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日本の農業はどこへ向かうか マイカーで東京から京都まで旅行する場合 ゴルフをプレイしている人の年代層割合に驚いた 世界と日本の宗教別信者数 2021年版出版社不況 客員教授と非常勤講師ってなんだ? ロバート・B・パーカー「スペンサーシリーズ」全巻まとめ 窓ガラスの熱割れで火災保険は使えるか? 天然素材でも綿はよく燃えるらしいことがわかった やっとのことでJ:COMを退会した 貯まった1円玉はどうする? 自動車整備士に未来はあるか? 液晶テレビが壊れた件 リタイア後の心配事 運転免許証取得者は意外にも増えている 著者別読書感想INDEX −−−−−−−−
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リストラ日記アーカイブ 2018年5月 読みやすいようにアーカイブは昇順(上から古いもの順)に並べ替えました。上から下へお読みください。 日記INDEXページ(タイトルと書き出し部の一覧)はこちらです |
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---------------------------------------------------- 4月後半の読書と感想、書評 2018/5/2(水) 1222 夜明け前の死 (新潮文庫) リチャード・ドイッチ 2014年刊の長編ミステリー小説です。主人公は元警察官で今は地方検事、妻と子がいる典型的なエリート一家です。 しかし妻の職業はFBI捜査官で、その父親は元FBI長官という、いかにも凶悪な犯罪に巻き込まれそうな予感がする家族でもあります。 この小説、過去と現在が入り交じり、さらに精神障害による妄想や、事件を隠蔽するための壮大な策略、未来を予言する人物など、もうなにがなにかよくわからない展開です。 こういう通常の理解を超えた作品が好まれているのも知っていますが、私はどうもスッキリしないので読んで損したという気分です。 なにかにつけて、犯罪小説には、国家権力、サイコパス、超能力者、天才ハッカーなどが便宜的に常連として使われていますが、この作品には天才ハッカー以外の要素が含まれています。 そんなわけで、個人的にはお勧めしない作品です。 ★☆☆ わが心のジェニファー 浅田次郎 2015年刊の長編小説です。比較的時代物の作品が多い中、現代日本の観光をテーマにした一部紀行とも言えるコミカルな内容となっています。 主人公はウォールストリートで働いているエリート男性。独身ですが、両親は子供の頃に離婚したまま行方不明、その後は祖父母に育てられ、両親に捨てられたとのトラウマがずっと残っています。 しかし育ててくれた祖父はアメリカ海軍の元将軍で、金銭的にも社会的にも恵まれた人生をおくっています。 そしてパーティで知り合った女性に恋をして、プロポーズをしますが、その女性は何度も日本を訪れ、文化や歴史に詳しく、ぞっこん惚れていて、「結婚する相手は同じ価値を共有できなければ」と、男性にスマホもPCも持たず、しばらく日本の文化を感じて共通の価値観を持って欲しいと条件が付けられます。 そこで、たまった休暇で、ひとり日本へ旅立つわけですが、2種類の旅行ガイド(ひとつはまっとうなガイドで、もうひとつはぶっ飛んだガイド)を元に、京都、大阪、別府、東京、北海道へとなにかに導かれるように各地を巡ります。 その間、ずっとアメリカで待ってくれている?彼女に「Jennifer On My Mind・・・」と手紙を書き始めます。 アメリカ人を主人公にして、最近テレビでやたらと見かける脳天気な「Nipponすげー!」「クール!Japan」的な番組とどこか共通する、日本再発見的な匂いがプンプンして、著者らしくないな〜って気もします。残念ながら。 いっそ翻訳して、それこそ外国人が日本を旅行するなら、こうした様々な観光地とうんちく話しを知った上で、妙齢の女性が飛び込んできてくれるかもよーって変な期待を煽っておけば、経済産業省あたりから感謝状でも贈られるかもしれませんね。 最後に少し泣かせる?場面も用意されていますが、私はまったく泣けませんでした。 昨年の9月に「黒書院の六兵衛」を読んで以来の著者の作品ですが、どうも最近は「蒼穹の昴」や「壬生義士伝」のような、私の好きなタイプの作品が減ってきたように感じます。作風が変わりつつあるのかな。 ★☆☆ ◇著者別読書感想(浅田次郎) ラブレス (新潮文庫) 桜木紫乃 2013年に「ホテルローヤル」で直木賞に輝いた著者の2011年の長編大河作品です。北海道釧路市出身ということもあり、この作品も釧路周辺が舞台となっています。 少し前に有吉佐和子著「紀ノ川」を読みましたが、そちらが裕福な素封家に生まれ育ち、子育てする女性の一生とすると、こちらは北海道開拓村の極貧の中で生まれ育った女性の波乱の一生です。 時代は昭和の戦後まもなくから始まり、主人公の子供世代から現代まで続きます。 とにかく親が貧しく教育もないため、暗くて非情な話しが延々と続きます。ま、遠く離れた地方では、そういう時代も確かにあったのでしょう。読み進めるのは結構重たく息苦しさを感じます。 救われるのは主人公が誰もが褒める抜群の音感や歌唱力をもち、それが後に引き裂かれる最初の子供にも引き継がれていくことかな。 Every Little Thingのメンバーでギタリストとしても有名な伊藤一朗氏が、NHKの番組の中で「衣・食・住に関わりのない音楽をこの先やっていっていいのだろうか?(食えるのだろうか)」という悩みがあったことを告白してましたが、戦後の食うや食わずの時代に音楽の才能を生かして食っていくというのはかなり厳しい選択だったろうなと想像が付きます。 主人公は、昼は仕立ての仕事でミシンを踏み、夜はキャバレーやクラブで歌手として演歌も歌えば客のリクエストに応じて何でも歌うという過酷な環境の中でひとりで子育てをしていきます。 時代背景はほとんど描かれませんが、大人になってからは高度成長期に入って、地方にもその恩恵が次第に行き渡ってきた頃ですが、そうした中でもがき苦しみ、最後には少しホッとさせられるエンディングが待っています。 ★★★ ◇著者別読書感想(桜木紫乃) 「できる人」という幻想 4つの強迫観念を乗り越える (NHK出版新書) 常見陽平 2014年刊の新書で、この前後には年間数冊というハイペースで次々とほぼ同じような内容の新書を刊行するという離れ業を繰り出している元リクの才能ある方です。 この著者の立ち位置は、若者に就職や仕事についてのアドバイスをおくる「働き方評論家」で、最近はテレビなどにも出演し、その地位を確立しつつあります。 この新書では、会社に入ったあと、会社から求められ若い人が大きなストレスにさらされる4つのキーワード「即戦力」、「グローバル人材」、「コミュ力」、「起業」について過去の入社式の社長訓示や、流行語、サラリーマン川柳、新聞掲載頻度などを用いて解説しています。 内容的には若い人におもねっている?という感じもしますが、そう思うってことは、私自身がもう若くないという証拠でもあり、会社の中ではすでに老害になっているのかなぁと思わずにいられません。 結局それら4つの強迫観念は、正面切って乗り越えるのではなく、柳の枝のようにしなやかにうまくやり過ごせって感じもしますが、どうなのでしょう。 ★★☆ 【関連リンク】 4月前半の読書 土漠の花、限界集落株式会社、明烏―落語小説傑作集、懐かしい日々の想い 3月後半の読書 内なる宇宙(上)(下)、日本人の誇り、恋歌、怪談 3月前半の読書 その癖、嫌われます、失われたミカドの秘紋、盲目の預言者、追伸 ---------------------------------------------------------- 古い住宅地の駐車場には 2018/5/5(土) 1223 近所の住宅地をウォーキングしていて思うのですが、新しいマンションの駐車場や新築の大きめの家は1台の駐車スペースがゆったりと取られていたり、立体式の駐車場でも割と幅に余裕が持たせてありますが、昔の一戸建て住宅の駐車場は、大きな邸宅でもなければ、その駐車スペースはこぢんまりとしたサイズです。 概ね郊外の一戸建て住宅街は、いま70歳前後の団塊世代が、結婚して子供ができた30〜40代に購入したものが多く、それは今から30〜40年前に建設、分譲されたところが多くあります。 つまり1970年代から1980年前後に建築された一戸建てが多いわけですが、当時の駐車場付き一戸建てはまだバブル前の頃で、郊外地域なら土地代もそれほど高くなく、ローンを組めば比較的簡単に手に入った時代です。 そうした郊外の住宅地のカースペースは、当時の普通のサラリーマンが買えるクルマに合わせたサイズで作られています。 1980年前後によく売れていたクルマと言えば、マツダファミリア(FF2ボックス)、トヨタカローラ(AE85、86)、トヨタマークII、日産プレーリー(元祖ミニバン)、日産セフィーロ、ホンダシビック、アコードなど、5ナンバー小型車と軽自動車がメインです。 なんと言っても、トヨタクラウン、日産セドリックなど高級車と言われているクルマでさえ5ナンバーサイズだった時代です。 つまり、当時の一戸建て住宅の駐車スペースは、それら5ナンバー小型車がギリギリ収まるサイズで作られていたと言うことです。 ちなみに私が26年ほど前に買った一戸建てのカースペースも、5ナンバーサイズに最適化されており、3ナンバー車でも無理をすれば停められますが、出入りするために何度か切り返しが必要だったり、横に十分なスペースがないので、ドアが大きく開けられなかったりして不便この上ありません。 最近建て替えをしたばかりの一戸建てだと、駐車場のスペースも現代のクルマのサイズに合わせて考えられているでしょうけど、昔のままの建物の場合、駐車スペースも当時のままの場合がほとんどで、その中に、現在の大型化した3ナンバー車を無理矢理押し込めるのは結構つらいものがあります。 そんなことを前からツラツラ考えていた時、ちょっと調べものがあり読んでいた8年も前の2010年刊のカーグラフィック誌に、当時の編集長(塚原久氏)が同じようなことをコラムで書いていました。
そうした古い住宅の駐車場だけでなく、日本の道路や施設の駐車場は小型自動車か、場所によっては軽自動車に最適化されて作られています。少なくとも1980年代まではそうでした。 今でも最大幅1700mm制限のある道路が普通にあり、スーパーの駐車場で、3ナンバー同士が隣り合わせで並んで停めるとドアがほとんど開けないようなところがいくらでもあります。 そうした5ナンバーに最適化された道や駐車場で、大きな3ナンバー車に乗って、モタモタしているドライバーによく出くわします。 国内で発生している渋滞の何分の1かは運転が下手なのに大きなクルマに乗り、取り回しの悪さや、大きな幅が影響し、それで周囲に多大な迷惑をかけているせいではないかと思っています。 1980年代後半から1990年代はじめのバブルで日産シーマやトヨタセルシオなど3ナンバー専用車が続々と出てきて、その流れのまま、あの小さくてかわいかったシビックですら今や堂々たる3ナンバー車です。 まもなく登場するらしいあのカローラも、とうとう3ナンバーになるそうです。シビックもカローラも日本より海外でより売れるようになったので、日本のユーザーの利便性や志向は無視されます。 「5ナンバー」車にこだわる必要はあるのか あのクルマも「3ナンバー」化、実際どう変わる?(みんなの乗りものニュース) 理由は明らかに国内のユーザーを見てクルマを作るのではなく、日本よりずっと広大で道幅は広く、移動距離も長い北米やオセアニアなどに最適化して車を作っているからでしょう。台数も国内よりも圧倒的に海外で売れる方が多いのですからメーカーとしては当然の考え方です。 しかし個人的には、無駄に大きなクルマにはまったく興味がなく、国内、特に都会で乗るのなら、5ナンバーサイズか軽自動車で十分と思っています。 いよいよそれで欲しくなるクルマが出てこなくなったら、十数年前の5ナンバー中古車でも買って大事に手を入れて乗りたいと思っています。 くたばれ、3ナンバー車 【関連リンク】 1197 2017年の乗用車販売台数に思うこと 1124 国内自動車販売台数や耐用年数推移など 975 自動車の分類「セグメント」とはなにか? ---------------------------------------------------------- 生活保護を受ける壁のこと 2018/5/9(水) 1224 久しぶりに生活保護テーマで少し書いておきます。 和田秀樹氏の新書「この国の冷たさの正体 一億総「自己責任」時代を生き抜く」を読んでいて、いくつか気になった点があります。 先に誤解なきように書いておくと、著者の作品はまだ2作しか読んでなく、したがって他の多くの書籍に書かれた内容はよくは知りませんが、その2作品を読んだ限りでは、至極まっとうな意見や考えをお持ちの方だと認識しています。 ただ、そういう頭の良い人でも、多作するためにあまり詳しくは調べないのか、あるいは炎上でもして話題になって売れれば良いという考えになるのか、よくわかりませんが、誤解を与える書き方が少なくありません。 例えば「非正規社員が4割を超え、その多くが年収200万円以下で苦しんでいる」という表現だったり、「生活保護支給額に満たない賃金しか得られていない人は、遠慮することなく申請すればその差額がもらえる」というようなこと。 詳しく調べるとわかりますが、ここ数年間で非正規(パート、アルバイト、派遣社員、契約社員、嘱託など)が増えているのは、主たる収入源である世帯主の非正規化によるものではなく、定年退職した大量の団塊世代の多くが年金をもらいつつ、低賃金の嘱託や契約社員化していることや、正社員の世帯主の収入が上がらない(逆に下がっている)ので、子育てや介護をしつつも、配偶者が扶養控除の範囲でパート勤めに出るなど、家計の補助的に非正規で働きに出るケースが増えていることによるものです。 退職金をもらい、年金をもらい、そして雇用延長制度にのっかり、週何日かの嘱託勤務やパート勤めをする高齢者と、扶養の範囲内で家計を補助するためにパートで働く配偶者に正規社員の待遇も、高年収である必要はありません。 また同時に非正規の象徴として派遣社員が増えたことで社会に与える影響を懸念していますが、非正規の中でも派遣社員の割合は極めて少なく(非正規のうち6〜7%)、さらに、一般的に問題とされる本当は正規社員になりたいのになれない「不本意派遣」という人は、派遣社員の中でもさらに何分の1(10〜20%)かで、社会に大きな影響を与えるという表現は相当オーバーなもので、知らない人に大変なことだと誤解を与える書き方をしています。 そして生活保護を受ける権利は条件さえ整えば誰にでもあるわけですが、生活保護支給額より賃金が低いと言うだけで、生活保護支給額との差額がもらえるわけではありません。 例えば低賃金の人でもそれなりの預貯金や親の遺産の家を持っていたり、クルマやパソコン、高級カメラなど資産になりうるものを持っていたり(クルマやPCを持っていても、それが仕事や通院で必要な場合は問題ないケースもあります)、家族や親戚がいないとか、いても貧しくて援助がもらえないケースなど生活保護受給のための条件に合致しないともらえません。 そうしたことに一切触れずに、「生活保護支給額より低賃金ならその差額がもらえるよ」と書くのは、わざと人に誤解を与えているとしか思えません。 別の方ですが、Twitterでも のようにつぶやかれているケースがあります。 いくら低賃金で生活が困窮していても、それに加えて預貯金もなく、資産になるものはなにも持ってなく、さらに親兄弟親戚などに援助も受けられないというハードルの高い条件にすべて合致するのは結構たいへんだろうと容易に想像できます。 決して楽な暮らしをしているわけでもない親兄弟親戚に対して、断られることを承知の上、援助して欲しいと頼むだけでも心がズタズタになりそうです。 つまりは、生活保護を実際に受けた人からの話しというのはあまり出てこず、法律や規則がこうだから、うわべだけとらえてこうすれば良いというような安易な話しは注意しないといけません。 上記の和田秀樹氏は同書の中でうわべだけをとりあげて刺激的で扇情的に煽るマスメディア批判もおこなっていますが、そのマスメディアと同じ過ちを自分の著書でやっていると見られてしまいます。 「マスメディアも、本の出版も所詮は営利目的だからね」と言ってしまえばその通りですが、それではあまりにも情けなく世知辛くそれこそが「冷たい社会」じゃないかなと思います。 【関連リンク】 1010 不本意な非正規雇用とその実態 1006 都合よく利用される虚報 970 生活保護世帯の増加は高齢者増加だけが原因なのか? ---------------------------------------------------------- 交通違反の反則金の行方を知っているか? 2018/5/12(土) 1225 日常的にクルマを運転していると、ちょっとした不注意から違反を犯し、交通違反切符を切られ、仕方なく反則金を納付することがあります。 別に自慢にもなりませんが、私も過去に、比較的軽微な交通違反で青色切符(交通反則告知書)の反則金と、一発免停など重い違反の赤切符(告知書)で、簡易裁判などを経て支払う罰金の両方とも経験しています。 さて、その納められた罰金や反則金はどれぐらいの額あって、どのように使われているか、あまり知られてはいません。それにしても膨大な額になっているはずです。 罰金と反則金は、いずれも国庫に入りますが、その使われ方が違ってきます。 罰金(赤切符)は使途が特別決まっているわけではなく、国庫に入ったあとは他の民事、刑事等の裁判での罰金や税金などと同様に扱われますので、その総額や使用先については不明です。 一方、反則金(青切符)は一度国庫に入れられた後、ほぼその同額が一般会計から「交通安全対策特別交付金」という名前に変わって各都道府県・市町村の地方公共団体へ戻されます。 納めた額がそのままその地域へ戻ってくるわけではなく、人口や事故が多い地域など特殊性を勘案して増減するなどして工夫はされているようです。 というのも表向きで、実際は人口や事故が多いところほど取り締まりなどが多くおこなわれますから、反則金で得た額がほぼそのまま戻ってくると言っても差し支えないでしょう。 反則金の詳細はわからないのですが、その「交通安全対策特別交付金」に充当される一般会計からの交通違反者納金の総額がほぼそれに該当するようです。 その額の推移は、
となっています。ここ10年ほどは年々右下がりですが、毎年700億円近くが、大きな増減もなくまるで税金のように淡々と集められているわけですね。その額、国民ひとりあたりに換算すると年間約580円、4人家族なら2,320円を納付している勘定です。 過去もっとも反則金の額が多かったのはバブル華やかな頃1987年(昭和62年)で、1000億円を超えていました。この年になにがあったかというと、この年から罰金と反則金の額が一気に引き上げられたことによる影響です。 おそらくその前年と同様の取り締まりや検挙をおこなった結果、増額された反則金が一気に増えてしまったということなのでしょう。 ここ10年ほど反則金の総額が減少傾向にあるのは、違反摘発件数が減ったわけではなく、平成18年以降順々に拡大してきた駐車監視員による駐車、駐輪違反の軽微な違反の反則金が増えてきたため、違反1件あたりの納付金額が下がってきたことによるそうです。 平成29年度(2017年度)の交通違反者納金は624億円ですが、その他前年度からの繰り越し金など含めて歳入は718億円、歳出は交通安全対策特別交付金として支出されるのが621億円、その他が5億円、翌年度への剰余金92億円となっています。 それじゃ、反則金とほぼ同額が毎年使われている「交通安全対策特別交付金」とはなんぞや?ってことですが、総務省の見解では、
とあり、例として、信号機、道路標識、横断歩道橋、さく(ガードフェンス、防護柵)、道路反射鏡(カーブミラー)などの設置等となっています。 それらの業務を請け負う事業者の多くには、警察官OBや官僚の天下りがほぼ確実にいて、独占的にその仕事を請け負うという巨大な利権構造を想像してしまいます。 表だっては出てきませんが、交通安全協会なる警察OBの互助会的な団体へも、そのわざとらしい名称から容易に想像できるとおり、相当の事業費(委託費)や補助金が相当流れていると思われます。 つまり端的に言えば、こうした反則金は当然のように毎年ほぼ同額が予定(予算化)されており、その使途も警察官OBを中心とする天下り団体や会社に回すためあると言っても差し支えないでしょう。 これが「交通違反取り締まりはノルマ」と言われる所以です。 本来なら必要な交通インフラなどは公平に税金で補われるのが正しい姿ですが、街の景観を壊し、見づらくて交通渋滞の元にもなる、不要なほど多い交通標識が次々と作られていくのも、こうした交付金を毎年キチンと使いたいがためと思われます。 ドライバーであれば、どんなに注意をしていても、ふと魔が差すときがあり、標識が見えづらく一旦停止を怠ったり、後ろから煽られたり流れに乗ろうとついスピードを出してしまったりすることがあります。 またそういう魔が差しそうな時間や場所で、謀ったように、時には身を隠して取り締まりがよくおこなわれるわけで、こうした不幸が起きないよう気をつけたいものです。 【関連リンク】 1153 気になる自動車運転マナー 1081 高齢ドライバに対する偏見と規制 1044 高齢者ドライバーの増加がもたらすこと ---------------------------------------------------------- 5月前半の読書と感想、書評 2018/5/16(水) 1226 この国の冷たさの正体 一億総「自己責任」時代を生き抜く (朝日新書) 和田秀樹 精神科医でもあり教育評論家などとしても知られている著者の数多い著書の中で「40歳から何をどう勉強するか」を15年ほど前に読んだことがあります。 2016年刊のこの新書をサクッと読んでいて、何カ所か誤りや誤解を生じる書き方(わざとかも知れない)をされているのがちょっと気になりますが、内容は概ね理解でき賛同もできるものです。 「自己責任」論を一番よく聞いたのが「銀行などの金融機関が破綻しても、1千万円までの預貯金は補償される」ペイオフが開始された2005年頃でした。もちろん私は当時も今も1千万円以上の預貯金なんてありませんから無関係ですが。 次によく目にしたのが、この本にも書かれていますが、ISILにより後藤健二氏と湯川遥菜氏が拉致され、身代金の要求や死刑囚釈放の交渉が頓挫し、その後殺害された2015年のことです。 つまり二人の日本人が危険と知りつつ現地へ行き拉致され誘拐されたのは「自己責任」で、身代金など支払うべきではないという声があがりました。 そうした「自己責任論」は、本来強者が弱者に対して自分たちの都合良く使うものなのが、不思議と今の日本ではほとんど立場が同じ弱者が弱者に対して使っているという不思議があると著者は述べてます。 そしてそれは強者、別の言い方をすれば富める者は、そうやって弱者が弱者同士で罵り合いをやっている限り、自分たちの特権や利権、財産は安泰ということになります。 それでもやっぱり、弱者を罵る弱者はこのような意見には耳を貸さないどころか、まともな本も読まないでしょうから、それが変わっていくことはこの先もなさそうです。 ★★☆ 月の扉 (光文社文庫) 石持浅海 2003年刊、文庫は2006年に発刊されています。著者の作品では他に「セリヌンティウスの舟」を2008年に文庫発刊直後に読んでいます。 久しぶりに本をダブって購入してしまいました。あとでわかったことですが、この小説は12年前、2006年の文庫発刊後すぐに購入して一度読んでいます。 なんとなくタイトルは見た記憶があったのですが、中身をサラッと読むと記憶になく、既読と知らずに買って、そのまま読み続けていました。老人ぼけでしょうか。 その時には感想を書いていなかったので、今回は書いておきます。 主人公は、沖縄で不登校などになった子供達を集めてキャンプをおこない、復帰させるという活動をおこなっている男女3人のメンバーで、その3人が師匠とあおぐキャンプを主宰している男性が警察に不当逮捕されたことで、ハイジャック事件を起こします。 ちょっと設定に無理があるなと言う気がしますが、そこは小説ゆえ良いとして、次にハイジャックした飛行機のトイレの中で手首を切った女性の死体が見つかるという密室殺人ミステリー要素が加わってきます。ちょっとやり過ぎかも。 乗客のひとりが謎解きに協力するという形で関わってきますが、警察とにらみ合いながら200人以上の乗客を人質にし、個別に子供の首にテグスを巻いて抱えてるという姿勢で2時間以上も続けながら、トイレの死体の謎、師匠の奪還の謎、キャンプ関係者がこの飛行機に乗り合わせていた謎など、謎解きの話しを聞いているというのも想像すると変な感じです。 そして最後はこれまた理解がしにくい理由で一気に事態が進展していくという、あまりにも突飛押しない結末で、これが12年前に読みながら、さっぱり記憶に残っていなかった理由のひとつではないかなと思われます。 ★☆☆ ◇著者別読書感想(石持浅海) 時計じかけのオレンジ 完全版 (ハヤカワepi文庫 ハ 1-1) アンソニー・バージェス 原題は「A Clockwork Orange」の英国で1962年に発刊された小説です。よくジョージ・オーウェルの「一九八四年」や、H・G・ウェルズの「タイム・マシン」と同様のディストピア小説と言われています。 ディストピアとは「ユートピア(理想郷)の正反対の社会で、一般的には、SFなどで空想的な未来として描かれる、否定的で反ユートピアの要素を持つ社会という着想で、その内容は政治的・社会的な様々な課題を背景としている場合が多い。」(wikipedia)ということで、皮肉やウィットに富み、反社会的で、突飛押しもない内容の小説と言って良いでしょう。 1971年(日本では1972年公開)には、この小説を原作とした映画がスタンリー・キューブリック監督により製作され大ヒットしました。団塊世代以上の人の多くは、リアルタイムに映画館で見たのではないでしょうか。私はまだその頃純真な中学生でしたので見ていません。 とにかくスラングというか意味不明や放送禁止語のような言葉が満載で、当時最先端をいっていた若者、今では立派?な高齢者になっていますが、暴力とセックスと自由解放などさぞかし刺激的だったことでしょう。 そんなわけで、話題性は十分ですが、中身はって言うと、それほど深みがあるものとは思えません。 面白かったか?と聞かれれば、一般的に真面目な日本人にとっては、ちょっと理解しがたい欧米の価値観を意識する面があり、「別にぃ〜」って感じでしょうか。 ★☆☆ 光媒の花 (集英社文庫) 道尾秀介 2007年から2009年にかけて小説すばるに掲載され、2010年に単行本、2012年に文庫化された連作短編小説集です。「隠れ鬼」、「虫送り」、「冬の蝶」、「春の蝶」、「風媒花」、「遠い光」の6編からなっています。 著者は2004年に作家デビュー後すぐに人気を博していましたが、特に2009年から2011年の3年間は著者にとっては特に飛躍した年になります。 2009年に「カラスの親指」で日本推理作家協会賞、2010年に「龍神の雨』で大藪春彦賞とこの「光媒の花」で山本周五郎賞、そして2011年には「月と蟹」で直木三十五賞と大きくブレークしました。 連作というのも、ずっと主人公が同じと言うことではなく、先の短編にちょっと出てきただけの人物が今度はまったく違う話しで主人公となっていたりして、それをする意味がなにかあるのか?ってちょっと思ったりします。 どの作品も他人には知られたくない機微に触れるような心理描写を描いた作品ですが、短編だけにお得意のトリックやミステリアスなところも少なく、全体的に淡々としている感じです。 記憶や印象に強く残るか?という意味では、こうした盛り上がりに欠ける平坦な短編集では難しいでしょうね。 ★☆☆ ◇著者別読書感想(道尾秀介) 【関連リンク】 4月後半の読書 夜明け前の死、わが心のジェニファー、ラブレス、できる人という幻想 4つの強迫観念を乗り越える 4月前半の読書 土漠の花、限界集落株式会社、明烏―落語小説傑作集、懐かしい日々の想い 3月後半の読書 内なる宇宙(上)(下)、日本人の誇り、恋歌、怪談 ---------------------------------------------------------- 今の低い住宅ローン金利が羨ましい世代 2018/5/19(土) 1227 今回はかなり個人的な日記というか自分のための備忘録ですので、住宅ローンとかに興味がない人は読むだけ無駄ですのであしからず。 1992年(平成4年)に購入した新築1戸建ての住宅ローンがようやく残り20ヶ月となりました。いや〜長かったです。 本来なら、2017年の定年前、59歳ですべて終える予定の25年ローンでしたが、途中でちょっとしたつまづきがあり、銀行と交渉して月々の支払い額を減らす代わりに、ローン期間を3年間延長することにしたので、結局28年ローンという長丁場になってしまいました。 長期間の住宅ローンの怖いところは、それ(途中のつまづき)なんですよね。 会社の業績も順調、個人的にも役職がついて順調に仕事をしている頃の30代半ば頃に、子供も大きくなるのを契機に住宅ローンを組んでマイホームを買うケースが多いのではないかと思います。 その数年、十数年後に、会社が傾いて居づらくなったり、あるいは仕事で大きな失敗をして閑職や地方に回されたり、はたまた、会社がどこかの会社に吸収されて大幅な人員整理になってしまったり、よかれと思って自ら転職したものの、転職先でうまくいかないケースだって考えられます。 その他にも、自分や家族が予期しない大きな病気や怪我で仕事が続けられなくなったり、続けられても仕事が変わって収入が大幅ダウンしたり、高齢の親の介護で仕事を辞めざるを得なかったりして、ローンどころか毎月の生活費に事欠くケースも出てきます。 よくマスメディアに出てくるのは、そうした住宅ローンが払えず、せっかく買った家を売却したり競売にかけるものの、住宅ローンの残額には及ばず、結果的に家を失ってさらに多額の借金だけが残るというようなケース。 私の場合、そういう最悪のケースはどうにか免れそうですが、経験上言えば、住宅ローンを背負ったままで、転職や起業と言ったリスクを負うのは避けた方がよいと思います。もちろん動かないリスクもありますが、雇用に関しては動くリスクよりはずっと小さいというのが個人的な見解です。 そして住宅ローンを借りる場合でも、60歳を超える期間のローンを設定するのはとても危険で、できれば50代半ばぐらいまでに終えられる期間で契約をするのが理想です。 現在の平均年収を見ると40代後半頃が収入のピークで、50代になると下がってしまうケースが多く見られます。それが怖いのです。 最近は晩婚化もあり、子供はある程度年齢がいってからできるというケースが多くなっています。子供にかかる教育費のピークは、高校や大学へ行く頃となります。つまり生まれてから15〜22年後です。 例えば主たる収入を稼いでいる人が35歳で子供を得た場合、すでに年収が落ちてきている50代で教育費のピークがやってきます。これは想像以上にキツイものがあります。 最近では35年ローンなんてのが普通にPRされていますが、30歳で借りても終わるのが65歳、35歳なら70歳までかかります。10年先でもなかなか想像できないのに、30年先なんて誰も想像ができないことが起きるものですから、これほどのリスクはないでしょう。 それは私がまさにそうでしたが、返済期間中にもしなにか起きた時、支払いの猶予や、毎月の支払額の変更で、当面のあいだ、なんとかしのげるようにとリスクを織り込んでおくことが重要なのです。 中には親子ローンで、60歳以降は子供に負担してもらうと考える人もいますが、その子供だって、20数年後に、健康で、勤務先の業績が良く、それなりの収入があり、家から通勤できる希望する勤務地(海外勤務とか最近は多い)でと、重いローンを肩代わりしてくれる条件がすべて整っていると考えるのは無理があります。 また子供のライフスタイルが親とはまったく違うものとなっているケースもあり、親がローンを肩代わりしてもらって同居を望んでも、そんな古くて通勤に不便な家には住みたくないと離れてしまうことだってあります。 さらに、頼るべきの子供が病気になって家に引きこもってしまい、一家の収入は親の年金頼みなんて家族も今は珍しくなくなってきました。 結局は、現役時代に手取り年収の20%〜25%以内で、56歳ぐらいまでに完済ができる住宅ローンでなければ住宅ローンで家を買うのはリスクが高いと言わざるを得ません。 私が借りた時代には普通だった金利5%以上とかだと、なかなかそのような条件で借りるのは難しいですが、今の3%を切る金利だと割と借りやすそうです。 単純計算しても、3000万円を6%の金利で借りた場合と3%の金利で借りた場合、25年の均等返済で返済総額は1500万円違ってきます。月々の返済額は5万1千円違います。 翻って考えると、我々世代(現在60代)は、今から考えるとそんな無茶苦茶な高金利で長期ローンを組んでいたわけです。 あとは頭金をどれだけ支払えるかによって、リスクはかなり減らせられます。頭金を多く積めば積んでおくほど、途中で万が一最悪のことが起きても、住宅を売却した費用でローン残額を精算できる可能性が高くなります。 「頭金は少なくして、その分定期的に繰り上げ返済をおこなう方が総支払額は減る」というような話もありますが、手元にある余裕資金はついつい理由をこねて使ってしまったり、日常に流されて早めの繰り上げ返済をおこなわなかったりと、よほどしっかり者でないとあまりお勧めしません。 特に住宅ローンの支払時期と、子供の教育費の負担時期は必ず重なるので、重い出費が連続してやってきます。 つい余裕資金があると、「クルマを買い換えるか〜」とか「学校は早めに私立のほうが良さそう」とか気が大きくなるのが人情です。 それぐらいなら、無駄遣いができないように、ギリギリの貯金だけを残し、余裕資金はできるだけ住宅購入の頭金に回し、自分、家族を追い込んでおくほうが良いのではないかと思っています。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 私の場合、今の新築一戸建てを買う前は、中古のマンションに住んでいて、すでにバブル時期は終わっていましたが、その中古マンションが購入した金額を上回る価格で売却できたため、住宅ローンの残額を差し引いても結構残り、その売却益を一戸建て購入の頭金として使うことができました。 もしその中古のマンションの売却益がなければ、今の一戸建てはとても購入できず、資金面はとてもラッキーでした。 そして財形貯蓄など天引きの預金か、何かハッキリした目標がないと、余裕資金を増やし、繰り上げ返済に使うというのが実際にどれほど難しいことか身をもって知りました。 住宅ローンで今から思えば悔しいのは、その時は、その後またインフレになるかもと考え、今から考えると割高な固定金利を選びました。ローンを組む直前は金利8.5%とかしていましたので、またそうした高率に戻るかもと考えたのです。 下記は住宅ローンの変動金利の推移ですが、赤点線のところ1992年、変動金利5.7%のところで、それよりも高い固定金利で長期の契約をしました。 結果的には「失われた20年」とも言われるデフレが長く続き、契約した3年後、1995年以降は3%を下回る超低金利状態がずっと続くことになります。 途中で銀行と固定金利利率の交渉をして、利率を少し下げてもらいましたが、基本的には契約した当時の金利を引きずったまま、高い利率で住宅ローンを支払い続けることになりました(まだ終わってません)。 そういう意味では、結果論ですが、1995年以降に住宅ローンを組んで家を買った人は恵まれています。 ちなみに、私が1992年に組んだ25年の固定金利のローン(6.66%)は、支払総額は借りた金額の倍以上で1億円を越えていました(今考えると正気の沙汰ではない)。 同額をいまの固定金利(2%)で借りたとしたら25年間の支払総額は6300万円となり、その差はなんと3900万円です。利子でもう一軒、家が買えそうです。 若い人は「今の高齢者ばかりが恵まれている」「若い労働者の所得が上がらず損している」とか言いますが、今の中高年者は家を買うときに現在の2〜3倍もの金利を負担して住宅ローンを支払っていたと考えると、結果論ですが「これから家を買おうとする人は極めて低い金利でローンが組めてラッキーだなぁ」とも言えます。 【関連リンク】 977 奨学金という名の学生ローン 874 老朽化しつつあるバブル以前のマンション 247 住宅ローンに苦しむ世代 ---------------------------------------------------------- スマホアプリのデザインにあきれた話し 2018/5/23(水) 1228 時々発症する呆け老人の戯れ言、ぼやきととっていただいてもいいのですが、スマホの画面デザインについて書いておきます。 日本の工業デザインは、モノ作り大国を象徴するかのように1980年代から2000年頃までは頂点を極めてきましたが、最近はどうも日本の優れたデザインの製品を見ることが少なくなってきました。 1970年代から80年代にかけて、ウォークマン、ラジカセなどを代表に家電製品から、80年代から90年代には自動車や鉄道のスタイリングでも日本は世界をリードしてきたと言っても差し支えありませんでした。 80年代以降は建築設計分野でも多くの実績を残してきましたが、2000年代以降はどうもパッとしません。 その理由は明らかで、若い頃に必死に欧米からデザインを吸収し、日本独自に進化させてきた団塊世代の引退により、その後継が育っていないというか、細かな分業体制が常識となり、工業デザインをちゃんと見て評価できる人がいなくなったことによる影響でしょう。 今や工業製品のデザインでは欧米はもとより、アジア諸国のほうがずっと勝っているというのが実感です。 建築物を見ても、先進国はもとより、新興国の中国や台湾、マレーシア、シンガポール、中東などにできた高層ビルのほうが日本の相変わらず無骨一辺倒の建築物よりずっと美しく芸術性があるように思えます(設計者は海外の人ってのは多いですが)。 日本の企業はそうした新興国のビルのエレベーターや、高品質な外壁タイルを提供することはあっても、芸術的な建物全体を日本人が設計、デザインしたものはそう多くはありませんし、特に若い新進気鋭のデザイナーがその分野で活躍しているという話しは聞いたことがありません。 人口減と製造業の海外移転で、国内でのモノづくりが低調になってきたことが、それにまつわるデザイン分野でも有能な人が出てこないのが原因でもあるでしょう。今後も日本で製造業や建設業が有望な職場ではなくなってきつつあり、それに付随する工業デザイナーの採用や育成もシュリンクしていきそうです。 そして、これからますます必要となるWEB系デザイナーやスマホアプリデザイナーなども有能なデザイナーが集まっているのか?というと、それもどうも怪しそうです。 なにも高いうえにプライドばかり高い日本人デザイナーを使わなくとも、海外のデザイナーに外注すれば安く上がりますし、そこにお金をかけようとする動機が薄そうです。 したがって日本人でその道を目指しても高収入が約束されるわけではなく、逆に外国の外注先と比べられてますます待遇は悪くなるのと比例してその質も落ちてきているのかと思われます。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ いま使っているスマホの万歩計アプリは2種類あり、その2種類ともそのデザインに致命的な欠陥があり、どうしてこのような不親切なデザインにするかなぁと思わずにいられません。 こちらは、スマホを左手で持って歩く(利き腕が右なので通常左手に持つ)と、ちょうど親指が触れる場所にカウント停止ボタンがついています。そのせいで持ち歩いているときに何度も知らないうちに機能が停止していました。 この万歩計アプリでは歩数だけでなく、地図が見られるようになっているので、ウォーキング中は歩行中にポケットに入れて使うと言うより、手に持って使うことが多いと考えられます。 そして手に持っていると、知らず知らずに機能(カウント)が停止されることになります。ホントになにを考えているのか(たぶんなにも考えていない)アホなデザインとしか言い様がありません。 二つ目の歩数計アプリも困ったデザインがあります。 こちらのアプリでは、仮想コースを選択すれば、それまでに歩いた歩数を積み上げて、東海道や日本列島横断などを設定ができる機能がついています。 その仮想コースの画面に時々切り替え、「今どのあたりまで歩いたかな」と確認した後、元の歩数カウント画面に戻るのが普通の使い方です。 そして仮想コースの進捗をみたあと、画面を切り替えて元に戻ろうとする時、真ん中の一番目立つ場所にある赤いボタンを押しそうになります。 その大きくて目立つ赤いボタンを押すと、それまでの苦労がすべて水の泡と消える、仮想コース中断ボタンというアホな仕様となっているわけです。このデザイン作ったヤツ、絶対に職を変えた方がいいぞ。 スマホアプリのデザイナーがこのようなアホばかりとは思いませんが、たまたまよく使う二つのスマホアプリが揃ってこんなお馬鹿なUIデザインということを考えると、スマホアプリデザイン業界は相当お馬鹿が集まってきているのだろうことが容易に想像できます。 日本の製造業が華かだった頃、トヨタが始めた「KAIZEN」運動は、世界中で真似をされてきましたが、日本国内ではすでに死語となりつつあり、ユーザーや使い勝手のことはなにも考えずにデザインし、その後、実際に使っているユーザーの意見などを聞くなど面倒なことは絶対にせず、改善もされないまま放置され、やがて消えていくという、そういう時代にいまはなっているようです。 そう言えば、歯ブラシ置き場のフタが堅くて開けられない洗面台(鏡台)、濡れた手では滑る上に堅くて絶対に開けられないシャンプーの詰め替え用パック、開封の切り目がついてない食品やお菓子のパックなど、日常生活で出会う困ったちゃんはいくらでもありますね。 【関連リンク】 1119 格安スマホMVNOへ変更後1年 その1 1027 格安スマホ(MVNO)に替えた 976 金で買える?グッドデザイン賞 ---------------------------------------------------------- 米の生産量減少に歯止めはかかるか 2018/5/26(土) 1229 江戸時代までは米が貨幣価値をもっていたぐらいに貴重で全国的に平準化されたものでしたが、昨今は食の多様化とロカボ(糖質制限)の流行もあり、米の生産には逆風が吹き続けています。 米の生産量推移グラフ(pdf)(出典:厚生労働省、米穀の需給及び価格の安定に関する基本指針) 米の生産量は、昭和35年(1960年)に12,858千トンあり、過去最高は昭和42年(1967年)の14,453千トンだったのが、その後の需要減少や減反政策などもあり、平成28年(2016年)は8,550千トンへ3割以上の減少しています。 昭和37年(1962年)には、日本人ひとりあたり年間118kg(1日323g、約2合)の米を食べていましたが、平成28年(2016年)は54kg(1日148g、約1合)と、半分にまで落ちています(農林水産省調査)。 生産量が3割減なのに消費量は半減っておかしくない?って思いましたが、生産される米は直接主食として消費される以外に、畜産業の飼料として、また加工食品などにも使われていますので、たぶんそのせいかなと。 朝昼晩と米食が基本だった一般的な昭和の一般家庭からすれば、現在は、朝はトーストなどパン類、昼はラーメンやうどんなど麺類、そして夕食だけ米食というパターンを思い浮かべます(我が家の場合を例にしています)。 その夕食で食べていた米食も、政府が主導するメタボを成人の絶対悪と決めつけて、また細ければモテるし健康的、デブはモテないし病気がち的なイメージを作ってきたマスメディアの扇動もあり、国民がみなダイエットを刷り込まれ、そのひとつの方法として、米を敵視する糖質制限や炭水化物敵視という流れができています。 私も安直にその流行に乗ってみて、2011年頃から取り入れた糖質制限は、朝食のトースト、ランチの米食中心のお弁当は変えず、夕食に食べていたご飯を徐々に減らし、現在は夕食には基本は米を食べないという生活になっています(夕食がお寿司やカレーライスなどの時は普通に食べてます)。 糖質ダイエットについての備忘録その1 2013/10/26(土) 糖質ダイエットについての備忘録その2 2013/10/30(水) その後の糖質制限ダイエット効果 2016/2/24(水) フルーツと糖質制限 2017/11/22(水) 経験してみてわかったのは、食べる量やカロリーを減らすより、炭水化物(米や小麦)を減らした方が楽に続けられそして確実に痩せます。 おそらくですが、劇的なダイエット効果を派手にテレビで宣伝する某ダイエット会社も、運動や食事制限よりもまず基本はそうした炭水化物制限の手法を用いているのではないかと思われます。 そうした逆境にある日本の米ですが、将来的には世界的に食糧不足と言われているので、輸出に光明を見いだせばとよく言われています。 しかし日本の米=ジャポニカ米は中国やベトナムあたりの東アジアではともかく、東南アジア、アフリカ、欧米ではまったく好まれません。 世界の米の約85%はインディカ米と言われる細長いパサパサした米が主流で、もし日本が世界に向けてお米を輸出したいと考えるなら、需要の多いインディカ米を作るか、ジャポニカ米を食べてもらえるように各国の食文化を変えていくしかありません。 冷夏と長雨に祟られて米の大不作に陥った1993年には、スーパーから国産米が売り切れてなくなってしまい、タイ米(インディカ米)が緊急輸入されましたが、まったく見向きもされませんでした。チャーハン、カレーライス、パエリアなどには向いているのですけど、通常の和食には合いませんし、まず慣れていない日本人の口には合いません。 それと逆のことを考えると、ヨーロッパやアメリカ、アフリカへ日本の米(ジャポニカ米)を持って行くだけでは売れないでしょう。 それに日本の米は、規制と利権と農協のせいで、世界的に見て異常なぐらい高価ですから、貧しい食糧不足の国へ持って行っても無料で配らない限り腐らせてしまうだけになってしまいそうです。 ちょっと面白いのが「米穀安定供給確保支援機構の調べによると、2016年度の1人当たりの月間コメ消費量は4663グラムだった。前年度に比べて6%増えた。調査開始以来、増加は初めて。実質賃金が伸び悩むなか、支出を抑えるために家庭で食べる量が増えたとみられる。」という記事がありました。 その昔、池田勇人(当時大蔵・通産大臣)が当時まだ高価だった白米ではなく「貧乏人は麦を食え」と言い放ちましたが、現代では米を「支出を抑えるために家庭で米を食べる」ということで、「貧乏人は(より高価な外食や、また肉や野菜より)米を食え」ということなのですね。 いずれにしても今後の日本の米作りは、野菜やフルーツと同様に、高級ブランド化戦略か、あるいは飼料や加工品向けの大量生産・低価格品の二極化していくのではないでしょうか。 私も東北旅行したときに食べるお米の美味しさに感動を覚えますし、農家が出荷するのとは別に自宅で食べる用に無農薬や減農薬で大事に作られた安全な米も食べるとその違いに驚かされます。 それでも、韓国に流出したイチゴの品種同様、今後は稲の品種も東南アジアに流出し、コシヒカリが中国やベトナム等で作られたり、広大な農地で効率良く大量生産される低価格米には太刀打ちできず、この先中・長期的に見ると高コストな日本の米作りは苦境に陥りそうです。 そんな中、利権と規制、補助金などにまみれた日本の米作りが、今後どこかで大きく転換していくような気がしますが、小売業のアマゾンみたいな破壊者が現れるのはさていつのことでしょう。 【関連リンク】 1039 減り続ける米需要 981 大きく変化していく農業従事者 923 ハイブリッド型植物工場は異常気象の野菜急騰を防げるか ---------------------------------------------------------- 5月後半の読書と感想、書評 2018/5/30(水) 1230 心に雹の降りしきる (双葉文庫) 香納諒一 2011年刊、2014年文庫刊のハードボイルドタッチの警察ミステリー小説です。この作家さんの本を読むのはこれが初めてです。 作家デビューは28年前の1990年で、現在55歳、ハードボイルド系の警察小説がお得意の分野と言うことです。 主人公は県警の刑事で、7年前に行方不明となった幼児の事件を担当しましたが未解決のままで、しかも金持ちの被害者家族から情報提供の懸賞金を奪う目的で、偽情報を使うなど、悪事にも手を染め、現在もそれを気に病んでいます。 行方不明の幼児が着ていた服と似た服がフリーマーケットで見つかったという父親からの通報で、それを見つけた探偵に会いますが、その後その探偵は「こんな偶然があるのか」という言葉を残して殺害されてしまいます。 その後、県知事の汚職や、暴力団組織の暗躍など多くの事件が起き、次々と関係者が殺されていき、途中で誰が誰だかよくわからなかったりしてややこしい限りです。 ハードボイルドタッチと言っても、時には懸賞金詐欺にも応じる弱い性格の刑事で、人間味があると言えばそういうことになります。 舞台は地方都市ですが、地方でこれだけ関連した殺人事件が次々起きれば、日本中を揺るがす大事件となりそうで、ちょっと違和感があります。 ネタバレになっちゃいますが、最後には誰もがあきらめていた行方不明の少女が無事救い出される展開にちょっとホッとします。 ★☆☆ 人のセックスを笑うな (河出文庫) 山崎ナオコーラ 2004年に作家としてデビューしたときの最初の小説です。この作品でいきなり芥川賞の候補にあがりましたが、残念ながらデビュー1作目での受賞とはならず、その後も作品が4回芥川賞候補となりながら、いずれも落選中です。 ナオコーラとはユニークなペンネームですが、単に本名の直子に好きなコーラをくっつけただけというシンプルでかつ書店に並ぶと目立ちやすいネーミングです。山崎直子じゃ、若い人向けにPRするには地味すぎますものね。 2008年には井口奈己監督で映画化されました。主演は松山ケンイチ、永作博美です。主人公は小説の設定では19歳ですが、松山ケンイチは当時23歳ですから、そう無理はなかったのでしょうね。 主人公の男性は19歳の絵画の専門学校の学生、ヒロインは既婚で39歳、その専門学校の教師で売れない画家という年の差がある恋愛小説です。 ま、題名が売れる要素を持っていて、中身はというと、、、ちょっと甘く切ない夢見る乙女の想像を文字にしてみたらこんなのができましたって感じかな。 いや決してつまらなくはないですよ。それなりに楽しめましたが、心に残るような話しかって言えば、携帯小説のように暇つぶしに読んですっとそのまま通り過ぎていくような小説でした。 ★☆☆ 人類資金7 (講談社文庫) 福井晴敏 たいへん長い小説で、2013年から書き下ろしで順次発刊されてきましたが、その最終巻(第7巻)です。 2年前の2016年に一気に1〜6巻まで読みましたが、最後の7巻だけ手に入れるのが遅れてしまいました。 2月前半の読書と感想、書評 2016/2/17(水) 「人類資金 (講談社文庫) 1・2・3・4・5・6巻 福井晴敏」 1〜6巻は200ページ程度の薄い文庫でしたが、この7巻だけはそれまでの3冊分以上の700ページを超えるやたらと分厚い文庫です。 また2013年には、阪本順治監督、佐藤浩市主演で映画も制作されていて、これで全巻読んだことでもあるので、機会があれば作品も見たいと思っています。 戦後すぐから噂が多くあったM資金をめぐる話しですが、何度も出ては消え、消えてはまた蘇るを繰り返してきました。 曰く、「フィリピンを占領したときに財宝を集めて日本へ送り隠されている」「フィリピンを奪還したアメリカのマッカーサー司令官が躍起になって探したが見つからなかった」「戦後の復興にこのM資金が密かに使われた」などなど。 この小説では、そのM資金を管理、運用する日本とアメリカの財団が、それぞれの思惑と、そろそろ表に出して人類に役立てようとする日本人と、それを阻止するアメリカ人、M資金詐欺を糧としている詐欺師、遠巻きに財産を保護する防衛省、裏の世界に通ずる日本最大の暴力団組織などが入り乱れての欺し合い、裏切り、血縁、清算、投資など多くの要素がぶち込まれています。 最終的にはこのM資金はタイトルにあるように、人類のために使われるべきとして、まずはアジアの最貧国と言われている国の通信インフラの構築と国民ひとりひとりが世界とつながるためのタブレットを配布するなどに使われることになります。 そうした壮大な物語で、読み終わった後には、ふぅと、大きなため息をつくことになります。 ★★★ ◇著者別読書感想(福井晴敏) 噂 (新潮文庫) 荻原浩 2001年刊、2006年に文庫化された、1997年にデビューした著者の比較的初期の頃の作品です。 年齢が同年代と言うこともあり、作風が気に入り、好きな作家さんで、「オロロ畑でつかまえて」の頃から文庫化された小説はほとんど読んでいますが、この作品は漏れていました。 著者の作品には「なかよし小鳩組」などコミカルな作品も多いのですが、逆に若年性アルツハイマーを描いた「明日の記憶」などシリアスな小説も多くあります。 この小説は、売らんがために創出したクチコミで顧客の商品を売りたい広告会社の社員と、猟奇殺人を追う刑事が主人公のシリアスな小説です。 この本が書かれた当時は、まだネットの普及もそれほどではなく、ようやく携帯電話が高校生にも普及してきた時代ですが、いまのネット社会に普通にあるクチコミの拡散手法や欺瞞的なステルス・マーケティングのような話題がバンバン出てきて、先を見る目があるので驚きです。 10年ぐらい前に書かれた犯罪小説を読むと、どうしても内容に古さを感じてしまいますが、この小説ではそれが感じられず、よく考えられた小説です。 ★★★ ◇著者別読書感想(荻原浩) 【関連リンク】 5月前半の読書 この国の冷たさの正体 一億総「自己責任」時代を生き抜く、月の扉、時計じかけのオレンジ、光媒の花 4月後半の読書 夜明け前の死、わが心のジェニファー、ラブレス、できる人という幻想 4つの強迫観念を乗り越える 4月前半の読書 土漠の花、限界集落株式会社、明烏―落語小説傑作集、懐かしい日々の想い |
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