生まれで秋元康氏と縁が深い放送作家や作詞家でもあり、ミュージカルの脚本や小説も手がける多彩な人です。名前から想像すると女性に思えますが男性です。

この文庫に収録されている8編の短編小説はいずれも家族がテーマになっています。

生活に疲れ小さな我が子を連れて親子心中するために死に場所を探して旅をしていたところ、子供が発熱してしまい、知らない土地で病院へ行き、その町の民宿へ泊まったところ、そこの女将さんに暖かなもてなしを受けて生きる勇気をもらうという定番の話しながらほのぼのとする「ホタルの熱」。

プライベートでは投資用マンションをいくつも持っているやり手の雑誌編集者でありながら、婚期を逃してしまった女性。以前仕事で「才能がないからこの仕事はやめたほうがいい」とダメだししたフリーの女性ライターと街でばったり出会い、いまは逆の立場になっていることに愕然とする「カレーの匂い」。この話しはもう一つ最後にオチがありますがネタバレするので。

その他に特に印象に残ったのでは子供の時に母親に捨てられて、それ以来会わずにシングルマザーと家庭を築いたものの、自分の子供を育てることに恐怖を感じている男性。その男性と一緒になった女性が一肌脱ぐ「イブのクレヨン」など。

いずれもなかなか味わい深い短編ですが、「家族の言い訳」というより「結婚の言い訳」のほうが近いかも。そして結婚って本当にいいものなのか?というのは微妙で、この小説からはなんとも言えない気怠さが伝わってきます。


夜行観覧車 湊かなえ

2009年7月に島根で起きた中学2年生が医者の父親を殺害した事件など、いくつかの事件をモチーフにしていますが、読んでいくにつれ、湊かなえ流の「なぜ?」「どうして?」という謎が深まっていきます。

大ヒットした実質的なデビュー作品の「告白」でもそうでしたが、特に誰が主人公というわけではなく(映画では松島奈々子が主演でひとりだけ目立ってましたが、小説ではそうでもなかった)、複数の登場人物が次々と自分の視点で語り、行動していくスタイルは最近の流行なのでしょう。いったい誰に感情移入していいのかわからないので、困ってしまいます。

登場人物のそれぞれの語りから、家族の中に抱えいる問題や、古くから住んでいる住人と新しい住人との葛藤、エリート一家とそれにあこがれる隣人、受験で志望校に落ちた子供のストレス、暇でお節介な近所の高齢者など、どこにでもありそうな設定に身近な雰囲気が漂います。テーマの取り方などはちょっと宮部みゆきっぽい感じではありますね。

そして「告白」ほどの衝撃のラストではなく、さもありなん程度の決着が最後のオチとなっています。このような家族を扱った物語ではあまり衝撃的で無慈悲なラストというのは現実的ではなく難しいのでしょう。

あとなぜこのようなタイトルになったのかはわかりませんが、もしかすると「よその家をこそっとのぞき見する人達」という意味を込めてのことかも知れません。


輪廻の山―京の味覚事件ファイル (光文社文庫) 大石直紀

「京の味覚事件ファイル」と副題がついていて、聖護院かぶら、筍、ひろうす、賀茂茄子、白味噌など京都独特の野菜や食材が絡む殺人事件の謎を、転勤で東京から初めて京都へやってきた若い夫婦がライトな感覚で解いていきます。

著者の大石直紀氏は私とほぼ同年の1958年静岡県生まれ、1993年に日本ミステリー文学大賞新人賞に輝いた「パレスチナから来た少女」でデビューした作家さんで、私が読むのはこれが初めてです。

学生時代には関西に住んでいたらしいのですが、特に京都や料理とはあまり縁がなさそうに思え、どうしてこのような京料理の作品を書く気になったのかは謎です。もしかすると歌でも小説でも京都と名がつけば売れるっていうジンクスでもあるのでしょうかね?

しかし単なる観光案内やうんちく話しだけではなく、意外と知られていない京都の食材の由来や、それらを使った料理法なども書かれていて、京料理に興味のある人ならうんちく程度ですが役立ちそうです。

ミステリー自体は、本格的なミステリーファンには簡単すぎるトリックが多く、謎解きを楽しむというほどのものではありません。元々そうした本格的推理小説ファンに向けたものではないのでしょう。軽く気分転換を兼ねて仕事で疲れた頭を癒すのにはお手頃な作品です。


図書館戦争 図書館戦争シリーズ(1) (角川文庫) 有川浩

この「図書館戦争」(2006年2月発刊)はその後、「図書館内乱」(2006年9月)、「図書館危機」(2007年2月)、「図書館革命」(2007年11月)とシリーズ化される原点の作品です。また漫画やテレビアニメ、劇場アニメ(2012年6月封切り)にも拡がり一種ブームとなった作品(参考:wikipedia)ですが、残念ながら50を過ぎたおじさんはいままでそれらとの接点がなく、まったく基礎知識がありません。

内容はSFで、近未来の日本で著作物の検閲がますます激しくなり、それから言論と表現の自由を守ろうとする図書隊が図書館法を元にして「図書館の自由に関する宣言」を法制化し武装していくという、アニメには最適な荒唐無稽な小説です。

主人公は高校時代に陸上をやっていた活発で背の高い女性。この女性が子供の頃に書店で買いたい本を取り上げられそうになったとき、図書館側に助けられ、それ以来自分も図書隊になろうと思い、そして厳しい試験をクリアして実現したところから始まります。

不良図書を排除しようとする側(メディア良化委員会良化特務機関)と、それを必死に命をかけて守ろうとする図書館隊防衛部図書特殊部隊とで争いが続きます。世界では宗教や国土や民族などの戦争や殺し合いがひっきりなしに起きている中で、日本は平和なんだなぁと思い知らされるかもしれません。やはりこれは想像力に欠陥をきたしている50過ぎたロートルが読む本ではありませんでした。


その日のまえに (文春文庫) 重松清

7つの短編からなるこの本は2005年に発刊、2008年に文庫化されています。また2008年には大林宣彦監督で映画化もされていますが、緩いつながりしかないそれぞれの短編をまとめて映画化ってのもまたすごいですね。やはり映画化された佐藤泰志氏の短編集「海炭市叙景」も同じような感じですが、映画ではいったいどうなっているのか一度見てみたいものです。

収録されているのは、「ひこうき雲」「朝日のあたる家」「潮騒」「ヒア・カムズ・ザ・サン」「その日のまえに」「その日」「その日のあとで」。最後の3編はひとつの物語と言ってもいいかもしれません。

重松氏の小説の特徴としては、話しの中に主人公の子供の頃の情景がふんだんに取り入れられ、その後大人になった自分と同級生との再会や回想があります。この短編の中にもそういったものが多く、40歳以上の人にとっては懐かしく甘酸っぱい思い出に浸ることができます。

そして泣かせる小説には必ずといっていいほど、若くして病気で亡くなってしまう人が登場します。突然亡くなる交通事故などではなく、その多くはガンや白血病といったジワジワと時間が経つにつれて弱り、そして亡くなる病気です。

小説の中には頻繁に登場しますが、実際の世の中にはそういう病気で亡くなる若い人は、そう多くないと思いますが、作家の中ではひとつの定番となってしまっているのでしょう。

重松清氏の小説はやっぱり長編をジックリと読みたいものです。


純情 (光文社文庫) 小川 竜生

著者の小川竜生(おがわたつお)氏は1952年生まれ、ラジオでのパーソナリティもつとめる大阪在住の小説家でしたが、2003年に51歳で急逝されています。この作品は、1996年に発刊された「極道ソクラテス」から改題されて2005年に文庫化されたものです。

小説の舞台は大阪は西成。コテコテの大阪、しかも一匹狼、天涯孤独、イタリア人と日本人のハーフでフリーの極道が主役です。

阪神淡路大震災が起きてまもなく、震災でインド人の父親を亡くしたルビーが、ボランティアで知り合った大阪西成にある教会に住み込んで働いています。その女性に一目惚れした主人公の極道ソクラテスが日曜礼拝に通って勝手に自分で歌詞を作って賛美歌を歌うところがなんとも言えません。

しかしその女性にある日ヤクザっぽい取り立て屋がやってきて父親の借金を返すか、それとも神戸に戻って働くようにせまってきます。ソクラテスの幼なじみでもあった警官が調べようとしたとき、その取り立て屋に刺されて重傷を負います。

わずかな借金のことでわざわざ幹部が出てきたり、警察と悶着を起こすなど疑問に思ったソクラテスがルビーのために大阪、神戸で大活躍をするっていうのがあらすじです。

ちなみにこの「極道ソクラテス」は1996年に大仁田厚主演で映画化もされていますがDVDは出ていないようです。



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関西風味  2012/6/9(土)

613
私は生まれてから大学卒業までのおよそ22年間は関西の某都市に暮らしていました。父親も母親も、そして祖父祖母も関西の生まれ育ちだったそうなので、根っからの関西人と言ってもいいでしょう。

しかし大学を卒業後、社会人になってからはすぐに東京で働くことになり、それ以来数年間は名古屋や大阪で暮らすことはありましたが、ほとんどは関東で暮らしています。すでに関西で生活していた期間よりも関東で生活している期間のほうが長くなっています。

最初に関東に出てきたときに食べ物の味の違いは感じましたが、でもそこは若さ故「質(味)より量」を求めていましたので、あまり気になりませんでした。関西では考えられない食べ物の代表格の「真っ黒なだし汁の中にコロッケを浮かべたコロッケそば」なども、空腹には勝てないので普通に美味しく食べていました。

また「カレーにはウスターソースが必須」と思っていましたが、関東のカレー屋さんにそういうものは置いてなく、しかもカレーに入れる肉と言えばビーフ以外には考えられない関西に対し、関東ではポーク、ビーフ、エビなどとわざわざメーンの具を区分して表示していることに違和感を感じつつ、別にポークでもエビでも安くて量さえあれば不満はありません。

ビーフと言えば関西では「ビフカツ」が「トンカツ」と同じように売られ(作られ)ているのに対し、関東では見掛けたことがありません。私自身はあっさり(別の言い方をするとパサパサ)しているビフカツよりも、ジューシーなトンカツのほうが美味いと思います。

一般的に関西ではうどん、関東ではそばがそれぞれ代表する和風の麺料理になりますが、「たぬき」など同じ呼び方でも具材など中身は違っていて混乱が起きます。いまでも関西風うどんの透き通ったダシ汁が好みですが、関東風の醤油の味しかしない真っ黒けのダシ汁でも慣れてしまって美味しくいただくことができます。ただ関西ではあまり食べる機会のなかった「ざるそば」は、いまいち美味しいと思ったことがなく、好んで食べたいとは思いません。だから夏場でも蕎麦を食べるときは熱々のものを食べます。

すき焼きの作り方にも違いがあり、関西風はまず脂身でしっかりとすき焼き鍋に馴染ませ、牛肉を醤油と砂糖で味付けをし、焦げ付かない程度に水を加え、牛肉からしみ出したうまみで野菜や焼き豆腐に味を染みこませます。

家では関西風のすき焼きですから、関東風のすき焼きを食べる機会は外食で食べるときしかないのですが、割り下(最初この意味がわからなかった)でグツグツと煮る方式も、実際に食べてみて、悪くはないなと思っています。

先述した「たぬきうどん(蕎麦)」と同様、同じ食べ物でも関東と関西で名称が変わっている場合があります(一部方言あり)。「ミンチカツとメンチカツ」「かしわと鶏肉」「にぬきとゆで卵」「関東煮とおでん」「巻き寿司と太巻き」「ちらし寿司と五目寿司(ばら寿司)」「ぶたまんと肉まん(中華まん)」「サンライズとメロンパン」など。しかも関西の中でも大阪、京都、神戸ではそれぞれ違った呼び方をするものもあります。

先般読んだ山本一力氏の小説「あかね空 」では、京都で修行を積んだ豆腐職人が江戸にやってきて商売を始めるのですが、京都のつるんとしたなめらかな「絹ごし豆腐」が、江戸では当たり前の歯ごたえがあってゴツゴツした「もめん豆腐」に慣れた庶民にはなかなか受け入れてもらえず苦労する場面が出てきました。

わかりやすく言えば「肉体労働をしない公家や貴族、僧侶が多い京都で流行るもの」と「江戸城を守る侍や土木工事が多く肉体労働者が多く集まる江戸で食に求められるもの」が根本的に違うという歴史的な要求からくるものです。

また大阪も江戸よりはずっと古くから開けていて、堺を中心に外国からの輸入品も多く集まっていたので、食に関してどん欲さが違っています。大阪では島田紳助著の「ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する 」とは違いますが、まずい店やケチな店は必ず淘汰される運命にあります。しかし江戸というか東京は人口が多くて競争になりにくいせいか、まずくて量の少ない店でもなんとかやっていけます。

私が関東に出てきて食に関してわかったのは「大阪はどこの店でも安くてうまい」に対して「東京では店に当たり外れがあり、高ければそれなりに美味しいものが食べられる」です。おそらく世界の中でも東京ほどお金さえ持っていれば、いくらでも世界中の美味い料理が食べられる都市はないでしょう。あとはNYぐらいかな、行ったことはないけど。

最後にウスターソースについてですが、関東の食卓では一般的にソースといえば中濃ソースかトンカツソースが多くて滅多にウスターソースを見掛けません。それに対して関西ではソースといえばウスターソースがデフォで、揚げ物やカレーはもちろんチャーハンやサラダ、生野菜にまでかけて食べる人が普通にいます。

その味が懐かしくなって数年前から通販でちょっと高めのスパイスウスターソースの業務用ボトルを買って、トンカツでもカレーでもボテサラでもそのウスターソースで味付けして食べています。子供の頃、親に「胃ガンになるからそんなにいっぱいかけちゃダメ」といつも言われて不満だったので、いまはその反動なのか、誰にはばかることなくソースをじゃぶじゃぶとかけて食べています。

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企業は若者の早期離職を恐れるな 2012/6/13(水)

614
先般NHKのニュースウォッチ9で「職場バーは効果的?若手の離職をこう防ぐ」の特集がありました。番組の内容は、若者が次々と会社を辞めていく現状と、それに対する企業の取り組みが紹介されていました。

そしてその特集が終わった後、大越健介キャスターが「誤解を恐れず言うならば、若者にはもう少し辛抱強くなって欲しい」というコメントがありました。

おそらく大越キャスターと同年代以上の人はみな「よく言った!」と喝采を送ったでしょうし、逆にその年代以下は「年寄りが勝手なこと言うな!しかもリストラも倒産もないNHKの職員のくせに」と非難しても不思議ではありません。

その発言のすぐ後、番組でコンビを組んでいる井上あさひアナウンサーが少し慌てた様子で「でもこの問題は若者ではなく採用する側にあるのでは」とフォロー?をしていましたが、いずれにしても公平性、公共性を大事にするNHKの放送で、世間(=視聴者)を敵に回す可能性もある発言をニュースキャスター(NHK職員)が言ったことに驚きました。

51歳の大越キャスターと31歳の井上あさひアナウンサーでは、年代間による考え方の違いがハッキリわかるのやりとりでしたが、私は当然大越氏と年齢が近いこともあり、彼の言いたいことはたいへんよくわかります。

大越氏や私が新入社員だった頃の若い人に対する教育は、現在のそれとは大きく違っていますが、その中でも特に変わってきたのは「会社への忠誠心」や「転職の意識」なのでしょう。「忠誠心」というと大げさに聞こえますが、いわゆる終身雇用が当たり前だった時代には、例え会社が嫌いでも、そこに忠誠を尽くすしかなかったのです。

団塊世代を含みその後しばらくは「転職は悪」「転職は損」という観念がまだ強くありました。つまり「終身雇用が善で得」という価値観が支配していました。

企業側も終身雇用する代わりに、若いときは見習い感覚で、薄給で我慢させ、会社への忠誠心を養い、年功序列のピラミッド型の上意下達の組織運営を進めてきました。また将来の幹部候補者を中途採用で入れるような会社は見あたりませんでした。新卒で入ってその会社に一番馴染んだ人だけが将来の幹部となり、一度入った会社を途中で辞めて転職する人は信用ができないという考え方です。

つまり新入社員は大昔から続く丁稚奉公とと同じように、何を言われてもジッと我慢して、先輩の真似をするところから少しずつ覚えていき、10年以上かけて一人前になるというのが普通の考え方だったのです。

いま同じことをしても「なぜそれをやらなければいけないのですか?」「そんなの無理です、できません」「もっとちゃんと教えてくれないとわけわかりません」など無知と理屈と正論で反撃されてしまいます。

そして配属された部署の「仕事がつまらない」、「上司が気に入らない」、「今の仕事には将来性がない」と、スパッと会社を辞めて転職してしまいます。そういう1〜3年で辞めて転職する人の受け皿として「第二新卒市場」がすでにできあがっているからです。

なので、上記の大越キャスターのボヤキなど50代の職業観は現代ではもう通用しないのは明らかで、言っても仕方がありません。

また辞めたい人を引き留めようとする企業も実は本音のところでは微妙で、一度「辞める」と言った人が会社の説得に応じ、配置転換などして一時的には踏みとどまったとしても、その後近いうちに結局は辞めてしまう確率は相当に高いのが現実です。

退職希望者にそのような努力をするぐらいなら「辞めたいならばお好きにどうぞ」としてしまうのが、冷たいようですがお互いに無駄な労力と時間を使わずに済みそうです。

唯一若者の離職を防ぐ効果的な方法は、30代の一番脂がのった社員を会社のトップや幹部に登用し、経営を任せることです。そして当然報酬や給料もその頃が一番高くなります。ベンチャー企業ならすでにやっていることです。

30代のリーダーなら20代の若者とも感性が近く、共感が得られ、すぐ近くに目標とすべき人ができ、若者の離職が防げることでしょう。そして40代、50代の社員は、30代の幹部の部下として配置をします。40代以上ならそうしたところで自ら率先して辞めていく人は少ないでしょうからその心配は不要です。

いずれにしても会社というのは大海に乗り出した船のようなもので、乗員それぞれには役割があります。遠くへ船出してしまってからチームワークを乱し、特別扱いをしでも残ってもらうより、まだ陸に近いところにいる間にさっさと降りてもらったほうが、お互いの利益になるのではないでしょうか。

だから、一定の比率(およそ4〜5割)以内であれば、若手の離職をあらためて防ぐ必要などなく、逆に引き留めのコストと手間をかけず、戦力ダウンを防ぐため、通年採用をやっていくのがずっと前向きです。


     


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6月前半の読書 2012/6/16(土)

615
大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書) 中村仁一

誰しもいつかは迎えることになる往生。その死への旅をどうすれば人間らしく尊厳をもって向かえることができるかを老人ホームの医師でもあり、市民グループ「自分の死を考える集い」を主宰する中村仁一氏が現場で経験したことから書いたものです。

タイトルが刺激的で、当然他の医者や医師会などからは反発を招き、様々な反論や批判を浴びることになるというのも本人は承知の上です。基本的にこの本では高齢者の老衰死を扱っているので、まだ若い人へのメッセージではありません。なので「手術すればまだ治る可能性があるのだから」「できるだけのことをして一命を取りとめるべき」と言った批判は無意味です。

著者はもう高齢で引退間近な医者なので、誰に気兼ねをすることもなく、そして今更ながらキャリアに傷がつくわけでもなく、どこまでが真実で事実であるかは読み手に任せるとして、本音で言いたい放題で、なかなか面白い本です。

著者がこの本で伝えたいのは、
1)誰にも寿命はあるので、高齢者に対し医療で無理に数日長引かせるような延命療法はやめよう
2)医者だからといって万能ではないので大きな期待を寄せるのはよそう
3)癌は痛くて苦しむものばかりではなく、治療をやめれば痛みはなくなり死ぬ直前まで好きなことをして過ごせる場合も多い
4)病院で検査して病巣が発見されると、穏やかな老衰で死ねず、可能な限りの延命策が施される
5)元々動物が本能として持っている死期を察する能力を取り戻そう(機械や薬で生かされるのはやめよう)
などです。

それ以外にも、死期が近づいたと思ったら、それなりの準備をし、家族にも心の準備をしてもらうという内容が書かれています。先月人気司会者みのもんた氏の奥様が亡くなり、喪主の告別式の挨拶で「妻の喪服を娘が着られるように仕立て直しがしてあった」という話しにジーンときましたが、本書にも「癌で死ぬのは事前に余命がわかり、それまで様々な死ぬ準備ができていいことだ」と書かれています。

誤解されないように補足しておくと、3)4)はよく「検査で癌が見つかったときはすでに手遅れだった」ということがありますが、これからもわかるように、癌の発生だけで我慢できない痛みを感じることは少なく、痛むのは手遅れなのに延命措置だけで放射線や強力な薬で癌を攻撃をするからです。そういう治療をしないと癌による痛みは最期まで少ないということです。

放射線治療や、劇物薬品によって癌も一時的には小さくなるかも知れないけど、同時に体力も奪われ、多少長生きできたとしてもベッドでチューブだらけにされ、寝たままで過ごすしかありません。それならば悪あがきはやめて「手遅れなら一切の治療はやめ、今まで通りに身体が動く状態で残りの寿命を有意義に過ごし、残された余命を楽しむのもいいのでは」ということです。


さよなら渓谷 (新潮文庫) 吉田修一

著者の吉田修一氏は、2002年「パレード」、2007年「悪人」などの代表作がある特に若い人に人気がある小説家です。この「さよなら渓谷」は「悪人」の翌年2008年に発刊されています。

最初の部分には、ちょうどこの作品を書いていただろう2006年に起きた秋田連続児童殺害事件の、我が子を殺しておきながら被害者の母親を装い、マスコミに追いかけ回されたあげく逮捕されるという事件をヒントに作られています。

また、犯人と被害者の心的相互依存症、ストックホルム症候群のような男女の関係も出てきたりと、ありきたりとは言え、ミステリー仕立てで登場人物の心理描写が巧みです。

誰しもちょっとした気の迷いや勢いで重大な犯罪を犯してしまう可能性があります。この小説の登場人物には大学生時代に羽目を外しすぎて、名門野球部の仲間と女子高生を寮に連れ込み、酔った勢いで乱暴を働いてしまうという取り返しのつかない凶悪犯罪を起こしてしまいます。これも現実に起きた事件を下敷きにしているようです。

都会で生活していると、満員電車で足を踏んだ肩がぶつかったで喧嘩がちょくちょく起きます。最初は口げんかで済んでいても、それがちょっとした一言やきっかけで、殴り合いになったり、ナイフで刺されたり、ホームから突き落とされたりというようなことが起きます。

多くの場合、先に手を出して相手に怪我をさせたほうが、傷害罪などに問われることになり、当然前科がつきます。厳しい勤務先なら懲戒解雇され、転職しようにも賞罰ありの前科持ちを喜んで採用してくれる会社など多くありません。一時の怒りでふとしたことからそうなってしまうと、今まで築いてきた安寧な人生が狂ってしまうことになってしまいます。


拡がる環 (ハヤカワ・ミステリ文庫) ロバート・B・パーカー

原題は「The Widening Gyre」で「拡がる輪」でほぼそのままの直訳です。1983年の作品(日本語版1984年)で、スペンサーシリーズ10作目の作品です。

物語はアメリカ上院議員選挙に絡みその立候補者に頼まれ、妻のスキャンダルに関連しての依頼です。

そのスキャンダルはおそらくライバルの政敵が仕掛けてきたと推測されますが、そのやり方がスペンサーにはどうも納得がいかず、おなじみの新聞社や警察署の友人の協力を得て、その政敵である下院議員に近づいていきます。

終盤にさしかかり、珍しくギャングに撃たれてしまいますが、軽傷で済み、その後は相棒ホークの力を借りて、問題を無事に解決していきます。

この作品では、スペンサーと離れて暮らすことになった恋人スーザンとのやりとりや、18歳に成長したポール・ジョコミンとの人生についての会話など、事件以外のスペンサーの考え方、生き方などが描かれています。そのあたりがハードボイルドを期待しているとちょっとうざっぽく思えますが、その後に続くスーザンが男を作ってロスへ旅立ったり、独り立ちしてスターになっていくポールなどとの関係の原点になるのかもしれません。


モンスター (幻冬舎文庫) 百田尚樹

この「モンスター」は百田尚樹氏メジャーデビュー後5作品目で2010年に発刊された作品です(文庫化は2012年4月)。同氏のデビュー作「永遠の0(ゼロ)」は発刊当時は埋もれていましたが、やがて口コミで拡がり突然火が付き100万部の大ヒットとなり一躍人気作家に躍り出てきました。その後の作品「ボックス! 」や「風の中のマリア 」「錨を上げよ 」などの評価も高く、順調に活躍されています。

著者の作品の中では、すでに「ボックス! 」は市原隼人が主演で映画化されていますが、来年には東宝の大スペクタル作品として本命の「永遠の0」が山崎貴監督、岡田准一主演で映画化されることが決まっています。

この小説はなかなか映画化は難しそうな内容で、バケモンと言われたきたブルドッグのような顔の少女が、家族からも追い出され、身体を売って自力でお金を作り、それで整形手術を繰り返し、世間を見返していくというストーリーです。

小説ならまだしも、映画にすると、顔の変化は特種メークでいくらでも変えることができるでしょうけど、偽善的な社会、特にフェミニスト団体から猛抗議を受けてしまいそうな内容です。

韓国では整形外科が普通におこなわれていて、別に珍しくないと聞きますが、日本ではまだそれへの抵抗感や反発が強いのと、風俗で働いてお金を稼ぎ、整形手術につぎ込むという、決して誉められたやり方でない方法を美化し推奨してしまう恐れもあります。流行のテレビ局タイアップ式の映画化は難しいものの、独立プロが手がけるというのは話題性があって可能性はあるかもしれません。

細かなことを言えば、例え顔はすっかり変えることができたとしても、戸籍やパスポート、健康保険、納税申告、銀行口座などが簡単に偽名でおこなえるはずはなく、小説のように年齢や氏名を変えて、まったく別人になりすまして裏社会ではなく表舞台で生活するというのは現実的には難しいでしょう。

それにこれはなんとなくですが、整形手術を何度も繰り返すと遠目だとわからなくても、間近でじっくり見るとなんとなくわかってしまいます。誰よりも大金をつぎ込み、世界でもトップクラスの整形外科医が施術したであろうマイケル・ジャクソンですら、あの顔の不自然さやホルモン注射から時間が経った時の崩れ方は半端なく異常でした。

でも女性(特に不美人と自分で思っている)にとっては、お金とチャンスがあれば、顔を変えてみたい願望はきっとあるのでしょう。そしてなにかのきっかけで軽く一カ所の手術をして成功すれば、今度は別のところと際限なくそのスパイラルにはまっていくこともあるのでしょう。男にはあまりわからない世界ですが。

登場人物の中に、主人公と同じく風俗で働く女性(整形済み)が、風俗を辞めて田舎の実家に帰るときには、また元の顔に戻して普通の結婚をすると言っていたのには「なるほどなぁ」と妙に感心してしまいました。下手に風俗やAVで顔が売れてしまうと、その後もずっと影響してしまうので、そういうこともあるのでしょうね。


モダンタイムス(講談社文庫) 伊坂幸太郎

 
伊坂幸太郎氏の小説は10冊以上読んだお気に入りの作家さんです。この作品は2005年に発刊された「魔王」の続編にあたる小説で、「魔王」から50年後が舞台となっています。発刊は2008年(文庫は2011年)に出版されました。

「魔王」は文庫化された2008年に読みましたが、4年が経ちすっかり内容を忘れていましたので、少し復習してから読むべきだったかも知れません。でもそれを知らなくても特に困ることはありません。

内容は主人公のシステムエンジニアが先輩が途中で放り出した謎の改修作業を引き継ぐことになり、そこから起きる様々な顛末です。しかし100年後にも日本人のシステムエンジニアがパソコンに向かって仕事しているとはちょっと思えないのですが、そこは本来SF作家ではない伊坂氏の限界もあるのでしょう。

ちなみにパソコンと呼べるマシンが登場して今年で38年。その間の進歩はみなさんご存じの通りで、それがあと100年経つとどういうものに進化するかは想像でしかありませんが、少なくとも現在のパソコンという概念は消え、まったく違ったモノへと変わっていることでしょう。

ま、そういう細かなところはさておき、主人公以外の登場人物がみな魅力的です。そういえば伊坂氏の初期の作品「陽気なギャングが地球を回す 」も登場人物全員が主人公?と思えてしまうほどみんな魅力たっぷりでした。


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ガソリンスタンドの経営が厳しいと言うことはわかるが 2012/6/20(水)

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ここ20年ぐらいのあいだにガソリンスタンドの経営が厳しくなってきて、家の近所にあったスタンドも次々とコンビニやドラッグストア、洗車場へとその姿を変えていきました。特に独立系で比較的小規模なスタンド経営が厳しそうで、残っているのはチェーン展開している中堅以上のスタンドのようです。都市部については、周囲の同業者とギリギリまで価格・サービス競争をして持ちこたえられるだけの資本力がないと厳しい状況なのでしょう。

国内の自動車登録台数の推移を調べると、乗用車は31年前の1980年比で256%、貨物車でも119%と増加していましたが、21年前の1990年比では乗用車は177%と増加しているものの、貨物車が72%と約3割もダウンしています。貨物車の登録台数が過去最大だったのが1991年(平成3年)で、それ以降は減少の一途をたどっています。

ちなみに乗用車の過去最大保有台数だったのは2011年までのデータで2011年。台数は5千8百万台です。つまり乗用車の登録台数は過去一度も前年割れを起こしたことがなく伸び率は相当弱まりましたがずっと伸び続けています。

ただし2010年と2011年の差はわずか約23万台差しかなく(保有台数比で0.4%)、今年2012年か遅くとも来年には史上初めての乗用車保有台数前年割れになりそうです。さらに乗用車の燃費は年々上昇していきますので、1台当たりの消費量は確実に減っていき、ガソリンスタンドの経営が厳しくなるのも仕方がないことです。



さらに1台当たり燃料をより多く使うのは貨物車と考えられますから、乗用車や軽自動車、二輪車が増え自動車全体の登録台数が多少増えても、1991年以降貨物車が増えず、したがって燃料の消費が増えない(=ガソリンスタンド需要が伸びない)ことがわかります。

ガソリンスタンドも1998年の規制緩和により人件費削減のためセルフサービスの形態を取り入れたり、コンビニやコーヒーショップなど異業種の店舗を併設するところが増えてきました。今後もガソリンスタンドが燃料補給の目的だけでなく、プラスαの価値を持つ場所を目指すことは間違いありません。それはそれで利用者には選べる自由と便利さがあっていいことです。

セルフスタンドの利用が増え、最近はあまり言われなくなったのですが、ガソリンスタンドで給油をすると「タンクに水が溜まると中に錆が発生したりエンジンが故障するので、水抜き剤を入れておきますね!」という一見正しそうに思えて、実はほとんど意味のない無駄金を使わせるための方便があります。

原理からすると確かに外気温の差が激しかったりするとタンク内に結露ができて水分が発生し、それが燃料より重いので底に溜まり、錆の原因になったり、冬の寒いときに水分が凍結してしまい、ガソリンがエンジンに回らなくなったりする可能性があると言われています。最近は結露のできにくい樹脂製のタンクが増えていますが、それ自体を知っている人は少ないでしょう。

小学生でもわかっていることですが、水と油は混ざりません。しかし水割りのウイスキーがあるぐらいですから水とアルコールは混ざります。そして油とアルコールは混ざりますので、水とアルコールを混ぜて、それを油(ガソリン)と混ぜてやるというのがこの水抜き剤の役目となります。

しかし実際にその効果はといえば、ガソリンスタンドの小銭稼ぎにはなりますが、エンジンにとってはほとんど効果はありません。微量に発生した水分は、そのほとんどはガソリンに混ざりはしないものの燃料パイプを通って一緒に燃焼室に送られて、そこで一気に燃焼(水分は蒸発)してしまうからです。

水抜き剤を入れていなくてもエンジンをかけるとマフラーから水が出てくるのは、マフラー内に雨や洗車したときに入った水か、あるいは燃焼室で蒸発した水分がマフラーで冷やされて水になって出てきているものと考えられます。

水抜き剤の他、ガソリン添加剤、エンジンフラッシング、クーラント、エンジンオイル、ウォッシャー液の交換や補充、その他に洗車や室内クリーニング、タイヤローテーションなどがガソリンスタンドの定番オプションメニューで、クルマやオーナーの顔色と懐具合を見ながらそれぞれ提案をしてきます。それをいちいち断るのが煩わしいからセルフへ行くという人もいるぐらいです。

ガソリンスタンドで、無料でエンジンルームの点検をしてくれるところがあります。これってほとんどボンネットを開けたことはない顧客からするとうれしく感じている人が多いと思いますが、スタンド側は、エンジンルームを見ることで様々な金儲けのネタを発見できるメリットがあります。そう無理矢理問題点を見つけ顧客にお金を払わせるためで、決して顧客の安全を気にしてのことではないのです。

エンジンオイルの色が真っ黒になっていても、粘度が適度に維持されてさえいれば使用に問題はありません。しかしスタンドの店員さんは例え交換後1ヶ月しか経っていないオイルでも「うわっ!オイル真っ黒ですよ!交換しましょう!」と平気で勧めてきます。オイルが黒いのはそれだけよくススを落としてくれているわけで喜んでいいのです。

エンジンオイルの量も、レベルゲージに表示されたラインが上下限であって、その上限より多少減っていても一向に問題はありません。もっと言えばレベルゲージの下限を多少切っていても、それぐらいの安全マージンはみてあるので、いますぐに対応する必要は全然ありません。ちょっと過激にいえば、レベルゲージに少しでもオイルがつくなら(下限より大幅に少ない)でも特に影響はないと言われています。でもスタンド側は上限いっぱい入っていないと「オイルが減っているので(有料で)追加しておきましょう」と必ず勧めてきます。

ただ別の問題として、もし短期間でオイルが急激に減るようなことがあれば、それは漏れ出している以外は考えられないので、ただ勧められてオイルを足すよりも、漏れている(染み出している)箇所を発見し、速やかに修理することのほうがずっと重要です。

私がいつも利用しているフルサービスのスタンドでも「お客さん、タンクに水が溜まってますよ」と未だに言ってくる従業員がいますが、そのたびに「それってどうしてわかるの?」と返します。たいがいモゴモゴと「入れたというシールが貼ってないから」とか言っていますが、その後はしつこく追求してこなくなります。

それ以外にも、洗車したばかりのクルマで最後の仕上げに給油をしにスタンドへ行くと「洗車はいいですか?」となにも考えず、なにも見ず、ただ惰性とマニュアルにしたがって聞いてくるアホな店員もいて、ホント嫌になります。

スタンドで、余計とも思える有料のサービスを受ける人は、振り込め詐欺やリフォーム詐欺と同じで、一度そういうのにのっかってしまうと、何度でも繰り返してくれるありがたい客と見なされます。おそらくスタンド側も例えば水抜き剤を買ってくれた人のクルマにはなにかマーキングをしておくのでしょうね。次は「お客さん、クーラントが減ってますから補充しておきますね!」とか「エンジンオイルが減っているので入れておきますね」とか。もちろんカーショップなどと比べるとかなり割高な値段設定です。

あなたのクルマのガソリン給油口(外ブタを開けた中)に、なにかマーキングシールが貼られていませんか?もし意味のわからないシールが貼ってあればたぶんそれはそういうことです。


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人口減少と年金受給者増加 2012/6/23(土)

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2011年4月に1億2806万人だった日本の人口は、1年後の今年2012年4月には1億2765万人と41万人が減少しています。

この大幅減少については原発事故により特に外国人居住者が大挙して去っていった影響が大きいようですが、41万人と言うと、1日平均すると日本で毎日1,123名が減っている計算になります。

また約41万人の都市というと、宮崎市、柏市、枚方市、藤沢市、岐阜市、横須賀市、高松市などがありますが、それらの都市の人口が1年にひとつ丸ごと消えてなくなるのと同じことになります。

一方、1947年から1949年までの3年間に生まれたおよそ806万人の団塊世代は日本全人口の6.3%を占めていますが、その団塊世代が今年から65歳を迎え、いよいよ本格的な年金生活者へと移行していきます(この年代の人達は60歳からすでに年金を受給している人が大半)。

それに呼応するように、新たな厚生年金保険受給者数の増加は、昨年(2011年)3月末現在で、一昨年(2010年)3月末と比べ129万人増えて2943万人となっています。これを1日平均すると土・日曜日も含め毎日3,534人ずつ増えている計算となります。

年間129万人といえば、大分県、石川県、山形県の総人口よりも多く、都市では仙台市、さいたま市、広島市などの人口が毎年新たに年金を受給し始めるという巨大さです。これからの3年間は団塊世代の65歳以上突入ゆえ、これ以上のペースで増え続けていくことになるのでしょう。

もちろんこうなることは何十年も前からわかっていたことですから、それを知りながら、後のことは知らないとばかりに放蕩の限りを尽くし、自分や身内の利益を肥やしてきた旧厚生省、旧社会保険庁などの役人が誰一人として犯罪者とならないというのは、誠に不思議なお人好し国家です。

この人口大幅減少と年金受給者の急増により、なにが起きるかと言えばそれはもう明白なことです。

1)人口減により国内消費量が減少する
2)さらに急増する年金生活者の多くは消費や支出を抑えるのでものが売れない
3)(所得税)納税者数が減り、かつ消費減少で赤字企業が増え税収不足が深刻となる


つまり日本の国内経済にとっては、これから負の連鎖が続く最悪の3年を迎えることになります。

3)の税収不足を補うために、消費税増税が官僚主導の元決まりましたが、政府(つまり財務官僚)が食料品などへの低減税率に消極的なのは、年金生活者からも多く税金を取りたいからに他なりません。年金生活者の多くは教育費も不動産購入も新車購入も海外旅行費もジュエリー購入もせず、食料品以外にはあまりお金を使ってくれませんので、それを免除してしまうわけにはいかないのでしょう。

大企業を中心にすでに国内市場には見切りをつけて海外へ進出している企業が多いのは、労働コストのためもありますが、それ以上にこれから先、国内市場では大きなビジネスにならないからに他なりません。つまり海外進出できた企業はそこそこ稼いで利益をあげられますが、その利益は日本国内にはほとんど落ちないということです。

しかしこういう事態になるのはすでに何年も前からわかっていたことで、政治も役所もそして国民もすべてが見ないふり知らなかったふりをして、手当てすることを先延ばしにしてきました。その大きな理由のひとつは、日本の社会と経済に歴史上最大のインパクトをもたらしてきた団塊世代の思惑があることは否定できません。政治にしろ経済にしろ団塊世代の動向と意志が日本の方針を決める決定権を握ってきたのです。

現状では「悪いのは年金や退職金を満額もらいながら、さらに定年延長して長く働こうとする高齢者で、若い人はその犠牲になっている」という論調が強く、マスコミもそれに同調しているところがあります。企業側も「定年延長するためには、若い人の採用や給料を抑えざるを得ない」という責任転嫁を堂々とおこなっています。

本来なら身を粉にして高度成長を果たし、世界に冠たる国へと発展させて豊かな国を創ってきた、団塊世代を中心とする中高年者には大きな敬意を払い、幸せな老後を送ってもらえるよう国民全体で感謝すべきところが、なにかいつの間にか「もらい逃げ」「いいとこ取り」みたいな風潮です。

少子化による人口減少も、年金不足も決して中高年者の責任ではありません。また中高年者が本当に今の若者より恵まれていたのかというと、そうは思えません。

例えば、
中高年者が若者だった今から40〜50年前と言えば、
【社会】
・社会インフラ(道路、鉄道、劇場、福祉、スポーツ施設など)が今と比べるととんでもなく未整備だった
・携帯電話はもちろん固定電話もまだ十分に普及してなく近所の電話を借りたり公衆電話が頼りだった
・新婚旅行といえば良くてハワイかグアム、多くは国内で宮崎や熱海などが普通だった
・家ではひとり部屋など望むべくもなく、ほとんどが兄弟と相部屋だった
・独身者でも気楽な一人暮らしはできなかった(下宿や寮はあったがワンルームや単身者用マンションはない)
・土曜日も普通に出勤して休日は日曜と、現在よりずっと少ない祝日と現在より少ない有給休暇だけだった

【教育】
・大学の数が少ないうえに競争率も高くまた学費や生活費のこともあり大学へ行きたくてもいけなかった
・私立高校・大学に行くには親がかなり裕福でなければならなかった
・修学旅行はお仕着せの国内旅行で、海外や飛行機を使うようなところへはいけなかった
・義務教育は1教室50名以上の子供が詰め込まれるのが普通で給食もひどくまずかった
・お洒落な制服などなく、男子は黒の詰め襟、女子はセーラー服しかなかった
・特に地方では義務教育を受けただけで、すぐに働かざるを得ない若者が多かった

【娯楽】
・1964年までは自由な海外旅行はできず、それ以降もかなり裕福でないと無理だった
・当時クルマを持つのがあこがれだったが、小型大衆車でもサラリーマンの年収以上した
・携帯音楽プレーヤーはウォークマンが登場(1979年)するまで待たなければならない
・音楽を聴く場合、ラジオか、裕福な家にしかないステレオだった
・スポーツ観戦と言えばメジャーなものは野球かプロレス、相撲だけだった
・それでも都市部に住んでいると娯楽はまだあったが、地方では娯楽と言えるものは映画ぐらい

現在、恵まれていると言われている中高年も、若い頃は今の若者たちよりもずっとずっと苦労してきました。「そりゃ時代が違うでしょ」と言えばその通りで、それならば今の高齢者が恵まれているのも「時代が違うから」で片付けられてしまうのではないでしょうか。

いや、別に無事に逃げ切った団塊世代以上の人たちを擁護するわけではなく、これから定年(≒年金受給)に向かおうとしているポスト団塊、いわゆるしらけ世代とかポスト団塊と言われる50代に対しても団塊世代以上と同様に「恵まれている」と牙をむかれても困ることを言いたいだけです。

50代の多くは、逃げ切った団塊世代に頭を押さえられたまま、自分たちにとって都合のいいように敷かれたレールの上をハイハイと従いながらただ走るしかなかったのですから。

そしてその団塊世代とポスト団塊世代の象徴的な人物としては、好き放題やってあとは知らぬと投げ出す形となった、前総理大臣の菅直人氏(65歳)、その後始末を含め、団塊の敷いたレールを踏襲するしかない真面目だけが取り柄で没個性な総理大臣野田佳彦氏(55歳)がその典型です。


     

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リニア中央新幹線は「新・夢の超特急」か? 2012/6/27(水)

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私の子供の頃に開通した東海道新幹線。そしてそれからまもなく新幹線の次はリニアモーターカーだと言われてきました。それからすでに50年近く、進んだようで全然進んでいないような気がします。

一時期には鉄道会社のみならず、総合商社や日本航空なども参入すると言われ、成田空港−東京間に走らせるとか、首都移転の後、新首都と東京を結ぶために使われるとか、様々な話しが持ち上がっては消えていきました。

ここにきてようやくJR東海が2027年(15年後)に品川−名古屋間で開業することを発表しましたが、まだ問題は山積みです。

用地買収、人口(乗客)減少による需要の低下、高磁力発生にともなう健康障害問題、活断層など危険地域対策、高額運賃と採算性など未知数的な不安要素が多く、1960年代の東海道新幹線建設時のような「国をあげて一丸となって夢を実現しよう」というわけにはいかないでしょう。

もうすっかり忘れ去れてしまってましたが、最初にリニアモーターカーの実験線が作られたのが33年前1979年で、場所は宮崎県日向市でした。その後リニア中央新幹線の本線としていずれ使えるようにと、1997年山梨県大月市に先行区間として18.4kmの実験線が完成しました。



現在も山梨実験線の42.8km全線開通完成を目指し、工事が進められています。しかしこれらはまだ実験線で、すべてが完成しても名古屋までの全長286kmの15%に過ぎません。

東京−名古屋間での営業運転開始があと15年後の2027年の予定、東京−大阪間ともなると2045年の開通予定で33年先の話しです。しかも東京オリンピックの開催に間に合わせるため、国家プロジェクトとして昼夜を問わず突貫工事で間に合わせた東海道新幹線とは違い、完成は予定より相当遅れそうな気がします。

 山梨県笛吹市で建設中のリニア実験線(2012年4月)


東海道新幹線建設当時、現在の東海旅客鉄道(JR東海)はまだ日本国有鉄道(JNR)でしたから、土地の買収や沿線住人に対する騒音対策なども国が対応し、採算も度外視ができました。土地を売った人の中には「お国のためなら」「国には逆らえない」という人も少なからずいたのではないかと思われます。

しかし今はJR東海は民営会社ですので、公共的な性格がある鉄道とはいえ、とても国家プロジェクトとは言えず、土地の収用について強制力はなく、また企業として採算性や資金調達、株主対策、用地買収、沿線住人への補償など、多くのハードルがこれから壁となって待ち受けていそうです。

私の考えとしては、もうこうした夢を追うような大規模公共工事の時代ではなく、現在ある新幹線の改良と複々線化(より安全な内陸側に新線の追加)などをおこない、効率性、安全性、大規模災害時の代替えとして既存施設の整備に重点におこなうべきじゃないかなと。

リニア新幹線が開通する2030年〜50年と言えば、3人にひとり、2.5人にひとり以上が60歳以上と高齢者だらけの国です。その日本にわずかな時間短縮が可能なリニア新幹線をありがたがる人がどれほどいるのかという疑問、世界の国に売り込むためそのサンプルとなる営業線が欲しいなら、もっと近距離で需要の多い区間(成田−東京間や梅田−関空間、名古屋−中部空港間など)や、様々な障害が少ない国家的プロジェクトでお金を払ってもらえる海外に出て作ればよいのです。



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