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リストラ日記アーカイブ 2014年7月
読みやすいようにアーカイブは昇順(上から古いもの順)に並べ替えました。上から下へお読みください。

日記INDEXページ(タイトルと書き出し部の一覧)はこちらです
831 6月後半の読書と感想、書評 2014/7/2(水)
832 いま腕時計の需要はどうなっているのか 2014/7/5(土)
833 もうひとつの人生があれば 2014/7/9(水)
834 高齢者向けビジネス(第4部 ボランティア編) 2014/7/12(土) 
835 7月前半の読書と感想、書評 2014/7/16(水)
836 上方漫才と落語の話し 2014/7/19(土)
837 電話に出るということ 2014/7/23(水)
838 夢の隠遁生活 2014/7/26(土)
839 7月後半の読書と感想、書評 2014/7/30(水)

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6月後半の読書と感想、書評 2014/7/2(水)

831
月に繭 地には果実(幻冬舎文庫)(上)(中)(下) 福井晴敏

この小説は「ガンダム」シリーズなどで有名なアニメ監督の富野喜幸氏の1998年の作品「∀ガンダム」をノベライズしたもので、2001年に単行本、2005年に文庫版が発行されています。実際のアニメと、この小説では内容に少し違ったところがあるそうです(アニメを見ていないのでよくわかりませんが)。

著者は富野喜幸氏と「ガンダム」の大ファンで、大きな影響も受けているとされています。また2007年には「機動戦士ガンダムUC」シリーズの小説版も書いています。

正直なところ、ガンダムが世に出たときには、私はすでにアニメというかテレビからは卒業していて、ストーリーはもちろんのこと、一度もそのアニメを見たことがありません。果たしてそんな私がこれを読んで理解できるのか?とやや不安ながらも上・中・下の長編(3冊で1100ページ超え)に挑戦してみることにしました。

ストーリーは、地上が核戦争の果て荒廃し住めなくなり月や宇宙へ移住した人間が、2000年の時を経て、再び修復してきた地球へ戻ろうとしますが、その地球には宇宙へ移住せず、細々と地上で生き延び、原始的な生活から新たな歴史を作ってきた民がいて、その相容れない双方で闘いが勃発します。

主人公のロランは、先遣隊のモルモットとして、地球に住むのに問題がないかを自らの身体で調べるため、身分を隠して送り込まれた月の人間で、そのモルモット期間が過ぎて地球の人間になりきろう思っていた時に、突然、月から強行侵攻してきたモビルスーツの戦闘集団と自衛のために戦う羽目となります。

その後、月の女王と、親衛隊長、攻撃部隊、地球の軍隊、月の支配をもくろんでいる貴族などの話しが中心で、ガンダムを知らなくてもひとつのSF小説として楽しめる内容となっていてホッとしました。

ただ兵器のモビルスーツや攻撃用の武器などは、ある程度想像力がないと、どういったものかさっぱりわからないということにもなりかねません。ま、わからないところはどんどん飛ばして読むに限ります。

こうした壮大な地球と宇宙のSF物語は、若い頃ならば夢中になるのはわかります。が、やはり小説とはいえそのストーリーや内容がいかにもアニメチックで、リアリティさも真に迫るものもがなく、ちょっと退屈な思いをするのは中高年の域に入った私にはやはりちょっと無理があったかなぁとちょいと反省です。

そのようなことを考えると、巨匠アーサー・C・クラークが描くSF小説は、ストーリーがよく練られ、リアリティも抜群で、よくできているなぁと今さらながら驚かされます。

著者別読書感想(福井晴敏)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

人間失格 (集英社文庫) 太宰治

有名な太宰の代表的な作品ですが、実は今まで読んではいませんでした。太宰の他の作品「走れメロス」「斜陽」はかなり前に読んでいます。

なるほど、左翼活動や学生運動に熱狂していた私より上の団塊世代の人達が、こうした人間の条理・不条理、子供時代から恵まれた環境にいながらも自己否定し自ら破滅の道へと歩んでいく主人公の行動や思考は格好の議論の的であったのだろうと想像がつきました。

物語の内容は、小説家と画家などいくつかの違いはありますが、太宰自身の私小説とも言えます。国会議員の父親をもち、裕福な家庭にありながら、その家とは距離を置き、自分では働かずに女性の部屋に転がり込むという荒んだ生活の末、夫が刑務所に入っている人妻と江ノ島の海で入水自殺を図り自分だけが助かります。

その後も何度か自殺を図ろうとしたり、愛人の服を勝手に質にいれたり、雑誌に金儲けだけのために絵を描いてお金を得ると酒や麻薬の一種である鎮痛剤を手に入れて、やがて薬物中毒に陥り、精神病院へと入れられることになります。

実際の太宰は、この人間失格を著したすぐあと、1948年(昭和23年)に愛人と三鷹市の玉川上水にて入水自殺をはかり、亡くなったことは有名な話しです。この小説では異常をきたし、精神病院へ入れられたところで終わっています。

この小説を原作に過去二度映画化されていて、最近では2010年に太宰治生誕100年を記念し、荒戸源次郎監督、生田斗真主演のものがありましたが、そんなのがあったとも知らずまだ観ていません。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

去年はいい年になるだろう(PHP文芸文庫) 山本弘

2010年に発刊されたSF小説で、奇妙なタイトルです。この著者の作品は2006年に発刊された「アイの物語」を昨年読みましたが、それも摩訶不思議な世界へ連れて行かれました。この小説の中でも「主人公が未来に書く小説」として、その作品の話しが登場してきます。

主人公は著者自身で、時は2001年9月11日、そうアメリカ同時多発テロの場面から始まります。もしこの小説が2011年以降に書いていたとしたら、物語の出だしは2011年3月11日だったろうと思われます。それは読むとわかります。

いわゆるタイムスリップ小説ですが、多くの同種の作品と違って、タイムスリップをするのは主人公ではなく、未来の人間が送り込んできたアンドロイドだということ。タイムマシンにのって未来から人型ロボットがやってくるわけです。ドラえもんみたいですね。

300年以上未来の人間がアンドロイドを現代に送り込んできた理由というのが、平和主義の元、過去の戦争や災害、事件や病気など、その時代の人々が不幸になる原因を極力取り除いていくことです。

織田信長が鉄砲隊を組織し戦っていた頃からすでに440年が経っていますが、武器の威力と命中精度は格段にあがったものの、相変わらず人の思考はそう変わっていないように思えます。今からあと300年ぐらいで世界中の国が戦争を放棄できる考えに達するというのはあまりにも楽観的すぎるかも知れません。

過去の歴史を変えることで、当然に未来も変わってしまう、いわゆる「パラレルワールド(いくつも枝分かれした新しい世界と歴史が生まれていく)」になるわけですが、そうやって本来起きたはずの悲劇をなかったことにする未来人がとった驚愕すべき計画という奇想天外なストーリーです。

梶尾真治著の「黄泉がえり」でもそうでしたが、不幸にも亡くなってしまった人との再会や、時間を巻き戻してもらいたいと願う気持ちは誰しもが望むことで、この小説では、例え歴史をねじ曲げることになったとしても、テロや戦争、災害、事故、自殺などで最愛の家族や恋人を失うことがないようにしていこうというものです。

ただしそのやりかたは世界中の軍隊を無力化(攻撃兵器だけを無力化し輸送機など非武装兵器は除外)したり、国民を痛め苦しめる独裁国の幹部を捕らえ、穏健で民主的なリーダーに交代させたり、将来重病に罹る人に検査を受けさせて早期発見早期治癒したり、殺人事件や強姦が起きる日時、場所をあらかじめ警察に通報しておいたりと、かなり手荒で、強引な手法を含みます。

そのため「どこかの国が世界中に混乱を巻き起こして征服を考えているのでは?」とか「未知の星からの侵略者か?」といった現代人の誤解を解いていくため、大量にアンドロイドを投入し、この計画の広報活動や市民との直接対話にも力を入れます。

そして市民対話のひとりとして選ばれたSF作家の主人公の元へ、未来の自分と何度かコンタクトをとったことがあると言うアンドロイドがやってきて、このままでは将来主人公の作家は統合失調症(2001年時点では精神分裂症)で自殺をすることや、まもなく癌が発見されて亡くなる家族の寿命なども教わります。そして未来の自分から託されたビデオメッセージや、未来に書くことになる小説原稿まで手渡されます。

締め切りと戦い、頭を抱えながら知恵と創造力をひねりださなければならない小説家にとって、これほどありがたいことはないでしょうけど、気持ちの中では複雑な思いにかられてしまいます。著作権は未来の自分にあるわけで、それをそのままいますぐ利用することでなにも問題はありません。

しかしこの小説は、未来が変わらない時に書かれたはずの小説で、今回アンドロイドの介入により枝分かれして別の未来になるとわかっていながら同じ小説を発表していいのかとジレンマに陥ることになります。

読んでいると、未来と過去がごっちゃになってきて、現在の自分が未来を考えるときには、元々の世界の未来なのか、それとも変わってしまったあとの未来なのか、複雑で混乱します。

SF作家としては、こうした皮肉とカオスに満ちた世界はお得意なのでしょうけど、文化系の人間が、いちいち理解しながら理路整然として読むには結構たいへんでした。


【関連リンク】
 6月前半の読書 絆、クリフトン年代記第3部 裁きの鐘は、男の作法、きみの友だち
 5月後半の読書 塩狩峠、医療にたかるな、オレたちバブル入行組、それでも、警官は微笑う
 5月前半の読書 チルドレン、親鸞、政治家の殺し方、平成関東大震災


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いま腕時計の需要はどうなっているのか 2014/7/5(土)

832
中学生になった時に、親に買ってもらった初めての腕時計SEIKO 5ACTUS(1970年)から、数本の腕時計を経て、現在は四半世紀ほど前のまだ中国に返還される前の香港で買ったHEUER(ホイヤー)の時計を長く愛用しています。

ホイヤーこのスイス製のホイヤー(2000 Professional)は1985年にTAGグループに買収(現在は1999年にルイ・ヴィトンで有名なLVMHに再買収されその傘下)される前の製品で、余計な機能や飾りはなにもついてない質素な廉価版のダイバーズウォッチですが、小振りで頑丈で、今まで本体の故障や、時間の狂いがなく、電池は長持ち(約5年)し、ダイバーズウォッチという特性からもちろん防水機能も確かで、私の過去の腕時計遍歴の中では最高の相棒となっています。

唯一の悩みは電池交換や分解掃除の時、防水機能のチェックと品質保証のため、代理店かメーカー直営店へ持っていかなければならないのと、その際は結構な値が張ることでしょうか(確か電池交換だけで5千円程度)。

なんどか電池切れを起こしそうな時(秒針が3秒おきに刻み知らせてくれる)、普通の「電池交換やります」と書いてある時計店へ持っていき電池を交換してくれないかと頼んでみたところ、この時計は防水機能の保証があるので、正式なところでないとできないと断られました。

そういうこともあり、私の場合はいつも表参道にある高級ブティックのような直営店へ持ち込むのですが、店の人に渡すとTAGのついていない頃のHEUER製品が珍しいのか、「お!」と注目されるのがちょっとだけ嬉しかったりします。

あ、もうひとつ、これは仕方ないのですが、アナログ式のカレンダーがついていて、小の月のあとは、その都度修正をしなくちゃいけません。デジタル式なら数百年分のカレンダーが内蔵されていて、いちいち修正の必要もないでしょうけど、これはそういうわけにはいきません。

腕時計はおそらく40代以上の人なら、仕事中は概ね持っていて腕に巻いていると思いますが、20代より下の年代では逆に持っていない人のほうが多いような感じです。

それは今の20代の人が高校生だった頃には携帯電話やスマホを持っているのが当たり前になっていて、そしてそれには必ず時計が組み込まれているので、あらためて時間を知るためだけの腕時計を持つ習慣がなかったというのが理由だと思われます。

現に私の子供達から、時計を買って欲しいと言われたことはなく、ごくまれに「今度試験を受けるので腕時計を貸して」と言われることがあります。つまり携帯やスマホが持込禁止で時間を知る必要がある時だけ腕時計が必要になるということです。次男坊に「私が仕事を引退したら、このホイヤーを形見として先に渡しておく」と言ったら興味なさそうな顔をされました。

そういう状況だから、さぞかし国内の時計会社の売上は携帯やスマホの普及に伴い、年々苦戦を強いられているだろうと思いきや、いやいやどうして、なかなか健闘しているので驚きました。


社団法人日本時計協会の「2013年日本の時計産業の概況」から引用してみます。

図1 日本のウオッチ完成品総出荷(輸出+国内出荷)数量の推移 [機種別]
日本のウオッチ完成品総出荷数量の推移

図2 日本のウオッチ完成品総出荷(輸出+国内出荷)金額の推移 [機種別] 
日本のウオッチ完成品総出荷金額の推移

2009年から2013年までの推移を見ると、出荷数量はほぼ横ばいですが、出荷金額は順調に伸ばしています(国内企業の海外生産品を含む)。

但し、2007年まではもっと売上も本数も多かったのですが、リーマンショックの影響か、2008年から大きく落ち込んで2009年が底となったようです。

携帯やスマホが急速に普及してきた中で、それと比例してここ10年間腕時計の売り上げは大きく減っているものと思っていましたが、どうもその見立ては間違っていたようです。

海外生産と輸出も含めてですが、日本の時計メーカーは2013年で腕時計を6,720万本も出荷し、その売上は2,145億円にのぼります。4年前の2009年と比べると本数で1,050万本増え、金額では633億円増加しています。

この5年間の売上高の右肩上がりは時計会社の並々ならぬ努力の結果でしょうけど、若い人の腕時計離れと今まで最大需要だった団塊世代が腕時計を必要とするビジネスから引退していくアゲンストの風の中で、この数字は立派としか言いようがありません。

本数や金額の増加は、輸出分が多いのでは?と疑問に思う人もいるでしょうから、国内出荷の推移をあげておきます。

図3 日本のウオッチ完成品国内出荷の推移[機種別]
日本のウオッチ完成品国内出荷の推移

国内出荷もまずまず順調に伸ばしています。2013年で国内出荷数740万本、金額にして897億円(1本平均12,000円)となっています。

そりゃそうです、なにも携帯やスマホが流行しているのは日本だけではありませんから、日本だけがそれを原因として売上が落ち込むわけではないでしょう。

しかしこれから先を見ると、スマホの影響は少ないとしても、少子化で労働人口が減り、ビジネスの現場で活躍してきた団塊世代も順次引退して、腕時計の国内需要自体は急速に減っていきそうです。私も仕事以外では腕時計の必要性は感じず、家に置きっぱなしの時が多いです。

また海外市場でもブランドイメージが高いスイスのメーカーや、格安のアジアン製品とのあいだで闘いを強いられることとなり、そのあたり、腕時計メーカーは生き残りのため今後どのようなマーケティング戦略を立てているのでしょうか、気になるところです。


【関連リンク】
764 思い出の香港
709 Amazonにガチ対抗できるのはイオンかセブン&アイか
702 アマゾンジャパンは国内の小売り業を破壊するか?


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もうひとつの人生があれば 2014/7/9(水)

833
84歳で亡くなった私の父親のことを考えると、私はいま56歳なので、父親の生きた年数のちょうど2/3に達したということになります。仕事もまもなく引退する予定なので、余命もわずか?と思っていただけに、え!まだ人生の1/3も残っているんだ?と思うとちょっと不思議な感覚になります。

ハートマーク男性の平均寿命は、約80歳ですが、これは生まれたばかりの0歳児の平均寿命なので、56歳の平均余命はもう少し長くなります。事故や大きな病気に罹らなければ、遺伝的、確率的には父親とほぼ同年齢か、父親の生きた時代よりも栄養がよく、医療の発達もあるので、それよりもう少し長く生きられるでしょう。

今回は寿命の話しではなく、私がもし今の生き方を選択せず、ずっと自分の思うままの人生を歩むことができたとしたら、どういう今を過ごしていただろうかと考えてみました。

例えば、私は27歳で結婚し、その後三人の子供に恵まれましたが、子供を作らなかったという選択肢や、結婚しないという選択肢もなかったわけではありません。

さらに飛躍しそうですが、亡くなった母親からは、「探してあげるからどこかに婿養子に入れば?」と高校時代の頃から盛んに言われ続けてきましたので、それに従うという道もありました。次男坊は新しく自分で人生を切り開くしかなく、それよりは楽ができる養子の道を勧めてくれたのです。

代々勤め人の家系で家には財産もなく、実家の家と土地があっても、それらは全部長男が継ぐのが普通で、かと言って自力で偉くなれるほど他人と比べて要領や頭脳がいいとはとても思えない私を心配してのことでしょうけど、そのような選択肢もあったことは確かです。

まず、もし結婚せずに今に至っていたとしたら、果たしてどういう日々を過ごしているでしょうか。

「結婚した」か「結婚しない」の最大の違いは、金銭的な面、住む家の違い、自分の周囲の人達の顔ぶれではないでしょうか?

まず金銭面ですが、最近の夫婦のように共に正社員で働いている夫婦であれば別ですが、私の時代はまだ女性は結婚すれば専業主婦が普通だったので、それに習って私の収入だけでずっと生計を立ててきました。

子供が生まれる前や、まだひとりだけだった頃は、生活にも余裕があり(バブルの頃だったせいもありますが)、海外や国内旅行へよくいき、豪華なリゾートホテルなどもよく利用していました。

しかしやがて二人目、三人目が生まれると、子供の学資保険の積み立てや、様々な物入りで少しきつくなってきます。

同時に子供がひとりだった時と二人、三人とでは、住む家も変わらざるを得ませんので、結婚当初の駅から近いけれど狭い賃貸マンションから、通勤に1時間程度はかかる郊外に、広めの中古マンションを買って住むことになり、最終的にはさらに広い現在の一戸建ての家を買うことになります。

もし独身を貫いていれば、状況は一変し、当時勤務していた都内の会社からも近く、繁華街の六本木や青山あたりのマンションに住んでいたかも知れません。1980〜90年代当時はまだ会社の景気が良く、ひとりで生活する分には収入もそれなりに多かったので。

そして今のように住む家を買わず、数年ごとに気に入った場所へと移り住み、どこかに落ち着くということもしなかったと思います。当然友人や仲間も今とは大きく違っていたでしょう。それが「自由で気楽でいい」と感じるか、「ひとりで寂しい」と感じるかは、両方経験してみないことには判断がつきません。

現実の私は、子供が高校や大学(いずれも私立)に通うようになると、ますます金銭的な余裕はなくなり、早くも貯金を取り崩し、入学金や授業料に充てざるを得ない厳しい生活環境へと変わっていきます。

独身ならば、そういうことはなく、キチンと管理さえすれば預金もそこそこは貯まっていくでしょうけど、果たして性格からして老後の資金を蓄えておくような計画性をもったライフプランが作れたか?と言うとそれは極めて怪しそうです。

私はあればあるだけ適当に使っちゃうという放漫な生活スタイルを好むので、住宅ローンや学資保険で自動的に毎月引き落とされたり、子供の入学金の150万円がいつまでに必要とか事前にわかっていなければ、生活を切り詰めてしっかり貯金をしていくことにはきっとならなかったしょう。

当然お金が自由に使える独身者の周囲には、それなりに同種の友人や知人が集まってきます。夜な夜な派手なパーティや飲み会、夏休みには海外旅行、趣味やスポーツに大金をつぎ込むなど、今の自由にならない身の上ではなんとも羨ましい生活ですが、そのような生活をずっとしていてはお金が貯まるとも思えません。

高校時代は私立に通っていましたが、同級生の多くは家で商売をやっている裕福な家の息子が多く、そういう連中は金遣いが派手で、私が自転車を必死にこいで通学していた中、親にポンとナナハン(KAWASAKIのZ2が大人気)を買ってもらってそれで学校まで乗ってきていたり(表向きは当然バイク通学禁止でしたが)、楽器といえば小学生の時に買ってもらった縦笛しか持ってない私に対し、ギブソンのギターを何本も持っていたりと、私のような貧乏サラリーマンの次男坊とはまったく釣り合わず、なかなか付き合いきれませんでした。

もしそういった羽振りのいい商売人のドラ息子のような生活をして散財を続けていたら、さぞかし豪遊はできたでしょうけど、老いた先の未来はそれに反してきっとつまらないものになっていくような気がします。でも男の夢とロマンを追えば、家族や老い先のことなど考えずもっと自由に生きてみたかったというのも気持ちの半分はあります。

もうひとつ、もし親の薦め通りに養子に入っていたらどうだったか?

なかなか想像しにくいですが、親からは「大卒の息子を差し出すからには結納で1千万円(40年ほど前の話しで、今に換算するとその3倍ぐらいの価値か?)と、新車のポルシェを買ってもらうことぐらいは容易い」「向こうの親と商売の面倒は奥さんが見るので、自分は自由にサラリーマンやるのもよし、のんびり暮らせるよ」と言った趣旨の能天気な話しを聞かされていましたが、実際はどうだったでしょう。

あまり客商売は好きでない私ですから、なかなか養子という立場だと、婿養子をとりたがる相手が希望するような人当たりの良い「マスオさん」的な跡継ぎにはならなかったかもしれません。でも長く続く家が養子を取る最大の目的は、跡継ぎが途切れないように孫を作ることらしいので、それなら何人でも大丈夫だったかなと(笑)。

理想は、永代続く名門の料亭の一人娘のところへ婿入りして、中村主水じゃないけれど、適当に外で軽くお勤めをしながら、休みの日には家の仕事はほっぽり出して、店の従業員からは「バカ(若)旦那」と呼ばれつつ、結婚する時に買ってもらったポルシェで夜な夜な遊び回り、家に帰ってからは、家や店の手伝いなどは一切かまわず、広い庭でひとり焚き火をして楽しむ・・・う〜む、そういう生活は男冥利に尽きそうです。

ただし、そのようなことをしていて、本当に幸せを感じたかどうかは、まったくわかりませんが。


【関連リンク】
787 世帯内単身者の増加が引き起こすかも知れない社会問題
724 離婚の多さと結婚という形式
720 そして次男坊は希少価値を持つ


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高齢者向けビジネス(第4部 ボランティア編) 2014/7/12(土)

834
今回はボランティアであってビジネスではありませんが、一応シリーズものとしてタイトルはそのままにしておきます。

過去の「高齢者向けビジネス(第1部 居住編)」、「高齢者向けビジネス(第2部 趣味編)」、「高齢者向けビジネス(第3部 仕事編)」に続く第4弾です。

都会風景比較的裕福で「もうガリガリ働いて生活費を稼がなくてもいいや」という恵まれた高齢者の方もたくさんいらしゃいます。なんと言っても60才以上の高齢者世帯の平均預貯金額は2000万円を軽く超え、持ち家率も90%を上回り、さらに年金などの所得も1世帯の年間平均で300万円以上あります(平成25年版 高齢社会白書より)。

もちろん「余裕はあるけど、もっと働きたい」という人は、本当にお金が必要な若い人の邪魔にならない程度に働いて、収入を得てもそれは自由なわけですが、そうした生活に心配がない高齢者に相応しい働き方としてボランティアがあります。

このボランティアという制度が日本で根付いてきたのは私の知る限りでは、1995年の阪神淡路大震災の時以降かなぁと思っています。もちろんそれ以前からもあったでしょうけど、散発的だったり地域的なものだったりして、組織だったメジャーなものは少なかったと思われます。

その後、東日本大震災などの地震被害、台風被害、竜巻、雪害など主に天災に見舞われた地域への集団的、組織的なボランティア活動が特に若者を中心として盛んになっていきました。また従来からある個人的なボランティアも一般的になってきたせいか増えています。

一概に高齢者に対して「ボランティアでもやったらどうでしょう?」と言うと、具体的にはどこでなにをやればいいのかよくわからないと思いますし、また高齢者が可能なボランティアも限られてはいます。

高齢者になにもない被災地にいきなり入って身体ひとつでおこなうような肉体的にハードなボランティアは向かないでしょうし、時には「ボランティアという名を借りた被災地観光」とか「邪魔なだけ」と非難されるケースが高齢者に限らず発生し、せっかくの好意と善意がうまくかみ合わないケースもあります。

ボランティア活動が本格的に普及してきた1995年と言えば団塊世代はすでに40代後半に入り、目の前の仕事や子育てなど家庭に忙殺され、ボランティア活動どころではなかった状態です。それだけに今の高齢者(60才以上)にとってはボランティア活動には馴染みが薄く、最初は敷居が高く感じられるでしょう。

そうした中で、国や自治体にぜひ率先して制度を作って推進してもらいたいと思っているのが、小学校や中学校へ派遣する高齢者ボランティアです。

今の学校教師は昔と比べるとたいへん大きな役割とプレッシャーがかかっているように思います。例えばモンスターペアレント、ストレスが多く情緒不安定になりがちな子供達、長期間の不登校生徒対応、家族崩壊など保護者の問題、携帯やスマホによる子供同士のネットワーク、いじめや自殺問題、体罰、子供や保護者が教師を査定するなどなど。

日本の先生、世界一多忙なのに指導には胸張れない(朝日新聞DIGITAL)

そうした教員のサポート役として、地域の高齢者が日替わりでいいのでバックアップし、教師の負担となっている事務処理や保護者対応、子供の指導や見守り役などを肩代わりして、生徒と直接向き合う指導や、質の高い授業のために事前の準備をしっかりとおこない、外部の研修にも積極的に出ていくという、いまよりはもっと創造的な仕事をやってもらうのです。

ボランティアなら教員免許を持っていなくても、企業内でマネージメントや事務処理の経験があり、人の説得に長けた高齢者がサポートにつけば、最初のうちは双方とも思惑がなかなか一致せず、ギクシャクするかもしれませんが、いろいろと修正を加えていくことで長い目で見れば先生にとっても強い味方になるでしょう。やる前からあれこれ心配するのではなく、失敗例は反省し、成功例が出てくればそれを推進していけばいいのです。

時には道徳の時間で、そうしたボランティアの高齢者に、自分が子供だった頃の話しや、仕事で世界中を飛び回った経験談などを話してもらうことで、教師ではできない生の社会人の話が聞ける機会は、自分の親のことぐらいしか知らない視野の狭い子供達にとっては大いに役立つと思います。

放課後も高齢者ボランティアがいることで、勉強が遅れがちな子供の学習サポートや、スポーツや遊技の安全指導、監視などいくらでもやってもらえそうです。

またそうしたことを積極的にやってくれる人は決してお金のために動くような人ではなく、子供達と無理なく接することで、生き甲斐となります。

そのためにも教員の「自分の仕事が奪われかねない」とか「教師を削減しようとしているのではないか?」とか、あるいは「安全面で誰が責任をとってもらえるのか?」など保護者からの心配などを国や自治体が責任を持って払拭するよう努め、登録&事前教育ありのボランティア制度として導入してみてはどうでしょう。

登録しているどの人に来てもらうかどうかは、それぞれの学校や教員の判断で、来てもらう曜日や時間帯は、高齢者ということを考慮した上で面接の際に決めればいいのです。

次のボランティアは、小さな町にも商店街があり、商店街があればそこには商店会という組織があり、地域の祭りや年末セール、地域消防訓練などを率先しておこなっています。

そうしたところでは、商店会の有志の人が細々と商店会のホームページを作っているところもありますが、素人の片手間ではなかなか作ったきりで更新が進んでいないというのが実情でしょう。

そうした商店会&各商店のホームページの作成と更新作業をボランティアとして引き受けて、商店会だけでなく、その地域の魅力や名所を広く伝え、結果的に商店会を盛り上げるというお手伝いするというのはどうでしょう?

もちろんそうしたホームページを作るセンスや、多少の知識がないとできませんが、2〜3日も勉強すれば、基本はそこそこマスターできますし、あらためてレンタルサーバを借りて独自に作るのではなく、Facebookなど、無料で商用利用が可能な便利で使いやすいインフラを利用してもいいでしょう。

ボランティアが介在すれば商店会のメンバーが作るのではなく中立公平な立場で作れますし、その地域に長く住んでいる人ならば、地域のこともよく知っていて、地域の魅力を発信するのに最適です。地域の催し情報、災害時の避難場所情報、お買い得情報、商店会各店舗の割引クーポンなどをホームページ上に掲載したり、商品の宅配サービスの受付など、専従者がいるとアイデアは次々と出てきそうです。

3つめのボランティアですが、私は中学生から高校生の頃には通学にも使っていた自転車に凝っていて、最終的には各パーツをひとつひとつ買い集め、世界で1台の自転車をひとりで組み上げた経験があります。

そうしたなにか自分にちょっとした得意分野があれば、例えば上記の自転車を例にあげると、自宅近くに自転車屋さんがあれば営業妨害にもなりかねませんが、もしなければ、自宅に「自転車修理を無料でおこないます」の看板をあげると、そりゃご近所さんや自転車のトラブルで困っている通りがかりの人から喜ばれること確実です。

自転車修理の部品代なんてたかがしれていて、パンク修理キット(約5回分のパンク修理ぐらいはできる)は100円ショップでも売っていますし、作業も慣れていれば10分もかかりません(特殊なタイヤや自転車は除く)。

さすがにチューブやタイヤを交換するような時は部品代の実費は負担してもらうことになるでしょうけど、空気抜けやパンク、虫ゴム交換、サドルやハンドル高さ調整、チェーンのゆるみ調整、ブレーキ調整、給脂、スポーク折れ交換など、ほとんど費用がかからない修理を無料でおこなうことで地域に貢献ができます。

さらに地域の自転車通学がある学校へ出向き、学校の了解をもらい、自転車置き場にある生徒の自転車を点検し、タイヤの空気を補充し、ブレーキをちゃんと効くようにし、修理や調整した箇所を自転車に書いて貼っておくことで、生徒の自転車事故やトラブルを未然に防ぐというボランティアだってできそうです。

こうした個人でできるボランティアは、世の中がなんでも金・カネ・かねという社会に一石を投じることになるのではないでしょうか。(自転車屋さんごめんなさい)

以上、組織的におこなうボランティアもあれば、個人が自分の特技や好きなことを発展させて役立てていくというボランティアなど、やる気になればいくらでもありますよとホンの一例をあげてみました。

私なら、足が悪いので、外で長く出歩き、また肉体労働的なボランティアはできませんが、ネットでできることや、座ってできる仕事であれば、それが多くの人に喜ばれるならぜひやってみたいなと考えています。

例えば昔はよくお世話になった公立図書館へ行き、古い本や傷んだ本の修復作業や、返却本の消毒、クリーニングなどを自主的にやるとかいいかもしれません。周りを本に囲まれた仕事っていうのも一度はやってみたいなと思っています。そういう仕事があるかどうかは知りませんが。


【関連リンク】
824 高齢者向けビジネス(第3部 仕事編)
820 高齢者向けビジネス(第2部 趣味編)
810 高齢者向けビジネス(第1部 居住編)


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7月前半の読書と感想、書評 2014/7/16(水)

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陽だまりの偽り (双葉文庫) 長岡弘樹

少し前に読んだ短編小説集「傍聞き」(文庫版2011年)がとてもよかったので、それより前に出ていたこの作品を買ってきました。この作品は2005年に著者としては単行本デビューの作品で、その後2008年に文庫化されています。

この作品も短編小説集で、それぞれのタイトルは、「陽だまりの偽り」「淡い青のなかに」「プレイヤー」「写心」「重い扉が」の5編が収録されています。

本のタイトルにもなっている「陽だまりの偽り」は、学校校長まで勤め上げて引退したプライドの高い高齢の男性が、物忘れが多くなってきて、自分でもアルツハイマーの疑いをもちつつ、それを誰にも知られたくないという思いがあります。そして同居している嫁から孫へ送るため託された仕送りの現金をどこかで紛失したことから起きる騒動です。認知症患者が増えていく中、こうしたことが当たり前に起きる社会となりそうです。

その他、忙しく働くシングルマザーと息子が乗ったクルマが夜中に人を轢いてしまったことで起きる葛藤劇の「淡い青のなかに」
、「プレイヤー」は役所の立体駐車場で起きた転落事故から、昇級問題へと発展していくちょっと不可解な物語。

「写心」は親から受け継いだ写真館の経営に失敗し、闇金からの借金を返すために子供の誘拐を計画した男が主人公で、誘拐した後、まったく思いもよらない展開へ進んでいきます。最後の「重い扉が」は犯罪を通して描かれる父と息子の関係と、なかなか日常的ではない風景ばかりで、そんなのありえねぇと思ってしまいますが、まぁ楽しく読めました。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

日曜日たち (講談社文庫) 吉田修一

著者の作品は、「悪人」や「さよなら渓谷」など、世の中の理不尽でもあり不可解なところを鋭く突いていて、面白く読ませていただいています。この作品は連作短編集で、2003年に発刊、2006年に文庫化されています。

九州から家出をしてきたらしい幼い二人の兄弟が、各物語で微妙な味付けで登場してきます。ただ私にはその意味というか、役割がどうもよくわからずに、最後まできました。

各編はそれぞれ違った主人公が登場し、タイトルは「日曜日のエレベーター」「日曜日の被害者」「日曜日の新郎たち」「日曜日の運勢」「日曜日たち」とすべて日曜日でまとめられています。

大都会で暮らす若者を描いた作品ですが、各編ともなにかちょっと納得がいかない終わり方なのは、私の感性のなさからくるものか、それともこういうのがいま流行っているのかは定かではありません。

あるいはもっと刺激的で喜怒哀楽が散りばめられ、ジェットコースターのような展開を、知らず知らずに私が小説に期待をしてしまっているのかもしれません。そうじゃないことを願いたいばかりです。

著者別読書感想(吉田修一)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

人生を無駄にしない会社の選び方 新田 龍

なんというか、昔は割と似たような仕事をしてきたことがある私にとって、この書籍に書かれていることの感想を書くのは、表も裏もよく知っているだけにちょっと難しいのですが、これはこれから初めて就職をする学生や、初めて転職をする人にとっては、役立つものだと思えます。

つまり就職や転職の初心者向けの入門書としてはよくできていますし、文句のつけようはありません。

私から言わせると、「え?こんなことも言ってあげないとわからないの?」とか「これを知らずに転職をするつもり?」ってことが結構あり、なるほどなぁってあらためて感心させられました。

著者は高校や大学などで、就職講座などを開いているということを考えると、そうした社会の掟をまだ知らない人達に向けては、このような懇切丁寧なな説明と解説が必要なんだということなのでしょう。

ただ私から言わせてもらうと、どんな会社に入ったとしても、タイトルにあるように「人生を無駄にした」と言えることは決してなく、それもやはり社会人としての経験となり、自分の見る目のなさを思い知ることができたりします。最後に決断をするのは自分の責任であって、誰のせいにもしてはいけません。

あえて「人生を無駄にした」と言えるのは、就職や転職に失敗したとしても、それに対してなんの自己反省もなく、「上司が悪い」「社風が悪い」「残業が多い」とすべて責任を他者に押しつけて「自分はなにも悪くない」という自己中心的な考えに陥ってしまうことなのではないでしょうか。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

佐賀のがばいばあちゃん (徳間文庫) 島田洋七

漫才師の著者が子供の時代の話しを書いた小説で、当初は自主出版だったものが、やがて大ヒットし、その後映画やテレビドラマ化もされて、知っている人も多い作品ですが、私は映画もテレビも見てなく、前から気にはしていました。

著者の島田洋七氏は1950年生まれですから、ほぼ団塊世代に近く、戦後の混乱期を幼年期に過ごしてきたたくましい世代です。父親は生まれてまもなく原爆の後遺症で亡くなり、最初は母親に育てられますが、小学生低学年の時に佐賀の祖母に預けられ、中学校を卒業するまでの8年間を祖母と二人で暮らすことになります。

とにかく著者は根っからの漫才師、どこまでが実話でどこから作り物かはわかりません。

でもこうした芸能人や作家さんの貧しい時代の話しって、田村裕氏の「ホームレス中学生」なども同様ですが、世の中の人には好意的に受け入れられるようで、どうしても面白くして売らんかなの気持ちがかいま見えてしまい、個人的にはちょっと控え気味です。

一般的な読者がこうした貧乏物語を受け入れやすいのは、「あぁこの人よりはずっとマシな生活をおくれていた」という安心感や優越感からくるものなのでしょうかね。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

真夜中の神話 (文春文庫) 真保裕一

2004年に単行本、2007年に文庫本が発刊されている500ページを超える長編小説です。著者の作品は、十数冊を読みましたが、当たり外れが少なく、とても気に入っています。

この本を買って、読み始めるとなにか既視感を感じ、調べると文庫が発刊されたと7年前にに買って読んでいました。またやってしまいましたが、結局面白くて最後まで読み通しました。

中でも巨大ダムの監視員がテロリストと戦う「ホワイトアウト」、ヤクザと日本に密航するベトナム人が主人公の「黄金の島」、素人が集まって衆議院選挙に立候補しようとする「ダイスをころがせ!」、織田信長に仕える光秀に焦点をあてた「覇王の番人」など、まったく主人公も小説のジャンルも違う小説を次々と書いていく才能の高さには驚くばかりです。

この小説はAmazonのレビューを読むと「著者の作品ワースト3のひとつ」など、あまり評判は芳しくはないようですが、私的にはすぐにでも映像化ができそうな壮大なスペクタルミステリー作品として評価します。映像化するには、海外ロケなどかなりのお金がかかりそうですけどね。

主人公は、夫と子供を交通事故で失った研究者の女性。その主人公が乗った飛行機がインドネシアの山奥に墜落してしまいます。しかし乗客の中でただひとり山の民に救い出され、そして奇跡的に回復をします。

そのことから、山の民には科学では証明できない奇跡があるのでは?という憶測と、コウモリを自由に操る吸血鬼伝説などともつながって、主人公やそれに疑念を抱くグループが再び山の中へと戻っていきます。

さすがに数年前に一度読んでいるので、最後のどんでん返しは、途中で思い出してわかっていましたが、それなりに楽しめる内容です。

著者別読書感想(真保裕一)


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上方漫才と落語の話し 2014/7/19(土)

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子供の頃は関東では放映されていない吉本新喜劇を毎週欠かさずテレビで見ていたこともあり、上方の漫才や上方落語の「単純な笑い」が結構好きです。しかもそれは1980年以降、漫才ブームが起きる以前のものに強く印象が残っています。

私の子供の頃、好きだった上方漫才コンビ(グループ)と言えば、

海原お浜・小浜(1933〜1976年)
 私の母が好きだったコンビで奥目でゴリラのようにでかいお浜と、小柄色白ぽっちゃりの小浜のコンビは姉妹ではなく親戚同士
中田ダイマル・ラケット(1934〜1982年)
 ダイマルのカバのような容姿とそれに相反する知的な語り口に圧倒されました
平和ラッパ・日佐丸(?)
 独特のしゃべり方がそれだけで爆笑を誘いました
夢路いとし・喜味こいし(1937〜2003年)
 私の中では上方漫才と言えばこの二人のしゃべくり漫才で、永遠に忘れられない
人生幸朗・生恵幸子(1952〜1982年)
 言い方やテーマが気に障ることも「責任者出てこい!」「出てきたらどうすんの」「謝る」が最高
横山ホットブラザース(1952年〜)
 メンバーが少し入れ替わっているものの、現役最長かも。あと何年見られることやら
かしまし娘(1956年〜)
 いまも3人ともご健在。漫才はしていないが、映画ではみんな年季の入ったいい脇役をしている
漫画トリオ(1960〜1968年)
 横山ノックと上岡龍太郎のふたりの強烈な印象が強いけど、わずか9年間の結成でした
Wヤング【平川幸男、佐藤武志】(1964年〜)
 初代Wヤングはひとりが1979年に自殺し漫才ブームに乗れなかった。今は第2次Wヤング
横山やすし・西川きよし(1966〜1989年)
 ライバルだったWヤング(初代)が失速しその代わりに急浮上。人気が出た後は面白くなくなった
コメディNo.1【前田五郎、坂田利夫】(1967〜2009年)
 たいへん好きだったが、前田五郎の中田カウス宛の脅迫状事件容疑でコンビ解散、残念
レツゴー三匹(1968年〜)
 今年2014年5月にレツゴーじゅんが亡くなり二人になったけど、そのまま三匹で続行
中田カウス・ボタン(1969年〜)
 1970年代はまだ若手漫才師だったが今や重鎮。とぼけた感じのカウスが大人気
海原千里・万里(1971〜1977年)
 伝説にもなった千里(上沼恵美子)のしゃべくり芸は超一品。77年に千里の結婚で解散
今いくよ・くるよ(1971年〜)
 くるよのビッグな体型は40年前から変わらず。長年体型を維持する努力は由美かおる並?
ザ・ぼんち(1973〜1986年)
 若手のホープとして期待していたのですが、私の知らない間にあっさりとコンビ解消していました
オール阪神・巨人(1975年〜)
 元祖凸凹コンビ。最初にみた当時は、そのコンビ名と二人の身長差にインパクトがあったが今や吉本の重鎮
 ( )は結成と解消年、敬称略

などが一番旬だった頃で、現在は鬼籍に入られた方か、当時はまだ若手でも今は業界では大御所と呼ばれる人達になっています。

上方漫才以外では

獅子てんや・瀬戸わんや(1952〜1993年)
 わんやがてんやを激しくひっぱたくシーンが多く気の毒だった。「ぴっぴっピーヨコちゃんじゃ、アヒルじゃガァガァ」は名言
コント55号(1966〜2011年)
 やたらとドタバタしているだけで、今から考えると、なにが面白かったのかよくわからなかい

ぐらいかなぁ、、、

1980年代に巻き起こった漫才ブームの頃以降は、ちょうど就職と重なり、テレビを見る暇はなく(1年ぐらいはテレビもなかった)、ほとんど興味がなくなり、その後出てきた漫才師についてはほとんど知りません。

なので、今やお笑い界の大物となっている「とんねるず」や「ダウンタウン」「紳助・竜介」「ロンドンブーツ」などの漫才は聞いたこともなく、単なるお笑いバラエティの司会者?ぐらいの感覚です。

次に上方落語家では、

笑福亭松鶴(6代目) 1918〜1986年
桂米朝(3代目) 1925年〜
桂春団治 (3代目) 1930年〜
桂文枝(5代目) 1930〜2005年
露の五郎(2代目) 1932〜2009年
笑福亭仁鶴(3代目) 1937年〜
桂枝雀 (2代目) 1939〜1999年
笑福亭鶴光(2代目) 1948年〜

を中心によく聞いていました。さすがにみなさんいずれも芸を極めた方ばかりで素晴らしいの一言です。

特に当時は深夜帯にFMラジオで放送される長編の古典落語は、音も良く、部屋を暗くして聞いていると臨場感もあっていいものでした。ラジオで聞いていても、その所作が浮かんでくるのが名人芸です。そしてやっぱり落語は1時間ぐらいじっくりと聞きたいものです。

落語もよく聞いていたのは1960年後半から1970年代のことで、1980年以降のことはあまりよく知りません。

演目は、落語家それぞれに得意な噺があるのですが、同じ噺でも、落語家が変わると、まるで違う話を聞いているようで楽しめました。

どういうネタが好きだったかと言えば、もう昔のことであまり覚えていないのですが、「青菜」「愛宕山」「地獄八景亡者戯」「天王寺詣り」「初天神」「崇徳院」「京の茶漬け」「牛ほめ」「高津の富」「壺算」「道具屋」「提灯屋」「抜け雀」「貧乏花見」「らくだ」「住吉駕籠」「七度狐」「ねずみ穴」「紀州」などの古典落語が印象に残っています。

桂文枝(6代目、前桂三枝)らが好む現代の創作落語にはあまり興味がなく、やっぱり江戸時代の庶民話が最高によかったなと今でもそう思います。

ただ創作新作落語の中でも4代目桂米團治(1896年〜1951年)が自らの仕事経験を元にして作った「代書屋」は、米團治の弟子だった米朝(3代目)やそのまた弟子の枝雀(2代目)に伝えられ、とてもいい作品に仕上がっていました。そうやって創作落語の中でも本当にいいものは、弟子達に受け継がれて、やがて古典のひとつとなっていくのでしょう。

最近はNHKで時々落語を放送しているので、上方落語だけをピックアップして録画しています。一度は聞いたことがある噺が多いのですが、当時とすっかり面子も代わり、それを楽しんでいます。ただし残念なことに1話の放映時間が30分(実質25分ぐらい)なので、噺は途中で終わったりします。

高齢化社会で、古典落語ファンも多いはずで、これからもっと放送時間を増やしてもらいたいところですが、民放だとスポンサーも見つかりにくく、若い人向けの(くだらない)バラエティと比べ、それほど視聴率が取れるものではないのでしょうね。

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電話に出るということ 2014/7/23(水)

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新入社員が研修を終えて各部署に配属されたあと、まず最初にやることと言えば「外からかかってきた電話をとる」というケースが一般的には多いようです。

赤電話30数年前の私の新入社員時代もそうでしたので、それはあまり変わりませんが、当時と違っていまは仕事の連絡はメールでやりとりをすることが多くなり、通常のオフィスであればその頃と比べると電話はそれほどかかってきませんので、新入社員が外からの電話に慣れるのにも時間がかかりそうです。

毎年4〜6月頃に仕事で電話をかけると、こちらの会社名や名前をなかなか正確に聞き取ってもらえなかったり、なにか簡単なことを依頼をするにも要領が悪かったりするのはそういうことでしょう。

私が最初に勤めた先はサービス業ということもあり、電話が鳴ると他の仕事を中断しても真っ先に電話を取るように指導され、競うように電話を取りました。

着信音が鳴りだす前に、まず電話の着信を知らせる赤いランプがチカチカと点灯しますので、それだけで受話器を取っている先輩が多くて驚いたものです。つまり音が鳴る前に電話を先に取られています。

また、ある別の会社では、「早く電話を取りすぎると、相手が話す心の準備ができていないうちにいきなりつながってしまうので、ワンテンポかツーテンポわざと遅らせて取るのがいい」とマナー教室で教えていたところもあり、会社の業種や経営者の考え方でマナーも変わってくるものだなと感心したものです。

電話をかけて一番気分が悪くなるのはなんと言っても役所です。まずなかなか電話がつながらないのが、「俺たちは忙しいんだ」「仕方ないから出てやるか」的な想像をしてしまいます。電話が鳴ってもなかなか出ようとはしないのが公務員です。

最近の役所では電話がつながらないというクレームを解消すべく、最初に電話に出るのは派遣社員やアルバイトに任せることが多くなってきたみたいで、そういう人はキチンとマナーをわきまえて対応されています。ところが担当者に替わってもらったとたん、不機嫌そうで横柄な人が出てくることがよくあり、本質はなにも変わっちゃいないことを思い知らされます。

役所ではキチンとした電話応対の研修を、特に正規職員に対して定期的におこなってもらいたいものです。電話に出るときは、社名や部署名、名前を相手に告げるのが最低の礼儀ですが、役所にかけてこちらが名乗っても、こちらがあえて聞かない限り、そうしたことをちゃんと名乗ってくれる人はほぼ皆無です。

新入社員の時の研修で、電話に出るときに「○○(社名)でございます」とか「お電話ありがとうございます。○○でございます。」と明るくハキハキとした感じで出る練習を何度もしましたが、社名が長くて言いにくかったり、別のことを考えながら条件反射的に電話に出たりすると、しどろもどろになってしまうことがあります。

研修で言われたのは社名の最初に「タ行」「ハ行」の言葉がくると、一言目が詰まって言い出しにくいと言われましたが、人によっては発音に苦手な言葉があり、どもってしまったり、無言で固まってしまったりすることがあります。

そう言えば西加奈子著の「通天閣」に最初の言葉がア行の時だけなぜか突然どもってしまうという人が出てきました。普段はすらすら話しができるのに、その言葉が最初に入るとおかしくなってしまいます。「こんにちは!お、お、お、お疲れ様です、、、」ってな感じですね。

これは小説の中の話しですが、実際にもそういう人がいても不思議ではありません。なにがそうさせるのかはわかりませんが、私も新入社員の頃、電話に出て言葉に詰まってしまい、えらく恥をかいたことが何度かあります。実のところ電話は苦手です。

さすがに今では私のような50代の男が最初に電話をとる機会は滅多にありませんが(会社としてもイメージ良くないでしょ?)、今後定年後の再就職先やパート・アルバイトの現場では、またこうした電話応対から始めることになりそうだなとちょっと不安な気持ちもあります。もう十分に開き直っているので大丈夫だとは思いますが。

そう言えば電話応対のプロが集まるコールセンターでも中高年男性のオペレーターが結構人気で活躍しているという記事を読んだことがあります。

ひどいクレームや言いがかりをつけられることが多そうなコールセンター業務では、そうした男性中高年者で、安心感のある低く落ち着いた感じで、説得力のある会話ができる人には向いているかもしれません。

それに男性だと深夜勤務も気にしない人が多そうだし、年金がもらえる年齢(60歳)以上なら、それほど毎日ガシガシと働かなくても週何日かのローテーションで働けそうで向いているのかもしれません。電話が苦手な私には絶対に向かない仕事だけど。


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700 なにもかも懐かしい新入社員の頃
694 履歴書の中の嘘はすぐバレる
660 40〜50歳代プチ高所得者がハマる罠


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夢の隠遁生活 2014/7/26(土)

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隠遁とは「俗世間を逃れて隠れ住むこと」とありますが、別に山奥に隠れ住みはしなくても、俗世間と少し距離を置いて誰にも邪魔されず、好きなことをやって余生を送りたいと思っている人は少なくないでしょう。

藁葺き屋根の古民家もうだいぶんと以前から都会から地方の農村部や海外へ移住する人の話しがニュースなどで時々登場し、私も一種のあこがれを持って見ていましたが、それらの人の多くは五体満足の健康で、しかも比較的裕福な方が多そうで、あまり私の参考にはなりません。

あるいは裕福ではない人でも、実家が地方にあり、都会に出て長く仕事をしていた人が、仕事から引退し、親元や兄弟がいる地方へ帰ったりするケースなどもあり、理由は様々ですが、都会を去って田舎に住むという人はある一定数は出てきそうです。

特に団塊世代の人達は、若いときに学校や就職のために地方から大都市に出てきて、そのまま都会に住みつき、核家族を形成してきた人が多く、そうした人達が仕事を辞め、子供達を社会に送り出した後、昔を懐かしんで地方へ帰っていくという例は今後増えそうな気がします。便利な都会に住み続けたい家族をどう説得できるかが鍵でしょうけど。

6月に放映されたNHK土曜ドラマ「55歳からのハローライフ 」の第1話「キャンピングカー」では、早期退職制度で引退した中年男性が、自分の夢であったキャンピングカーを買って日本国内を妻と一緒に回りたいと家族に告げますが、妻の同意は得られず、自分の身勝手さを思い知らされ苦悩する姿が印象的でした。

私の場合も、元々は周囲は山と田畑ばかりの田舎の育ち(幼児の頃までは、農耕用の牛馬を飼っている家が近所にいくつもありました)ですが、次男のため実家の家も土地も継げず、いまさら故郷に帰ろうとは考えていません。それでも家族を説得できれば年金生活は都会からは少し離れた場所で暮らしたいなと思っています。

田舎暮らしは都会で長く生活をしてきた人にとっては、そう夢見るほど甘いものでないという話しも耳にタコができるほどよく聞きます。

例えば、「近所や町内会などの人間関係が濃密で煩わしい」、「ネットや携帯電話の接続環境が悪くて遅い」、「雪が多いところでは毎日の雪下ろしや道路の除雪がたいへん」、「ちょっと買い物したくてもクルマで何十分もかかる」、「外食やお茶するにも夜は遅くまでやっている店がない」、「地元民からはずっとよそ者と見られ、疎外感を感じる」、「テレビのチャンネル数が都会と比べると少なく映画館やレンタルビデオなども少ない」、「美しい自然環境は、住む人にとっては厳しい自然環境」などなど。

このような本も出ています。
田舎暮らしに殺されない法」 (朝日文庫)丸山健二著
Amazon内容紹介:団塊の世代が定年を迎え、「第二の人生」を「夢の田舎暮らし」に託す人々が増えた。ところが……。安易に田舎暮らしを決めて、本当にいいのか? 厳しい自然環境、共同体の閉鎖的な人間関係、やがて襲ってくる強烈な孤独など、田舎に暮らすことの幻想を暴きつつ、それでも田舎暮らしを志向する人に向けて、自立し、目的意識を持つことの大切さを説く。田舎暮らし歴40年の著者が、豊富な体験から田舎暮らしに潜む危険を説く書き下ろしエッセイ。

この本では、「田舎ぐらいってこんなにもたいへんなのか!」って驚くほどのことが書かれています。例えば都会のようにご近所さんや、すぐに駆けつけてくれる警察などない田舎では「強盗対策に槍(棒の先にナイフをくくりつけたような)ものを準備しておき、いざというときは躊躇なく相手を刺す」とか「田舎ではプライバシーはない」「自分の都合ではなく町や村の都合で生活が縛られる」「農閑期以外は都会と同様に騒音に悩まされる」などなど。

それに田舎暮らしにあこがれる団塊世代に向けてかなり厳しい批判と偏見をもった語り調で、私は団塊世代ではありませんが、それでもちょっとムッときますが、それぐらいきつく言わないと、真実がわかってもらえないということなのでしょう。

こちらの本はもう少しマイルドです。
田舎暮らしができる人 できない人」(集英社新書)玉村豊男著
Amazon内容紹介:組織人から生活者回帰する男たちへのエール!停年後は田舎暮らし、への関心が団塊世代を中心に高まっている。後半生の幸福な人生の選択とは何か? 田舎暮らし歴25年の著者が語る、手触りのある暮らしの潤い、安らぎ、停年リボーンの思想。

新たな田舎暮らしには上記の本に詳しく書かれていますが、様々な問題があります。

そしてそれらの問題を少しでも和らげるのには、いきなり地元民と同じ環境に入っていくのではなく、多少余計にお金はかかりますが、同じ都会で暮らし価値観なども似た人達が多く住む、開発された別荘地に永住するという考え方がいいそうです。

そうすれば、田舎独特の煩わしい人間関係や、古いしきたりに気を遣うこともなく、他の住民との適度な距離感が得られ、都会とそう変わらない生活ができるからです。そう言えば私の知人にも、郊外の一軒家を売って伊豆の別荘地へ移住された方がいらっしゃいます。

ただし別荘地でも、管理状態が悪いと古くなって荒れ果て朽ちたままの建物が周囲に増えてしまったり、安易な開発のため何十年に一度という大雨で盛土や道路が流されたり、また、静かに生活したい永住組と、たまにはハメを外して大騒ぎしたい純粋な別荘組とのあいだが険悪なムードになったりと、問題がないわけではありません。

そして特に高齢者にとって一番深刻な問題になるのは医療や介護でしょう。今は元気でも、いずれは病に罹り、寝たきりになったり、ひとりでは食料品の買い物にも行けなくなるかも知れません。

都会では最先端の医療を提供してくれる病院が自宅近くにも数多くあり、優秀な専門の医師もすぐに見つかるでしょう。完全介護の施設はすでに入居待ち状態ですが、デイケアサービスや訪問介護などの都市型介護サービスは充実しています。

しかし、考えても見てください。今後都市部においては高齢者の数が急速に増え、それにともない要介護者や患者数も急増することになり、今までのように病気の治療や介護が満足に受けられなくなるのは目に見えています。国も医療費や社会保障費の増大に頭を抱え、高齢者に対し自宅介護をするよう自立を強く求めていてそれが今後顕著になるでしょう。

つまり都会に住んでいても誰しも望むような高度な医療や専門医の治療などは、相当なお金持ちや有名人、病院や医者に強いコネがある人以外は難しくなるということを理解しておく必要がありそうです。

なにをするにしても便利で、文化的な生活がおくれる都市部も、これからの40年間は病気や介護と無縁ではいられなくなる高齢者にとって、決して安心して住みやすい場所や環境ではなくなる可能性があるわけです。

一方、地方では、すでに限界集落や準限界集落化しているところもあり、若者の数はもちろんですが、高齢者自体の数も減少してきています。

そういう場所でまともな医療や福祉が受けられるのか?というと、それもまた疑問なところはありますが、民間の最先端医療や大規模で設備の整った病院は無理でも、最低限度の社会福祉サービスは行政サービスの一環として続けられるでしょうから、大病でなければそういう診療所的なところを利用すれば、逆に都会より高齢者が減り始めている分、いいかも知れません。

当然都会とは設備や医療技術は比べられるものではありませんが、若いときならともかく、お役目も終え高齢になってから、最先端医療とか言いつつ大きな手術を繰り返し、身体中スパゲッティー状態で生きながらえることだけが人の幸せとも思わないので、別に高度医療でなくてもいいかなと割り切るしかありません。

それよりも、都会の騒音、隣近所の生活音、ストレスがたまったペットの遠吠え、窓を開けておくとホコリや煤塵ですぐに真っ黒になる部屋などとは早くお別れして、夜になると川が流れる音、風が吹いて木々のさざめく音が聞こえ、昼間は広い空が拡がり、周囲に自然がたっぷり残った静かな場所で余生を過ごせれば最高です。カエルや蝉の鳴き声はどれほどうるさくても、私にとっては懐かしい音であり、決して騒音ではありません。

年金だけの生活だと、都会ではなにかと物入りで、それこそ老後も仕事を続けなければなりませんが、家賃や生活費が安い地方だと、どこへいくにも軽自動が必要となり、それらの出費は最低限必要ですが、なんとか年金の範囲で暮らせるかなと思ってます。それにもう食欲も物欲もなくなっていますからね。

まったく刺激がないとさすがに惚けちゃいそうなので、近くの耕作放棄地を借りて、自宅で食べる野菜ぐらいは作ったり、自宅をベースに日帰りで行けそうな場所の美しい四季の自然を写真に撮って日々ブログにアップしたり、お金をかけずにできそうなことはいくらでもありそうです。

夜はテレビなど見ないで、通販で買ったコーヒー豆をガリガリと手で挽き、長編小説を読んだり、やはり通販で買ったプラモデルをのんびりと時間をかけて作って過ごす贅沢な暮らしを夢見ています。

私が考えるその候補地としては、もちろん日本国内で、(1)原発から最低30km以上離れているところ(2)津波や洪水の被害、大規模な地割れや山崩れが過去に起きていないところ(3)雪は滅多に降らず比較的温暖なところ(4)隣家とは少なくとも50m以上離れている、ということで、ある程度は場所が限られてきますが、探せばきっと見つかるでしょう。ま、はかない夢ですけどね。


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795 定年リタイア時の必要貯蓄額と生涯住宅費用
583 人口が減るのもいいんじゃない
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7月後半の読書と感想、書評 2014/7/30(水)

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蝉しぐれ (文春文庫)  藤沢周平

1988年に発刊された長編小説で、初出は新聞連載でした。この作品は、テレビドラマ(2003年)や映画(2005年)、その他にも宝塚公演、舞台公演でも原作として使われた著者の代表的作品と言えるものでしょう。

著者は1997年にすでに故人となられていますが、直木賞受賞作「暗殺の年輪」(1973年)や、吉川英治文学賞「白き瓶―小説長塚節」(1986年)など数々の名作が残っていますので、これから折をみて読みたいと思っています。

実はこの小説、Amazonの「オールタイムベスト小説100」に出ていたので、なにも考えずにブラッと買ってきましたが、実は10年ほど前にたぶん映画化に合わせて書店に平積みされていたのだと思いますが、その時に買って一度読んでいました。

読み始めてから、だんだんと先のストーリーが見えてきて、調べるとそういうことかと気がつきました(遅いわ!)。でも読んだのがもう10年前のことでもあるので、もう一回ちゃんと読もうと決意して読み進めました。

内容はお得意の時代小説で、貧しい下級武士の子供が、親友とともに大人へと成長していく姿を描いたものです。

またこの「蝉しぐれ」と同時に買ってきた司馬遼太郎著「城をとる話」も既読で、こちらは数ページを読み、あ!これは読んだなとすぐに内容を思いだしたので中断しました。いよいよ老人性健忘が始まってきたのか、最近こうした過去に買った本をまた買うという症状に陥っています。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

博士の愛した数式 (新潮文庫) 小川洋子

この小説は2003年に発刊され、翌2004年には本屋大賞を受賞するなどして一躍有名になりました。そして2006年には寺尾聰主演で映画化され、私もこの映画をテレビで見て、原作を読みたくなって買ってきました。

小説の主人公というか語り手は、事故で記憶喪失になった初老の男性の世話をするため家政婦紹介所から派遣されてきた女性ですが、映画では十数年後に教師になった家政婦の息子が昔のことを思い出して生徒達に語るという設定に変わっていました。

その記憶喪失の初老男性は、記憶喪失といっても、交通事故に遭った20年ぐらい前までの記憶はちゃんと残っているものの、それ以降の記憶はきっかり80分間しか持たないという特殊な記憶喪失です。つまり1時間前の記憶はあるけれど、2時間前の記憶はまったくありません。

事故に遭うまでは大学で数理、数式、数論を教えていたいわゆる数字オタクで、数字や数列の記憶力は天才的で、あらゆる数字に意味を持たせてしまう特殊な才能を持っています。

映画「レインマン」(1988年)に出てきた自閉症でダメ人間とされていたダスティン・ホフマンが、数字だけは抜群の記憶力を持っていて、その記憶力を使って弟役のトム・クルーズがカジノで大儲けするシーンなどをふと思い出しました。

また若年性アルツハイマー病患者を描いた萩原浩著「明日の記憶」(映画は渡辺謙主演で2006年公開)と同様、患者と介護する人との感動話しということが共通していて、なかなかいいものでした。

著者別読書感想(小川洋子)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

砂の女 (新潮文庫) 安部公房

1962年の著者の代表的作品です。勅使河原宏監督のモノクロ映画(1964年)を何年か前にテレビでみたことがあり、今回その原作小説を買ってきました。映画では若い頃の岸田今日子がとてもセクシーでした。

小説は戦後の高度成長期に入り始めた頃に書かれたもので、都会では毎日多くの勤め人が満員電車で通勤し、会社の歯車となっていった頃の話しです。

この小説の主人公は教師で、日々の忙しい仕事の合間に、趣味の昆虫採集をするためにやってきた海岸の砂浜で道に迷い込み、その日はそこにあった小さな部落に泊めてもらおうと住民に頼みます。その砂丘地帯の中にある部落では、砂嵐を避けるためか蟻地獄のような大きな穴の中にはしごで降ろされ、世話係の女とともにそこで1泊することになります。

ところが翌朝になっても縄ばしごは降ろされず、出るに出られなくなります。穴は深くて自力ではそこから這い出すこともできず、女からは穴の中にたまる砂を毎日かき出す仕事を要求されることになります。

その仕事をさぼれば、毎日差し入れられる水の補給を停められ、仕方なくその与えられた無意味とも思える作業を女と共におこないます。

やがてそのような閉鎖された社会の中で暮らす日々が徐々に身体に染みついていくと、監禁された不自由な生活であってもそうすることが生きる希望へとつながっていくという人間の不思議な感情と精神状態に陥っていきます。

それらがなにを意味しているかは様々な意見や感想がありますが、通常は現代の権力者にうまく言いくるめられ、貧乏で不自由な生活の中でもそれが当然と思い込み、搾取されながら社会の底辺で生きていかざるを得ない庶民のことを描かれ、また不合理なことでも毎日それを繰り返しやっていると不思議にも思わなくなる会社に飼い慣らされてしまったサラリーマンへの痛烈な批判、そしてそれらの問題を見失ってしまった社会へ警鐘をならしているものではないかと思われます。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫) 米原万里

2001年に単行本、2004年に文庫版が発刊されたノンフィクションで、日本共産党幹部だった父親の仕事の関係で、中学校の途中まで過ごしたチェコで、ソビエト学校時代の友達を探し、ヨーロッパを訪ね歩いた記録です。

著者はロシア語通訳として著名だった方で、その関係で世界を旅する機会が多く、その旅のお供をする様々な書籍の批評にも優れた方でした。

過去には、「ガセネッタ&シモネッタ」と「打ちのめされるようなすごい本」を読みましたが、書評がメインの「打ちのめされるようなすごい本」では、著者に癌が見つかり、余命少ないとわかってからも、凄まじい闘病生活の模様が書かれていました。そしてその治療の甲斐もなく2006年に56歳の若さで亡くなっています。

最初はこの本は自身の経験を元にした小説だと思って買ってきて読み始めましたが、前述のように中・東欧への探訪実録記でした。

いくつかは盛っているな?と思う箇所もありますが、それにしてもユニークな友達達とその出自で、ベルリンの壁が崩れ、ソ連邦が崩壊したり、激変してきた東欧の歴史に翻弄されてきたことがよくわかるというか、すっかり忘れていたことを思い出せるノンフィクションでした。

著者別読書感想(米原万里)

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

田舎暮らしができる人 できない人 (集英社新書) 玉村豊男

エッセイストやテレビのコメンテーター(以前)として知られている著者は、ひげを生やした風貌や話しの節々に、田舎暮らしのことがよく出てきて、根っからのアウトドア派の方かと思っていましたが、本人も妻も東京生まれの東京育ち、30代後半に田舎に生活の場を移した方だったのですね、知りませんでした。

数多くの著作物や、田舎に居を移してから始めたという絵画、それに今では酒税免許をとってワイナリーやレストランまで経営するという、結局はなにをやらせてもうまくできる多才な方です。

年齢的に著者は団塊世代より少し上の兄貴的な存在で、ちょうど雇用延長の65歳が過ぎ、都会人のあこがれで一気に田舎志向が強まってきている団塊世代に甘辛両面でアドバイスをしようと書かれたものと思われます。

正直に、このマルチな才能をもつ著者夫婦がうまく田舎生活ができたからと言って、多くの標準的な凡人夫婦が真似できるようなことではないと思いますが、それなりの覚悟をもって、あるいはうまくいかなかったときの予防線を張っておいて、田舎暮らしを始めるのは悪いことではないでしょう。その指南本、入門書としては最適ではないでしょうか。

定年後の田舎暮らしをする上でキーとなるのはやはり妻ということは、先々月にNHKの土曜ドラマでも放映された村上龍氏原作の「55歳からのハローライフ」の中の「キャンピングカー」にも出てきましたが、なんとなく理解ができます。

妻からすれば都会に住む便利さや、友人づきあいなどを捨ててまで、田舎住まいをしたいと思う人は少なく、本能的に様々な田舎独特の新たな仕事や面倒事を押しつけられることがわかると書かれていました。確かに普段家のことはなにもしてこなかった旦那にはわからないことでしょうね。


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