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日本の農業はどこへ向かうか マイカーで東京から京都まで旅行する場合 ゴルフをプレイしている人の年代層割合に驚いた 世界と日本の宗教別信者数 2021年版出版社不況 客員教授と非常勤講師ってなんだ? ロバート・B・パーカー「スペンサーシリーズ」全巻まとめ 窓ガラスの熱割れで火災保険は使えるか? 天然素材でも綿はよく燃えるらしいことがわかった やっとのことでJ:COMを退会した 貯まった1円玉はどうする? 自動車整備士に未来はあるか? 液晶テレビが壊れた件 リタイア後の心配事 運転免許証取得者は意外にも増えている 著者別読書感想INDEX −−−−−−−−
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リストラ日記アーカイブ 2011年8月 読みやすいようにアーカイブは昇順(上から古いもの順)に並べ替えました。上から下へお読みください。 日記INDEXページ(タイトルと書き出し部の一覧)はこちらです |
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-------------------------------------------------------------------- 三洋電機は弱肉強食の餌食か 2011/8/3(水) 521 パナソニックが吸収した三洋電機の白物家電部門を中国の大手家電メーカーハイアールに売却することが決まりました。 売却するのは三洋電機の事業のうちパナソニックとかぶる洗濯機、冷蔵庫の製造部門で従業員2千名もハイアールへ移ることになります。 すでに三洋電機の半導体は米国オン・セミコンダクターへ、小型モーターは日本電産への売却が決まっていて、残りの電池、カーナビ、調理器具、デジカメ、業務用空冷機器などはそのままパナソニックに残ることになります。 ただ残ると言ってもブランドや技術は残るものの従業員は先日報道されたように1万数千人規模で三洋電機(とグループ会社)の従業員が解雇されるようです。 パナソニックとしては、三洋電機の得意分野だった蓄電池や太陽電池が手に入れれば、あとはそれほど興味がなかったとも思えますが、意外と海外ではSANYOブランドがソニーやパナソニック以上に強い地域もあって、デジカメに至っては多くのメーカーにOEMで提供していたり、お米からパンを作るホームベーカリーゴパンは納期が何ヶ月待ちという大ヒット商品だったりと、地味に堅実な製品をもっています。 もちろんそのあたりはちゃっかりとパナソニックが手に入れています。 一方中国のハイアールはと言うと、以前から日本へ低価格の家電製品を売り込んでいますが、その壁はなかなか突破できていません。 中国企業ですから中国国内やアジア、欧米へ販路を拡大すれば、別に日本なんか相手にしなくてもいいように思いますが、中国企業には「世界一目の肥えた消費者がいる日本で成功すれば世界で大成功する」という方程式があり、また多くの事業家は先進国日本で成功したいという夢を持っているそうで、家電に限らず次から次へと日本をターゲットとしたビジネスが展開されています。 そして今後はサンヨーブランドを使って日本での販売が可能となりますので、日本のユーザーも従来より違和感なく、ハイアールの製品を購入してくれるという期待を寄せているのでしょう。 しかし実際は日本の工場で働く人達の労働条件や給与水準などが、中国の経営者からするととても受け入れられないように思えますので、今後の工場海外移転や給料の大幅な引き下げなど雇用不安が気になるところです。 私自身は三洋電機の製品は、10年ほど前に動画の撮れるデジカメを買ったのと、もっとずっと前にエアコンを1台購入したことがあるぐらいで、あまり縁はありません。 いち早く日本でドラム式洗濯機を出してきたとき、ちょうど自宅の洗濯機が壊れて候補に挙がりましたが、洗濯機の大きさが合わず、また価格も高めであきらめました。 デジカメは電池の消耗が激しく、すぐに電池切れを起こしてしまい、ほとんど使い物になりませんでした。 結構有名な話しですが一般的によく使われている「デジカメ」と言う言葉は三洋電機が商標権を持っていて、基本的には他のメーカーは使えません。それぐらいデジカメは三洋電機のお得意分野だったのです。 あぁ、書いているうちに思い出しましたが、まだ小学生の頃(1960年代後半)、初めて家にやってきたカラーテレビが三洋(薔薇シリーズ)でした。薔薇が描かれた大きな絵皿が一緒に付いてきて、それをテレビの上に飾ってあったのが印象に残っています。 まだリモコンはついてなくチャンネルと回すタイプです。当時としてはサラリーマンの給料3〜4カ月分ぐらいはしたのではと思います。それまでの白黒テレビとは違い、どっしりとした大きな家具調テレビで感激した記憶があります。 やがて表からは消えてなくなってしまうでしょうが、三洋電機というユニークなメーカーがあったと言うことは決して忘れません。 -------------------------------------------------------------------- 7月後半の読書 2011/8/6(土) 522 数学的にありえない 上・下巻(文春文庫) アダム・ファウアー 神経症を患っている天才的な若い数学者が賭博のポーカーの最中にその病気が発症してしまい、そのため大きな借金を背負うこととなり、それから逃れるためにあれやこれやと考えていると、やはり神経を病んで精神病院に入っていた双子の兄が退院してやってくるは、政府の謎の科学技術研究所やFBI、CIA、北朝鮮のスパイが起こす事件に巻き込まれて追われることになるわで、てんやわんやの1週間を描いたミステリー小説です。 数学者ということで、確率で博打や意志決定をしていくわけですが、さらにその上をいく特殊な能力「ラプラスの魔」別名「集合的無意識」が目覚め、少しずつ未来が予測できるようになっていきます。 このあたりはなぜそうなるのか様々な理論が展開されますが、あまり知らないことばかりなので、素人には説得力がないのがちょいと残念なところです。数学者が読むとどう思うのか聞いてみたい気もします。 そして確率と未来予知を利用して、主人公は博打で借金を返済することに成功しますが、その特殊能力をもし自在に操れるようになれば、それはノーベル賞もの、国家ならば軍事目的などに大いに有効ですから、学者もスパイも必死になってそのサンプル(=主人公)を追いかけることになります。 実在する特殊な能力と言うと、映画レインマンで「サヴァン症候群」という常人では考えられない抜群の記憶力を持つ自閉症患者の役をダスティン・ホフマンが好演しましたが、あれにも記憶力による確率をもちいてカジノで大勝ちするシーンがありました。 アメリカ人が考える特殊能力は、すぐに楽して金儲けと連想させるのがいかにもお国柄です。この小説もアメリカ人の大好きな「人生はいつもギャンブルだ」と言ってもいいでしょう。 著者のアダム・ファウアーはこの長編ミステリーがデビュー作ということで、大学で統計学を専攻した後、40歳までサラリーマンを続け、2005年にこの作品を上梓したとのことです。 この小説が世界中で大ヒットしましたので、たぶんシリーズ化されて続編も出てくるのでしょう。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 青空の卵 ひきこもり探偵シリーズ (創元推理文庫) 坂木 司 2002年に発表された坂木司氏のデビュー作です。著者は北村薫のデビュー当初と同じような覆面作家で、年齢や性別すら公表されていません。 小説の内容からすると北村薫氏と同様に男性で、年齢は40代前後ぐらいかなと思いますが、案外全然間違っているのかもしれません。家庭の主婦や女子大生だったら意外性があって面白いのですが、それはないでしょう。 作品はその後シリーズ化される「ひきこもり探偵」とその親友が主人公で、警察が絡むような大きな事件ではなく、ささやかな疑問や謎を抜群の洞察力と推理で解いていくという、初期の赤川次郎、東野圭吾的な青春推理探偵小説です。 二人の主人公のうち謎を解くシャーロック・ホームズにあたるのが、複雑な家庭環境で育ち、高校卒業後はひとり暮らしで、部屋にずっとこもったままソフト開発の仕事をしている精神的に不安定な男性で、もうひとりの事件や謎を持ち込んでくるワトソンにあたるのが、その男の親友で、せめて時々は部屋から外出させようと、買い物や事件の調査に引っ張り出し、代わりに料理をご馳走してもらう男性です。 いくつかの中篇をまとめて一冊となっていますが、他の中篇に出てきた登場人物が、後に出てきたりしますので、まとめてひとつの物語と言えなくもありません。 このような推理探偵小説は世界中に星の数ほどあるだけに、差別化するのが難しいと思いますが、著者自身が好きだという横溝正史のような、文章に飾りや難しい言い回しのないストレートな文章と展開が特徴で、読後もスッキリした気分になれます。 このあたりはたぶん読書経験の少ない若い人にもうけるように書いているのかなと思います。 本書に登場する謎とは、「駅前でジッと立ち続けていて決して喋らない少年」や、「歌舞伎役者に送りつけられる不気味な謎の品々」だったり、「若い男性に対し無差別に嫌がらせをする謎の女性ストーカー」だったりと、決して大きな事件や犯罪ではないけれど、なにか不審な出来事です。 ◇著者別読書感想(坂木司) ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 昔日(ハヤカワ・ミステリ文庫) ロバート・B・パーカー 昨年亡くなったロバート・B・パーカー氏の作品の中で、スペンサーシリーズとしてはラスト4にあたる2007年に出された小説(日本語版は2008年)です。まだシリーズ35冊(文庫発刊済み)の中で読んでないのが10冊ほどあるので、ブックオフへ行った際には必ず棚をチェックしています。しかしこのシリーズはほとんどブックオフに出てこないのですが、なにかワケでもあるのでしょううか。 今まで行った書店の中では、このスペンサーシリーズが一番多く置いてあったのは、丸善丸の内本店ですが、そこでもシリーズの8割ぐらいしかなかったように記憶しています。 保管場所に困らないAmazonでも全部が在庫としては持っていないので、シリーズ全部揃えるのはたいへんな苦労です。 そのうちまだ文庫として未発刊分のものを含め、38冊全部が箱詰めされて発売されるかもしれませんね。熱烈なファン以外「誰が買うねん、そんないっぱい」とも思いますが。 さて物語は、お馴染みの相棒ホークと、ガンマンのヴィニー・モリス、西海岸から応援に駆けつけたメキシコ系のチョヨが揃い、なかなか表面化してこない殺人集団を自らがそのターゲットとなって探していきます。 ちなみにスペンサーもホークも最高のガンマンと認める二人、ヴィニー・モリスの活躍は「拡がる環」「歩く影」など数多く、チョヨの活躍は「スターダスト」や「虚空」などで見られます。 題名は、妻の浮気調査を依頼してきた旦那が、その証拠を得た後に、夫婦とも何者かに殺されてしまったことから、その夫婦の復讐に燃え、さらに昔、スペンサーから離れていった恋人スーザンの心変わりが、今回の妻の浮気を心配する旦那の気持ちにシンクロして、それが関連づけられているのだと思われます。 ◇著者別読書感想(ロバート・B・パーカー) ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 下流社会 第2章〜なぜ男は女に“負けた”のか〜 (光文社新書) 三浦展 2005年に80万部の大ベストセラーとなった「下流社会 新たな階層集団の出現」の続編というか柳の下のドジョウで2007年に発刊されました。 下流社会というのは2006年に流行語大賞を取ったのかと思っていましたが、その時はランクインすらせず、似たような意味で山田昌弘氏の「格差社会」がトップテン入りをしていました。 1万人の成人男性アンケートから、様々な傾向や分析をまとめた本ですが、対面調査ではなく謝礼に釣られて簡単に集められるネットユーザーに対しておこなったアンケートで、一冊の新書がポンと作れるなんて安易と言えば安易な気もします。それもこれも先に80万部のベストセラーがあればこそでしょう。 内容は、年収別、職業別、年齢別、既婚か未婚、親と同居とひとり住まいなど様々な切り口を変えてマーケティング的な分析がなされていますが、とりたてて興味深い内容ではありません。 唯一、気になったのは、ニートの収入がそこそこあり(著者はオークションやアフィリエイトなどで収入を得ているのでは?と分析していますが、それはとても信じがたい)、生活にも満足し(これは自分の好きなことだけやっているのでわかります)、自分を中流や上流と思っている人が正社員で働いている人並みだっていうことです。 まずもってオークションやアフィリエイトで平均して月に十万円以上(年収150万円以上)稼ぐなんてことは、プロでないと無理でしょうし、それをプロとしてやっているならニートとは言えません。 たまたま副業でうまくいって月10万円稼ぐ人はいるかも知れませんが、それを何年も続けられるのはやっぱりプロでしょう。 本来ニートの収入の多くは親や兄弟からの支援だと思いますが、この調査にあるニートは、実は自宅で、ソフト開発、ゲームなどのテスト、オンライントレードやFX、あるいはそのアドバイスなど、実際は在宅でなんらかの仕事をやっている人がかなり含まれているのではないかと想像します。 そう考えないと年収数百万円のニートってどうなのよ?って思います。 ◇著者別読書感想(三浦展) -------------------------------------------------------------------- あゝ無情な家族が続々 2011/8/9(火) 523 高齢者の親が自宅で亡くなり、家族はそのまま葬儀も出さず放置し、しかもその親の年金を騙し取るという事件が相次いで発覚したのは昨年のことでした。 中には生きていれば113歳とか111歳というギネス級の人までが次々と遺体で発見され、逮捕者も出ましたが、今までいい加減な仕事をしてきたことが明るみに出てしまった役所は、あらためて年金を支給している高齢者が本当に実在しているのかひとりひとり確認する事態まで発展しました。っていうか今まで確認してなかったのかよ! そういう犯罪や非常識な行為が昨年はゾロゾロと発覚して、あらためて年金支給の確認が強化されたはずなのに、未だに過去に亡くなった高齢者を自宅で放置していた事件が今年も次々発覚しています。 主な今年発覚した自宅に遺体放置事件
上から二つめの「病死の39歳妻遺体放置 43歳夫逮捕」を除き、あとはみな、息子や娘が高齢の親の遺体を自宅に放置していたケースです。 なぜそうするのか?と言えば取り調べでは「葬式代がないから」というもっともらしい?返答が多いのですが、もしお金がなければ役所に相談すれば「葬祭扶助」の制度があり、葬式代ではありませんが、最低限の火葬代や埋葬代は援助されます。知らなかった人もいるかもしれませんが、言い訳としては、まったくふさわしくありません。 つまりこれらの放置事件、ほとんどのケースでは、詐欺罪にあたる親の年金を死後ももらい続けるためと思われて仕方がありません。というかそれが唯一の目的でしょう。 でもどう考えても浅はかな考えで、いずれは必ずバレてしまうことが、いい大人がわからないはずはありません。 おそらく最初のうちは「早く届けなければ」と思いつつ、しかし自動的に振り込まれる親の年金を手にすると、ズルズルと先延ばしになって気がつくと数カ月、数年が経っていたということでしょう。 当然何度かは、亡くなった親の知人や民生委員、役所の人が尋ねてきたでしょうけど、その都度、旅行に出掛けているとか、寝ているとか言って、嘘を嘘で固めた生活をおくり続けてきたのでしょうが、まったくこのような犯罪には同情の余地がありません。 そのような薄情な息子や娘を作ってしまった親にも、少なからず責任の一端はあるかもしれませんが、日本には昔から村八分され一切の付き合いが絶たれた家でも、そこから死者が出た時は、村で手厚く弔うという風習があります。 それぐらい家族の死はなにをおいても大きな出来事なのです(伝染病が拡がるのを防ぐ意味もあったと思いますが)。 そして親子の縁がずっと昔に切れていたわけでもなく、亡くなるまでは一緒に生活をしていたにも関わらず、それをわずかな金に目がくらみ、手厚く弔わずに放置しておくなんて人間として最低です。 このような現象は専門家に言わせるとどのように分析するのでしょうか。「親の面倒を見られない核家族化の慣れの果て」と言うことなのか、それとも「親の年金が頼りの下流社会現象」なのか、いずれにしてもまだ今後20年以上、超高齢化が進んでいく中で、このような事件が繰り返されることは避けたいものです。 例えば最近なり手がいない民生委員制度の改革(単なるボランティアから有償+調査権限付与とか)や、江戸時代にあった隣近所を相互に監視する新五人組制度の復活、高齢者ケアには必須となる訪問介護制度の改善など、いくつも並行した対応が必要ではないでしょうか。 -------------------------------------------------------------------- 民主党の起死回生策私案 8月12日(金) 524 あくまで私の勝手な想像で、たいした根拠も実現する可能性もありませんが、ぼろくそに言われながら、どうせここまで引っ張ってきたのですから、後世に「あれは見事な作戦だった」と言わしめる、起死回生策をうってみてはどうでしょうかね。 まず通例のこととして、首相が交代するとしばらくは期待感を込めて内閣支持率が大きく上がります。 同時にその内閣の元になっている政党の支持率も一般的には引きずられて上がることになります。 過去8人の新首相が作った最初の内閣支持率は平均すると57%で、首相交代直前の内閣支持率平均は25%と1/2以下に落ち込みます。 さらに、前の首相に人気がないとか、不祥事や責任を取って辞めるときは、支持率は大きく下がりますが、新しい首相=新内閣にかわった途端、支持率は元へ戻ります。そして内閣末期の落ち込んだ支持率が低ければ低いほど、新しい内閣の支持率はより大きな反動(揺れ戻し)で高くなる傾向にあります。 現状の国民に不人気な菅内閣のままで解散総選挙をおこなえば、民主党は大敗することが見えていますのでそれはありえません。 また首相のクビをすげ替えて、今後衆議院の任期まで継続したところで、一部は大震災の影響もありますが、最初の公約をことごとく撤回してきた状況の中で、そのうち国民も忘れてまた支持率が好転するかもと期待するのはあまりにも楽観的すぎです。 一方野党ですが、これもまたなにも代わり映えせず、本当に期待できるのか?という疑念も湧きます。 しかしもし民主党がこのまま淡々と1年以上解散せずにやり過ごしていけば、さすがに野党も次の選挙に向けて大きく組織改革を進めていくことが可能です。その選挙準備は原発や予算や震災復興に追われる与党民主党より、ずっと精緻におこなえるでしょう。 そこで、民主党の起死回生案です。 解散はおこなわないとくり返し言ってきた菅総理は、どうにか退任条件としていた3法案を通すことができ、8月下旬、遅くとも9月には勇退が決まるでしょう。それから民主党で代表選がおこなわれ、遅くとも10月には次の総理大臣が決まります。 それが野田佳彦氏でも前原誠司氏でも馬淵澄夫氏でも川端達夫氏でも小沢鋭仁氏でもその他の人でもたいした違いはありません。 そして、新内閣がスタートしてからまもなく民主党として譲れない法案(東電破綻処理でも郵政法案でも議員大幅削減でもなんでも構わない)を野党に突きつけます。 当然また野党は反対の大合唱でしょう。すでに民主党は重要な法案や予算を通すために、民主党のマニフェストの大部分を撤回または凍結して追い詰められていますから、野党もここぞとばかりに攻めてきます。 特に脱原発を強力に進める法案は、元々原発推進派の多いというか自民党の7割の議員が東電OB含む企業、団体からの原発マネーを受けているので、送発電事業分離や全量買い取りを含む新エネルギー関連法案もそう簡単には通してくれません。法案を通してくれないのなら、最後の手段として大義名分はできちゃいます。 そこで新首相に変わってまだ1カ月以内のまだ内閣支持率が高いであろう11月に「脱原発・議員大幅削減解散」を抜き打ちでおこないます。 菅さんは解散はやらないと言ってましたが新首相は言ってません。11月中旬解散で12月初旬に投開票か、遅くとも1月松の内解散です。これは野党が組織だって選挙の準備ができない抜き打ちでないと勝ち目はありません。 解散の大義名分は「ねじれ現象で法案制定が進まず、原発事故で苦しむ国民の救済と今後のエネルギー政策」と「(国民は誰も反対しないであろう)衆参国会議員の大幅削減をおこない将来の増税前にまずは身を削る覚悟」とし、「民主党は脱原発、それに異を唱える候補は原発推進派」「議員削減は民主党しかできない、自公時代は増やす一方」を大きくアピールをするのです。そうアノ時の「郵政解散」と同じようにです。 総合的な政策論争にしてしまうと、子供手当の失敗、高速道路無料化の失敗、普天間基地移転の失敗など、もはや旧自民党政権の尻ぬぐいばかりとは言ってられなくなりましたので、そういった部分は争点にはせず、とにかく「いま日本は世界をリードして脱原発、新エネルギー路線へと大きく舵を切ります」「そのためにまず身を削ります」とそれだけを強調していくのです。 もっと言えば新首相の街頭演説では「私の考えに反対する人は例え民主党内でも原発推進派、議員の削減反対派と見なす」ぐらいのことを強弁に言い続けます。それが国民には頼もしいリーダーシップと思われるでしょう。 同時に当面選挙がない参議院においても脱原発派と擁護派に分ける工作をおこない、ねじれを解消するために民主党同調者を増やしていく努力をしなければなりません。 多くの国民にとって、原発事故問題がいま健康に生きていく上では一番重要な問題となっています。増税や年金の問題は、例え自民党でもその他の野党でも、格別な名案があるわけでなく、もはやどうすることもできないところまできていますので、それらについてはどこが政権与党をとっても政策に大きな違いはありません。 違うのは原発の今後と新エネルギー策と議員定数大幅削減ですから、そこだけに集中し、抜き打ちなので、敵がもたついているあいだに、先に世論を味方につけてしまえば、前回ほどの圧勝はないでしょうが、何もしないでただ敗北を待つよりはいいのではないかと思います。 ま、そんなうまくいくわけはありませんし、もとより参議院でねじれているのが最悪ですね。 -------------------------------------------------------------------- 転職にSNSは有効なのか? 2011/8/14(日) 525 日本では有名なFacebookや、まだあまり有名ではないLinkedin(リンクトイン)、Google+などSNS(ソーシャルネットワークサービス)は、海外では転職する際のツールとしてよく使われています。 そのようなSNSは、登録する際には実名主義が特徴で、過去の経歴や特技なども一緒に書かれることが多いので、それを見た優秀な人を探すヘッドハンターや企業の採用担当者から、一度会ってみたいというアプローチがあり、興味があれば転職へ進むという流れです。積極的に自分を売り込み転職しキャリアと給料を上げていくという欧米的な発想では最適化もしれません。 日本ではと言うと、ブログやSNSの多くはまだ匿名にするのが主となっていて、一部の実名で書いている人は、よりよい条件の転職を考えているサラリーマン達ではなく、その多くは事業PRを兼ねた経営者であったり、半ば営業活動の一環としての個人事業者だったり、せいぜい比較的自由度の高い外資系IT企業の勤務者だったりします。 最近ではIT系のベンチャー企業の社員が、実名を出すケースは増えてきています。 一般的に日本の社会では、表だって勤務先(キャリア)を含め、実名でブログを書くことは、勤務先から歓迎されることはなく(社名を出すのを原則禁止しているところもある)、もしその会社で長く働きたいのであれば、実名を公表するのは躊躇するでしょう。 つまり現在の日本においてそのようなSNSに「実名+勤務先名や過去のキャリア」を含めて書くということは、イコール「宣伝」か「転職」となかば公言しているようなものとされ、海外のように「私はこういう人となりだから、私の発言にはそれなりに信憑性があるのですよ」「こういう趣味や興味をもっているので同好の仲間と情報交換したい」という目的だとは思ってくれません。 それに今回の東電や花王の一件でわかるように、特定の企業に勤務していることがわかると、もしその企業になにかあったときには、自分が直接関係していなくても、ブログが炎上するのを覚悟しなければなりません。 また自分の個人的な発言が、その勤務先の発言と勝手に解釈されてしまい炎上することもままあります。日本では欧米のように勤務先と個が完全に切り離されているのではなく、深くつながっているように見られてしまうことに原因があります。 一方では大学生が就職活動を行う際に、自分のFacebookを公開することで、他の大学生と差別化をし、就職に有利に運ぼうとする動きがあります。こちらは自己PRが目的なので、基本実名で公開します。しかし書き込んだ内容により、逆効果もあるわけで、誰もに勧められるものではないでしょう。 例えば学生時代に海外ボランティアをずっとやっていて、その模様だけを書いているのであれば特に問題はありませんが、ボランティアを通じて政治への不満や、外国人差別につながるような言動があると不適切でしょうし、他の学生との軽い会話で「興味があるのは食品業界」とか書いておきながら、IT企業を受けに行ったら、例えそれを書いたのが1年以上前であっても「節操ない人」「本心は食品でITは滑り止め?」と人事の人には思われてしまうでしょう。 例え本人にしてみれば大人びた立派な主張をしていると思っても、そのSNSやブログに政治、宗教などの個人の信条や他人、企業、国、政府などへの強烈な批判や皮肉、過去や現在勤務している会社の仕事内容、就職活動の様子などが書かれているなら、普通の就職・転職活動に有利とは思えませんし、逆効果だと思います。 特に日本の企業の採用担当者は想像を遙かに超える極めて保守的です。経営者がいくら「当社はベンチャー企業なので、学歴や経験は問わず、既定の枠に収まらない個性的で元気あふれる人が欲しい」と言っても、先に人事担当者が「学歴や経験は問わず、既定の枠に収まらない個性的な人」は書類審査で先に弾いてしまいます。 SNSを使って採用をおこなっているという会社もありますが、それは多くの場合は、経費節減と話題作りであって、本来の採用の主流ではないでしょう。 そのようなSNSを活用して転職がスムーズにいくのは「外資系などのプロの雇われ経営者」、「書籍を複数出版しある程度公に著名な人」、「業界で有名なトップクラスの技術者」ぐらいなものです。そういう人なら、仕事のことや、個人の信条や、過去に起きた事例などを実名で書いても例外的に問題にはなりません。会社の組織を超える個を持っているからです。でもそれは極めて特殊な人達です。 あと、SNSを運営している会社に転職を希望しているなら、当然そういうものを使い倒していることがアピールポイントになります。 ただこれもそこで書かれている内容があまりにも常軌を脱していたり、内容が過激で公開することができず「いえ、使っていません」と言えば、それだけで怪しまれてアウトになりそうですから難しいですね。 SNSにおいて実名か匿名かの論争があちこちで起きていますが、日本においては双方に意見はすれ違い、かみ合いません。 要は「一般的に日本では実名で書くと損をすることが多いので、匿名が主になっている」のだと思います。 逆に欧米のように「実名で書く方が得である」となれば、日本でもこぞってSNSやブログは実名に変わっていくのではないでしょうか。 -------------------------------------------------------------------- 8月前半の読書 2011/8/20 526 八月十五日の開戦 (角川文庫) 池上司 太平洋戦争(大東亜戦争)までは、樺太の半分、千島列島の全部は日本の領土として国際的に認められていたことを知る人も少なくなっているでしょう。 また戦争末期には、アメリカ、英国、中国などと講和するため、日本と中立条約を結んでいたソ連に仲介を依頼していたわけですが、そのソ連はというと、それには応ぜず、逆に終戦間際になって一方的に条約を破棄し、それまで日本が攻め込んでいた満州や、領土としていた千島列島へ武力を用いて攻め込んできました。 この本では、ポツダム宣言受諾で放心状態にあり混乱していた大本営は頼りにならず、今までは米国のアリューシャン諸島から攻撃される可能性のあった千島列島や樺太、北海道の守備隊が、終戦後にも関わらず、ソ連の暴挙とも言える侵攻を食い止めるべく孤軍奮闘する姿がフィクションを交えドキュメンタリー風に描かれています。 ドイツ機甲師団を打ち破り圧倒的に強力なソ連軍と、食料も武器も兵員も乏しく、先には手を出せない降伏後の守備隊ですが、その防人となったのは、国民から各戦場で日本が負けたことを隠すため、撤退したあと、辺境の地に追いやられていたノモンハンやビルマ、ミッドウェイ、ガダルカナルなどの生き残り達です。 本来なら8月15日をもって任務は解かれ、本土へ帰還できるはずでしたが、このソ連参戦のため、北海道までを一気に占領される可能性があり、それを食い止めるため、死を覚悟して今まで以上に厳しい戦いをせざるを得なかった千島の守備隊の苦悩がよくわかります。 しかしそのような一度地獄を見てきた強者が揃っていたことが幸いし、千島列島を足がかりにして、一気に北海道に上陸するつもりだったソ連軍を、カムチャッカ半島からほど近い千島列島の最初の島「占守島」に釘付けにします。 結局この終戦後の戦闘で戦死したのは、詳細な記録はないものの、日本側600名、ソ連側3000名にのぼったとされています。 小説では、その終戦後の数日間、ソ連軍を北海道の手前で食い止めている間に、連合国の責任者マッカーサーに密使を送り、ユダヤ人虐殺をアメリカ政府が荷担したという証拠を持ち出して、それとひき替えにソ連の攻撃をやめさせるべく提案します。 ほとんど語られることのないこの終戦後のつらくはかない戦闘ですが、昨年、浅田次郎氏が「終わらざる夏」でも描いています。まだ読んでいないので中身は知りませんが、超人気作家の小説ですから、今年上映される「日輪の遺産」と同様、おそらくこれもいずれは映画化されることになるのでしょう。 ◇著者別読書感想(池上司) ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 犯罪小説家 (双葉文庫) 雫井脩介 先日読んだ「つばさものがたり」や「犯人に告ぐ 」などの作品で人気沸騰中の作家さんの2008年に出版された作品です。 作家とその映画化に向けた世界を書いていますので、著者としては勝手知ったる自分の庭での物語なので、一瞬手抜きか?と思いましたが、それなりに面白く構成されていると思いました。この作品も映画化(映像化)を視野に入れているなという気もしますが、たぶん数年のうちにはきっと実現するのでしょう。 内容は、ミステリーの賞に輝いた小説家が主人公で、その原作を元にして映画化の話しが持ち上がります。そしてその脚本、監督、主演を人気絶頂の脚本家でもありマルチタレントの男に依頼することが決まりますが、その男がなにかと主人公の作家にまとわりついてきます。 小説の内容とはまったく関係がないと思われた、集団自殺サイトを運営していた美人管理人の美しい自殺と、この賞を取った小説の裏に隠された内容に、ただひとりだけ気がつき、残されたサイト運営幹部の謎と行方を追いかけ、最後のクライマックスまでドキドキさせられることになります。 やたらとその自殺サイトの話しや、そこで交わされた書き込みが克明に出てきますので、ちょっと薄気味悪く、全体が暗いトーンになってしまっているのは気になりますが、現代の暗部をうまく取り込んでいるとも言えます。ただ本当に自殺願望のある人は読まない方がいいでしょう。 ◇著者別読書感想(雫井脩介) ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ プリズム (創元推理文庫) 貫井徳郎 1993年に「慟哭」で衝撃的なデビューを果たした貫井徳郎氏の、1999年に書かれた小説です。「慟哭」はずっと以前に読みましたが、とても新人作家とは思えない、その内容と構成に驚かされました。その後は「悪党たちは千里を走る」など何冊か読みましたが、どれもよく練り上げられた内容で面白く読みました。 この小説はではミステリー小説としては日本で珍しい新しい試みがされています。そのネタばらしはさすがにできませんが、ちょっと意味合いは違うものの、私は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い浮かべました。 直前に読んだ雫井脩介氏の「犯罪小説家」は直球のミステリー小説ですが、それともなにか通ずるものがあり、続けて読むのは混乱を招きちょっとよくなかったかなぁとちと反省も。 タイトルのプリズムとはいきなり死んで登場する女性ヒロインが、様々な見る角度によって妖しい光を発していることを指しているのだろうと思いますが、私にはその死んだ女性の周辺にいた人達が、様々な角度で死因や犯人を考察していくことを指してプリズムというタイトルなのかなと感じました。 あらすじは、美しい独身の小学校女性教員が、ある日自分の部屋で亡くなっていて、それが事故なのか、他殺なのか不明で、容疑者と考えられる人は何人もいるけれど、いずれも決定的な証拠はなく、教え子の小学生、女性教員の同僚、死んだ女性の元恋人、そして不倫相手などその周辺の人達が、それぞれに疑われながらも自分で推理をしていくというものです。 ◇著者別読書感想(貫井徳郎) ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 邪馬台国はどこですか? (創元推理文庫) 鯨 統一郎 著者は変わった名前(ペンネーム)だな思ったらしっかり覆面作家とのことです(wikiより)。先般読んだ2002年デビューの坂木司氏もそうでしたが、2000年前後は覆面にすることでなにかメリットがあったのでしょうかね?実名でアピールし、サイン会、講演会、テレビコメンテーターなど幅広く商機を拡げていくほうが、売り出し中の作家としては望ましいのではと思うのですが。 ま、芸者作家、茶坊主作家、太鼓持ち作家にはなりたかねぇとお高くとまるのもひとつの見識ではありますが。 今回の本のタイトルにも使われている「邪馬台国」を扱った小説は数々ありますが、私は高木彬光氏の「邪馬台国の秘密」ぐらいしか読んでなく、テーマ的にはあまり関心はなかったのですが、今から40年近く前に書かれた「邪馬台国の秘密」以降にも新しい発見や新説が登場していますので、最近ではどのような説が一般的になっているのか、知っておくのもいいかなという軽い気持ちで読み始めました。 ちなみに近所の大型書店では「ここまでわかった!邪馬台国」が平積みされていて、これも近いうちに読んでみたいなと思っていますが、これは全国にある邪馬台国の候補地の紹介みたいな感じで、小説としての謎解きの面白さは当然ありません。 そんな、なにも先入観なく読み始めましたが、この文庫はタイトル名にもなった「邪馬台国の謎解き」だけでなく、下記のように、現在の常識や謎を、新宿にあるバーの常連さんのひとりが解き明かし覆していくという短編でした。 その概略は、 ・聖徳太子は実在しなかった ・お釈迦様は悟りをひらかなかった ・邪馬台国は東北にあった ・明智光秀は謀反人ではなかった ・倒幕の黒幕は幕府側の勝海舟? などです。 ちょっと考察に甘いところがあるんじゃないのか?都合のいい部分だけ抜き出して解釈してないか?と思うところもありますが、しかし現在の通説や常識を、軽いノリで次々と覆していくスリリングで無駄のないテンポの良さは読んでいてもスッキリします。 これらの元ネタは文庫の後書きにありますが、著者自身の発想ではなく、ある別人の解釈を元にして、著者が小説化したものです。そういうことをちゃんと明示しているところは、論文や小説などで盗作疑惑や著作権問題がこじれることが多い中で誠実さを感じます。 本書の中に出てくる解釈では、「日本書紀はいくつか流れのある天皇家の中でも勝ち組の一派が書かせたものなので、負け組のことについての記述は曖昧で信用がおけない(聖徳太子の実在しない)」とか、また地図上の方角について、目の前に方角の誰でもわかる太陽がありながら「当時の公文書に北と南を間違えて記載をする(邪馬台国は東北にあった)」というのは、にわかには信じがたいように思います。 本来なら短編のそれぞれの項目が、大きなテーマでもあり、そのテーマだけで上・中・下巻の長編小説になりそうですが、それを短編としてサクッとまとめてしまうところがなんともこころ憎いなと思います。 せっかくですから、当然予想されるそれぞれの反論や通説の根拠となっている様々な証拠に対して、また今回、通説を覆した推察に対する反論も加え、もっと深く掘り下げた小説にしてみてはどうでしょう。 高木彬光氏の「成吉思汗の秘密」では「義経は成吉思汗ではない」という論拠からスタートさせ、最終的にはその論拠をことごとくつぶしていくというストーリーでしたが、歴史物はそうやって見ていくと説得力が増すように思います。 ちょうど、いまは歴史に興味を持つ若い女性(歴女)と、仕事を辞め暇を持てあまして歴史書を読みふけり遺跡の見学に大挙押しかけている団塊世代がいますので、この歴史ブームをうまくつかむことができれば、このようなテーマは大ヒットすると思います。 ま、いずれにしても、この推理小説は軽くできていますので、満員の通勤電車の中で集中して読むのには、最適な小説でした。 ◇著者別読書感想(鯨統一郎) ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「若者はかわいそう」論のウソ データで暴く「雇用不安」の正体 (SPA!BOOKS新書) 海老原嗣生 新書ほど中身に当たり外れの多い出版物はないという持論ですが、数年前からの新書ブームでタイトルに過激な表現を使うことが当たり前になってきています。 私の場合、数多く読みたいので、新刊書を単行本で買うことはあまりなく、単行本の中から評判のよかったものだけが文庫化されるのを待ち、さらにその中から読みたいものを選んで購入していますから、そう大きな当たり外れはありません。 しかし新書というのは、以前ならロングセラーになる学術系だったり、ハウツーものがメインだったりしたのが、最近では誰でもお手軽に出版できて、それこそタイトルで勝負、一発屋狙いの「スポーツ新聞」的な軽くてどうも信用の置けない書籍となっています。 前置きが長くなりましたが、この『「若者はかわいそう」論のウソ』はタイトルは過激で、最初手に取ったときは心配だったのですが、読み始めて中身もそれなりにあり、なかなか面白く読むことができました。 著者は元リクルートで自分では人材雇用問題のエキスパートのように自慢されてますが、人材ビジネスの中心で20年以上関わってきた私からすればやや底の浅い、人材出版編集者兼ジャーナリストという感じがします。それがいいとか悪いと言っているのではありません、念のため。 で、この新書では、著者の好き嫌いがハッキリしていて、どうも好きではない人が書いたベストセラーに対し、意図的な誤魔化しや誤解を生じされる書き方などを徹底的に糾弾し、それに同調するマスメディアをも非難しています。このあたりの切れ味は、さすが元リクの元編集者と言えるでしょう。 さらに、今後日本の雇用はどうすればいいかという点についても持論を展開し、関連する有名人との対談を収録されていますが、その著者の考える今後の雇用対策の章については、残念ながらその意見に同調する人はあまりいないでしょうし、実現可能性は日本が中国に侵略され24番目の省になるより低そうなので、あまり参考にはなりません。 冗談で書いているならともかく、実現可能性がまったくない意味のないプランをいくつ出しても紙の無駄になるだけです。 それはともかく、前半部分は、久々に新書の中で面白いものに出会った爽快感があり、それだけでも読む価値は十分にあると思います。最近の新書では「国家の品格」や「デフレの正体 経済は「人口の波」で動く」「偽善エコロジー「環境生活」が地球を破壊する」などは別格として、それらに次いで、読んでよかったと思えるものでした。 それにしても最近の新書という新書は、統計データを元にして「ハイ一丁上がり」とばかりに一冊にまとめる(同書はそれだけではありませんが)のが、最近やたらと流行しています。「統計は使い方によってどうにでもなる」という考え方を持つ私にとっては、今の新書ブームは単に胡散臭く思えて仕方がないのです。 -------------------------------------------------------------------- 教員の高齢化について 2011/8/20(土) 527 先日朝日新聞の記事にもなっていましたが、いま、小中高校教員の高齢化がかなり進んでいて様々な懸念がでてきているようです。学校教員というと、一見すると経験豊富で、信頼のおけるベテランが良さそうにも思えますが、必ずしもそうとも言えません。 例えば、教員も20代、30代、40代とそれぞれに世代による感性や、教育に対する想い、それぞれの教育制度で育ってきた環境の違い、それに子供の視線に立って接することができるかなども当然違ってきます。特に小中高生ならば、両親や祖父母みたいな人でなく、もっと年齢の近い兄貴や先輩といった教員のほうがずっと相談もしやすいでしょう。 またその他にも教員の高齢化で一番心配されているのが、体力的な面で、元気盛りの小中高校生と一緒になって遊んだり、課外活動をおこなうことが難しくなり、そうなると当然子供と先生の距離は遠ざかる一方となってしまいます。 なぜこのような教員の高齢化が顕著になってきたかと言うと、ひとつには1970年代生まれの団塊ジュニア達の受け入れにあたり、1980年前後に大量に教員を増やしていったことに起因すると言われています。その1980年前後に22〜3歳で大量に奉職した教員が2011年現在50歳代になってきているわけです。 文部科学省平成22年度学校教員統計調査より また教員の世界というのは、他の民間企業とは大きく違い、異業種への転職や子会社への出向、個人事業の開業、結婚退職などの自然減はほとんどありません。 さらに私立を除き多くは公務員ですから、例え仕事ができなくても不向きとわかってもリストラはなく、女性の場合、これは企業も見習うべき素晴らしいことなのですが、結婚・出産したあと、元の職場に復帰することは、一般の企業と比べるとはるかに容易です。 文部科学省平成22年度学校教員統計調査より 教員の数と言うのは本来なら出生数と深く関わってくるべきものですが、団塊ジュニアのような突出した数年間のために、日教組の言いなりで数を一気に増やし、その後、生徒数は年々減少していくのがわかっていながら、なにも手を打たず雇い続けてきたというツケが回ってきたと言うことです。 そのツケは、覇気のない自分の祖父母に近い年齢の教師ばかりに指導される子供達と、そのせいで非常に狭き門となる教員への就職を目指す若い人達が払うことになります。 中高年教員が多いということで、上記に書いた懸念以外に、若手の教員が採用されない、数少ない若手教員が次の世代の教員を見守り育てることができない、職員室の中は中高年の教員が多数を占め若手教員の意見や主張が通らない、力仕事や体力が必要な仕事(体育系の授業や部活顧問)は少ない若手教師に押しつけられ掛け持ちで担当せざるを得ないなどと、この問題は意外と根深そうです。 特に情熱をもって教員になった新任教員も、すべてを知りつくし、やる気も熱意もなく、あとはただ定年まで何事もなく過ごしたい高齢教員が何事にも大きな抵抗となり、つぶされていくというのが実態ではないでしょうか。 IT先進国では主流になりつつある電子教科書も日本で一向に進まないのは、そういう新しいものに抵抗感を持つ高齢教員が障害になっているでしょう。大多数を占める彼らはあと数年で引退できるので、今さら新しいことなどやりたくないわけです。 当然リーダーたる校長や教頭も、元々は高齢教員と同僚で同じ高齢者ですから、若手教員とベテラン教員の意見が対立した場合、どちらに荷担するかはあきらかです。 日本の未来を築いていく上で、子供達の教育はとても重要です。これに反対する人はいないでしょう。しかし、ゆとり教育やレジャー化する高等教育など多くの失敗を繰り返し、若手教員の質が落ちてきたと言われる中、できるだけ早く、10年20年先を見た教育制度を作っていくために、誰かが日教組や高齢の教員達に鈴をつける役目を果たさなければ、未来は暗いとしか思えません。 10年待てばその突出した高齢教員の多くが次々リタイアしていくと思われますが、65歳までの定年延長などもあり、それをいつまでも待っていられません。 そこでいくつか提言です。 例えば、55歳になれば、教頭か校長(企業で言うと執行役員か取締役以上)になれなかった人は、退職して他(塾とか予備校とか)へいってもらうか、残るなら契約の補助教員として週3〜4日程度のパート勤務(給料カット)に就くかを選択してもらうという手が考えられます。 補助教員の場合、兼職も可能で、例えば特別補修などを有償でおこなうなど、下がった給料の補填もアイデアをみんなで出しておこないます。 校長や教頭も単なる太鼓持ちや要領の良さだけで長く居続けられても困るので、毎年保護者からの信任投票をもらうこととし、それが評価となり、評価の悪い校長や教頭はクビか、または教員へ降格してもらう(55歳以下の場合)とします。 そうすることで、教員も教頭も校長もみんな緊張感をもった仕事をすることになり、競争原理も働くというものです。民間企業ならどこも当然おこなっていることです。 そして高齢教員のカットした分で、若手の教員を増員すると同時に、教育の中に新しい風を吹き込むため、社会経験のある中高年者や外国人を同じ補助教員として採用し、ビジネス経験がない教員に交じって、現実社会の仕組みや、効率や利益を求めるビジネス的発想、人にうまく伝えるプレゼンテーション、そして正しい発音の外国語などを子供達に教えていくことがすごく重要だと思います。 ちなみに外国語はなにも英語ばかりではありません。今日本のビジネス社会で最も求められる外国語は中国語ですし、将来的にはベトナム語やインドネシア語、アラビア語というのも重要になってくるでしょう。 中学生が数カ国語で挨拶や簡単な道案内ができる程度でいいので喋れたら、その子の将来にとってどれほど有意義なこととなるでしょうか。 -------------------------------------------------------------------- 最近の若い奴らときたら・・・ 2011/8/23(火) 528 ふと思ったのですが、学生時代に飲食店や販売店でアルバイトを始めると、まず教わるのが「元気な挨拶」と「丁寧な言葉遣い」ではないかと思います。 この経験は最近はあまり流行らないのかもしれませんが、学生時代にとても重要なことではないでしょうか。あるいは体育会系の運動クラブに入ると、先輩から徹底して挨拶や先輩に対するマナーを叩き込まれますがそれも同様です。 私の場合は学生時代の最初の1年半は体育会系クラブで活動、その後はアルバイトに明け暮れる毎日を送っていましたが、学生時代のアルバイトと言えば、中には喋らず黙々とするような仕事もありますが、比較的多いのはお客さん相手の仕事です。 私の経験で言えばマクドナルド(厨房)、自動車部品(配達&営業)、出版(広告取り)、書店の出張教科書販売、竹材販売店が飲食または客相手の仕事で、土木工事、観光ホテル部屋掃除、漬け物仕込みは黙々とおこなう仕事でした。 客商売の基本は元気な挨拶、ハキハキとした会話、清潔な身だしなみ、客に対しての敬意です。また客商売でない仕事でも、目上の社会人である従業員とかわす挨拶や会話は、学生同士間のそれとは違って、教えられることがいっぱいあります。 ちなみに竹材店の仕事では葬儀屋や葬儀場への竹細工の納入が多かったので、元気いっぱいに挨拶というわけにはいきませんでしたが。 いずれにしても卒業して社会に出る前に、そのようなアルバイトや上下に厳しいクラブを経験していると、当然のこととして「挨拶はハッキリと元気よく」「人の話しをちゃんと相手の目を見て聞く」「目上の人や客に対しては敬意を持つ」ことが身体に染みつくことになります。 社会人になっても「挨拶がちゃんとできない」、「会話はボソボソとなにを言っているかよくわからない」、「すぐに人を見くだす」、「年長者や上長に対して敬意をいだかない」という人が最近特に多いように感じますが、たぶんそういう人は、若いときに正しい挨拶やマナーを身体で覚えるようなことをしていないのではないでしょうか。 例えば一人っ子で両親から「アルバイトなどしなくてもいい」と決めつけられていたり、よく知っている人ばかりでさして社会勉強にはならない「親の仕事(家業など)を手伝えばいい」と言われてきた人にそういう人が多そうな気がします。偏見かも知れませんが。 よくそうした挨拶もロクにできない人が社会人になれたものだと感心しますが、おそらくは社会人になるため、仕方なしに挨拶やマナーをマニュアル本で付け焼き刃で身に付け、会社に入ってしまえば、すぐ忘れてしまったのでしょう。 また工場勤務や一部の技術系職種などには、接客やコミュニケーションをほとんど必要としない仕事もありますので、入社の時にはそういうマナーを要求されなかったということかも知れません。 しかし円高と国内需要減少のダブルパンチで、今後ますます製造業やコミュニケーション(=日本語会話)を必要としない仕事は、海外へ出て行ってしまうことになります。ということは、まともに社会人としてのコミュニケーションができないと、日本では働き場がなくなってしまうということでもあります。 そのような時代の趨勢を考えると、若いときに、見知らぬ相手に対して、大きな声で「いらっしゃいませ!」「こんにちは!」「おはようございます!」「ありがとうございました」とちゃんと発声ができ、物知りの社会人に対して尊敬の念を持って笑顔で接することができるかが、いかに重要なことかを強く感じるのです。 紀元前数千年前の遺跡に「最近の若い奴らはなってない」という意味の文字が書かれていたというのはホントかどうか調べてもわからないので確信はないですが有名な話しで、古代ギリシアの哲学者プラトンも「国家」の中で「最近の若者は楽なほうへいき、年長者の言うことを聞かない」と書いているとか(これも未確認)で、私もそういうことをやたらとぼやきたくなる年齢になったということなのでしょう。 -------------------------------------------------------------------- それでもしたいか結婚 2011/8/27(土) 529 結婚しない(あるいはできない)人が増えているようなことを、時々マスコミが報道しますが、女性の地位の向上や若者の貧困化、斬新な婚活ビジネスという切り口というものでしかなく、いずれも正確な根拠に乏しいなと感じています。 つまりそれをビジネスとしている業者や、業界からの後押しがあるか、単に暇つぶしの下世話な興味本位の番組や特集が多いと思うのです。 ここ20年間で、未婚の男女の意識がどう変わってきたのか?それは若者の収入や人口実数に影響されてのことか、それとも人口構成とは関係ないことか?社会現象は結婚観にどう変化をもたらすか、今後20年先はどのような推移となるのか?などについてなどあまり確かな情報がありません。 一方ではほとんどヤラセの婚活パーティに参加した人のインタビューや、業者の言い分(前年比で倍近く伸びてますとか)だけを放送し(あるいは記事となり)、実際の統計データにはまったく触れられません。 少子化が進む中で、これからの日本を語る上では非常に重要なことなので、マスメディアもっと真剣に取り上げるべきでしょう。 未婚の理由や原因については詳細な公的なデータがないため不明ですが、実態としての生涯未婚率(50歳時で一度も結婚をしたことがない人の割合)の推移と将来予測は「国立社会保障・人口問題研究所」のものがあります。 そのレポートには「1990年の生涯未婚率は男性5.6%、女性4.3%でしたが、2005年には男性16%、女性7.3%(男性は約3倍増)」とあり、また推定の根拠は不明ですが、今から9年後の2020年の予測も出していて、「2020年の生涯未婚率は男性26.0%、女性17.4%に達します」と述べています。 えらいこっちゃです。男性の4人に一人、女性の5人に一人は生涯未婚です。 この30年間での未婚者の増え方は異常(男性で5倍、女性4倍)とも思えますが、なぜ男性と女性で生涯未婚率がこれほど違うのかと考えると、つまり男性は結婚する人は離婚や死別の後、2度3度と再婚することが多く、女性にはそれだけ結婚する機会が多いということなのでしょう。 逆を考えると、結婚した女性が夫と離婚や死別したあとは、再婚しないケースが多いとも考えられます。 さらに想像たくましく別の言い方をすると、経済力ある男性はとっかえひっかえ何度でも結婚するけれど、経済力のない男性は一度も結婚できない(しない)と言うことかもしれません。 もちろん信条や邪魔くさいので結婚しない人(したくない人)や、表面化しませんが結婚という形式にこだわらず、実質的な結婚(内縁)の夫婦も増えているのだと思います。 下流社会や下流社会2に触れられていましたが、男性の場合、結婚できるかできないかは年収400万円あたりを境にして決まるというデータがありました。 これは意識の問題ではなく、結婚している人と、していない人の年収を比較した時に、このあたりでラインが引かれているというデータでした。 ちなみにそのデータでは女性が結婚したい相手に求める年収は600万円というのが一番多く、バブル時代ならいざ知らず、厳しい現実をあまりにもわかっちゃいないということでしょう。 ただこの下流社会の調査はインターネットマーケティング会社がネットで調査をおこなったもので、広く日本の実態を反映しているかどうかはちょっと怪しい気もします。 つまりなんら差別するつもりではないですが、農水林業など第1次産業に就いている人と、都会で働くサラリーマンとではそのあたりの意識や年収のとらえ方というのが、かなり違っているような気がします。 さらに言えば沖縄で親の実家に住む人と、東京でひとり暮らししている人では、同じ400万円の年収でもその利用価値や生活の質には相当の開きがあり同列で比べることができません。 ともかく、今後も未婚の男女が増えていくことは間違いなさそうで、若年層の人口が減り、さらに未婚率が高くなると、ますます日本人同士の結婚数は縮小していくことになります。 その代わりに、すでに農家や牧畜業の家では多くなっている東南アジアの各国から養子や嫁をもらってくるということが、都会でも普通になってくるのではないでしょうか。 これがどのぐらいの勢いで増えていくのか、ちょっと興味深いのですが、いまちょうど日本企業は円高、電力問題、国内需要減退の影響で、生き残りをかけこぞって工場や販路が東南アジアへ向かっています。 その進出した現地で知り合ったり、現地から日本に研修にやってきた社員でカップルができあがり、国際結婚をするというのが一気に増えそうな気がします。そう思えば企業や従業員の海外進出も悪いことばかりじゃありません。 特に中国では1980年以降一人っ子政策により、様々な方法を駆使して家を継いでくれる男子の出生を強く望み、男女の比率が大きくずれてきています。 ということは、1980年生まれであれば現在31歳、既に結婚適齢期に達していますが、男性に比べ女性が不足しているという現状がありますので女性にとっては大きなチャンスでしょう。 また盛んな婚活パーティもより国際的になり、フィリピン、ベトナム、インドネシア、マレーシアなどを一気に巡るツアーが組まれたりするのかも知れません。しかしこれはある程度のお金持ちで、家の跡継ぎが欲しい親の援助が受けられる場合ですね。 じゃ、年収300万円以下の若者で、家の跡継ぎではない場合はどうするのか? どうしても結婚したいなら、逆張りをしてとにかく東南アジアや中東へ出掛け、なんでもいいから地元とつながるために現地で働きます。 そこで現地のお金持ちの娘や息子と知り合い結婚し、相手の親のツテやお金を出してもらって現地でいい仕事にステップアップするという逆婿入り、逆嫁入りを目指すのがいいでしょう。女性ならなんといってもまず中国へ行くべきでしょう。 日本で玉の輿や逆玉を見つけるにはライバルが多いですが、東南アジアでは日本人というだけで、まだかろうじて使えるブランドを最大限利用し、相手を見つけるのが手っ取り早いのではと勝手に思っています。 もしかすると東南アジアに住んでいると、日本の80年代のバブル期みたいな、なにをやっても儲かる夢のようなひとときが、あと数年後にやって来るかもしれません。 さらにちょっとした裏技というか詳しくは知らないのでいい加減な情報ですが、統一協会に入信し、例の合同結婚式に参加するという方法があります。自分で決められないなら他人(神?)に決めてもらおうという手です。 合同結婚式はアメリカや韓国、それに日本国内でも開催されているそうで、お相手は昔のように文鮮明氏が一方的に決めるのではなく、集団でお見合いをしたり、マッチングを依頼する場合でも結婚相手の要望(相手の国籍や年齢など)は事前に頼んでおくことができるそうで、その場合は結婚式の数カ月前に、相手の写真と略歴が双方に送られ、まずはコンタクトをとって相手を確認してから決定することができるそうです。それで断るとどうなるのかは知りません。 ちなみに私(というか家は)は不信心なれど一応仏教徒(浄土真宗)で、教会へは観光や知人の結婚式以外では、自分の結婚式に妻の要望により使わせてもらったぐらいで、統一教会含めキリスト教の信者ではありませんので念のため。それとあくまで自己責任ですよ、自己責任。 あと結婚という形式にこだわらないのなら、もうひとつの生き方として、古来からある家督制度など無視し、結婚に縛られない生き方を貫いてみてはどうでしょう。家督を継ぐような結婚は嫌だけど、制度にとらわれず気軽に同棲したり、いつでも別れられる社会に共感する男女は、今の日本には多いのではないでしょうか。 いろいろと難しい面はあるのですけどね。別れるときに後腐れがないように最初に弁護士立ち会いの下、契約を交わしておくというのも手でしょう。ああ、やっぱりそれも面倒。 保守的な高齢の親にしてみれば、子には親の面倒をみて、先祖を守り、家を継いでもらいたいという気持ちがあるでしょうけど、これほど高齢者が多くなれば子はたまりません。 一人っ子同士が結婚すれば(これが最近一番多い)、夫婦二人で100歳まで生きるかもしれない4人の親の面倒を見るなんて、できっこありませんから、もはや家制度は実質崩壊しています。 高齢者は社会全体で看ることとし(介護保険制度がその目的ですが)、未婚の人が「結婚を前提で・・・」とか「両親に会ってもらって」というのは一切抜きにし、気軽にルームシェアで、まずは同室の友だち、気に入れば恋愛、結婚と発展するのも自由、嫌だと思えばさっさと出て行き、次のパートナーを探すみたいな社会が理想かもしれません。 ちなみにせっかく相思相愛で結婚しても、それが永遠に続かないことはすでに証明されています。 離婚件数は2002年にピークを迎え、その後は徐々に下がってきていますが、2008年で25万件、わずか16年前の1995年の20万件と比べて125%、30年前と比べると250%と高い水準にあります。 ※画像クリックで拡大します ※厚生労働省「人口動態統計の年間推計」より 離婚率というのは一般的に人口千人あたり何件の離婚があるかを調べるので、団塊世代や団塊ジュニアなど突出した人口構成、少子化傾向などは考慮されません。件数で見るならばその母数の変化も考慮しなければ誤った見方になります。 そこで、それにかわりその年の「離婚数」÷「婚姻数」を出してみると、ここ数年は3割を超えていることがわかります。つまり「3組が結婚すれば、一方で1組が離婚しているという状況」です。 ただしこの数字は主として婚姻する若い人の数が減る中で、離婚するのは若い人も熟年層も相応にあるでしょうから、必ずしも時代を反映しているかどうかはわかりません。 さて、さて、それでも未婚の人は、結婚という形式にこだわりますか? |
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