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読みやすいようにアーカイブは昇順(上から古いもの順)に並べ替えました。上から下へお読みください。

日記INDEXページ(タイトルと書き出し部の一覧)はこちらです
1013 5年生存率と余命宣告 2016/4/2(土)
1014 時代遅れの再販制度を変えられるか 2016/4/6(水)
1015 丼飯を日本の文化として育てていきたい 2016/4/9(土) 
1016 4月前半の読書と感想、書評 2016/4/13(水)
1017 グルコサミンやらコンドロイチンやら 2016/4/16(土)
1018 世帯構成の変化で売り方も変わるはず 2016/4/20(水)
1019 老人ホームについて調べてみた(1) 2016/4/23(土)
1020 老人ホームについて調べてみた(2) 2016/4/27(水)
1021 4月後半の読書と感想、書評 2016/4/30(土)

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5年生存率と余命宣告 2016/4/2(土)

1013
突然ですが、自分が死ぬときは、事故や突然意識がなくなる急性の病気で倒れたり、寝たきりの生活が長引くような長患いではなく、できればまだ身体が自由に動かせるうちに「余命○年です」と告知されることが多い末期のガンであってほしいと思っています。

「ガンで死ぬのはつらいよ」と言われそうですが、一般的につらくない死に方のほうが珍しいと思っていて、それなら死ぬ直前まで痛み止めなどでケアしてもらえ、比較的行動の自由や意識がハッキリとあり、死ぬための準備ができるガンのほうがいいかなと思っています。

「ピンピンコロリ」が理想的という風潮もありますが、こちらも死ぬための準備やお世話になった人とのお別れができないまま、老衰や心臓麻痺等である日突然亡くなるということで、あまり私にとっては理想型とは言えません。

脳梗塞やくも膜下出血、心筋梗塞だと、突然倒れ、救命できたとしても、身体の自由が効かず、寝たきりになる可能性が多く、それも避けたいなぁと。

余命宣告されたあとでも行動の自由があれば、寿命が尽きるまでのあいだに様々な身の回りの整理や心の準備をすることができます。もうその時は若くないので、未練もなく死ぬ覚悟ができると思います。家族にも長期の介護など迷惑をかけず、多少の我が儘も理解してもらいやすいでしょう。

生きた屍のように、弱った身体で意識もほとんどないままでも、ベッドで人工的な栄養補給や人工呼吸まで施されて何年も生き続けるというのは、現代医学の賜物でもある代わりに、介護する家族や次々と新たな患者を受け入れたい病院にとっては大きな迷惑にほかなりません。生命力が強い若い人ならともかく、高齢者の延命処置は問題が大いにあります。

高齢者の場合ですが、ガン終末期のように、延命措置があろうとなかろうと、時期が来ればスパッとこの世との縁を切ってくれるほうが、どれだけ周囲の人を幸せにホッと安心してくれることか。

ジャーナリストの竹田圭吾氏が51歳の若さで今年1月にすい臓がんによって亡くなりましたが、癌が見つかってから約3年間、治療しながらも仕事を続け、亡くなる直前の12月までテレビやラジオに出演されていました。

まだお若かったので残念なことではありますが、亡くなる直前まで家族と一緒に過ごし、好きなジャーナリストの仕事ができて、本人は死と向かいつつもそれなりに満足だったろうと勝手に思っています。

同じくすい臓がんで亡くなったスティーブ・ジョブズ氏、夏八木勲氏、坂東三津五郎氏も、やはり会社の行く末を考え、新製品のアイデアを話し合い、俳優などの仕事を亡くなる直前までされていました。

このすい臓がんはガンの中でも一番タチが悪く、発見が遅れやすいので見つけた時には手遅れというケースが多いそうです。

5年後の生存率も進行が進んだステージ4の場合、わずか3〜11%とガンの中で低く、発見≒余命数ヶ月〜数年ということのようです。

一般的によく言われる「5年生存率」というのは、同じ症状で5年後に生存している割合です。

がんの種類・ステージ別5年生存率一覧表
部位別癌生存率

例えば胃ガンの第1ステージ(発見が早い)だと、5年実測生存率は87.8%ですが、かなり癌の進行が進んだ第4ステージではわずか7.2%となります。

癌全体では第1ステージ83.9%、第2ステージ73.5%、第3ステージ43.8%、第4ステージ15.9%というのが5年生存率です。

第1ステージの早期発見だと5年生存率が80%以上と、癌に罹ったとしても早期発見ができれば恐れる必要はあまりなさそうです。癌は早期発見が肝と言われる所以です。

「余命はもってあと半年でしょう」と、ドラマや映画で告知される場面がよく登場しますが、医師が診断する「余命」とは「その病気の生存期間中央値」のことで、「生存期間中央値」とは、同じ状態にある患者の集団の半分が亡くなるまでの期間の事です。

つまり統計上、同じ症状で10名の患者がいた場合、中央の5人目が亡くなるまでの期間ということで、膨大な過去のデータから決められています。

なので、余命1年と宣告されても、1ヶ月で亡くなる場合もあれば、2年以上生きる場合も当然あるわけで、その患者にとって1年という期間はあまり根拠がありません。但し最近では余命1〜2ヶ月という診断に限っては、かなり精度が高くなってきていて、もしそう言われると、残念ながら大きくずれることはないそうです。

それと医者としては余命半年と宣告したところ、もし1ヶ月で亡くなると、遺族から「医療ミスがあったのでは?」と疑われかねないので、余命は短めで言うことが多いそうです。

余命を短めに言っておいて、それより長く生存すれば「よく頑張った」と言えて遺族も満足するからです。なんだかなぁって思いますが、それが現実的な大人の対応なのでしょう。

健康で若い人に「万一の時、延命処置はして欲しいか?」と聞くと、大概が「必要ない」と答えます。しかし深刻な病気で身体が弱って余命いくばくもない人が同様に聞かれると、その多くの患者や家族は「して欲しい」と答えます。これは年代ではなく、死がすぐ身近に迫っているかどうかで判断が変わるのではと思われます。

家族にしても本人の意志がないまま「延命処置はしなくていい」とは答えにくいものがあります。そのため従来であればすでに亡くなっているはずの人でも、最新の生命維持装置などの延命措置で、生きながらえている人が数多くいると言われています。

命を消すかどうかの問題であり、軽々しく決められることではありませんが、超・高齢化社会を迎える中で、この延命処置は社会的に大きな負担となりつつあります。

処置室が延命処置で何年も眠り続ける老人が占め、本当に急を要する救急患者が受け入れられないという病院が出てきても不思議ではないからです。それに延命処置が増え、その高額医療費の負担が増加し続けていることも問題になってきます。

我が身に置き換えても、今は「延命処置など必要ない」と言っていても、実際に重病となり生きるか死ぬかとの境目に立った場合、「スパッと延命装置を切ってくれ!」と言えるかというと、なんだか微妙な気がします。それが実際多くの患者、そして遺族の本音ではないでしょうか。

自分が病気や怪我で意識がなくなってしまった時、積極的な延命治療を拒否するためには、現在のところ日本回想療法学会がおこなっている「意思表明書(SDD)」(医学的延命処置を拒否する意思表明書)を身につけておくか家族に預けておくぐらいしか方法はありません。こちらの法整備も日本は遅れているようです。


【関連リンク】
1005 泉質による温泉健康法
985  高齢者の健康には会話が重要だということ
958  男の更年期障害について調べてみる


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時代遅れの再販制度を変えられるか 2016/4/6(水)

1014
古くから時々降ってわいたように話題に上がりながらも、いつもすったもんだする書籍等の再販制度の廃止についてちょっと考えてみました。

再販制度とは、書籍や新聞、音楽コンテンツ、タバコなど一部の商品について全国一律の定価販売を維持し、小売り側に対して勝手な値引きを許さない制度です。自由経済の中でも特異なシステムです。

昔は塩や化粧品、石鹸、医薬品などもその対象でしたが、それらはすでに解除され、現在再販制度が残っているものは書籍や新聞、音楽CD、タバコなどごく限られた商品だけです。

出版物の再販制度のメリットとしてよく言われるのは、

(1)定価販売で、地域格差をなくし、全国どこでも同じ値段で購入でき、読者が出版物に接する機会均等化が図れる
(2)出版社の自由な出版活動が守られ、多種多様な出版物が供給される

とされています。

確かに都会と地方の文化格差が大きかった昭和中期頃までは、(1)も納得できるところがありますが、現在のように格差は少なくなり、流通網が整備されてくると、(1)の根拠は揺らいでいます。

例えば通販で書籍を買った場合、一部の離島などを除き、送料は都会と地方で違いはありません。

再販制度が作られたときはまだ全国の流通が整備されず、また宅配や通販といったビジネスが生まれる前の法律だったので、そうした現在の状況が反映されていません。

また、都市部での大規模店舗と、地方の小規模店舗で値段が変わってしまうのは、家電製品や食料品のような生活必需品と同様地域差ができるのも仕方がないと思われます。

逆に地方のほうが店舗費用や人件費が安くてすみ、都会の書店よりも経費が抑えられて安く販売できる場合だって考えられます。

どうも(1)の地域格差と機会均等を主張し続けるのは、現在もう無理があるように思われます。

次に(2)の定価制度のおかげで小規模な出版社でも大手出版社に伍して出版活動がおこなえるという論理は、今の時代出版社に限らずベンチャー企業が隙間を狙って躍進したり、アイデアとスピードで大手企業の牙城を崩したりというビジネスでは当たり前におこなわれている競争原理を否定しているかのように思えてなりません。

そこまでして、出版社や新聞社を保護しなければならないのか、彼らはそれほど特別な存在なのかをもう一度考えて見る必要があるでしょう。

そうした保護政策が自らの体力を弱め、結果的に保護がないと生き残れない虚弱体質に陥ってしまっているとも考えられます。

一度にすべて再販制度を撤廃せずとも、例えば書籍にしても時限再販制度(発行後一定期間のみ再販制度を維持し、その後は自由競争)の導入や、現在普通に行われている出版社と書店の委託販売制を順次買い切り制へ移行し、買い切り制度の場合は当然販売する側に自由に値段を決める権利を渡すとか。買い切りだと売れ残りのリスクがある反面、仕入れが安くなるので、売り切る自信があれば儲けも大きくなります。

1年以上売れ残った新刊本や文庫本、3ヶ月以上売れ残った雑誌が、定価の半額〜3割引きとなれば、年間累計7000万人と言われる中古書籍販売で急成長しているブックオフへ安い書籍等を買いに行っている客を、旧来の書店へと呼び戻すことができるかも知れません。

客を書店に呼び込めたなら、割引本を買ったついでに、話題の新刊本も定価で買ってくれたりしますので、商売のチャンスが増えます。

さらに言えば、書店の買い切り制にすれば、常識を無視した過剰な仕入れや押し込みが減り、したがって返本も減り、資源の無駄遣いを減らせるでしょう。

誰でも既得権益を手放すのは嫌でしょう。出版社や大手取次、書店、新聞社、音楽業界などは再販制度に守られた既得権益の塊ですから、こうした問題が指摘されるたびに、大論陣を張って抵抗します。

叩けばほこりの出る政治家も新聞社や雑誌社に反感を買って、痛くもない腹を探られて、下手に叩かれたくないので、この問題を誰も真剣に取り組みません。

しかし農業や、石油や、金融ビジネスも、国内法で固く守られてきた産業が弱体化し、いざ国際競争の荒波をかぶると、いかに今までが温室で育てられてきたかがわかります。

出版分野においても、これからはいつ再販制度がなくなってもいいように、それには頼らなくてもよいビジネスモデルや仕組みを考え、逆に成長している世界へ飛び出していくぐらいの覚悟をしてもらいたいものです。日本で成功したベストセラーを生み出すノウハウは他のアジアの国でも通用することも多いのではないでしょうか。


【関連リンク】
980 TSUTAYA図書館は非難されるべき問題なのか?
954 書店数や出版業界売上減と未来
743 出版社不況の現状


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丼飯を日本の文化として育てていきたい 2016/4/9(土)

1015
丼飯子供の頃に母親がよく作ってくれた料理に「衣笠丼」というのがあります。あまり聞き慣れないと思いますが、親子丼の鶏肉の代わりにお揚げ(油揚げ)と青ネギを使ったものです。

家では「玉子丼」あるいは「きつね丼」と言っていたような気がしますが、一般的には「衣笠丼」と言うのだそうです。

小学生の頃までは家で食べる丼ものと言えばその「衣笠丼」か、牛肉のバラ肉を卵とじした「他人丼」(関東では開花丼と言うらしい)だけで、「牛丼」なるものを初めて食べたのは中学生ぐらいになって近所に吉野家ができてからです。

その時は「どうしてこれは卵でとじない?」「卵とじのほうが美味しいのに」と、不思議に思った記憶があります。つまり丼と言えば我が家では卵とじがディフォルトだったので、卵でとじていない丼との衝撃の出会いだったわけです。

次いで高校の学食のメニューに小さな掻き揚げがのった「天丼」がありました。今思えば「天丼」というにはおこがましいような工場で大量生産されたような小さな掻き揚げに、醤油だしを染みこませただけのものです。

その他のメジャーな丼「うな丼」や「カツ丼」と言った定番は大学生時代まで食べることはありませんでした。

今では食生活の中で、丼物って欠かせなくなってきました。熱々のご飯の上にのせた揚げたてパリパリの天ぷらや、ジューシーな柔らかい牛肉、甘辛いたれの香りが食欲をそそる鰻の蒲焼き、などなど、もうイメージするだけでよだれがでてきそうです。

この丼というご飯の上におかずを乗っけるという食べ方は、ほぼ日本独特の文化で、蕎麦やうどんと同様、江戸時代のファストフードだったようです。

丼の登場は諸説ありますが、一般的には西暦1500年頃の室町時代にさかのぼるとも言われています。ご飯の上に野菜を乗せて、その上に出汁をかけた「芳飯(ほうはん)」と呼ばれる料理がそれにあたるそうです。

岡田哲著の「たべもの起源事典」では、江戸初期に「切り盛り一杯」の商売が繁盛し、それがひとつの器(丼)に、ご飯とおかずをまとめてしまうという、いまの丼の形になったという説もあります。

世界中で食器を手に持って口に寄せ、中身をかき込むような食べ方をするのは日本以外では見かけません。どうしても私含めて日本人は食器を手に持って、食べたくなりますが、ほとんどの国ではけしからんマナー違反となります。

逆に外国人が日本のレストランや食堂で、それでなくともたどたどしい箸を持って丼やお皿からポロポロこぼしながら苦心してご飯やおかずをつまみ上げていたりしますが、日本のマナーとして、食器を手に持って、そのまま口につけてかっ込むことを教えてあげるべきでしょう。こぼさずに素早く食べられるのでこれほど合理的かつ効率的な食べ方はないのですけどね。

そうした国際化が進めば、案外日本の食べ方が理にかなっていたりして、世界中で食器を手に持ち、お皿に直接口をもっていき一気に食べることもそのうちにOKになるかも知れませんね。無理か。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

親子丼
カツ丼
さて、「親子丼」の発祥は、1891年(明治24年)鶏料理専門店の人形町「玉ひで」5代目当主の妻が考案したというのが有名な話しで、「牛丼」の発祥は1899年(明治32年)に吉野家の創業者になる松田栄吉が、日本橋にあった魚河岸で忙しい仲買人達に提供していた牛飯(牛鍋とご飯が別々)を、面倒なのでご飯の上に牛鍋の具を乗せたのが最初と言われています。

私が一番好きな丼は、カリッと揚がったトンカツに、半熟の卵がとろりとかかっている「カツ丼」です。またそれから派生して、群馬や福井で名物となっている「ソースカツ丼」もカツと新鮮なキャベツの2種類の歯ごたえがとても好きです。

こうした丼物は、西洋のサンドイッチやハンバーガーと同様、簡単に作れ、一気にサクッと食べられ、忙しいときや、何か作業をしながら片手間に食べるには最適です。

汁物、例えばラーメンやうどんなどでは、汁をこぼさないよう、また熱さでやけどをしないよう常に気をつけて食べる必要がありますが、丼ならよそ見しながらでも平気です。

昔は長時間麻雀をするときには、縁起を担いでということと、目を卓台から離さなくてもサクサクと食べられるのでいつも「カツ丼」でした。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

和食やラーメンなどならわかりますが、丼にもちゃんと業界団体「一般社団法人全国丼連盟」というのがあるのには驚きました。

「全国丼連盟は、丼文化の魅力を多くの人たちと分かち合い、丼を通じて地域の笑顔を増やし、“DONBURI”文化を世界に発信していきます。」とのことです。この宣言文、凡庸で印象に残らずこれじゃダメですね。

ここでは毎年「全国丼グランプリ」というのが開催されています。全国のB級グルメが勢揃いする「B-1グランプリ」は毎年大きく報道されますが、この丼グランプリは初めて知りました。きっとPRが下手なんでしょうね。

グランプリには「牛丼金賞」「うな丼金賞」「肉丼金賞」「豚丼金賞」「親子丼金賞」「天丼金賞」「メガ盛り丼金賞」「バラエティ丼金賞」と、8つのジャンルに分かれ、しかも各ジャンル金賞は7〜13店もの複数店が受賞しています。

2015年のグランプリ受賞一覧です。
丼グランプリ受賞一覧

賞の大判振る舞いゆえ、希少価値が乏しくせっかくのイベントが自滅しているって感じです。受賞数を増やせばそれだけ多くの店とその常連客も喜んでくれるという安易な発想から来ているのかも知れませんがまったくもって邪道です。

私の考える丼グランプリは、まず丼のジャンル分けを

◆肉系(牛丼、豚丼、親子丼、焼き鳥丼、おいだれ丼、さくら丼、すき焼き丼など)
◆魚介系(うな丼、深川丼、づけ丼、鉄火丼、ネギトロ丼、いくら丼、ウニ丼、なめろう丼など)
◆揚げ系(天丼、カツ丼、かき揚げ丼、唐揚げ丼など)
◆その他(中華丼、麻婆丼、カレー丼、衣笠丼、木の葉丼、ハイカラ丼、若竹丼、ロコモコ丼など)

の4つのジャンルだけ。

そして自薦と他薦から各ジャンルで応募を受け付け、その中から書類審査や口コミ、全国にいる認定補助メンバー等の評価で優秀店を5店舗程度に絞ります。その優秀店にあがった店には複数の公式認定審査員が覆面で実際に食し、それぞれ採点を行い、その中から1店舗(1丼)だけ金賞を受賞します。

採点の上下をカットして平均点を求めるとか、認定審査員の偏差値傾向(平均的に点数を高く点けるとか低く点けるとか)の調整も導入すれば完璧です(同じ審査員が全国すべてを回るわけではないので)。

また通称「丼ミシュラン」として、優秀賞を獲得した丼と店には☆を与え、複数の丼が受賞した場合にその☆の数が増える工夫とかも考えられますね。

丼ものは世界中のビジネスパーソンのあいだで拡がりつつある「お弁当(BENTO)」ブームとのコラボも可能で、日本のコンビニで売られているようなご飯と具が分かれていて、食べる直前にご飯の上にまぶして食べるというようなちょっと工夫したお弁当が今後世界で流行るようになるかも知れません。

もしそうすれば日本ではない、各地の名物と丼飯との出会いが起こり、トムヤンクン丼(汁多め)、とかトリュフ丼とか、ケバブ丼、タコス丼とかいろいろと新しい丼が生まれてきそうです。

もうすぐ定年で暇ができそうなので、パートタイムでいいから企画・広報委員として雇ってくれないかしら(笑)。


【関連リンク】
906 トクホが売れるわけ
817 カフェではない喫茶店の凋落
759 糖質ダイエットについての備忘録その1


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4月前半の読書と感想、書評 2016/4/13(水)

1016
三十光年の星たち(上)(下) (新潮文庫) 宮本輝

多くの作品を残す著者の2011年に単行本発刊、2013年に文庫化された長編小説です。1年に数冊は著者の作品を手に取りますが、まだまだ数多くの作品が未読なので、それらは老後の楽しみにしています。

この長編小説は、2010年に毎日新聞に連載されていた小説で、無難な仕上がりという感じです。著者はこうした新聞連載が割とお好きなようで、「ドナウの旅人」(1985年)、「花の降る午後」(1988年)、「朝の歓び」(1994年)、「草原の椅子」(1999年)、「約束の冬」(2003年)、「にぎやかな天地」(2005年)、「田園発 港行き自転車」(2015年)、「草花たちの静かな誓い」(現在連載中)など、多くの新聞連載小説があります。

今まで読んだ著者の21作品の中では、自伝的なライフワーク作品「流転の海」シリーズは別格として、初期の「道頓堀川」「青が散る 」、中期の「ドナウの旅人」「月光の東」「睡蓮の長いまどろみ」、割と最近の「にぎやかな天地」などがお勧めです。

「流転の海シリーズ」については、
4月前半の読書と感想、書評 2014/4/16(水)
に少し書いています。

さて、こちらの小説の主人公は親からは勘当され、一緒に商売をしていた恋人には逃げられ、商売の借金だけが残り、半ば自暴自棄に陥っている30歳の男性です。主人公が住んでいるのは京都の中心街にほど近い長屋になっている古いアパートです。

商売でお金を借りていた同じ長屋に住む老人に、借金が予定通りに返せなくなったことを正直に伝えにいきますが、借金を棒引きする代わりに運転手役を頼まれ、一緒に借金の取り立てに行くことになります。

その後は急展開して、老人の過去を知り、自分の今までの生き方、考え方が誤りだったことを教えられ、その老人がやってきたこと、これからやろうとしていることを手伝い、そして跡を継ぐ決意をします。

30歳まで散々な人生をおくってきた主人公が、貧困の中からの一発逆転人生というのはまずありませんが、そこは創造と楽観な小説の世界。主人公は資産家の老人に気に入られ成長していきます。

ちょっと話しが巧くいきすぎるかなとも思いますが、人生なんてそんなものかも知れません。チャンスをうまくつかめるか、見逃さないかという、分水嶺に立つことはよくあることです。

この著者の小説の中には、本題とはあまり関係のない、様々な雑学的な珍しい雑学的な話しが盛り込まれています。

この作品でも、料理の話し、陶芸や染色の話し、人工林の話しなど、別にすぐに役立つわけではないけれど、知っているとそれだけで人生にちょっとだけ深みが増すような知識が得られます。そうしたことも宮本文学を読む楽しみのひとつでしょう。

★★☆

著者別読書感想(宮本輝)


         

だから日本はズレている (新潮新書 566) 古市憲寿

著者は1985年生まれの作家、評論家ということで、報道ステーション始め、多くのテレビ番組にコメンテーターやゲストとして出演している若手論客という感じでしょう。

本書は2014年に発刊後、10万部を超える大ヒットとなり、若者の代弁者という立場?で、社会への不満、不条理、若者には理解しがたいオジサン文化や既得権益をわかりやすく論理的に説明をしています。

この本を出したときはまだ「20代の社会学者」ということで話題性がありましたが、現在はもう三十路で、これからが一番脂がのったの働き盛りでもあり、この人の真価が問われていくところでしょう。若くして著名になると、社会から注目される期間が長いだけに結構つらいものがありそうです。

学者としてまっとうな研究職に進んでいくのか、薄っぺらな評論家という名の電波芸者に成り下がっていくのか、それとも名誉欲と金儲けが巧い社会運動家として生きていくのか、後がないオジサンからすればどうでもいいですが、温かく見守っていきたいと思います。

目次をあげておくと、「リーダー」なんていらない、「クール・ジャパン」を誰も知らない、「ポエム」じゃ国は変えられない、「テクノロジー」だけで未来は来ない、「ソーシャル」に期待しすぎるな、「就活カースト」からは逃れられない、「新社会人」の悪口を言うな、「ノマド」はただの脱サラである、やっぱり「学歴」は大切だ、「若者」に社会は変えられない、闘わなくても「革命」は起こせる、このままでは「2040年の日本」はこうなる、と、ありふれてはいるものの、気になるワードを散りばめた、こんな感じ。

中でもしつこく書いてある、いかにもスマホも使いこなせていないオジサン達が無理やり考えたようなパナソニックのスマート家電とそのマーケティング戦略のバカバカしさ、昔から大企業・有名企業ばかりに群がたがる就活生の習性とそれを評価し認める社会など、面白おかしく世の中の不思議と不条理を取り上げています。

へぇ〜って思ったのは知らなかったのですが、「日本の若者は格差を感じていない」の項に書かれています。

それは「欧米の国の若者と違って日本の若者は日本社会で生きることにそれほど不満を持っていない」ということ。これは「国民生活に関する世論調査」のデータで、20代の若者は「今の生活に満足している」が78.4%に達しているとのこと。マスメディアは刺激的なタイトルをつけていつも逆の発信をしていますので多くの人はそれに惑わされているかも知れません。

私も気がついたらもう高齢者の仲間入り寸前のところまできています。こうした若者の実態を若者側から聞くことも少なくなっているので、たいへん勉強になります。

この著者、若いのに老成したところもあり、個人的にはまだまだ不満なところは多くありますが、案外いいセンいっていると思います。

このままメディアの軽いノリのオジサン方にいいように持ち上げられ、大金と名声をつかまされ、寝る間も惜しむ生活に翻弄されるようなことがなく、純粋に社会学や哲学の深淵を静かに学び、時には本を書き、時にはテレビに出てきてチクリと刺すという生活をおくり、やがては社会に影響を与えるような大物、鶴見俊輔氏のような評論家になってもらいたいものです。

★★☆


         

珈琲屋の人々 (双葉文庫) 池永 陽

殺人の前科を持ち8年間の服役を終え出所した後、亡くなった父親の喫茶店の跡を継いでマスターをやっている36歳の宗田行介が主人公です。

その喫茶店の名前は「珈琲屋」で、そこに集まってくる人々が1話ごとに変わっていく連作短編集です。初出は「小説推理」に掲載されたもので、単行本としては2009年、文庫は2012年に刊行されています。

この作品には「初恋」「シャツのぬくもり」「心を忘れた少女」「すきま風」「九年前のけじめ」「手切金」「再恋」の7編が納められており、その後、続編として「珈琲屋の人々 ちっぽけな恋」(2013年)と「珈琲屋の人々 宝物を探しに」(2015年)の同じく連作短編集がすでに発刊されています。

主人公の幼なじみで、元恋人だった女性がいったんは結婚したものの、離婚して実家に戻っていて、毎日のようにこの店へやってきます。この脛に疵を持つ二人の大人の恋がどのように収斂していくのかというのも、楽しみとなっています。

舞台は8割以上ちっぽけな珈琲屋の中で終始しますので、きっと安上がりなテレビドラマに向くだろうなと思っていたら、すでに2014年4月にNHK BSプレミアムでドラマが放送されていました。

主人公のマスター役に高橋克典、その他木村多江、八嶋智人、壇蜜などが出演していますが、原作とはだいぶんと内容が変わっているようです。

著者は今年66歳、団塊世代に属する人で、作家デビューは18年前の1998年ということですが、作品を読むのは今回が最初です。作品には今回の現代小説や、時代小説もあり、今後いくつかは読んでみたいと思っています。

★★☆


         

新・日本の七不思議 (創元推理文庫) 鯨統一郎

著者の実質のデビュー作でもある「邪馬台国はどこですか?」(1998年)の早乙女静香シリーズ第三作目で、2011年に文庫で刊行されました。

2011年8月前半の読書「邪馬台国はどこですか?」

2013年10月後半の読書「新・世界の七不思議」


上記の「早乙女静香シリーズ」は、いずれも面白く、登場人物の話しに引き込まれるように読めました。ただいずれも短編集でライトな雑学の範囲を超えるには至りませんでしたが。

今回の謎解きをおこなうのは、下記の7つです。( )は私の一言あらすじです。

「原日本人の不思議」(日本人はどこからやって来た?日本語のルーツは?)
「邪馬台国の不思議」(皆既日食が起きたため、卑弥呼が亡くなった?)
「万葉集の不思議」(飛鳥時代の歌人、柿本人麻呂は実在しなかった?)
「空海の不思議」(空海は日本人ではなかった?)
「本能寺の変の不思議」(能の敦盛を好んだ織田信長は予定通り50年で幕を閉じた?)
「写楽の不思議」(写楽は誰か?わずか10ヶ月で消えた理由)
「真珠湾攻撃の不思議」(

残念ながら前2作からすれば、全体に新鮮味とパワー不足がゆがめませんが、「原日本人」や「空海」についての謎は、ミステリーとしても十分読み応えがあります。前にも書いたけど、そうしたテーマでもう少し深掘りした歴史ミステリー小説も読みたいものです。

また本作に含まれる「邪馬台国」や「本能寺の変」については前作の延長戦みたいなところがありますので、前作を読んでからこの短編を読むことをお勧めします。

★★☆

著者別読書感想(鯨統一郎)


【関連リンク】
3月後半の読書 快挙、晴天の迷いクジラ、悪の教典、なぜ人を殺してはいけないのか―新しい倫理学のために
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グルコサミンやらコンドロイチンやら 2016/4/16(土)

1017
一昨日の4月14日(木)夜から昨晩にかけて熊本、大分を震源とする震度7〜6の地震が頻発しました。その後も大きな余震が続いているようで、被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。

神戸や東北、九州と、なぜか首都圏を外して大きな地震が起きていて、いつ来るか?と心配性ではない私でも気になるところですが、普段からの備えが必要なのだろうなぁと思います。

今年の2月には「災害用備蓄品について考える」を書いて、自らも備蓄を進めていますが、同時に本棚や食器棚の固定や釣り棚の安全対策などもやっていかねばと思った次第です。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

さて、本題ですが、15年ほど前から右の股関節が痛みだし、4年前の整形外科での診察でようやく「変形性股関節症」の診断が下り、その後は体重を減らしたり、しゃがむような姿勢を減らしたりと保存療法を心がけてきましたが、痛みは年々激しくなり、最近では問題がなかった左側の股関節にも似たような痛みが起きるようになってきました。

■過去の関連記事
119 なんだか神経痛?(2003年11月)
164 カイロプラクティック(2005年6月)
424 股関節唇損傷?(2010年8月)
433 股関節唇損傷についての続編(2010年10月)
597 足(股関節)を痛めてできなくなったこと(2012年4月)
602 ついに変形性股関節症の診断下る(2012年5月)
716 変形性股関節症は治らない(2013年5月)
924 高齢化社会で変形性股関節症が増加する(2015年5月)
965 とうとう杖を買いました orz(2015年10月)

本当ならば、この連続する痛みに対処するためには、そろそろ人工股関節を入れる手術も考えないとならないのですが、

1)入院、手術、リハビリなどで、仕事を最低で1ヶ月、術後が悪いと2〜3ヶ月休むことができるか?
2)60歳手前で人工関節を入れると、平均寿命と耐久性を考慮すると再び入れ替え手術が必要?

などの理由によりためらっているところです。

現役時代の健康保険組合と、会社を辞めてから国民健康保険で手術をするのでは自己負担割合が変わるのかなと思いましたが、70歳まではどちらも3割負担ということで変わりません。

逆に年金生活者など所得が低いほど高額療養費の補助が多く受けられ、実質の負担額は低くなりますから、現役時の手術より、引退後に受ける方がいいとも言えます。調べると股関節の置換手術の平均年齢は64.7歳だそうです。やっぱり引退後の65歳前後に受ける人が多そうです。

医者も「手術するならできれば65歳以降にしたほうがよい」と言うことで、なんとかあと7年ぐらいは騙し騙しでやっていければと思っていますが、特に寒い日などは、動かさなくてもジワーと、寝返りのため身体をひねるとギクッと痛むようになってきて、困ったものです。

痛むのは関節のクッションの役目をする軟骨がすり減っていたり、変形してなくなっていたりして、骨と骨が直接当たってしまうことによります。

なので、この軟骨を再生することができれば痛みはやわらぐはずですが、その方法としてはヒアルロン酸を直接間接部に入れる注射以外、その他の方法は現在の医学では確立されていません。そしてそのヒアルロン酸注入も必ずしも成果は上がっていない感じです。

私が4年前に行った整形外科でも、「痛くて我慢できなくなったら人工関節の置き換え」と言い切られてしまいました。

で、藁にもすがる思いで、無駄を承知の上、しばらく健康食品の「グルコサミン」と「コンドロイチン」を飲んでみることにしました。テレビや新聞の広告で、まるで痛い関節がすっかり良くなるかのようなあり得なさそうなアレです。

「グルコサミン」はグルコース(ブドウ糖)の一部がアミノ酸の特徴であるアミノ基という分子構造を持ったアミノ糖のことで、軟骨を構成するプロテオグリカンを作り出します。

「コンドロイチン」は軟骨の中や全身の細胞間に多く存在するムコ多糖、軟骨を構成するプロテオグリカンの中にある成分で、グルコサミンが元となって作られています。

いずれも経口(飲用)品としては医学的な効果は認められず、医薬品ではなく健康食品という扱いです。たまによくなった気がするっていうのも単なるプラシーボ効果とバッサリ斬り捨てられるのが通説です。

医療界では「これらの健康食品をいくら摂取しても胃で消化されるだけで、悪い骨の関節にわずかでも届くとは考えられない」と完璧にその効果は否定されています。

効かないという論拠としては下記のようなものがあります。

 グルコサミン、ヒアルロン酸、コンドロイチンの効用(All About)
(中略)グルコサミンはブドウ糖、ヒアルロン酸は澱粉、コンドロイチンは乳糖が基本構造です。経口摂取で体内に入った親水性の物質は、胃酸に強い物質の場合、消化、吸収されてから肝臓に行き、肝臓に直ぐに取り込まれなかった分は一定時間血中にとどまります。ちなみに胃は糖を吸収しませんが、小腸から単糖だけは吸収されます。
グルコサミンは、消化されずに吸収されます。ヒアルロン酸は消化されますが消化すると多糖ではなくなります。コンドロイチンは乳糖分解酵素がない人または少ない人では消化されずに体外に排出されます。
軟骨は関節内の液体、関節液から栄養を得ています。つまり関節液からしか軟骨には届かないため経口補給しても影響しないと考えられています。

ま、普通の医療関係者であれば、「過剰摂取しない限りは気休めのため副作用もないので飲んでもいいけど・・」的な感じです。

テレビや新聞では連日「グルコサミン」と「コンドロイチン」「ヒアルロン酸」をうたう健康食品の広告が花盛りです。これも超・高齢化社会独特の現象なのでしょう。

で、それらをすべて承知の上で、試しにAmazonで2ヶ月分のサプリを買ってみました。これから2ヶ月間飲み続けてみます。

グルコサミン&コンドロイチン・プラスMSM
グルコサミン&コンドロイチン・プラスMSM 180カプセル
海外直送品(Healthy Natural Products) 2,830円(2016/4/15現在)

「グルコサミン」と「コンドロイチン」はよく聞くけど、MSM(メチルサルフォニルメタン)ってなに?って調べると、質量の約34%がイオウ元素で構成された成分で骨や皮膚、細胞組織に必要なコラーゲンを健康に保つ働きがあり、痛みや炎症を鎮める効果が期待できるとのこと。また美肌によく、花粉症のアレルギーも抑えてくれるそうです。

ホンマかいな?と眉唾ではありますが、「関節によさそうなものをてんこ盛りにしてみました」っていう、いかにも大ざっぱなアメリカン的サプリです。

しかも1カプセルが通常日本の風邪薬などでよく見かけるカプセルのおよそ2割増しぐらいの大きさで、慣れるまで喉を通る時の違和感は感じます、が、すぐに慣れちゃいます。

面白い?のはカプセルを飲んだ後、ちょっと咳き込んだりすると、白煙のような白い粉がパッと飛び散ります。カプセルを飲んだ後はたっぷりと水を飲んでおかないと逆流しちゃうみたいです。

このサプリメントはアメリカからの直送ということですが、いかにも健康志向のアメリカWASPが愛用してそうな感じのカプセルで、3月時点の価格ですが2ヶ月分180錠(1日3錠×60日分)2,830円(税込み、配送料無料)と思ったほどは高くないかなって感じです。

実際の内容量は比較していませんが、世田谷自然食品の「グルコサミン+コンドロイチン」は1ヶ月分(240粒)で3,800円+税、サントリーウエルネスの「グルコサミン&コンドロイチン」は2ヶ月分(360粒)で7,020円+税です。これだけ値段が違うと言うことは、内容が日本の製品のほうが内容量や品質が高いのかも知れません。でも所詮は健康食品(サプリメント)、細かいことにはこだわらないようにします。

あと、アメリカのサプリは医薬品と区別するために、1日のお勧め量は書かれているものの、いつ飲むのがいいとかは一切書かれていません。

普通几帳面な日本人なら「朝食と夕食の後に2錠ずつ」とか書いてあれば、その通りに実行しないと、なんだか効き目が薄れるかもというメーカー推奨神話のようなものがありますが、それが書いていないとなると、さていつ飲もうか?って考えてしまいます。

注意書きが書いてないと言うことは、いつ飲んでも構わないのですが、私の場合は、朝食後に2カプセル、夕食後にも2カプセルと、1日3錠目安からちょっと多めに飲んでみることにしました。あまり細かなこと気にするな!ってアメリカンな感じです。

こうした健康食品サプリメントは、一度始めるとなかなかやめられなくなるかも知れませんが、関節痛が気候の変化(これから暖かくなる)やプラシーボ効果であったとしても、もし改善してくれればそれはたいへんありがたいことなので、細い藁にすがってみることにします。

また2ヶ月後ぐらいに報告します。


【関連リンク】
965 とうとう杖を買いました orz
906 トクホが売れるわけ
924 高齢化社会で変形性股関節症が増加する


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世帯構成の変化で売り方も変わるはず 2016/4/20(水)

1018
少し前の日経ビジネスに「凄い売り方」と題する特集がありました。ま、ビジネス誌では繰り返しよくあがるテーマで、別に珍しくもないのですが、その中の「大衆の消費を刺激する10の戦略」について少し触れておきます。

その「大衆の消費を刺激する10の戦略」はヴァンス・パッカード著の「浪費をつくり出す人々」(1961年刊)を元ネタにしていますが、中身を見ると50年以上経った今でも消費活動理論がほとんど変わっていないということに驚きです。

で、日経ビジネスの「大衆の消費を刺激する10の戦略」とは、

(1)使い切りにさせる(100円ライターや紙コップのような使い捨て商品)
(2)セカンドとして持たせる(小型掃除機、セカンドカー、セカンドハウスなど)
(3)単能化にする(総合感冒薬ではなく、鼻炎用かぜ薬とか咳止め薬とか)
(4)贈り物にさせる(クリスマスやバレンタインデーの贈り物需要)
(5)抱き合わせにする(スマホと有料アプリ、パソコンとプリンター、デジカメとメモリーなど)
(6)ためさせる(買ったり使うとポイントがたまる)
(7)旧式にさせる(クルマやテレビ、省エネエアコンなどのモデルチェンジ)
(8)予備を持たせる(電池や電球、調味料など)
(9)多く使わせる(食用塩やマヨネーズの口を拡げて一度にたくさん出るようにするとか)
(10)きっかけを与える(イベントやセール、キャンペーン)

だそうです。

現代版で付け加えるとしたら、ジレットのひげそりやプリンターのカートリッジのように、「消耗品を高く買わせる」という戦略や、「美男美女が白衣を着てコンタクトレンズや高価な医薬品を売る」などを加えるべきではないかなと思います。

なんと言ってもモノによれば電気シェーバーやプリンター本体よりも、替え刃やインクカートリッジのほうが高いというビジネスですし、頭はパーでも美女やハンサムで白衣を着た人のいうことにはコロッと騙されてしまい言うがままになってしまうという習性が消費者にはあります。美人やイケメンはそれだけで雇う価値があり、世の中って不公平にできています。

それはともかく、今回はその中から、2番目にあがっている「セカンドとして持たせる」という売り方について少し焦点をあてて考えてみました。

この「セカンドとして持たせる」とは「同じ役割、機能を持つ商品を2台目として買わせる」という意味ですが、大きなものではセカンドハウス(別荘)、セカンドカー、小さなものでは旅行用コンパクトカメラとか、ロボット掃除機や、冷蔵庫とは別にワイン用クーラーといったようなものまで、確かに様々なセカンド需要があります。

我が家でも見事にその戦略?にはまって、掃除機(普通のサイクロン式掃除機と、充電式タイプの小型掃除機)、冷蔵庫(大型の3扉冷蔵庫と子供用の飲み物専用で1扉冷蔵庫)、ミラーレスとコンパクトカメラ、デスクトップPCとノートPCなど、セカンド(2台目)を購入している製品がいくつもあります。

余分な買い物をしないもっとシンプルな生活を送りたいとは思っていますが、家族が増えていくと、なかなかそういうわけにはいきません。

・・・ん?

と言うことは、家族の人数が増えないと、この「セカンドとして持たせる」は通用しなくなり、需要が減ってくる可能性もあるのかな?

家族の増減を見るには世帯数と世帯人数の統計を見るとよくわかります。

国内では2005年頃から人口減少が始まりましたが、世帯数は2013年が50,112千世帯、2014年は50,431千世帯と、まだ若干ながら増加しています。

人口が減っても世帯数が増えていればそれだけ家電製品や生活用品の需要は高まります。ただそれはセカンド需要ではなくメーンの需要です。怖いのは人口減でさらに世帯数も減になったときに、いよいよ国内消費は完全に減少し、景気も冷え込んでしまうことになりそうです。

現在のところ、人口減で世帯数が増えていると言うことは、つまり1世帯当たりの人数が減少しているということになります。

わかりやすく言えば、子供が社会人となり家から出て行き、高齢者夫婦だけや独居が増え、さらに出て行った子供も結婚せずに単身で暮らしているとか。

セカンド需要は1家族の数が多いほどその需要可能性は高くなるので、逆に今のように減ってしまうとセカンド需要を掘り起こそうとしても難しくなってきます。ワンルームに住んでいる人が2台目の掃除機を買ったりはしません。

すでに日本では、セカンド需要よりも少人数世帯向け、わかりやすく言えばシングル向けの住居、家具、家電製品、日用品、食料品の需要が高まるってことになります。コンビニなどでひとり分の夕食用おかずや1/4サイズの野菜が人気というのもわかります。

世帯構造別の世帯数推移は、1986年(昭和61年)から2014年(平成26年)にかけて次のグラフ、表のようになっています。

世帯構造別世帯数推移
 出典:厚生労働省 平成26年国民生活基礎調査の概況

このグラフをみてわかるのは、夫婦と子供の世帯(緑)はこの30年近くやや下がり気味なのに対し、単独世帯(赤)と夫婦のみの世帯(オレンジ)が急増しているってことです。

また三世代世帯(青)は急落し、ひとり親と子供の世帯(紫)は増加となっています。平均世帯人数は30年前の1986年は3.22人だったのが、2014年では2.49人と、約20%も下がっています

こうした世帯人数の減少(≒家族人員の減少)は、セカンド需要に大きく影響しそうです。

単身の人や、夫婦以外の家族がいなければ、セカンドカーやセカンドハウスの需要は相当に減るでしょうし、家電にしても同じ機能の2台目を買うことはまずありません。セカンド需要は腕時計とかクルマとかの趣味的要素のあるものが中心となり、裕福な人が買うぐらいでしょう。

さらに世帯の高齢化が輪をかけます。高齢の人は若い人と比べると、消費行動も購買力も限定的で、新しいものを積極的に買ったりしません。

全世帯に占める高齢者世帯の割合は、同調査によると、1986年はわずか6.3%に過ぎなかったものが、2014年は24%にまで急増しています。

こうしてみると、世帯人数の減少&高齢化世帯の増加で、セカンド需要は壊滅的かもなぁって思ったりしています。

その他では「使い切りにさせる」ってのも、70年代、80年代の大量消費時代ならともかく、今は環境問題やらエコブームの中で「使い捨て」ってキーワードはタブー視されていますので、それが消費の拡大、刺激になるとは思えません。

こうした古くからの理論や発想をいつまでも捨てられずに、それに固執しコミットし続けていると、新しい時代に完全に取り残されてしまいますよ、日経さん。


【関連リンク】
972 大阪道修町と大阪万博
933 飛び込み営業について
787 世帯内単身者の増加が引き起こすかも知れない社会問題


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老人ホームについて調べてみた(1) 2016/4/23(土)

1019
私の住んでいる地域(神奈川県東部)でも明らかに高齢者住人の割合が増えていて、空き地や農地だったところ、そして普通のアパートやマンションだった跡地に、老人ホームが建設されるパターンが目に見えて増えてきました。

一般的に老人ホームや介護施設というと、高齢者が不自由なく終の棲家として余生を過ごす集合住宅の施設というイメージがあります。

しかし終の棲家となる長期間利用できる老人ホームは限られていて、大きく分けると、療養型(一時滞在)老人ホームと、終身型老人ホームに分かれるようです。

基本は自分の家(持ち家でも借家でも)で、できるだけ長く老後を過ごし、最後に身体の自由が利かなくなり食事など生活に支障が出てから終の棲家となる老人ホームに入るというのが望ましい形なのでしょうけど、なかなかそううまくいかないのが世の常です。

特に核家族化で老夫婦だけの生活であれば、夫婦のどちらかが健康を害すると、老老介護となり、日常生活がだんだんと厳しくなってきます。その結果介護付きだったり、医療設備付きだったり、3食サービス付きの老人ホームなどへ入居せざるを得ないという流れです。

また同じ老人ホームという名称でも、介護の要不要、運営母体が公共か民間かなど、様々な形態があり、それぞれに入居条件、サービス内容、入居できる期間、入居(利用)費用が違ってきます。こうしたいくつもある施設で、入居できる条件や、費用負担の差などがまたややこしいです。

ここではあまり細かく分類すると、役所の案内書のようにわかりづらくなってしまいそうなので、大ざっぱな話しにとどめておきます。いずれ自分もお世話になるかもしれないので、その備忘録的見地という位置づけです。したがって細かな点では、例外があったり、地域によって差があったり、いくらでもつっこみを入れることができますが、それはご勘弁ください。

老人ホームの種類や特徴は、下記のサイトが割とわかりやすく書かれていますのでご参考に。
老人ホーム・介護施設の種類と特徴」(HOME'S介護)

 ◇ ◇ ◇

まず今回は、その中でも公的な老人福祉施設について調べたことをまとめておきます。

高齢者が利用できる公的な福祉施設としては、自活できる人向けの「福祉施設」と、介護が必要な人向けの「介護保険施設」と2種類があります。

「福祉施設」としては「養護老人ホーム」と「ケアハウス(軽費老人ホーム)」があり、それぞれに入居できる条件等が決まっています。介護が必要な場合は「介護保険施設」の利用となりますが、それらとの境界線は、どうも曖昧なところがあるようで簡単には表せません。

どちらかと言えばこの「福祉施設」は身寄りや安定収入のない高齢者で、例えば生活保護を受けているような方が多いように思えます。必ずしもそうでない人も多くいらっしゃるとは思いますが。

公的な介護保険施設には「特別養護老人ホーム(特養)」、「介護老人保健施設(老健)」、「介護療養型医療施設」という3つの形態の施設があります。

聞くことが多い「特別養護老人ホーム」は、心身の病気(障害者)や高齢で介護が必要な場合に、その要介護の度合いによって利用することができます。

費用も安く初期費用は0円、月額費用はおよそ5〜13万円となっています。なんと言っても初期費用が不要かつ月額も安いというのが絶対的魅力です。月額は本人の年金でなんとかまかなえそうですから、家族の負担もあまり必要となりません。

もし十分な蓄えがない高齢者でも、いざとなればここに入れるというルートが確立されていれば、老後の不安というものがずっと減り、死ぬその時まで「老後のために」と貯蓄に励むようなことがなくなるのでしょうけどね。

また社会問題化しつつありますが、高齢の父親や母親が要介護者となり、その看護や介護を子供がしていると働けず、親子共倒れになってしまうので、なんとかこうした施設に預けたいけど、なかなか受け入れてもらえないというパターンがあります。

それは高齢化のスピードが急すぎて(当然何十年も前からわかっていたことですが)施設の数が十分でなく、要介護の人は増え続けていますので、まったくその数が不足していて、実際には何年待っても入居ができないというのが実情です。

「特養」は全国に7,865箇所あり51万6千の居室があります(2014年度)。

それでも現在で全国でなんと50万人を越す人が待機しているという話しもあり、よほど運とツキと強いコネがないと、申し込んでも数年のあいだに入居できる見込みは薄いようです。入れた人と入れない人(の家族)の格差が今後あからさまに生じてきそうです。

平均すれば1施設の居室は66部屋で、1施設あたり平均すると約60名以上の待機者がいますので、それはいまいる入居者全員が亡くなってから、ようやく最後に並んだ自分が入居できるという勘定になります。さらに入居は必ずしも並んだ順ではなく、緊急性が高いと判断される場合もあり、そのあたりのことはよくわかりません。

待機者をなくすには、現在ある「特養」の同じ数を作ればとりあえずは間に合いますが、現在すでにそれだけの予算がないのと、団塊世代が75歳以上になる10年後にはおそらくまた数十万名の待機者が新たに増えることになりそうです。

少し前に「保育園落ちた、日本死ね」のブログが盛り上がっていましたが、同時に要介護の高齢者とその家族にとっては「特養入れず、日本死ね」と言いたくなりそうで、これからますます大きな社会問題となっていきそうです。

なぜその「特養」が人気なのかと言うと、公的機関の運営で料金が安いことが一番の理由ですが、年齢に関係なく重度の要介護者用の施設で、現実的にはそこを出ると他では暮らせないので、終身で利用できることが本人や家族にとって大きな魅力だからでしょう。つまり要介護者の終の棲家であるわけです。

また医療の高度化により寿命が伸びるのにしたがい、寝たきりの状態でも、長生きをする高齢者が増えてきていて、そのため入居者の入れ替わりが少なく、したがって部屋に空きが出ないということです。

その点「介護老人保健施設」は、同様に公的機関の施設で料金も安いのですが、在宅復帰の短期利用を目的とする施設なので、3ヶ月ごとに状態の審査があり、復帰可能と判断されると退所を求められます。費用は初期費用が0円、月額費用はおよそ8〜13万円です。

「特養」のような終身とか長期の利用ができない仕組みになっている分だけ入所者の入れ替わりがあり、「特養」と比べるとまだ入りやすいのですが、病院と同様、一時避難的な施設とも言えるでしょう。

「老健」は2014年度で全国で3,994箇所、34万9千の居室数がありますが、それでも施設によっては数百名の待機者がいるようです。それでもこちらは終身の「特養」と違うので、地域によるでしょうけど、待機する時間はまだマシなのかも知れません。

「介護療養型医療施設」はより重度の介護が必要な場合等に入所できる公的機関の施設ですが、医療を目的とする施設なので、「特養」のように終身利用は想定しておらず、「老健」同様改善したと認められると退所を求められます。2014年度で全国に1,575箇所、7万3百の居室があります。費用は初期費用が0円、月額費用はおよそ9〜17万円となっています。

いずれにしても公的な施設では、重度の介護や緊急の医療が必要な場合を除き、入居は期待薄と考えた方がよさそうです。また「老健」や「療養型医療施設」に一旦入居ができても、それは一時的なもので、そこで長期間暮らせるわけではないので、その次を考えておかねばなりません。

高齢者の場合、若い人と違い、しばらく療養したからと言って、すっかり改善するってケースは少なく、老化と共に徐々に悪化していくのが普通です。それなのに、「多少改善したから退所」と言われても、働きながら介護をしなければならない家族としては困ってしまうでしょうね。

となると、やっぱりお金はかかりますが、民間の有料介護付き老人ホームということも考えておかなければなりません。それは次回に。


【関連リンク】
999 覚悟の地方移住か都市部で介護難民か
889 公的な高齢者移住計画は成功するか?
888 火事と高齢化社会の因果関係


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老人ホームについて調べてみた(2) 2016/4/27(水)

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前回は公的機関が運営する老人ホームについて書きましたが、今回は民間の老人ホームについてです。

高齢でも自宅があり、家族が同居していて、心身ともに健康であれば、あえて老人ホームに入居する必要はありません。また家が老朽化し日常生活をおくる上で不便であったり、日用品等の買い物が不自由な場合は、また別の公的な支援、居宅支援サービス等が受けられます。

政府としても要介護の高齢者増加に対応し、負担の大きな医療や介護施設を増やすのではなく、できるだけ自宅療養、自宅介護を推進していく方向でまとまっています。

しかし寝たきりの高齢者や、徘徊をともなう重度認知症高齢者など、自宅で24時間介護をおこなうのは無理という場合、まずは安い公的施設を頼り、その長い順番に愕然として、それから民間の有料介護施設を探すというパターンが多くなるのでしょう。このあたりは長い順番待ちの認可保育園と有料の認可外保育園と同じような関係です。

高齢者が先を見越して自分達で老人ホームを探して率先して入ってくれると、その家族は大いに助かるわけですが、そうした高齢者は極めて少ないでしょう。

それは住み慣れた環境や、知人・友人のコミュニティなどがあり、それら一切を捨てて新しい環境に入っていくには年を取りすぎたと言う堂々巡りの話しになってしまいます。また高齢者は一般的に保守的になりますから、そのような新たな環境を望みません。

多くの場合、長く住み続けている家で、不自由な暮らしでも耐えて住み続け、老夫婦のうちどちらかが倒れて寝たきりとなってしまい、24時間介護が必要になると、そこで初めて老人ホームの入居を考えるということになりそうです。

それは調べてみてわかったのですが、老人ホームの部屋はほとんどがシングル仕様で、夫婦で住むという部屋はかなり少ないことからもわかります。つまり配偶者が寝たきりになったり、亡くなってから入居する人が多いということです。

その民間の有料老人ホームですが、「介護付有料老人ホーム」「住宅型有料老人ホーム」「健康型有料老人ホーム」の3種類があります。

公的機関がおこなっている介護施設だとおよそ月額7〜10万円程度ですが、民間の施設は安くても月額12万円以上で、さらに入居時に数百万円〜数千万円が必要なところが多いようです。費用の高さはサービスの充実度、環境の快適性などと比例し、直結しています。

「介護付有料老人ホーム」・・・初期費用は0〜数千万円、月額費用はおよそ12〜30万円
「住宅型有料老人ホーム」・・・初期費用は0〜数千万円、月額費用はおよそ12〜30万円
「健康型有料老人ホーム」・・・初期費用は0〜数億円、月額費用はおよそ10〜40万円

多いのは「介護付有料老人ホーム」(3,308箇所、203,914居室)と「住宅型有料老人ホーム」(5,100箇所、143,466居室)で、「健康型有料老人ホーム」はまだ16箇所、611居室しかありません(出典:2014年厚生労働省「介護を受けながら暮らす高齢者向け住まいについて」)。

「介護付」と「住宅型」との違いは、要支援度が高い場合は、常駐の介護士を置く「介護付」の施設を選ぶことになり、比較的自立生活がおくれる高齢者、必要なときだけ介護サービスを受ける「住宅型」となるようです。

「住宅型」の場合は介護士は施設には常駐していないので、要介護の割合が高くなると、対応が厳しくなるのと、個別に頼むと別途追加の費用がかかることになります。

つまり当初は要支援度が低く「住宅型」に入ったものの、加齢や認知症が悪化したりして要支援度が上がった場合、「住宅型」では対応できず退所を求められることがあるそうです。健康に不調を抱える高齢者とその家族にとっては、その選択は悩ましいところでしょう。

次に、有料老人ホームの枠外で、「サービス付き高齢者向け住宅」(4891棟)、「グループホーム」(12,537棟)、「シルバーハウジング」(883棟)という施設があります。

健康な高齢者が入れる小規模な「サービス付き高齢者向け住宅」と「グループホーム」は比較的価格が低く抑えられており、数も増えてきていますが、それぞれ運営する規模が小さいところが多いだけに、その施設やサービスの品質にはピンキリありそうです。

初期費用はどちらも初期費用0〜数百万円、月額費用はおよそ15〜30万円です。

健康を害した場合や当初から介護が必要な場合は、公的な施設の「特別養護老人ホーム」を申し込み、そこがダメなら要介護度に応じて民間の「介護付・住宅型の各有料老人ホーム」を申し込むというパターンが多そうですが、比較的健康であれば「サービス付き高齢者向け住宅」や「グループホーム」など範囲は拡がります。

もちろん民間施設の場合、地域や設備、サービス内容によって、様々な料金体系が設定されており、高級ホテルのような施設もあれば、ベニヤ板で1部屋を間仕切りをして部屋数を増やしているような(たぶん違法)施設まで様々です。

さらに最近は「無届け介護ハウス」というものが急増しています。

「無届け介護ハウス」は、法律で義務づけられた届け出を行わないまま、空き家などで高齢者に介護サービスを提供する、有料老人ホームのことで、一概に問題とは言えないまでも、様々な問題を抱えていることも確かなようです。

無届け介護ハウス 全国1650超で過去最多に(NHK)
背景には、特別養護老人ホームなどの公的な施設が足りず、介護が必要になっても自宅で暮らすことが難しい1人暮らしなどの高齢者の増加があるとみられます。都道府県別で最も多いのは、北海道で523件、次いで神奈川県が112件、愛知県が107件などとなっています。

お金がなくて民間の介護付き老人ホームに入れない場合、公的な「特養」などの長い順番待ちをせざるを得ないわけですが、その待っている間はどうすればいいのかって言うと、こうした無届けでも安価で介護をしてくれる民間施設を利用するしかないというのが現状です。

当然、民間企業経営の施設は利益を上げることが目的ですから、都市部にありながらも安くてサービスが充実ということはほぼ考えられません。ある程度のサービスの質を求めるのであれば、高級ホテルや旅館住まいに匹敵する以上の費用がかかることを覚悟しておかなければならないでしょう。

夫婦とも健康でいればいいのですが、片方でも重度の介護が必要となると、老老介護にも限界があり、介護サービス付きのホームに頼らざるを得ません。

「介護付き老人ホーム」に夫婦の年金の範囲で入ることが可能なのは公的施設の場合で、都市部だと民間の施設の場合だと年金だけですべてを賄うのはまず厳しそうです。

そうなると多くの人は、老後のために蓄えた貯金を崩していくか、あるいは自宅を売却し、そのお金を入所一時金や月々の不足分に充てることが必要になってきます。ただこれもあと何年生きるか(=住み続けるか)というのがわからないだけに、子供達からの資金面での援助がないと、厳しいものがありそうです。

そう考えると、なんとしてでも、健康で自立できる老後がおくれるようにしておかなければ、今後は公的な支援がほとんど期待できない状況では、非常に苦しい老後が待っていることになりそうで、憂鬱になってきそうです。


【関連リンク】
946 介護人材を増やす
876 介護にまつわるあれこれ
865 仕事と介護の両立という難題


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4月後半の読書と感想、書評 2016/4/30(土)

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放浪記 (新潮文庫) 林芙美子

著者は明治、大正、昭和とめまぐるしく変化する日本を生きて、多くの詩や小説を残してきました。その中の代表作とも言える本書は最初1930年(昭和5年)に単行本が発刊され、その後何度か改版、新装され続け、現在に至っています。

発刊当時は第1次世界大戦後で軍事国家が支配しつつある日本で、婚約者に裏切られながら、貧困の中で、必死にもがいて生きていく筆者の日記を元としています。

2012年に亡くなった森光子が亡くなる寸前まで帝劇等の舞台で演じていたのがこの作品の演劇で、2015年からは仲間由紀恵が跡を継ぎ主人公役を演じています。ちなみに演劇の中で注目される「でんぐり返し」の場面は、本書では出てきません。

本作品は小説ではなく、日記を本にしていますので、日付とその時々の様子や筆者の考えなどが赤裸々と言うか遠慮会釈なく、この時代の女性にしてはいたって明るく奔放な様子が書かれていて、読む者を引きつけていきます。

ただ、時代が時代だけに、この頃の女性の労働環境や、貧しい地方から東京へ出てきた苦労などは、今からは想像できないぐらいに違っていて、そうしたことを理解しながら読むのにはちょっとした想像力なども必要です。

こうした明治から大正時代の実録職業婦人の記録は、ほとんどないでしょうから、歴史的な価値はもちろんのこと、研究論文の参考図書としても十分利用できそうです。

ただ、一読者として読むのには、日記が書かれている日が飛び飛びで、次々出てくる内容の関連性がわかりにくく、また小説ではないのでストーリーが一気通貫してはなく、その当時の時代背景の説明もないので、それを理解して読み進めていくのは結構つらいものがありました。

自分で日記を書いてもたぶんそうなるでしょうけど、「旅をした」とか「就職した」とか、大きな変化があったときは細かに書いても、日々淡々と過ぎてしまうと何ヶ月もすっぽりその部分は抜け落ちることになります。

あの大きな関東大震災が起きた時も、本書では震災の数日後にちょっと触れられているだけで、それよりも日々の生活がたいへんって感じの書き方でした。ちょっと肩すかしをされたような感じです。

★★☆


         

しない生活 煩悩を静める108のお稽古 (幻冬舎新書) 小池 龍之介

2014年に刊行された新書で、30代の現役の若いご住職が書いた仏教的生き方の知恵みたいな感じの本です。

章立ては5つからなり、合計108つの「しない」が書かれています。というか108つのエッセイと言ったほうがいいかも知れません。その5つの章は、「つながりすぎない」、「イライラしない」「言い訳しない」、「せかさない」、「比べない」です。

以前読んだことがある仏教の教えについてわかりやすく解説したひろさちや氏の「仏教に学ぶ八十八の智恵」(1983年刊)とも共通するところがあるなぁと思いながら108つの煩悩?を一気に読み進めました。

中では53番の「ネットを断って一人に立ち返ることこそ、最高の安息」はちまたでもよく言われていることですが、現代のネット依存に対してあらためて考えさせられる内容です。

「つながり過剰に情が縛られたら己を見失う。つながり過剰にその恐れを感じて、犀の角のように孤独に歩むように」は経集の自由訳からですが、名言です

若い著者ですので仕方がないのですが、文章の中に「トホホ・・・」とか「にっこり」というネットでよく使われているスラングががやたらと使われていたりして、ちょっと幻滅。

そこまでして若い人の流行に合わせなくてもいいのではないかな。読んでいてなんだか痛々しく感じてしまいます。本来なら編集者が遠慮なくスパッとつまらない意味のない言葉はカットしてしかるべきことですが、編集者の毅然とした力も最近は弱まっているのでしょうかね。

★☆☆


         

名もなき毒 (文春文庫) 宮部みゆき

誰か―Somebody」の続編にあたる「杉村三郎シリーズ」第2弾の長編小説で、元々は新聞で連載されていた小説で、2006年に単行本が発刊されています。

2013年には前作とともに連続テレビドラマ化がされて放映されました。主人公役には著者の指名で小泉孝太郎だったそうです。

宮部氏ぐらいの大物にもなるとドラマの主人公役が指名できるのですね。そういうのはプロに任せておいたほうがいいと思うのですが、映画「模倣犯 」でも不満を表したとか、なかなか自我の強い人なのでしょう。

そしてこのシリーズは、すでに第3弾として「ペテロの葬列」が2013年に発刊されています。また読まなくっちゃ。

2013年6月前半の読書 「誰か―Somebody (文春文庫)」 宮部みゆき


主人公の杉村三郎は弱小出版社で児童書などの編集の仕事をしていましたが、その時に偶然知り合い恋仲になった女性が大企業オーナーの娘で、結婚をする条件に父親の大企業へ転職することを約束させられ、オーナーの義父直轄の広報室勤務という、いわゆる世間的には逆玉の男という変わった設定になっています。

今回の活躍の場は、大きくふたつあり、ひとつは主人公が勤めている広報室でバイトとして働いていたエキセントリックな女性を解雇したことで起きる様々な問題。

もうひとつが、上記の解雇した女性の職歴等を調べている中で、偶然知り合った女子高生とその母親が、当時世間を騒がしている連続青酸カリ毒物事件の被害者遺族だったことから、その事件の真相にも関わっていくことになります。

また並行して住宅地の土壌汚染や建築材のシックハウス問題も出てきたりしてお腹いっぱいになりそうな盛りだくさんの内容です。

そしてクライマックスでは主人公の子供が危機一髪のスリリングな展開が待ち受けていますが、安っぽいテレビドラマじゃあるまいし、原作で果たしてここまでする必要があったのかはちょっと不自然な感じもします。

★★☆

著者別読書感想(宮部みゆき)

         

青春の彷徨 高橋 寛治

2012年に発刊された「青春の彷徨」「幻想の断崖」「めぐり来る春」の3編の中編小説が収録された単行本です。発刊から4年が経ちましたが、文庫化はされないのかな?

「青春の彷徨」の主人公は東大へ通う大学生で、学生運動が盛んで、普通の家に下宿をするという時代ですから1960代後半頃の話しでしょうか。

その下宿先というのが、家の1階で書店を営む、夫を病気で亡くした女性と、その子供の女子高生の二人住まいの家です。

主人公は女子高生に勉強を教えたり、映画を見に行ったりと仲良くなっていきますが、夏休みを終えて下宿に戻ると娘は軽井沢の友人の別荘へ出掛けていて、艶めかしい夫人と一線を越えてしまいます。

ま、それだけの話しなのですが、やがてはその関係が娘にも気づかれてしまい、、、とよくあるパターンで、それが「青春の彷徨」かと言えば、えらく時代的で大げさなと思わなくもありません。

「幻想の断崖」は小学校の教員の主人公が、夏休みの嵐の夜に上野発の夜行列車で金沢、能登半島へ向かいます。そこで知り合った訳ありの女子大生と高校生の姉妹。

旅から戻ってから話しを聞くと、姉妹は大金持ちの事業家の娘で、父親が愛人を作ったことで母親が自殺し、それを許さない女子高生の妹が登校拒否となってしまったことを知ります。

教師の端くれとということで、その一家というか妹を立ち直らせるために、様々な協力をすることになりますが、特に盛り上がることもなく、不幸中の幸いでハッピーエンドっていう感じ。どうもまとも過ぎて、あと一癖二癖の工夫が足りないような気がします。

「めぐり来る春」では国語の高校教師が公園で知り合った子連れの女性の離婚騒動に巻き込まれていくという話しで、その離婚係争中の旦那の暴力的性格と、女性が経営している飲み屋の客で女性に横恋慕する男がストーカーさながらで、薄気味悪いったらありません。

私の夢にまで出てきてうなされましたので(笑)、たぶんその異常的行動が真に迫っていたのではないかと思っています。

あとがきを読むと、65歳になって初めて書いた小説ということで、なるほど、ベテラン小説家のように、いかにも読者を引きつけるテクニックや緻密なプロットはないものの、素人は素人らしく、素直に淡々と書かれた話しだなって感じは受けました。このまま文庫化もされずに埋もれてしまうのはなにか惜しい気もします。

★☆☆


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