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日本の農業はどこへ向かうか マイカーで東京から京都まで旅行する場合 ゴルフをプレイしている人の年代層割合に驚いた 世界と日本の宗教別信者数 2021年版出版社不況 客員教授と非常勤講師ってなんだ? ロバート・B・パーカー「スペンサーシリーズ」全巻まとめ 窓ガラスの熱割れで火災保険は使えるか? 天然素材でも綿はよく燃えるらしいことがわかった やっとのことでJ:COMを退会した 貯まった1円玉はどうする? 自動車整備士に未来はあるか? 液晶テレビが壊れた件 リタイア後の心配事 運転免許証取得者は意外にも増えている 著者別読書感想INDEX −−−−−−−−
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リストラ日記アーカイブ 2014年5月 読みやすいようにアーカイブは昇順(上から古いもの順)に並べ替えました。上から下へお読みください。 日記INDEXページ(タイトルと書き出し部の一覧)はこちらです |
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-------------------------------------------------------------------- 日本に外国人観光客を呼ぶ 2014/5/3(土) 814 先日「観光後進国日本の現実」というブログを書きました。 要約すると、日本は観光で出国する人数と比べて外国人が入国する人数は極端に少なく、他のアジア各国や先進G8諸国と比べてもはるかに見劣りするひどさで、クールジャパンで盛り上げようとしているけれど、まだまだ出国超過の割合が高く、今後世界中に日本文化や日本人への理解を進め、また縮小していく内需を少しでも食い止めるためにも外国人観光客を呼び込む抜本的な対策をやっていくことが必要だというものです。 ただ「外国人観光客数(外客数)が他国に比べて少ない!なんとかしろ!」と書くのは小学生でもできると言われそうなので、今回はその外国人観光客誘致対策をいくつか考えてみることに。いつものように独断と偏見と薄っぺらな知識を元にしていますので、つっこみどころや批判のしどころは満載ですが気にしません。 外客数を増やすには?と通常お国が考えることと言えば「短期入国ビザ不要」にするとか「入国基準の緩和」や、天下りの外郭団体を使って「ジャパンフェア開催」「国際イベントへの出展」のようなことぐらい。 それらが不要とはいいませんが、もっと多くの人、しかも学者や官僚ではない市井の人を巻き込んで、ベンチャースピリットあふれる小さな施策をいくつも同時並行でやっていく必要があるのではないかと思うわけです。というのは外国旅行する人の目的は人それぞれで、誘致策としてこれが正解という方策なんてものはないのですから。 (1)例えば、国内には外国語を学びたい、学んでいるという日本人が大勢います。そういう人に対しネイティブの友人を作ろうと働きかけ、ボランティアホームスティ制度やボランティア観光ガイド制度を設け、外国の客と一緒に国内を旅行をしたり、自宅に招いてパーティを開いたり、環境が整っている家ではホームスティもできる仕組みを作るとか。 宿泊費や食費を抑えて少しでも長く日本を旅したいと思って安い宿泊所に泊まっている個人観光客には、気軽に日本人宅へホームステイやホームパーティにいけるとなれば、日本の生活を直に体験することもでき、大いに人気が出ると思います。 外国人旅行者が負担するのは一定の食費など実費分だけ。子供はすでに独立し、自宅の部屋がいくつも空いている団塊世代や、シェアハウスだけど今は部屋が空いているという若者にもうってつけのボランティアではないでしょうか。 国や自治体が負担するのは、世界に向けてネットでその仕組みをPRし仲介することと、「我が家へ泊まってください」「一緒に国内旅行へ行きましょう」というボランティアを募集することだけです。そして双方から体験談をもらい公表することで、柔軟によりうまくいく方法を模索していくのです。初年度は1000人、翌年度は5000人ぐらいの規模で、オリンピックが開かれる6年後には50万人ぐらいの外国人観光客が、ボランティアによってお・も・て・な・し・が可能かも知れません。 (2)例えば、外国人に興味のある大相撲や歌舞伎なども、高い料金を払ってずっと最初から最後まで鑑賞するのは、よほど興味がないと退屈して難しいでしょうけど、外国人体験チケットを作り、30分〜45分だけ見られる格安の席を準備し、外国人だけに販売するとか。例え30分でも見たという経験は外国人にとって非常に嬉しいものです。 私が以前仕事でカリフォルニア アナハイムへ行ったとき、当時長谷川投手が所属していたメジャーのエンジェルスの試合が見られるチャンスがあったものの、仕事が終わる時間の都合上、もし観戦できたとしても開始から2時間以上経った終わり間際にしか行けず、それなのにまるまる1席分の高額なチケット(+往復のタクシー代)を購入せざるを得なかったので断念したことがあります。せっかくの本場メジャー野球をチラッとでも観戦する機会を逃してしまいたいへん悔しい思いをしました。 そういう悔しい思いをしなくてもいいように、日本らしい観光コースをコンパクトにまとめたスピード観光コースをいくつも用意して海外の旅行代理店やネット直販でPRしてもいいのではないでしょうか?はとバスなんかはすでにそうしたコースを持っているようですけどね。 (3)例えば、国内には様々な国の人が仕事や日本人との結婚などで大勢住んでいます。それらの外国人に、自国からの観光客を誘致するためのアイデアを募り、優秀なアイデアには賞金を出し、またそのアイデアを実行するためのビジネスを立ち上げるならそれに投資または無利子で融資、さらには期限を決めて職員を無償で派遣するという仕組みを作るのはどうでしょう。 もちろん在日している外国人だけでなく、仕事で外国に長く住んでいた日本人で、いまは仕事から引退しているような人からもアイデアを出してもらうわけです。そうした引退した人にとっては、長く住んで現地に友人も多い第2の故郷と、再び関われるチャンスでもあり、手を挙げる人は多そうに思えます。 (4)例えば、中国本土には日本に入国する外国人の約6倍の外国人観光客が毎年訪れています。香港を含めると8倍もの外国人が訪れています。その8100万人の約30%は日本人旅行者ですが、残りの約70%、約5600万人(韓国、アメリカ、ロシア、マレーシア、シンガポール、オーストラリアなどからの観光客)が、せっかく日本のすぐ近くの中国まで来ているので、それらをみすみす逃す手はないわけです。 世界中の旅行社に対して東アジアへ行くならお得な「中国&日本セットツアー」をスタンダードとするムード、イメージを作るのです。通常の観光客はもちろん、ビジネスで中国に用事がある人にも、ついでにちょっと日本へも立ち寄ってもらおうという戦略です。中国の格安航空会社をうまく使えば中国−日本間の費用は格安で済むでしょうし、日本のLCCも客さえ増やせれば新たに日中航路を作るでしょう。 アメリカ西海岸を訪れる観光客の多くが、ロサンジェルスへ行ったついでにサンフランシスコやシリコンバレーに寄るという感覚と同じです。ロス−サンフランシスコ間は約1時間半、上海−福岡間は約1時間40分です。「中国だけじゃもったいない。」が世界中の観光客に向けたコピーです。日本語じゃダメですけど。 (5)例えば、2020年に東京でオリンピックが開催されます。開催期間中は世界中からマスコミや観光客が日本に押し寄せるでしょうけど、そうした一過性のもので終わらせてはいけません。 以前ブログにも書きましたが、世界にはまだオリンピックでメダルを獲得したことがない国が数多くあります。東京でおこなわれるこの機会に、アジアの国を中心に、自国の中では能力や素質があっても高度な科学トレーニングや長期的な選手育成が難しいという国に全面協力します。 そうした将来メダルに届きそうな有望な選手を日本の体育大学や選手育成に理解のある企業で預かり、それらの国からメダリスト(=国民の英雄)を出すために開催国・地である東京と国が公費負担をしてでも支援します。 サッカーでもインドネシアの選手を入団させたJリーグのチームの試合には、その国から多くの観光客や応援団が訪れたという例があるように、オリンピックレベルの選手を日本が育てていけば、その国の中で話題となり、公開練習や競技の時には多くのマスコミや自国の応援団が来日してくれるでしょう。そしてそれらの国で自国の選手が日本で生活する様子がテレビや新聞で取り上げられる回数が増えれば、日本に親しみがわき観光客も増えていくでしょう。 以上、ざっくりと外国人観光客を増やすための5つの方策を考えてみました。 これらのことはすでに実行されていることもあるでしょうけど(あえてググっていません)、少なくとも私の耳や目には入ってきていません。ということはもしすでにおこなわれていてもその規模は限定的で、滅多にニュースにも取り上げられることがない地味な施策ということでしょう。 ぜひ国や自治体が箱ものや利用者の少ない無駄な公共工事を削ってでも、日本とアジアの未来のため、架け橋となってくれる外国人観光客誘致にもっと力を入れてもらいたいものです。 そして日本を訪れ、日本人とふれあい、感動し、満足して帰った外国人は、きっと日本に対する理解を深め、口コミでも拡がり、観光だけでなくその後のビジネスや外交関係などにもよい影響を及ぼすのではないかと考えています。 【関連リンク】 754 東京オリンピックとこれから高まるビジネスチャンス 642 日本はインドともっと深く連携すべき 578 外国人研修制度という名の移民政策 --------------------------------------------------------------------- 4月後半の読書と感想、書評 2014/5/7(水) 815 下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち (講談社文庫) 内田樹 2007年に単行本として発刊された本で、2009年に文庫化されました。イメージ的には新書なのでしょうが、なぜか単行本→文庫の流れで発刊されています。 内容は著者が講演したセミナーの内容をまとめたもので、様々な本や自分が勤める大学の学生を見てきて、自分なりの分析と感想を述べたもので、「学ばない子供」や「働かない若者」をどうにかしたい!っていう実用書として役立てるものではありません。 ズバズバと斬って斬りまくる相変わらずの内容ですが、決して古今東西老人が若者に対して抱く「最近の若者は・・」といった愚痴ではなく、具体的な(極端な)例をひとつひとつあげていきながら、現代の(一部の)若者達が陥ってしまっている問題を指摘していきます。 中でも注力しているのは「今の若者は子供の頃からすべて物事を自分に決定権がある消費者の意識として考える」傾向にあり、したがって、例え親や友人が「間違っている」と言い聞かせても、本人は自らが消費者意識なので「自らで決めたことなので間違っていない」という錯覚に陥ってしまうということ。 つまり学校で真剣に学ばないのも、社会に出ても積極的に働かないのも、それらは自分が決めたことで、それが自分にとって合理的で最善だと信じこんでいることが危険だということです。そしてそこに様々な格差が生じてしまう社会になってきたとも言えます。 格差社会とは決して今に始まったわけでもなく、戦前にはれっきとした身分制度があり、性差や納税額の多寡によって政治家を選ぶ選挙権があったりなかったりしました。戦後の高度成長期においても、また一億総中流と言われたバブル時代においても歴然とした格差は常に存在してきました。 失われた20年と言われたバブル期以降に流行語となった「勝ち組と負け組」、「情報弱者」、「ワーキングプア」、「(悪意を持って言われる)ゆとり世代」などは現代の格差の象徴とも言えるものでしょう。 しかしこの本でいう格差は、自らの意志で、役に立たないと判断して学ばない、働かないという自分にとっては最善の道を選択した結果において新たな格差を作っていくという流れができてしまっていることを懸念しています。 章立ては大きく「学ばない若者」「働かない若者」を中心に、なぜそのようになってのか?を分析していきます。タイトルにあるように、自らの意志で「勉強せず」「働かず」、上を目指すことは本意ではないという若者が増えてきた社会に警鐘を鳴らしています。 ところどころに理解ができない(私の能力の問題)ところもありましたが、社会や教育のゆがみを痛烈に批判している内容です。 ◇著者別読書感想(内田樹) ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ダブル・ジョーカー (角川文庫) 柳広司 2009年に吉川英治文学新人賞受賞を受賞した「ジョーカー・ゲーム」のD機関シリーズ第二弾で2009年に単行本、2012年に文庫版が出ています。その「ジョーカーゲーム」はすでに映画化が決まっていて、来年2015年に公開される予定です。 小説に出てくるD機関とは第二次世界大戦前に日本陸軍内部に組織したスパイ養成・運営部隊で、そこで中心的な役割をなすのが魔王と怖れられる結城陸軍中佐です。D機関のモデルは昨年亡くなった小野田寛郎氏も卒業したエリートが集まる陸軍中野学校ですが、D機関はあくまで想像の産物です。 このシリーズはいずれも1話完結の短編で構成されています。本のタイトル「ダブルジョーカー」は最初の短編のタイトルで、自分の思いのままに動かせないD機関を苦々しく思っている陸軍の幹部が、有能な部下にもうひとつのスパイ組織「風機関」を組織させ、「陸軍に二つのスパイ組織は不要」という名目でD機関をつぶそうと目論みます。そして双方に諜報活動で競わせるというストーリーのものです。つまり「スパイ組織=ジョーカー」で二つのスパイ組織という意味のタイトルです。 その他に、ソ連に内通する軍内部のスパイをあぶり出す「蠅の王」、民間人の通信技術者を利用してインドシナ(ベトナム)で暗躍する犯罪者を一斉検挙しようとする「仏印作戦」、「柩」「ブラックバード」の5編(文庫版は「眠る男」の6編)からなります。いずれも見事なストーリーテラーぶりで、この著者の才能はいったいどこまでいくのか大いに楽しみです。 ◇著者別読書感想(柳広司) ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 真珠湾―十二月八日の終戦 (角川文庫) 池上司 単行本が2002年、文庫本は2004年に発刊された歴史実話をモチーフとした小説長編小説です。著者の作品は好きで、この本を含め全5冊とも読み終えましたが、なぜだか2005年に「ミッドウェイの刺客」が出て以来、その後新しい小説は出てきません。 この小説は著者の作品で以前読んだ、終戦間際の北方領土に不可侵条約を一方的に破棄し、ソ連軍がなだれ込んできた時の模様を描いた「八月十五日の開戦」とタイトルは対をなすものですが、直接その小説とは関係がありません。 内容は、海軍軍令部から連合艦隊司令長官に異動した山本五十六と、ハワイのホノルルでアメリカの太平洋艦隊の情報収集活動をおこなった予備役下士官(実在した吉川猛夫氏がモデル)を中心として、無謀と言える対米開戦を決意せざるを得なかった日本のリーダー達の苦悩と決断、そして挫折を描いたものです。 これを読んで当時の日本が様々な問題を抱え、そして軍部はもちろん、世論やマスコミなどにも煽動され、かなうはずのないアメリカとの戦いを決定せざるをえない状況に追い詰められていく過程と、さらに最後まで開戦を反対していた山本五十六が、どうしてもやるなら「奇襲攻撃で太平洋艦隊を殲滅+アメリカ世論の厭世観を背景に早期講和」しか日本を救う道はないと職を賭けて提案する場面はなんど読んでも胸が熱くなります。 しかし結局はアメリカに宣戦布告書を手渡すのが大きく遅れてしまうことになり、結果、宣戦布告前の不意打ち、だまし討ちという汚名を着せられてしまい、アメリカの国民感情の反日意識を刺激してしまいます。また奇襲攻撃したハワイにはいるはずだった太平洋艦隊主力の空母がなく、それらによって山本五十六が最後の手段と考えていた「早期講和」が消えてなくなり、逆に卑怯な日本をこらしめろ的な世論に火がつき、この戦争の行方は知れたことになってしまいます。 最近きな臭くなってきた、中国との関係において、再び日本でも好戦派が盛り返してきている雰囲気がありますが、正しい歴史を学ばないと、何度でも同じ過ちを繰り返すことにつながりかねません。政治は世論やマスコミの動向を気にして動くもので、後から見れば決して正しい判断をしているとは言い難いこともよくあり、誠意ある国民は常に注視していかなければなりません。 ◇著者別読書感想(池上司) ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 星の王子さま (集英社文庫) アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ 1943年に発刊された世界で8000万部を超える世界的ベストセラーで、私も小学校の時に学校で習い、その後に1冊をちゃんと読む機会もありましたが、すでにその記憶がほとんどなくなっているのと、米Amazonの「一生のうちに読むべき100冊」にも入っていることからもう一度ちゃんと読んでおこうと思い買ってきました。 ま、その内容についてはあらためて語るのは野暮というものですから特に書きませんが、この本がアメリカで初めて出版された1943年というと日本では太平洋戦争が泥沼化し、山本五十六連合艦隊司令長官が自殺に近い前線視察へと出掛け、米軍の攻撃で亡くなった年です。 アメリカでは、ヨーロッパ戦線と太平洋戦線の両面で財政的にも世論的にも厳しい社会だったにもかかわらず、そのような状況下でもドイツに降伏したフランスから逃げてきたパイロット兼作家(サン=テグジュペリ)の一種ファンタジー小説が出版できる国内状態だったというのはまったく驚きです。その米国と精神論と特攻や玉砕しか戦う方法がなく、内地においても食糧はもちろん燃料や紙までが配給制だった日本が長引く戦争でかなうはずもなく。 サン=テグジュペリは、アメリカでこの本を出版した翌年、自ら志願をしてアメリカ軍の偵察機パイロットとしてアフリカ戦線へ出向き、ドイツ降伏まであと10ヶ月という1944年7月に地中海上空でドイツ空軍に撃墜され死亡します(公式には偵察中未帰還)。撃墜したとされるドイツ軍パイロットは「サン=テグジュペリの著作本のファンだった。もし彼が乗っているとわかっていれば撃墜などしなかった」と後で述べたとか。 【関連リンク】 4月前半の読書 慈雨の音(流転の海 第6部)、天使のナイフ、ある微笑み、ダイスをころがせ 3月後半の読書 戦闘妖精・雪風<改>、グッドラック―戦闘妖精・雪風、春嵐、Facebookというビジネス 3月前半の読書 三千枚の金貨、「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト、下町ロケット、ふたたびの恋 --------------------------------------------------------------------- 2050年に向けてのグランドデザイン 2014/5/10(土) 816 国土交通省が4月に「新たな国土のグランドデザイン」を発表していました。これは中長期的に社会全体が高齢化していく中で、国際化の波、都市部の一極集中、巨大災害対策、食料・水・エネルギーの安全性確保と節約、ICTの利用などにより、日本の国土や社会をどう変えていくのがいいかという提案です。 2050年を視野に入れた国土づくりに向けて 新たな「国土のグランドデザイン」 書かれていることには特に目新しいことはなく、今までに言われてきたように、人口減による限界集落対策に地方のコンパクトシティ構想や、高齢化社会のビジネス育成として医療産業の拡充、エネルギーの地産地消、農産物の輸出、女性労働力の利用などが列挙されています。 おまけに国交省発表(検討した委員は各業界の民間が主)のものだけあって、この時代においてもやたらと道路などインフラや防災施設など公共事業に投資せよという雰囲気があるのはもう笑うしかありません。そうした仕事が減ったりなくなると自分たちの食い扶持や天下り先がなくなってしまいます。 そのレポートから抜き出してみると、今から36年後の2050年の日本の社会の姿は、 (1)人口は1億人を割り込み9700万人(現在から24%減) (2)地方を中心に6割の地域で人口が半減 (3)出生率の高い地方から低い都会への若者の人口流入 (4)人口の約4割が高齢者という世界に過去例のない国へ(高齢者1980年1000万人→2050年3900万人) (5)30年以内に70%の確率で発生予想の首都大震災や東南海地震の対策と備え (6)温暖化や巨大台風、竜巻など自然環境の変化 (7)1960〜1970年代に建設された多くのインフラ設備の老朽化と使用限界 (8)農林水産従事者の高齢化+跡継ぎなしによる急速な減少による食料自給率の変化 (9)新たなエネルギー供給(シェールガス、水素、メタンハイドレートなど)の可能性 などとなっています。 検討したメンバーが、国交省が選んだのであろう、いずれもお堅い職業の方や高年齢者の方で、保守的で面白味や夢がなく、せめてもう少し斬新なアイデアや明るい未来を示唆してくれるといいのですが、もったいないですね。 ちなみにこの「新たな『国土のグランドデザイン』構築に関する有識者懇談会」の10名の委員の平均年齢は59歳で、最高齢は68歳、最年少でも46歳という人達です。そして約半数が寿命まであと10数年の「あとのことはもうどうでもいいじゃないか!」的な人達ですから、半数は未来を語るに相応しい人達ではない気がします。 20〜30代の若い人が入っていれば、例えば、グローバル化によるダイバシティやオープン化の重要性を説きつつ、国内にアジアの国際金融センターや治療薬やバイオ研究機関、ロボット工学基礎研究所などの設立や、EUに習って自由貿易圏を作るアジア共同体構想などが出てきそうですが、この年代だと、どうしても太平洋戦争やその後のアジアとの関係において、日本の評判の悪さや、「大日本共栄圏」など過去の歴史問題を危惧してか、そうした未来志向のグローバルな戦略にはほとんど触れられていません。 また世界で最初に迎える超高齢化社会のモデルケースとして期待される最先端医療の拠点として、日本が得意とするハード(機材)・ソフト(医療従事者)と基礎研究や教育を集約し、24時間1年365日、世界中どこからでも難病など高度な医療を引き受け、世界に広く開放する先進医療国家構想を提案してもいいのかも。 さらにお金をかけて国土を人工的に変えていくのではなく、古くなったダムや道路、堤防、古家など人工物を廃し、元の自然の状態に戻し、自然の力を取り戻して、日本固有の動植物を再生し、自然豊かで自然と共生する古き良き日本の姿を作ろうとするジャパニズム構想のような斬新な発想など、私から見て欠落しているような感じがします。 これはスポンサーが国土を破壊するのが使命と思っている節がある国交省であり、選ばれた委員の中にも、あわよくば一枚噛んでお金儲けというのが好きそうな人が多いからかも知れません。決して地方医療を金ではなく使命感で支えている無名の医者や、田舎に住みながら自然保護活動を地味におこなっているような人は委員には選ばれないでしょう。 ただ、以前からここでも書いている地方にある「道の駅」や、撤退したショッピングセンター跡地の活用、新たなエネルギーとしてのメタンハイドレートへの期待とシフト、ITCによる農業の大規模自動化などは、いまさらながら、そして全体から見れば小さな事柄ですが、その点はちょっと評価しています。 せめて国が未来を語る時は、高齢化と人口減少ということでビビっていないで、2030年には中国を抜いて世界でもっとも人口が多い国となる比較的親日的なインドをはじめ、人口増加が見込まれる東南アジア諸国との本格的な連携を、前述のように経済面だけではなく、学術、文化、生活、警察、防衛、医療、レジャーなど全面的な交流に発展させ、労働移住者のような従来の形ではなく、ちょっと学びに(あるいは遊びに)日本へ行ったついでに、1〜3年ほど働いてくるかといったアジア人訪日優遇制度を作り、人の移動や労働がもっと自由闊達にできる自由開放都市国家を目指すのもいいのではないでしょうか。 そういうことを書くと伝統ある日本文化が壊されるとか、犯罪率が増加してとか言われそうですが、変に厳しく規制するから不法入国や密入国が起きて、それが犯罪の起点となり温床になるわけで、往来は自由化するけどもし治安を乱すなら即刻身ぐるみはいで裸同然で送り返すとすればいいだけです。 また日本の伝統と言うのは、宗教や言語など、そのほとんどは海外から輸入され、それを日本流にうまくアレンジしてきたものばかりで、今後もそのように海外からうまく取り入れて、新しい日本文化を作っていけばいいのではないでしょうか? 横浜や神戸にある中華街のように、各都市に「インド街」「インドネシア街」「ベトナム街」「タイ街」「マレーシア街」「イラン街」「ミャンマ街」「フィリピン街」「サモア街」「モンゴル街」「カンボジア街」などを作って、それぞれの国からやってくる人にも居心地のいい場所を作り、その街に積極的にその国から人を呼び込んでもらうようにすれば、日本語の壁や経済的な不安、生活の違いで来日を断念することもなくなりそうです。 【関連リンク】 738 日本人の年齢別死因は 719 道の駅は次の段階へ進めるか 711 地方が限界集落化していく --------------------------------------------------------------------- カフェではない喫茶店の凋落 2014/5/14(水) 817 最近はどうかわかりませんが、営業の仕事に就いている人には、常連としている馴染みの喫茶店があるのも珍しいことではありません。かくいう私も20〜30代の頃は外勤営業が主たる仕事だったので、常連にしていた喫茶店がありました。 営業マンにとって居心地のいい喫茶店と言うと、 1)あまり混まない 2)知った人が来ない 3)週刊誌やスポーツ新聞がある 4)軽食が食べられる 5)椅子がゆったりしている 6)長居しても嫌がられない などでしょうか。 今流行っているスターバックスやドトールのようなセルフ式ではなく、午前中に行けばモーニングサービス、午後に行けばカレーやナポリタン、サンドウィッチなどの軽食が食べられるという昔ながらの喫茶店が好みです。 喫茶店でくつろいでいる時間は結局仕事をサボっている?と言われると、まったくその通りなのですが、少し言い訳をすれば、昼休み時間や就業時間以外も顧客の都合で働いたり、移動のため食事もできない時がある代わりに、仕事が暇なときや、体調がすぐれないとき、外が大雨でモチベーション下がりまくりのときは勤務時間中でも休憩したり、リフレッシュするのは致し方がありません。もちろんそればかりでは困りますが。 20、30年前ならそうしたビジネスマンが数多く集う喫茶店が駅前やオフィス街の中にたくさんありましたが、現在は上記のスタバやターリーズ、シャノアール、ドトールなどセルフ式のお洒落なカフェチェーン店が増えてきて客をとられてしまったことや、オフィス街に進出してきたコンビニやファストフード店の低価格コーヒーの影響もあって今や絶滅危惧種扱いです。 料飲主体売上と喫茶店の売上推移グラフ(出典:公益財団法人食の安全・安心財団)です。 ※料飲主体とは喫茶、居酒屋、料亭、ビアホール、バーなどで、レストランとは違い飲みものが主体の事業 喫茶店の売り上げは、1982年の1兆7396億円をピークとして、1992年は1兆4833億円、2002年は1兆1446億円、2012年には1兆197億円と最盛期の6割近くまで下がってきています。ビアホールや居酒屋などを含めた料飲主体全体でも、喫茶店より少し時期が遅れていますが下がっていて、料飲主体事業の需要自体が減少傾向になっています。 喫茶店の店舗数は1996年に10万2千店舗あったものが、10年後の2006年には8万1千店舗へと20%以上減少しています(総務省統計局「事業所統計調査報告書」より)。直近のデータはありませんが、おそらく1980年代のピーク時の半分を切っていると思われます。 一方では国内のスターバックスの店舗は1996年にわずか5店舗からスタートし、10年後の2006年には686店舗、ドトールも1996年には500店舗だったものが2006年には1000店舗を超えています。 これだけ大手チェーンのカフェ(統計上は喫茶店)が増えている中で、喫茶店総数は減少しているわけですから、チェーン店以外の古くからあった喫茶店の減少は想像以上で過激に進んでいると思われます。 もう都会の中ではスポーツ新聞や週刊誌を読みながらゆっくりモーニングセットを食べられる喫茶店は、なかなか見つからないのかも知れません。 どうして1980年代から急速に喫茶店の数が減少してきたのでしょうか? 私の想像ですが、80年代中盤頃からバブルの影響で都会にある喫茶店の家賃が高騰してきたのに、わずか200〜300円のコーヒーで、長時間ひとりの客に場所を占有されてしまう極めて効率の悪いビジネスモデルが成立しなくなってきたのではないでしょうか。 その証拠のひとつに喫茶店オーナーが、自宅の一部や所有しているビルの中でやっている賃貸費用のかからない(昔ながらの)喫茶店はまだしぶとく生き残っているところがいくつもあります。バブルの土地や家賃高騰でふくれあがった店舗の家賃を支払って旧来形式の儲からない喫茶店をやっていくのは厳しい時代になったのでしょう。 それともうひとつ、1990年頃まではまだ若く、よく喫茶店を利用した団塊世代達が、2000年頃にはみんな管理職となり、外へ出掛ける機会も減り、したがって利用回数が減り、そして2000年代後半頃からは順次引退してしまったことで利用者の減少につながったと考えられます。 増えている大手カフェチェーンの戦略は、セルフ式で、持ち帰りメニューを充実させ、店内のレイアウトもあまりゆっくりと長居をさせないように明るく落ち着かない作りにしてあり、客の回転率を上げる工夫がされています。しかしそれがまた流行に敏感な若い人や時間に追われて忙しい人には向いているようです。 昔ながらの薄暗い喫茶店にいるのは中年高年オヤジが多く、お洒落なカフェの若い客層とは明らかに違っています。次の若い人達を旧来の喫茶店へうまく取り込めなかったのも敗因のひとつでしょう。 回転率を上げる工夫がされているセルフ型カフェの逆を張って、「長居上等!」「どうぞごゆっくり」と頑張っている銀座ルノアールやコメダ珈琲のチェーンは、座ればウェーターやウェートレスがお冷やとおしぼりを持ってきてくれる従来の喫茶店のいいところを取り入れていますが、飲み物以外に利益率の高い軽食を充実させることで、客単価を上げる工夫がなされています。ちょっと小腹が空いたとサンドイッチと飲み物を頼めばそれだけで軽く千円は超えちゃいます。 また私を含め旧人類が好んだ、目立たない場所にあって、部屋の中は照明を少し落として薄暗く、なんとなく今までの人生に苦労をしてきたようなマスターがいて、古いジャズやクラッシックが静かに流れていて、スポーツ紙全紙と多種類の週刊誌などが無造作に棚に置かれ、タバコの煙が充満し、常連さんがたむろしているような喫茶店では今の若者には受け入れらそうもありません。 私が昔よく通ったオフィス街の喫茶店へは、近くを通ったときなどに懐かしくてつい寄ってみますが、店舗はあってもすでに喫茶店でなくなっているか、建物自体が建て替えられてしまって跡形もなかったりしているのがほとんどで、統計上の減少が大いにうなずけるところです。 【関連リンク】 790 空き家が増えている 729 まだかなえられていない夢がある 633 セールスの極意なんてものはないが、、、 --------------------------------------------------------------------- 5月前半の読書と感想、書評 2014/5/17(土) 818 チルドレン (講談社文庫) 伊坂 幸太郎 2004年に単行本、2007年に文庫本が発刊された短編集です。「バンク」、「チルドレン」、「レトリーバー」、「チルドレン2」、「イン」の5編からなりますが、「短編集のふりをした長編小説」というちょっと不思議な体裁になっています。というのも、この5編には陣内という同じ男性が登場してきますが、主人公(語り手)はこの陣内ではなく、それぞれに違っています。 「バンク」は陣内の大学の友人が主人公で、ふたりで銀行の閉店間際に預金を下ろそうと飛び込んだところ、偶然にも銀行強盗と出くわしてしまい、他の客ともども人質にされてしまいます。 「チルドレン」と「チルドレン2」では陣内が働く職場(家庭裁判所)の後輩が、「レトリーバー」と「イン」は前の「バンク」の銀行強盗事件で陣内らと一緒に人質になっていた盲目の青年とその彼女が主人公です。 このすべての短編に出てくる陣内という男がなかなかユニークで笑わしてくれます。確かにクラスにひとりぐらいはこういうおしゃべりで自信過剰なお調子者は必ずいるもので、どちらかと言えば無口だった私はいつも羨ましく見ていました。 「チルドレン」の中で、家庭裁判所調査官が非行少年に宿題として渡した芥川龍之介の「侏儒の言葉」は面白そうなので買おうとメモっていましたが、青空文庫に入っていることがわかり、とりあえずそれをスマホにダウンロード。暇なときにでもじっくり眺めてみたいと思います。 ◇著者別読書感想(伊坂幸太郎) ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 親鸞 (講談社文庫)(上)(下) 五木寛之 2010年に単行本が、2011年に文庫本が発刊されました。上下巻で750ページの長編小説で、すでにこの続編「親鸞 激動篇(上)(下)」も発刊されています。さらにその後「親鸞 完結篇」まで続くそうです。五木寛之おん歳81歳、まだまだ続きそうな「青春の門」もそうですが、大丈夫なのか? 先に述べておくと、この実在した歴史上有名な僧侶をタイトルにした歴史小説は、その多くの部分はフィクションで、根拠に乏しい話しがかなり含まれています。それは著者が小説として創造したもので、仏教や親鸞の研究をしようという人や、真面目に学ぶために読むものではなく、歴史小説の場合はほとんどそうなのですが、エンタテーメントとして読むのが正しそうです。 親鸞は平安末期〜鎌倉時代に生きて、師匠の法然上人とともに仏教を日本の各地に広めると同時に、自ら法然上人の浄土宗を元にしてもっと先へと進めた浄土真宗の開祖で、中学校の教科書などにも出てくるほどの有名人ですが、自伝的な記録がほとんどなく、その生涯についてはあまり知られていません。 ちなみに現在の日本の宗派ごとの仏教信徒(門徒)数は、この親鸞が広めた浄土真宗(本願寺派と大谷派の合計)がもっとも多いとのことです(2位は曹洞宗、3位に浄土宗)。そういやうちの実家もそうだったかも。 親鸞はまだ子供の頃に父親が家族を捨てて出家してしまい、母親は病死、仕方なく兄弟はバラバラになり親戚に預けられます。長男だった親鸞は比較的まだ恵まれた叔父の家に預けられ育てられますが、まだ幼い兄弟が下にいるので、9歳の時にお寺へ預けられ、やがて出家することになります。 親鸞が幼少の頃(1180年頃)に住んでいた京都は、後白河法皇が治める平安末期で源氏と平家の戦乱と、度重なる飢饉のため荒廃していて、京の都ですら餓死者が道のあちこちに放置されているようなひどい状態です。余談ですがこの時代を描いたSF時代映画「五条霊戦記 GOJOE」(2000年)はなかなか秀逸でしたのでぜひご覧ください。 そうした中で、親鸞はふとしたことから町の底辺に住むの男達と縁ができ、その後の人生にも大きな役割を果たすことになります。 比叡山(延暦寺)は最澄が開いたとされる名門中の名門の寺社で、親鸞は幸いそこで修行を積むことがかないますが、上流家庭の子弟でないことで出世はかなわず、また僧侶の生活の乱れにもヘキヘキし、修行も途中のまま山を下ります。そして同じく比叡山で修行を積み、現在は袂をわかち、庶民から武士まで幅広く布教をして人気を集めている法然に影響を受けることになります。 法然も親鸞も今風に言えば、苦学して三流大学から財務省へ入省したものの、東大派閥に嫌気がさし数年で辞め、その後ベンチャー企業を立ち上げて成功したみたいな感じでしょうか。 しかし仏教を高貴な人達だけではなく、広く大衆に布教していこうとする法然やその弟子の思想が、古くからの既得権益者だった仏教界から危険視され、やがて当時の政権や比叡山など権力者によって排除されていくことになります。 この小説では親鸞の子供時代から、比叡山での修行、そして山を下りてから六角堂の百日参籠後に法然の元へ通い、その後弟子となり、やがては京の都から越後へと流される34歳までの半生をエンタテーメント性たっぷりで描かれたものです。 たいへん面白かったので続編の「親鸞 激動篇(上)(下)」も買ってこなくっちゃ。 ◇著者別読書感想(五木寛之) ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 政治家の殺し方 中田宏 典型的な血気盛んな若手政治家(と言っても著者は松下政経塾で政治家のプロを目指し、衆議院選挙で当選もしたことのあるプロ政治家)が、前市長の長期多選の弊害を訴え、巨大な横浜市の市長に当選し、そこで財政健全化を目指して公約を実現しようと突っ走った結果、過去何十年と脈々と築きあげられてきた与党や既得権益団体に徹底していじめ抜かれて、最終的にはこういうことになりましたという新書で、2011年に発刊されています。 中田氏が市長を務めた横浜は、私が住む川崎とは隣の市で、当選時は「政治の風向きが変わった!?」と大きな話題となりました。その後のスキャンダルについても報道が刺激的で過激だったので、自然と刷り込まれています。 しかしその数年後に様々なスキャンダルについて勝訴した裁判のことなどはまったく情報として入ってきませんので、「あぁ、あのなんかよくわからないけどスキャンダルまみれで辞めた市長」ぐらいの知識しかありませんでした。それが普通の国民・市民の感覚でしょう。 今まで波風を立てないようにオール与党体制でやってきた横浜市ですが、新市長誕生で既得権益者にとってはタブーだったところに手を入れだしてきたものだから、当然反感を買い、様々な手法で市長の追い落としが始まります。その内容が書かれています。 既得権者側は、数年後に裁判で明らかになる真実などどうでもよく、次々に市長とその家族、支援する取り巻きのスキャンダルをでっち上げて市民に悪いイメージを植え付けることに注力します。それにより辞めさせる(逃げ出す)ことが狙いだったということが書かれています。今さら聞いても遅いわいと思わなくもないです。 でも政治家になる以上、こうした反発やスキャンダル捏造は多かれ少なかれあると想定した上で、毅然とした対応や、サポートしてくれる仲間作りをしておかなくっちゃなと思うのですが、既得権益者ばかりではなく、ほとんどのマスコミにもこの市長は不興だったようで、周囲に善意の味方が少なかったのが最大の敗因だったような気がします。 あれほど地元から人気(票)を集め、敵も多けれど怖いものなしだった大阪市長でも、既得権益団体や他の政治団体、マスコミから失言や過去のスキャンダルを必要以上に大きく取り上げられ、窮地に陥りそうなところで、かろうじてどうにか踏ん張っているという状態とも似ています。いや〜政治の世界というのは本当に一歩先は真っ暗な闇って感じです。 先月読んだ真保裕一氏の「ダイスをころがせ!」は、完全な架空の小説ですが、中田氏と同様に無所属で長年波風が立たなかった選挙区への立候補という状況が似ていて、やはり既得権益者と思われる団体から様々な嫌がらせや脅し、捏造スキャンダルなどで苦しめられる様子が描かれています。 しかしそれが現実がそうだとして、こうした政治や政治活動を長い間「良し」と受け入れてきた我々「国民や市民が結局は愚かなんだ」と言われているようで、読後の後味は決してよくありません。 できれば元市長本人ではなく、誰かノンフィクションライターがインタビュー形式で、私感や第三者から見た元市長の奮闘なども織り交ぜながら書いた方が、ずっと説得力も違っただろうになというのが感想です。それが売れるかどうかはわかりませんが。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 平成関東大震災 いつか来るとは知っていたが今日来るとは思わなかった (講談社文庫) 福井晴敏 週刊現代に連載されていた小説が2007年に文庫として発刊されたものです。2011年の東日本大震災前に書かれましたので、その際に実際に震度5.5に襲われしばらく都市機能が停止した東京とはまた少し違うものですが、もし2011の時より被害が大きくなる想定の首都直下型地震が起きた時に、最低知っておくべきことがたくさん書かれています。 著者福井晴敏氏は当初「亡国のイージス」や「終戦のローレライ」など戦争物、歴史物が多い作家と思っていましたが、先日読んだ「小説・震災後」やこの小説のように現代の生活や思想に直結した作品もあり、また昨年に映画化された「人類資金」など多様な作品を生み出しています。 小説の内容は、仕事で東京都庁を訪れていた主人公が、いきなり東京湾北部で発生したマグネチュード7.3の地震に遭い、想定される都内の惨状と、墨田区にある自宅と家族の元へ帰るための奮闘を描いたシュミレーション風のものとなっています。 巨大地震が起きた時、都内の超高層ビルのエレベーターに乗っていた場合にどうなるのか?、歩いて帰宅する場合はなにが必要か?、火事場泥棒と遭遇した時は?、被害の大きな地域ではどういう行動が求められるかなど、その場面ごとにエレベータに乗り合わせた謎の男性(甲斐節男:お節介とも解説男とも読み取れます)の解説と適確なアドバイスでコンパクトにまとめられています。 2011年震災前のこの時のシュミレーションでは想定が多少甘く感ずるところもあり(東京下町の液状化には触れられてはいますが、津波が川をさかのぼってくることや、ガスタンクや工場の爆発炎上、道路の大渋滞と帰宅困難者の群れなど危険箇所の特定やルートの危険度がない)、東日本大震災の時の教訓を追加して、面白く読める役立つ実用本として多少アップデートした版を再発行してもいいかも知れません。 東京都内の地域危険度マップ(小説の主人公が住む墨田区やその隣の荒川区は真っ赤です) ◇著者別読書感想(福井晴敏) 【関連リンク】 4月後半の読書 下流志向−学ばない子どもたち、働かない若者たち、ダブルジョーカー、真珠湾 十二月八日の終戦、星の王子様 4月前半の読書 慈雨の音(流転の海 第6部)、天使のナイフ、ある微笑み、ダイスをころがせ 3月後半の読書 戦闘妖精・雪風<改>、グッドラック―戦闘妖精・雪風、春嵐、Facebookというビジネス --------------------------------------------------------------------- パチンコ業界その未来は? 2014/5/21(水) 819 この業界のことを"ど素人"があれやこれやと勝手なことを書くのはどうかと思うのですが、ネタ不足の折、公表されているデータと個人的感想を少し書き残したいと思います。 パチンコは学生の頃はほとんどせず、社会人になってから、一緒の寮住まいだった同期の男がやたらとパチンコ好きで、最初のうちはつき合いで通っていましたが、その後、仕事が終わってから暇な時にはひとりでも通うようになりました。戦績は勝ったり負けたりで総合すると確率通りやや負けってところです。 しかし幸いにも、のめり込むようなことはなく、勝っても生活用品やタバコに換えるぐらいで、まれに大勝ちした時以外は換金することもない、完全に"ど素人"の域を出ませんでした。パチンコ台もギャンブル的なものは避け、ゆっくり少しずつ勝ったり負けたりするものを選んでいたせいでもあります。根っからギャンブルには向いていない性格で、ここ10年以上は行ってません。 その後1980年後半頃から登場してきたメダルのパチスロが大きな流行となりましたが、それにはまったく興味がわかず、さらには大当たりすれば大儲けができるものの、当たらなければ万札が瞬間になくなってしまうと言うギャンブル性が強い台が多くなってきたため次第に足が遠のくようになりました。つまり私にとってパチンコは単にストレス発散、暇つぶし程度のものだったのです(元々はそういうものだったはずです)。パチンコ依存症の話しを聞くと、今でもなにがそんなに面白いのかな?って不思議に思います。 日本生産性本部のレジャー白書2013によると、パチンコホールの売り上げはこの20年のあいだに約40%ダウンしているということで、もう完全に構造不況業種入りをしたと言ってもいいのかも知れません。しかしそれでもまだ年間売上高19兆円という巨大ビジネスです。 19兆円といえば、働く国民(約1億人)と企業から新たな税金として集められた東日本大震災の復興予算(当初)の19兆円と同額の規模で、世界有数企業のアップルやトヨタの年間売上額がほぼそれに匹敵し、国内全域の電力・ガスの売上も近いものがあります。とにかく巨大なのです。 売上が20年で4割も減ったとなると、店もそれなりに減少していているのかな?と思いきや、私の住まいがある神奈川県や、職場がある東京都内では、駅前や盛り場に多いど派手なネオンと騒音を撒き散らしているパチンコホールはあまり減ったような印象はありません。それは下記のような理由がありそうです。 矢野経済研究所の調べでは、2012年12月と2013年12月のパチンコホール経営企業数(ホール数ではない)を比べると、3975社から3818社へと1年でわずか4%の減少、新たにホールが出店するエリアは人口の多い東京や神奈川、埼玉、大阪、兵庫に集中しているとのことです。全体総数では減っていても、都市部では横ばいかまだ増えている可能性があります。 つまり私のように神奈川に住み東京へ通勤していると、パチンコホールの減少は気がつかない程度(逆に増えている地域もありそう)ということで、減っているのはもっぱら地方や郊外のようです。そう言えば地方の国道をクルマで走っていると、閉鎖された巨大なパチンコホールや、さびれた駅前にシャッターが降りたままの店舗を見かけることがあります。 そうした都会のホールも今後はどうなるかと言えば、まず団塊世代をはじめ高齢者の年金が減少(あるいは増税で目減り)して、パチンコや公営ギャンブルに回るお金が年々下がっていくように思います。今まではこうした団塊世代を中心とする中高年者がパチンコや公営ギャンブルを根っこで支えていたと言っても過言ではありません。 「スロットは若い人が多いぞ!」と言われそうですが、上記のレジャー白書の統計では、この1年間にパチンコやスロットをした人口が20年間でなんと1/3に減少してきていることがわかっています。パチンコ遊技者が1/3に減ったのに売上は2/3にしか減っていないということは、熱心な愛好家だけが、大金をつぎ込んでいるということになるでしょう。 それはつまりパチンコをする人の裾野がたいへん狭くなり、中毒とまでは言わないまでも、習慣化した愛好家とギャンブルとして遊技する人に固定化されつつあると言ってもいいでしょう。高齢者に多い暇つぶしのために小金を持って毎日のように通ってくる人や、若い人に多い仕事代わりに生活費を稼いでいるパチプロやセミプロなんかはまさにそうですね。 パチンコをこの1年間にしたことがあると答えた人の割合を年代別で見ると、この20年間で10代は15%が2%へ、20代は50%から18%へと大きく下がっていることからも、若い人のパチンコ離れは明かです。さらにその年代は少子化で人口も少なく、両方の負の効果が今後数年間でさらに大きく効いてくると思われます。 また遊技者の裾野が狭くなっているという証拠に、日本遊技関連事業協会のデータで、ひとりのパチンコ店の平均滞在時間(プレー時間)が、2011年と2012年との比較で3.9時間から4.6時間と、わずか1年間で42分も増加していることからもわかります。 私のような"ど素人"なら、あの騒音が激しく埃っぽくて空気も悪い中で2時間以上も座っているなど、ほとんど耐えられないことですが、そういうのが趣味で好きだったり、生活がかかっていたりする人にとっては子守歌かBGMのようなものなのでしょう。 今の若い人にとってはPCかスマホがあれば暇つぶしのゲームとしては十分でしょうし、そのスマホ代やアプリ代などが積み重なり毎月高額の支払いをしなければならないので、損をする可能性が高いパチンコに入れあげる余裕も暇もないでしょう(根気と才能があり生活費を稼いでいるパチプロは別)。 また5年以内のあいだで「パチンコを始めたり再開した」という人の割合と、「パチンコやめた」という人の割合を比較すると、「やめた」という人の割合が高くなっています。それが衰退産業であることの証明でもあります。 逆に5年以内のあいだに「始めたり再開した」人の多いレジャーはと言うと、「国内旅行」「ウォーキング」「映画」「カラオケ」「外食」などで、これはやはり団塊世代が退職した後の生活が大きく反映していそうです。 そのような社会情勢の中で、今後パチンコホールはどういう方向を目指して行くのでしょうか? 現在のパチンコやパチスロはギャンブル性が高く、習慣性や依存性もあり、今後すぐに客がいなくなるということはないにしても、やはりその形態はニーズに合わせて変わっていかざるを得ません。 ひとつは海外への進出です。世界にはまだ多くの発展途上国があり、そうした国が経済成長していく中で、国民の適度な息抜きとも言えるレジャーが不可欠になっていきます。日本の高度成長期の手軽なレジャーとして発展してきたパチンコは、当時のようにギャンブル性を薄めれば受け入れてくれる国はありそうです。 次に、国内ではすでに多くの女性パチンカーを見かけますが、男性よりも7年近くも寿命が長い女性高齢者をどれほど安定して取り込めるかというのが直近の課題でしょう。 意外と高齢者とパチンコとの相性は悪くないのです。暇もあれば、亡くなった旦那が残してくれた遺産も遺族年金もある女性高齢者が、暇つぶしのために毎日通ってくれるようになれば、その数は半端なく多いだけに最大の狙い所でしょう。病院の待合室と同様、女性高齢者が毎日欠かさず訪れ井戸端会議の場として、また孫のお菓子や夕食のおかずの一品でもゲットできるようにし向ければいいのです。景品交換所に揚げたてコロッケやひじきの和え物が並ぶ日も近い? とかく脱税疑惑や某国との関係をやり玉に挙げ、パチンコ業界を批判し、またその巨大な利権を必死に守ろうとする警察組織を糾弾する人もいますが、これだけ巨大な産業となって、それで生活(ホール従業員や機器製造メーカー従業員)をしている人達も多いことから、規制を強めるにしても着地点と業界の将来設計が必要となるでしょう。 一方では国内カジノを解禁しようという構想が着々と進む中、パチンコ業界もカジノに反発したり、パチンコはあくまでギャンブルとは違うと言い張って無視を決め込むのではなく、互いに協調してギャンブル業界の再編とクリーン化、利権の排除などを進めていく必要があるのかも知れません。それが一番難しい大きな課題ではあるでしょうけど。 もし国内にカジノが出来るようになったとしても、アメリカ資本や中国資本のカジノ王にいいようにされるのではなく、それこそパチンコ業界が一致協力して乗りだして、日本独自のクリーンなハイテクカジノを目指していってらいたいものです。 【関連リンク】 780 あらためて高齢社会白書を概観してみる 765 労働生産性はむやみに上げるもんじゃない 755 電子書籍を普及させるには --------------------------------------------------------------------- 高齢者ビジネス(第2部 趣味編) 2014/5/24(土) 820 以前書いた「高齢者ビジネス(第1部 居住編)」の続編で、今回は趣味編です。趣味といっても広いのでいくつかに絞っていきますが、狙いはやはり65歳前後になった800万人を超える団塊世代の人達向けが中心になるでしょう。 新聞広告や挟み込まれているチラシをみると、いまは団塊世代向けの広告ばかりで、霊園、お墓、介護施設、懐かしのメロディのCD、懐かしの映画DVD、ウォーキングシューズ、電動マッサージ機、添乗員付きフルサポートの旅行、自宅リフォーム、二世帯住宅、宅配弁当、組み立て模型、安楽椅子、腰や膝のサポーター、健康食品、シワやお肌の手入れグッズ、スポーツジムなどが中心です。それらがいま旬の(新聞読者向けの)売れ筋商品・サービスと言うことなのでしょう。 ちなみに20年前の新聞チラシで多かったのは、圧倒的に不動産、自動車、家具、スーツ、家電製品、カルチャークラブ、ゴルフ場やリゾート会員権、ホームセンターなどでした。 もとより高齢者と言っても今の60代は元気で、外出する機会も多く、旅行やスポーツの趣味をもっている人もかなりいます。冬山登山や海外の観光地でなにか事故が起きると遭難者や被害者はたいてい60過ぎの高齢者ですし、平日の国内の有名観光地は元気で暇そうな高齢者ばかりと言っても過言ではありません。 そうした観光地や名所旧跡へ行くとよく目にするのは高級カメラをもった高齢者達です。そして昔なら高級カメラは男性の趣味だったものが、最近のCMトレンドを見てもわかるとおり、女性の需要も高まってきています。 写真撮影は他の趣味と比べて体力や資金力は不要で、そしてすぐにでも始められる趣味です。もちろん趣味が高じて高級一眼レフカメラ本体と超望遠レンズなど一式を揃えたり、遠出に備えてワンボックスカーを改造したりすると、それなりにお金はかかりますが、道具よりも撮影する場所とタイミング、ジッとシャッターチャンスを待つ忍耐力、被写体を捉える技術があれば、お金をかけずにいい写真を撮ることができます。 高級一眼レフカメラを買う年齢層は40歳以上が約7割を占めるというデータもあり、40代に入った団塊ジュニア以降は人口減少が甚だしいので、すでにその需要はピークを迎えつつあると思います。20代の若い人の多くはスマホのカメラで十分という人が多く、わざわざ重くて邪魔になりしかも高い高級一眼カメラを買おうと思う人はマニア以外少ないでしょう。 しかし買った高級カメラも、高齢者の場合には健康上の問題や、買ったはいいけど意外に重くてかさばり、気軽には使えない一眼レフカメラを結局ほとんど使わない人が、これから増えていくでしょうから、当然ながら高級カメラの中古市場が賑わうようになると予想しています。 カメラのような精密機器の場合、オークションなどで個人やカメラ専門業者以外の業者から中古品を買うのは保証がなく、リスクが高いのでできれば避けたいものです。一番いいのはメーカー直営の子会社かメーカーから認定を受けた専門中古業者が、中古品のリフレッシュと販売(ネット)をおこなってくれるとユーザーも安心して購入できます。 ただし、それだけで稼ごう、儲けようとすると、中間マージンがその分大きくなり「買値は安く・売値は高く」となってしまい、安い個人オークションや型落ちモデルの新古品価格との比較から利用者はあまり増えていきません。 そこでメーカーの新製品の販売強化策として、その販売促進費を中古市場に流用する作戦です。 どういうことかと言うと「当社の新製品を買えば、もし売るときには、高く買い取ります」という保障を新製品購入希望者に与えることで新製品の販売強化をおこない、同時にそこで得られる利益の一部を中古品の買取価格補填や整備費用に回すのです。それによって中古品売買のマージンを減らすことができ、高く買取り、リーズナブルな価格で販売することが可能となります。 そう仕組みを作れば、裕福な人には新製品を安心して買ってもらい、そして不要になったり買い換えをしたい時には気軽に下取りに出してもらう仕組みを作ります。なんだったらクルマの残クレローンと同じように、一定期間までなら購入価格の50%で引き取るという制度や買取保障を付けてもいいでしょう。 クルマなどと同じで、老い先短い高齢者が5年後に売りたいと思った時にほとんど無価値ですと言われるとショックを受けますが、ある程度の買取保障があれば、安心して高額な耐久消費財が買えるというものです。 高級一眼レフの新製品は高くて手が出ないけど、中古品ならという人は、メーカー系列の会社が全面的にメンテナンスをしてくれて、品質保障までついた製品が買えるのならば、オークションやハードオフより、多少は高くてもそちらを選ぶでしょうし、もっと本格的にやりたければ、市場やオークションに流れる自社製品が中古で安く出てきたならば片っ端からその関連子会社が買い取って値崩れを起こさないようにすれば、中古品価格の高値安定調整も可能となります。 次に私が狙うべきと考える高齢者向け趣味のマーケットとしては、家庭菜園(貸し農園)です。今の団塊世代の多くは、元々都会に住んでいた人よりも、地方から都会へやって来た人達が多く、子供の頃は畑や田んぼで家の手伝いをしていたという人がかなりいます。また都会育ちの人も年齢を重ねるとともに、花を育てたり庭で土いじりがしたいと思う人が自然と増えていきます。 そうした人が暇と体力を持て余している中で、自宅(マンションとか)の近所にそれまでは古いアパートや駐車場があった土地にレンタルの畑ができると大いに喜ばれるでしょう。人口や世帯数が減っていく中で、これから駅から離れた郊外でアパート経営や駐車場経営をする人は確実に減ってくるでしょう。そうした土地を安く借りて利用するのです。 農林水産省はじめ様々な自治体が市民農園を推進していますが、そうした役所主導の大規模で、予約がいっぱいで、なかなか順番が回ってこなく、融通の利かないものではなく、もっと小回りが効いて小規模で臨機応変なものを想定しています。 家庭菜園用として貸し出す月々費用は格安に設定し、さらに貸し農園に定期的に巡回してくるプロ(農家の人のパート)のアドバイスは無料で受けられるようにします。そうすれば農園を借りた人は素人でも安心して農作業ができ、さらに自分で作った無農薬野菜や生活に彩りを添える花の収穫など成果も期待でき満足感も上がります。 そしてここが肝心なのですが、上記の通り月々の貸出費用は極力安く抑え、その代わりに作業道具や肥料、手間のかかる雑草取りや代理での水やり作業などのオプションで儲けるビジネスモデルです。 大規模な安い市営駐車場や各地にありながらもなぜコインパーキングが流行ったかと言うと、100円という安価で駐車ができるという錯覚と、小規模ながらあちこちにあって便利だからです。 そしてビジネスモデルとしては、コピー機やプリンター本体のように、本体は個人に安く売ったり貸し出して、トナーや紙、インク代で儲けるというものです。まずはとっかかりやすくて年金生活者でも十分に支払い続けられる安い価格で長期利用者を集めるわけです。 コインパーキングのTime24と競争になりますが、あちこちに点在する空き地の利用を土地の所有者に訴えかけます。なんたってコインパーキングと違い、初期の設備費用はほとんど不要(土盛りだけ)で、もし将来更地に戻す必要があっても大きなコストはかかりません。最低限の設備として水道(または井戸)設備だけでOKですから土地の持ち主にとってもメリットはあります。 さて次は今後自宅介護が普通になってくると、宅配弁当も流行ってくるでしょうけど、今まで厨房には近づかなかった男性も毎食の料理を作る必然性ができてきます。夫婦ともに健康でも、夕食は交代で作るとか、そういう老夫婦世帯が増えていっても不思議ではありません。 そう、3つめの趣味は料理です。 定年後に料理学校へ通って料理を習う男性が増えてきたというニュースを読んだことがありますし、いつも年賀状だけで欠礼している昔お世話になった80歳を過ぎた元上司も、妻に先立たれてから、料理学校へ通い、毎食自分で食事を作っていると年賀状に書いてありました。 妻に教わろうとすると、「そんなことも知らないの!」「手際が悪い」とかプライドをメチャクチャにされてしまいそうなのと、男性は一流のプロが作った料理を外で食べる機会が多くあって、舌の肥えている人が多くいます。なのでちょっと凝った料理や、妻の味付けではなく自分が食べたい料理を好みの味で作ってみたいという欲求があります。 で、ここは優しいおネェさんが教えてくれる「簡単」「便利」で「美味しく」「健康にいい」料理を学ぶことができる「男性料理学校」が流行りそうなので、それを住宅地域の駅前に作るのです。小規模なら住宅を少し改造した個人宅でも始められるかもしれません。 することがなく自宅にこもり、妻以外と話す機会がめっきり減った男性高齢者にとって、同じように手つきがたどたどしい男性に混じっての料理学校は、自分好みの料理が作れるという実益も十分に満たし、しかも若い女性の先生と気軽に話しができ、同じような立場の友人も増やせる絶好の趣味と言えます。それで得た知識で夕食を作り、妻や家族に喜ばれたらもう一石四鳥です。 経営する側も、以前なら専業主婦や嫁入り修行中の働いていない娘さん向けに開いていた平日昼間のコースが、少子化と共働きが増えていくにしたがい生徒が減っています。変わって、働く若い女性向けの平日夜間や土・日曜日に開くことが主流になりつつあり、そこで引退した男性向けに平日の昼間のコースを入れると教室が有効利用でき、もってこいではないでしょうか。 ちょっと思いついただけの3つの高齢者向けビジネス(趣味編)を考えてみました。いずれも現在あるビジネスの延長線上のものばかりですが、あともうひとひねりか、ふたひねりできれば、大きなビジネスとしてチャンスがあるかも知れません。 【関連リンク】 824 高齢者向けビジネス(第3部 仕事編) 810 高齢者向けビジネス(第1部 居住編) 754 東京オリンピックとこれから高まるビジネスチャンス --------------------------------------------------------------------- 会社を辞めてから気がつくこと 2014/5/28(水) 821 たぶん私と同年代の方で、デパートに勤務をし、約10年前に脱サラをして、中古の着物販売を手掛けておられる和田一郎さんという方の過去のブログがたいへん面白かったので書いておきます。 まずは新入社員や、せいぜい社会人になって3年未満の方に読んでもらいたいなと思うコラム記事です。 ◆社会人になって学んだ7つのこと 詳しくはリンク先をじっくり読んでもらうとして、若いビジネスマンにぜひ知っておいてもらいたい、「雇われ人になった社会人の掟」と言えるもので、これを知らずに勝手に自分流で世の中を解釈し「この会社はダメだ」「上司はクソだ」「周りはわかってくれない」など不満を周囲に撒き散らすのはやめてもらいたいのです。 そんなことをしていては誰も味方にはなってくれないという忠告でもあり、あとで後悔するよということです。 で、その7つのこととは、 1.そこにしか居場所はないと思って頑張れ 2.ちょっと無理そうなことをやると宣言してやれ 3.上司に楯突くときは、会社を去る覚悟でやれ 4.どれだけ頑張ってもやがては敗者になることを肝に命じよ 5.どれだけ忙しくても好きなことをやめるな 6.考えぬく、工夫し抜く、自分で学ぶ癖をつけよ 7.貪欲に正直に欲しいものを求めよ。そして、同時に、自分の中にある灯をまばゆいばかりにせよ これを書いた和田氏はサラリーマン生活を19年続け、その後独立起業しビジネスを成功させている方です。そうした「経験者は語る」ものはビジネス書やネットで世の中にあふれていますが、その中でピカリと光る秀逸なものは決して多くはありません。 このブログ記事は、決してプロの作家や著名人が(ゴーストライターを使って)書いたというものではありませんが、素人らしく素直な自分の体験が吐露されていて、同年代の私が読むと、うなづけたり、身につまされたりします。 私もこういうキレキレのブログを書いてみたいものです。もうムリだろうけど。 ただそれらは20代での若いときにはまったく気がつかない、ピンとこないことばかりで、だいたいは中年以降になってからようやく気がついたり後悔したりすることなのです。 1番などは、最近の流行で、自分の勤務先の問題点をいちいちあげつらい予防線的に「ブラック指定」しておけば、すぐに辞めてしまっても、自分の努力や能力の足りなさの言い訳になるというムードがありますが、数ある就職先の中からそこを選んだ自己責任という点が欠落しています。体育会系ノリはさすがにもう古いでしょうけど、まずは、いまの環境で、己の限界まで挑戦してみることを伝えているのでしょう。 4番の「どれだけ頑張ってもやがては敗者になることを肝に命じよ」は、20代では入社同期達との差はまだ決定的なものではありません。せいぜいあいつは早く昇進できて運がよかった、オレは配属された部署が悪かった程度のもので、実力的な勝った負けたなどの実感はほとんどありません。 しかしそれが30代、40代になると、加速度的に能力や実力の差は明らかになってきて、もし同期入社が10人いれば、その中で経営層にまで認められ順調に昇進できるのはせいぜい1人か2人に絞られていきます。ちょっといやらしい言葉ですが「どれほど頑張っても、ほとんどの人は、同期の誰かの前に頭を垂れて決裁を求める立場に置かれる運命だ」なのです。これが社会の掟というかルールなのです。 よくあるリストラの一環では、辞めさせたい人の上司に、その人の元部下や同僚を就かせ、プライドをめちゃめちゃにしてしまうという手法が取られます。つまりそうしたことが起きれば会社は「辞めて欲しい」と暗に言っているのだと理解しなければなりません。今まで気楽に呼び捨てしていた元部下や同僚に対し、その瞬間から敬語を使って頭を垂れ決済を求めるのはつらいものですが、そういうことは当たり前にあることを理解しておかなければサラリーマンは勤まりません。 5番の「どれだけ忙しくても好きなことをやめるな」もいいアドバイスだなぁと実感します。 年寄りの愚痴かも知れませんが、最近の若い人はよく言えば多趣味、悪く言えば気まぐれで、飽きっぽく、なにをやっても長続きがしないような気がします。20代の人の中には、「いろんなことをいっぱい体験することが自分の成長につながるんだ」と思っている人が多く、そのように新入社員向けビジネス書にも書かれています。 その考え方はある意味間違ってはいませんが、それは「多くの経験をした中から早く自分の核になることを見つけよう」あるいは「長く続ける芯がありながらも、その専門バカにならないよう、もっと他にも手を拡げよう」というのが正しい解釈なのです。 その長く続けていくべきことがいつまでも見つからないし、芯もないのに、あれにもこれにもと手を出して、結局なにも身につかず、なにも興味を持てず、いろんなことに手を出したけど、すべて浅く広く知っただけで終わりという人生は歩んでもらいたくないと言うことでしょう。 何事も「継続は力なり」です。何十年とあるひとつのことを継続することで、やがてはそれがその人の芯となり柱になり、人生の中に潤いを与えてくれ、仕事以外の充実や喜びを与えてくれるものになっていきます。そういうことって20代の人には想像もできないことでしょう。 ◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆ 次は、同じ和田一郎氏のブログで、社会人、特にサラリーマンになって10年以上が経った人に読んでもらいたいコラム記事です。 僕が19年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと こちらは19年勤務してきた会社を退職するときに、自分の今までの働き方や仕事に対する考え方が、サラリーマン生活をおくる上では正しくはなかったと反省を言葉にしたものです。 ちょっと著者独自の現在の立場や考え方に偏って書かれていますので、すべてのサラリーマンに共通しているわけではありませんが、こちらも参考になる言葉だと思います。個人的には内容について賛同できない箇所も一部ありますが、あえてそれには触れません。 1.入社初日から社長を目指して、全力疾走すればよかった 2.ゴルフをすればよかった 3.会社のカラーに染まりたくないと思わなければよかった 4.社内のひとのことに、もっと興味を持てばよかった 5.思い上がらなければよかった 6.できない上司、嫌いな上司に優しくすればよかった 7.あのひとのようになりたいというひとを、もっと早くみつければよかった 8.男気なんてゴミ箱に捨てればよかった 9.もっと勉強すればよかった 10.できる評判を得たいために、長時間働き続けなければよかった 11.同期が先に昇進したとき、笑って忘れればよかった 12.社内での自分の評判に、もっと気を使えばよかった 番外.もっと早く辞めればよかった 番外は、筆者が独立起業した事業に成功を収めた方なので、なんとも言えません。逆に仕事が嫌で辞めたはいいけど、再就職がうまくいかなかったり、事業に失敗して「番外:辞めなければよかった」と考える人も決して少なくないと思います。 また上記のコラムを捕捉する形で下記の続編があります。 『「僕が19年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと」で語りたらなかったこと』 以上、ご参考までに。 【関連リンク】 767 若者の離職の原因は単なるミスマッチなのか? 725 農業の大規模化と零細な起業 717 非正規から正規雇用への転換策 --------------------------------------------------------------------- 親友は作るものではなく作られていくもの 2014/5/31(土) 822 定年まであと4年となってきて、この先のことをいろいろと考えるようになってきました。そのひとつは、60歳で会社を辞めたあともリアルに付き合っていける人(友人)は何人ぐらい残っているかな?と。このような現実的な自問自答が繰り返し頭の中をよぎります。 現在の法律では60歳定年の規程であっても、希望をすれば65歳まで(私の場合は経過措置があるので63歳まで)は義務的に会社に雇ってもらうことは可能ですが、どうせ非正規社員になる(通常は定年後は1年ごとの契約社員や嘱託)のなら、積極的には働かないという選択肢や、働くとしても(できるかどうかは別として)なにか別の仕事をと考えたりしています。 いやいや、特に財産と言えるような貯金もなく、40歳過ぎで転職しているのでまとまった退職金もなく、住宅ローンは62歳まで続き(途中で5年間の延長をしたため)、今から子供に経済的な世話になるのもはばかられるし、さらに60歳過ぎて気前よく雇ってくれるところなんざそうはないと確信をもって言えるので、いずれにしてもこの老体にむち打りこのまま可能な限り今の勤め先で働かなくてはいけないのは確実な情勢ですが、なぜか仕事のことよりも先に、プライベートで気軽につきあえる友人・知人のほうへ頭が先にいってしまいます。 4月に読んだ小説「ダイスをころがせ」では、43歳の主人公が、ずっと疎遠にしていた高校時代の同級生に、「今度の国政選挙に地元から立候補するので秘書兼選挙参謀になって欲しい」と頼まれるところから始まります。そのことがなければ一生涯その同級生と再び言葉を交わすこともなかったハズですが、偶然も重なり元同級生という存在から、大きな目標へ向かって一緒に目指す親友の関係へと変化していきます。 それを読んで、金や権力(昇進など)がついて回る会社の同僚や先輩・後輩なんかより、高校や大学の同級生や、クラブの先輩・後輩といった関係、つまりは途中で何度も途切れながらでも、結果的には何十年と続いてきた細い糸の縁のほうが、実はずっと価値があるというのは、自分に当てはめて考えても確かかもしれないなぁとあらためて感じた次第です。 一般的によく言われるように、会社を定年で辞めると年賀状の枚数が一気に減ってガッカリするという、ちょっと古い会社人間の例をひくまでもなく、会社を辞めると友人・知人が仕事関係を中心に大きく減ってしまうのは普通のことでしょう。 幸い私の場合、40過ぎで転職後、20年間勤めてきた以前の会社の人達の多くと、仕事上ではまったく関係がなくなっているに関わらず、今でも年賀状やFacebookでのつき合いが細々と続いているのと、現在勤務している会社では、社風と言うこともあり社員同士の年賀状のやりとりはほとんどしていないので、例え今すぐ会社を辞めたとしても、それだけで年賀状の数が減るということはなさそうです。ただこの歳になると毎年、高齢の恩師や先輩、親戚などから喪中葉書によって訃報が届き、賀状の枚数がその分は確実に減っていくのは寂しい限りです。 但し「年賀状=友人」というのは短絡的で、実際にそういう人に連絡をとってみても「ではすぐに会おう!」となるかどうかはお互いが思っている距離感の相違や、年賀状という一種の虚礼のつながりだからこそ続いているというケースもあるでしょうからなんとも言えません。 私にとって親友と呼べるのは、やはり高校や大学の時の同級生で今でも時々会う友人や、海外赴任中に知り合った同年代の人達、そして前の会社に勤務していた20年間をともに苦労をしてきた同期生ぐらいなのかなぁと。残念ながら仕事を通じて知り合った人や会社の先輩後輩と言った人の中では、知人レベルや気楽な友人はいても、親友と呼べるような関係はありません。 ずっと昔、そう、小・中学生の頃から「親友を作れ」「親友を呼べる仲間を増やせ」という言葉をよく耳や目にしました。しかし、この「親友」という言葉にはなにか引っかかりがあり、その時は本当に親友と呼べるのは誰?という答えが出ませんでした。 今から考えると「そりゃそうだ」と思うのですが、要は相手が自分をどのように思っているかは無関係に、自分が「お前は親友だ」と勝手に決めてしまえばそれが親友にもなるし、卒業したり、クラスが変わったりして数年経って自然に関係性が消滅した頃にはまた別の親友と思い込む相手ができているだろうし、その時々で定義なんていい加減なものです。 ところがこの歳になってくると、大学時代は同級生という程度でそれほど親しくなかったのに、卒業して30年以上も経過した今でも平均すれば年に何度かは一緒に食事をしたり遊びにいくような関係が続いている相手は、まさに親友と呼んでも誰に恥じることはないでしょう。つまり本当の親友というのは一時的にでも過去を共に過ごしてきた歴史が作りあげるものだというのが最近になってわかりました。 一番わかりやすいのは、男女の関係では「金の切れ目は縁の切れ目」って言いますが、男同士の友情や交流も、概してそういうところがあり、「あの人と知り合いになっておけば、そのうちなにかいいことあるのでは?」とか「あいつは顔が広いので頼めば客先からの注文を取りやすい」と言った「なにか役立つ(かもしれない)」という思惑で続いている縁は、やはり退職や引退で切れてしまうというもの。 一方、学生時代の知人で、共通の友人がいて、お互いの仕事ではなにも利害関係はなく、話題も趣味のことや家族、共通の友人のことばかりという友人は、お互いになにも損得勘定や遠慮もなくつきあえるので、やがては一生のつきあいになっていきます。 ただ悲しいことにそれって学生時代にはわからないことで、今思えば「まさかあいつとこんなに長い縁ができるとは!」って思うこともあり、人の縁なんて摩訶不思議なものとしか言いようがありません。 海外で知り合ってその後20年以上交友が続いている友は、お互いに周囲に日本人が誰もいない環境の中において、違う文化、違う言葉、違う風習でともに苦労を味わい、ふとプライベートで偶然知り合って意気投合した相手で、おこがましい言い方をすれば「死ぬか生きるかの戦争を一緒に戦った戦友」みたいな強い絆と同種のものでしょう。 通常なら帰国後、勤務場所も遠く離れ、仕事も関係性がなければつながりは自然消滅するのですが、上記のように尋常ではない場所で生まれた縁は、その後もなぜか切れることなく続いていくもので、そうした関係は平和な世の中では極めて稀なケースでしょうけど、確かに存在することがわかりました。 若い人にアドバイスができるとしたら、 ・若いときに親友がいないなどと悩む必要はまったくない。また無理に作る必要もない。親友は必然性と歴史が作ってくれる。 ・苦境の時、困っている時に気にかけてくれたり、変わらずつきあってくれるのが本当の友人で、逆に羽振りのいいときに近づいて来るのはみな偽物と疑え。 ・仕事を通じての友人は、プライベートで深いつき合い方ができた人だけが残り、その数は決して多くはない。 ってことでしょうかね。 【関連リンク】 764 思い出の香港 644 うつ病に罹った人との関係は難しい 627 起業するのは難しくないが、引き際が難しい |
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