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リストラ日記アーカイブ 2012年4月

読みやすいようにアーカイブは昇順(上から古いもの順)に並べ替えました。上から下へお読みください。
日記INDEXページ(タイトルと書き出し部の一覧)はこちらです

593 3月後半の読書 2012/4/1(日) 
594 震災など非常時の備え その1 2012/4/4(水) 
595 震災など非常時の備え その2 2012/4/7(土) 
596 ニートって言うな!と言われても 2012/4/11(水) 
597 足(股関節)を痛めてできなくなったこと 2012/4/14(土) 
598 4月上旬の読書 2012/4/18(水) 
599 スマートフォンからガラ携に戻る人達 2012/4/21(土) 
600 地熱発電大国への第一歩を踏み出したか? 2012/4/25(水) 
601 社長の年齢と出身地についての統計 2012/4/28(土) 



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3月後半の読書 2012/4/1(日)

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永遠の仔 (幻冬舎文庫) (1)再会 (2)秘密 (3)告白 (4)抱擁 (5)言葉 天童荒太

1960年生まれの天童荒太氏の作品は、先に2008年の直木賞受賞作「悼む人」を読んでいます。この「永遠の仔」は1999年の作品で、日本推理作家協会賞とこのミステリーがすごい!国内1位を受賞していますが、それよりも2000年に中谷美紀主演でテレビドラマ化され、それを知っている方が多いのではないでしょうか。

小説のスタイルとしては主人公3人の少年少女時代と、17年後の現在とが行き来していきます。その3人の子供はいずれも親から虐待を受けていて、そのせいで精神的に障害があります。四国の病院で一時期ともに暮らしていたその少年と少女には、それぞれの秘密を共有する仲間となりますが、ある事件をきっかけにしてその後は連絡を絶ちます。

そして17年後、大人になった3人は川崎市の総合病院看護師、個人事務所を構える弁護士、神奈川県警の刑事としてそれぞれ会うこともなく働いていましたが、看護師の弟を自分の弁護士事務所で採用したことから、その関係が再びつながっていくことになります。

親からの虐待を受けて苦しむ子供や、障害を持つ少年少女が主人公の小説の場合、読み進めるにつれなんとも重苦しい雰囲気になるものが多く、この小説もその例外ではありません。単行本で上下巻、文庫本だと5巻に渡る長い小説ですが、読み進めていくのがつらくなるほど息苦しさを感じてきます。

そして四方八方に張り巡らされた多くの謎の糸が、じれったいほどなかなか明らかにならず、まぜ?どうして?とその長さを感じなくなるほど読むことに集中したくなります。そのあたりはいかに読者に飽きさせないテクニックを感じます。テレビで言えば、次回を見ないとその謎がわからないもどかしさを各回の最後に出すようなものでしょう。

このようなスタイルで、子供が犯す過去の犯罪に、読者が肩入れしてしまいそうな小説としては、松本清張の「砂の器」を思い出します。あれも暗くて重い小説でした。

それと雫井脩介氏の「犯人に告ぐ」がそうでしたが、小説の舞台となるのが、地元の川崎市ということもあり、なんとなく身近に感じました。


eの悲劇 (講談社文庫)  幸田真音

幸田真音氏の経済小説は割と好きで「マネー・ハッキング」1996年、「傷―邦銀崩壊」1998年、「日本国債」2000年、「凛冽の宙」2002年、「代行返上」2004年、「タックス・シェルター」2006年、などを読んできました。

で、この「eの悲劇」2001年ですが、毎度情けないことに文庫になってまもなく2004年5月に購入していて既読でした。道理でどこかで聞いたことのある話しだなと頭の片隅で思いながらも、最後まで既読とは知らずに読みふけりました。記憶障害なのか、あぁ情けない。幸田氏も本のタイトルより著者名だけつい買ってしまう作家さんなのでこういうことがしばしば起きます。

内容は、短編連作の小説で、元腕利きの金融トレーダーだった中年男が、ある部下のミスをかばって辞職に追いやられてしまい、現在は金融界から足を洗って警備会社で警備の職に就いています。その現場で起きる様々な出来事や事件に絡んで、過去の人脈や知識が生かされて、活躍をすると言ったものです。

連作の最後の短編では、昔勤務していたことのある銀行の金庫の中に取り残されてしまい、それを開けるためのパスワードを外に伝えるため、モールス信号を使うところなどは、金融とはまったく関係のないことですが、なかなか凝った味のある設定です。モールス信号なんてもう誰も知らないとだろうと思っていたら、意外なところで使われていたり勉強している人がいるものです。


真紅の歓び (ハヤカワ・ミステリ文庫)  ロバート・B・パーカー

1989年初出の作品で、日本語の文庫化がされたのは1995年、探偵スペンサーシリーズでは15作目になる作品です。

パーカーの作品では珍しく、通常は「私」が語る一人称が多い中で、この小説では犯人と思わしき人物が淡々と独り言のように語っているところがあります。その犯人とスペンサーの推理が最初は遠いところにあるものの、徐々に近づいていき、最後には交わっていくところがなんともスリルがあって楽しめます(実際は犯人自らから近づいていったのですが)。

内容は、黒人の中年女性が惨殺される事件がボストンで相次ぎ、ボストン市警のクワークに頼まれてスペンサーも犯人捜しを始めます。そして別のよく似た事件が起き、その犯人が捕まりますが、クワークもスペンサーも犯人は別にいることを確信します。しかし連続殺人事件を早く決着したい人達の妨害を受けながら、引き続き真犯人捜しを続けることになります。

タイトルは、犯人が警察やスペンサーに対する挑戦状を突きつけ、さらに女性を殺した現場に真っ赤な薔薇を残していくという、快楽殺人に通じるところからきているのでしょう。

このシリーズの中には、殺し屋に狙われ命からがらということも多い中、この作品ではそのような場面はなく、そして最後はあっけない幕切れとなり、悪役がサイコっぽい異常者だとしてもどうも小粒すぎて、相棒ホークが活躍するシーンもなく、やや全体に物足りなさを感じます。

この作品では派手なアクションではなく、恋人スーザンとの知的でエロチックな会話や、スーザンの精神科医としての専門性を生かした犯人の行動分析などに重点を置いた楽しみ方をするのが正しいのかも知れません。


プラチナタウン (祥伝社文庫)  楡周平

正直言ってこのような中高年者が会社から追われ、見返してやろうと捨て身で奮闘する小説やドラマがとても好きです。まず似た境遇で理解しやすく感情移入がしやすいのと、最初このようなつらい目に遭うと、最後は概ねハッピーエンドで終わると想像ができるからです。

私と同い年の楡周平氏はデビュー作「Cの福音」(1996年)以来、私は内容について無条件で購入する作家さんの1人です。文庫化された本はほぼすべて読んでいますが、今回も例外なくワクワクドキドキの面白さでした。

元々犯罪絡みや暗黒街の世界をリアルに描く作家さんでしたが、2000年前後からは企業小説やコミカルなものまで幅を拡げた作品を発表されています。今回の作品は民間企業と地方の役場という事業に関しては対照的な取り組みや考え方を前面に出し、苦難に立ち向かう主人公を応援しながら元気が出てくる内容となっています。

ストーリーは、宮城の農村出身ながら一流商社へ入り、順調に部長まで昇進してきた50歳超の主人公が、ある些細なつまずきにより、上司からおそらく復帰の見込みがない左遷を言い渡されます。時を同じくして、出身地の町役場に勤めている中学校の同級生から「次期町長選挙に出てくれないか」と依頼されます。

その町というのが、地方によくありそうな公共事業で箱ものばかりを作り、その維持費用や地方交付税の削減により大きな財政赤字を抱え、数年後には夕張市のように財政再建団体に入ってしまう寸前のひどい状況です。結果、誰も町長選挙に出る人はなく、この町出身の主人公に白羽の矢が立ったわけです。

当然、そんな町に戻る気はなかったものの、酔った勢いでOKしてしまい、それが地元新聞にも掲載されるまでになって、後に引けなくなってしまいます。

他に立候補もなく、当選を果たした主人公を待ち受けているのは、町の大きな借金だけでなく、やる気のない公務員と利権にめざとい町議会議員です。そういった環境の中で、真っ当な営利ビジネスの最前線で闘ってきた主人公がこの地方都市をプラチナタウンにするまでの苦難のドラマです。

日本社会は待ったなしに高齢者の生き甲斐や健康、介護、医療などの問題を解決していかなければなりません。現在都市部に多くある民間の高齢者施設、いわゆる老人ホームはビジネスホテルのような狭く貧相な部屋か、億の単位が必要な高級な場所かの二通りに限られています。さらに賃金が安いせいで常に介護士不足が続き、十分な介護が受けられません。この小説ではそれら問題を解決するひとつの方法を示しているものです。


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震災など非常時の備え その1 2012/4/4(水)

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我が家(一戸建て)に「震災の備えはできているか?」と聞かれるとまったく不十分なので、それを反省する意味も込めて書いてみます。

一般的な災害と言えば、地震、火事(放火や延焼含む)、津波、液状化、地滑り、竜巻、台風あたりが思いつきますが、我が家のある場所は、海岸から20kmほど入った内陸地域で、元々は畑や果樹園、住宅地として使われていた土地で、津波や液状化の心配はなく、周りは平坦なので地滑りの心配もありません。

強いて言うなら2kmほど離れたところに一級河川の多摩川、数百メートル離れたところに幅5mほどの水路(運河)があり、可能性は低そうですが、万が一それらが氾濫すると、床下浸水ぐらいは起きるかもしれないというレベルです。また地震による大津波の時には河川の流れが逆行してきて河口から1〜2キロぐらいの川沿いに被害が及ぶ可能性が指摘されていますが、河口からは10km以上離れているのでこれも問題なし。

もし津波の被害や液状化しそうな土地だったとしても、その対策は個人には容易でなく、コストも半端なくかかりますので、対策をして備えるというのは現実的ではありません。個人ができることと言えば、土地やマンションを買うときによく注意をするか、引っ越しをするしかないでしょう。

台風や竜巻に関しては周囲は同じような建物が並ぶ住宅地域ですから、その中で窓や屋根などを飛ばされるとそれはもう運が悪いとしか言えず、こちらもより強力な雨戸の設置や窓に割れにくい強化ガラスを入れるという以外に対策のしようがありません。

したがって個人でできる災害対策はとりあえず火事と地震に絞れます。

まずは火事についてですが、我が家のある地域は準防火地域に指定されているので、買った建売住宅の外壁は燃えにくいモルタルで覆われ、玄関扉は金属製です。しかしそれらはホンの気休めというものでしょう。

第一に内部から燃え上がると、天井や壁など木造住宅なので一気に燃え広がりますし、外からの延焼も地震で壁のモルタルが崩れ落ちてしまうと、あとは燃えやすい木の骨組みが表面に出て燃え移ってしまいます。阪神淡路大震災では、モルタルの壁の家がそれで多く消失したそうで、大地震+火災延焼だと耐火、防火と思っているモルタル壁では延焼を防げないそうです。

あと内部の火事に備えて、火災報知器や消火器などの設備もありません。バケツに水を汲んでおくというような面倒なこともやっていません。ずっとこれではまずいなぁと思っていますが、なかなか対応が遅れています。

せめて消防法によって寝室等に設置義務がある住宅用火災警報器ぐらいはと思っていますが、ダイニングや部屋、階段の全部で6個もと考えると、なかなかその気になれません。まずは2個3個からでも取り付けないといけませんね。なんとか今年中には設置することを目標とします。

火災警報器は最近では電池式で10年無交換のものがあり、それだと取り付けも簡単でいいですね。ただ煙感知と熱感知の2種類があり、1個3千円程度の安いものではそのどちらかを選ばねばなりません。それってどちらか片方で効果が得られるものなのでしょうかね?

火事が起きやすい台所や火を使う暖房機を使う部屋の近くに、万が一の時のため、消火器を備えておくといいのはわかっているものの、これも実現できていません。一度買うだけならいいのですが、数年ごとに買い替え、処分するのが面倒というのが理由です。命と財産に関わることですから、こんなことで面倒がったりケチっちゃいけないのですが、、、

先日ホームセンターで、スプレー缶式の消火用グッズを発見しました。これは薬剤ではなく冷却した液剤を噴射し火を消すものと思われます。消火以外にもクルマのオーバーヒート時にラジエーターにかけて冷やすこともできるものでした。これなら邪魔にならないし数年で交換を要することもなさそうです。1本3千円程度でしたので、気休めに数本買っておくのもいいかなと。まだ買ってませんが。

調べてみるとネット(Amazon)にもありましたファイヤーロックEX

使い方の動画をみると家庭用としては最強かも?と思ってしまいますね。でも本当なのだろうか、、、


あと火事や地震の備えに非常持出袋があると便利と言われていますがこれも持っていません。これって貴重なものや非常用グッズや食料を入れておくわけですが、例えば銀行通帳、印鑑(銀行員、実印)、不動産登記簿、年金手帳、財布(キャッシュカード・クレジットカード含む)、携帯電話と充電器などですが、考えてみると空き巣に狙われると、それらをまとめて置いておくのは危険すぎますし、財布や携帯電話は普段持ち歩くものなので、寝るときにわざわざ持ち出し袋に入れておくような面倒なことはしないでしょう。みなさんどういう使い方をされているのでしょうかね?どちらかと言えば地震で逃げ出すとき用なのかな?

貴重品保管用としてなら非常用持ち出し袋の代わりに小さな耐火・防水保管庫という手があるなと最近思っています。これなら登記簿や通帳、年金手帳、印鑑などは入れっぱなしにしておけますし、万が一盗難にあってもプロならともかく素人では簡単に開けられないでしょう。持ち出すにしても十キロ以上ありそうなので、片手で抱えて走って逃げるというわけにもいきません。

次回は地震の備えについて書いてみます。


     


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震災など非常時の備え その2 2012/4/7(土)

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前回の火事についての備えに続き今回は地震の備えです。

家がぺちゃんこにつぶれるような地震だと、もうこれは運次第でどうにもなりません。保険をかけていても一家全滅してしまえば意味のないことです。阪神淡路大震災の時も家が倒壊したが2階で寝ていた人は無事で、1階で寝ていた人は押しつぶされたり、崩れてきた柱や壁に挟まれて逃げ遅れたと言います。でももし地震が昼間に起きた場合、崩れそうになれば1階にいるほうが早く外へ避難ができるでしょう。なので運が左右するのです。

地震保険は余裕があればかけておいて損はないでしょう。契約によって違うでしょうが、全壊でなくても壁にひびが入ったのを修繕したり、家財道具が倒れて壊れた場合の修復や買い替えには役立ちそうです。私は今のところ地震保険には加入していません。

そして備えと言うことでは、家はつぶれなかったものの、都市のインフラが崩壊し、電気が使えず、ガスや水道が何日も止まるということは十分あり得ます。

我が家ではもう何十年も前からミネラルウォーターの2リッター6本入りの箱を、まとめ買いをして常備するようにしています。最低でも3箱(計18本)が常備してあり、使って減れば随時買い足しています。その他カップラーメンとレトルト食品も同様に十数個があるようにしています。ただ5人家族ですから、それでも決して備蓄に十分とは言えません。しのげてもせいぜい2〜3日と言ったところでしょう。

万が一都市ガスが止まったときのためと思って、カセットガスコンロを20年前に購入し、同時にカセットボンベも半ダースほど買いました。しかし先日鍋料理に初めて使ってみようと出して点火してみたところ、何度やってみても着火せず、カセットボンベが古くてダメなのかなと思い、新しく買ってきて交換してもやっぱりダメで、どうもコンロの初期不良のようでした。新品でも購入から20年経っているのでもちろん保証は効きません。まったく冗談みたいな話しですが、非常時の備えになっていません。いくら新品でもそういうものは買ってから放置ではなく何度か試しに使ってみる必要がありそうです。くそっ岩谷産業金返せ!

同様に久しぶりに懐中電灯を使おうとしたら電池切れだったなんてことはよくあります。なので電池はいずれ必要となるので、いつでも多目に予備を買い置きしています。ゲーム機用の電池は繰り返し充電ができる電池にして、単1〜単4までいずれも6個ずつぐらいは予備の電池を持っています。昨年の夏は計画停電が騒がれ、電気店の棚から単一乾電池が長いあいだ消えましたが困ることはありませんでした。

しかしいずれにしても大地震で道路などインフラが壊れると、食料品を含む物資が住宅地まで届かなくなり、首都圏は大混乱になるでしょう。東北と違い首都圏の人口は半端なく多いので、同じく被災をした近県の人達やボランティアがすぐに助けに来てくれるという期待はもたず、自衛策を考えておかなければなりません。

東北の地震の際、遠く離れた関東でも日用品や食料品の買い溜めに走る人が多く、スーパーやコンビニから米やパン、水、カップラーメン、野菜など食料品、防災グッズ、トイレットペーパー、ティッシュなどの日用品があっという間に消え、その他ガソリンも手に入りにくくなりました。もし首都直下型地震が起きると、その比ではなくエゴと暴力によるわずかな食料品の奪い合いの騒動すら起きそうです。

人口の少ない地域でも、当初震災後の避難民に届けられた食料は1日におにぎりが1個とかの状態でした。人が密集し東北の被災地の何百倍の人口がひしめいている首都圏の場合、食料品や日用品不足、燃料不足が起きるのは当然のことです。そのようなパニック状態の中で、1〜2週間待っていればそのうち援助物資が届くだろうから、それまでありものでジッと我慢していようという人がどれほどいるのか疑問です。

せめて各世帯に1週間分程度の食料や水の備えがあれば、その間に一気に道路や水道などのインフラを応急修理し、あとは徐々に流通機能を回復していくことができますが、明日の食料がなくなるとおそらく人はパニックとなり、道路には食料を求めるクルマや人であふれかえり、救援隊が入ってこれない状態になるでしょう。例え救援隊が来たとしてもまず救うのは怪我人や病人、高齢者や子供達であって、一般の大人は自分でどうにかするしかありません。

しかし現実はと言えば、コンビニの出現により、自宅の冷蔵庫は空っぽで、必要になれば近くのコンビニでその都度少量だけ調達するという生活スタイルが、若い人だけでなく高齢世帯にも浸透してきています。そのため食料品や飲料水をたっぷりと備蓄している家庭は少数でしょう。コンビニの食料保管庫化ですが、配送車による毎日数回の補充があってはじめて成り立つもので、災害などの非常時にはまったく役に立たないことを知っておくべきです。

もし食糧不足が長く続いた場合には、ネズミが大量発生し、農作物を求めて広域に拡がり次々と田畑を食い荒らしていく西村寿行氏「滅びの笛 」や、イナゴの大量発生から巻き起こる騒動を描いた「蒼茫の大地 滅ぶ 」の小説を思い出しますが、現に起きるのはネズミやイナゴではなく首都圏に暮らす2000万人が、比較的農地が多い茨城、栃木、山梨、長野へと食料を求め、輪を徐々に拡げ、うつろな目をして彷徨っていく姿はみたくないものです。


     


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ニートって言うな!と言われても 2012/4/11(水)

596
ニート(Not in Education, Employment or Training, NEET)とは、「教育、労働、職業訓練のいずれにも参加していない状態を指した造語」(wikipedia)ということで、一般的に日本では「勉強も仕事もおこなっていない無職の若者(15〜34歳)」を指しています。

厚労省の定義でなぜ「34歳以下」になったのかは不明ですが、実際には「本来ニートと呼ぶべき無職の40代、50代の人が増えているのではないか?」という疑問があり、もしそうだとしたら、そちらのほうが社会的なインパクトがありそうなので、34歳以下に限定せず、年代別に無職の人がどのぐらいなのかを調べてみました。

なぜ40代50代の無職者がインパクトが若い人より大きいかというと、それらの人はあと10〜20年のあいだに定年の年齢に達し、それ以降は本来ならば貯金と年金で生活する人達です。しかし40代50代に無職であればその多くは年金受給資格が得られず、親兄弟から援助が受けられたり遺産がもらえる人は除き、貯蓄も多いとは思えないので、実質的には生活保護受給者予備軍ということです。昨年すでに200万人を突破して過去最多の生活保護受給者になっていますが、それが今後も増え続けていく経済的なインパクトはとても大きいのです。

ちなみに社会問題化している同じような言葉に「引きこもり」というのがありますが、こちらは厚労省の定義によると「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6ヶ月以上続けて自宅にひきこもっている状態」と言うことで、必ずしもニートと同義ではありません。

つまり家に引きこもったままネットビジネスやオンライントレードなどをおこなってお金を稼いでいる人もいます。ここでは、ニートを含み収入を得ていない人(=無就労者)について考えてみます。

ここで「収入が得られる仕事」について「家事」の扱いをどうするかという問題があります。厚労省の統計では「家事」という無償就労を認めていて無職には含めませんが、総務省の統計では「家事手伝いとニートに差異はない」ということで、いわゆる「無就労者」に加えているのです。

ならば、ということで、「家事」を無職とした場合と、無職としない両方で見るようにします。

元の表は総務省統計局労働力調査年報(平成22年度)から抜粋したものです。


下記のグラフは、仕事や学業に就いている人(「主に仕事」、「家事などのかたわらに仕事」、「通学のかたわらに仕事」、「通学」)と、無就業の人(「家事」、「休業者」、「完全失業者」、「その他」)の数を5年ごとの年代別で表したものです。つまり「家事」を無職とした場合のグラフです。



年代ごとに棒グラフの高さがまちまちなのは、人口構成比の違いです。

この中で無就労者の数は団塊世代後半に相当する60代前半が一番高く(多く)、次が団塊ジュニア世代の30代後半が高く(多く)なります。60歳以上は定年で引退をする人が多く「その他」や「家事」の無就労者が多くなるのは自然なことですが、次に多いのが30代後半ということで、「無就労=ニート」ではないとはいえ、やはり34歳までだけをとってニートの数を判断するのは間違っているようです。

ただ実際には出産や育児、介護のため、仕方なく勤めを辞めて家事等に専念している人が相当数いると思われますので、その割合を測って調整を加えるのが本当は正しいような気がします。この「家事」を無職に入れる総務省の理由ですが、「女性が家庭外での社会活動をしていない場合、自らを表す言葉に窮し『家の手伝いをしている』と回答する女性が多く見受けられた」とのことからです。

下記はその「家事」を除いた無職の人の年代別グラフです。



次に現時点で無職と思われる「家事」「休業者」「完全失業者」、働く意志のない無就労者「その他」の人数(棒グラフ)と、その年代の人口比(折れ線グラフ)を年代別にしたのが下グラフです。これでどの年代に家事を含む無就労者が実数としてまた比率として多いか、少ないかがわかります。



同様に「家事」を除いたグラフです。



これからわかるのは、年代別にみて無職者数が一番多いのは、引退して働かなくなった60代前半、次に多いのは、意外にも50代後半、その次は「家事」を入れると30代後半、除くと「20代後半」と違いが出てきます。

50代後半で無職というのはどうしてなのでしょうね。早期引退なのか、リストラなどで失業して働きたいが次が決まらないだけなのか、それとも病気などで仕事ができなくなったのか。実数を見ると「その他」が2倍、「家事」が4割も増えていますので、単に失業者が増えたということではなさそうです。

ちょっと気になるのが、自殺者の年齢別を見ると50代以上、60代以上が常に高く、自殺の原因の上位が健康問題と経済・生活問題ということで、50代以上の中高年者の無就労と自殺には深い関係が見出せそうだということです。

あと「家事」を含むと30代の無就労者が多いのが目立ちます。やはり女性が出産や育児のため退職し、家事をしているというケースが多くなるからでしょう。これは実数を見ても「家事」が20代前半では25万人、後半で72万人だったのが30代前半で124万人、後半では155万人と一気に膨れあがります。この増加傾向は、まだ日本では「結婚して家庭に入る」「子供ができると専業主婦」などというのがどうも普通に多いようです。都会ではそうは思えないのですけど、ある種の女性にはそれが憧れであることも確かでしょう。

整理すると、
・20代はもっぱら外で働き、30代になると外で働き続けるか家事(≒無就労)に分かれる
・20代〜30代前半(20〜34歳)で「家事」除く無職者は合計210万人。ニートはそのうちの約半数100万人と言われている(あとの半数は求職活動中や勉強・病気のため就業ができない人など)
・世代人口比で見ると20代がもっとも無職者の割合が高い
・無職者の実数(人数)は30代(30〜39歳)が多く425万人(家事含む)、146万人(家事除く)
・20代〜50代に家事を除き532万人が無職者で、それは人口比で約8%を占める
・50代後半で仕事を引退すると想定される人が20万人いる

一般的にはニートや引きこもりで社会問題化しているのは、主として若い20代層に思われがちですが、決してイコールではないものの「仕事も学校にもいかない無職者」という観点で見ると、20代以外にも50代後半と30台後半の数が非常に多いことがわかります。「ニート統計が34歳までというのが適当であるか?」というと、どうもそうは思えません。


     

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足(股関節)を痛めてできなくなったこと 2012/4/14(土)

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2000年ぐらいに通勤のため毎日歩いているとどうも右足全体に違和感を感じるようになり、母親が長く煩っていたリウマチを疑いリウマチ科のあるクリニックや、別の整形外科にも行ってみましたが原因がわからず、民間療法のカイロプラクティックへもしばらく通いました。しかしそれが股関節の異常からくるものだと見当がついたのが割と最近2〜3年ぐらい前のことです

今ではその症状がかなり進行してしまっているようで、安静に寝ていても痛むときがあり、階段はもちろん、歩行にも大いに支障がでてきました。その痛みは様々な文献やネット情報を調べると、変形股関節症かその一部でもある股関節唇損傷か臼蓋形成不全など股関節から来ているものと特定できます。

もう一度整形外科に行って今度はちゃんと股関節を中心に(前回病院へ行ったときは股関節というのがハッキリとわからず右足全体が痛むということで診察を受けた)レントゲンやMRIを受けてみようと思っています。検査したからどうかなるってものではないのですけれどもね。

書籍によると、私の50歳代の年齢が、関節の表面を削って平らにし痛みを発する軟骨の破片等を取り除く関節鏡(内視鏡)手術か、やや大掛かりな人工関節に置き換える手術のギリギリの境目らしく、できれば比較的簡易な関節鏡手術までに収めたく、それには少しでも骨がまだ丈夫なうちに治療を受けたほうがよさそうなのです。

保存手術ならば、うまくいって入院期間がリハビリ期間もいれて2週間から3週間、人工関節手術だと入院だけで1カ月※、完全復帰までには2カ月ぐらいはかかりそうで※、どこかで思い切らないといけないかもしれません。ただ私を含め一般的な勤め人の場合、なかなか1〜2カ月間休むなんてできないんですよね。
 ※ネットで調べると入院期間にはかなりの幅とひらきがあり個々の症状によって大きく変わると思われます

さて、そのように股関節を痛めてできなくなったことと言えば、

・しゃがんだり立ち上がったりを繰り返す作業→少し続けるとそのあと数時間動けなくなる
・階段の一段飛ばしや駆け足→痛い側の足で長く体重を支えられない
・座敷などに長時間座ること→元々身体が固く苦手ではあったが
・靴下やズボンをはくのがかなり困難に→痛い側の足がうまく曲がらない
・足の爪切り→痛む右足の爪まで両手が届かなくなってきた
・和式トイレ→股関節が悪い人はまず無理。出先で和式しかないと我慢せざるを得ない
・早足や小走り→横断歩道を通行中、信号が変わりそうでも急に走れない
・10kg以上の重たいものを持つこと→体重をもっと減らせという意見も
・電車の中でなにもつかまらず立つこと→揺れたり押されたとき踏ん張りきれない
・ジッと長く立ったままでいること
・書店での立ち読み→そのせいで書店でブラブラすることが減った
・スポーツ全般→ゴルフ、テニス、スキー、ボーリングなどができない

今のところできること

・自転車・バイク→ただし停まるとき右足をつかないよう細心の注意が必要
・自動車の運転→乗り降りするときだけ苦労するがあとは問題なし
・ゆっくりした散歩程度の歩行→調子の悪いときは右足をひきずり、もっと悪いときは片足で歩く
・上半身のストレッチ、腹筋運動、腕立て伏せ

自宅は以前から洋風(リビングはソファ、寝室はベッド、トイレは洋式)なので、普段の生活はそれほど不自由していなかったということもあり、股関節通を10年以上放置してきたことが、進行に輪をかけてしまったとも言えます。

もっと早くに治療を始めていれば、手術ではなく保存療法と言って日常生活指導、理学療法、薬物治療などにより関節への負担を軽減しながら筋力をつけていくという方法で対処ができたかも知れません。

最終的には手術でもなんでもして、再びゴルフやテニス、山登りなどをやりたいなぁと、元気だったら本当にいまそれやってるの?と聞かれそうですが、ない物ねだりをする日々です。


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4月上旬の読書 2012/4/18(水)

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大人もぞっとする初版『グリム童話』―ずっと隠されてきた残酷、性愛、狂気、戦慄の世界 (王様文庫) 由良 弥生

ドイツの古い民話・伝説を収集して書かれたのがグリム童話の原点だということですが、現代に知られている作品とは大きく違い、その内容は子供に聞かせるにはちょいと過激な内容のものが多く、時代を経て少しずつその内容が書き換えられてきました。そのグリム童話の初版に書かれた内容を翻訳したのがこの本です。

しかし実際に読んでみると、事前に思ったほどは普通で、子供だって生きるの死ぬのといったことには興味があり、子供達が毎日見ている昨今の過激なテレビドラマやバラエティと比べるとずっとマシに思えてくるから不思議なものです。

それよりもそれぞれの物語で本当はなにを言いたいのか?なにを警告しているのか?ということを無視して、意味のないおとぎ話を創り上げてしまったディズニー映画のほうが問題なんじゃないかとちょいと感じたりもします。もちろんおとぎ話仕立てにしたのはなにもディズニーだけではなく、グリム兄弟も世間の評判を聞いて次々と内容を変えていったそうです。

そしてタイトルにあるような「残酷、性愛、狂気、戦慄の世界」のようなおぞましい内容と思えるところはほとんどなく、それだけ現在身近に起きている事故や事件や災害が、古い伝承を大きく上回るまでに至ってしまったということになるのかも知れません。なのでちょっと期待はずれの感もありました。


プロフェッショナル〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕 (スペンサー・シリーズ) ロバート・B・パーカー

いよいよパーカー最後の作品まで残り少なくなってきましたが、2009年に出版され、つい先日ようやく日本で文庫化された作品です(単行本は高くて買えない)。ボストンの私立探偵スペンサーシリーズもこの作品を含め残り3作品となります。

この作品では派手なアクションはなく、金持ちの若い妻ばかりを狙って親密交際し、やがて金をゆすり取ろうとする魅力あるジゴロと、その強請をやめさせて欲しいと依頼されたスペンサーとの関係が楽しめる作品です。

話しの前半は、スペンサーもやがて好意すら持ってしまうそのジゴロというか女たらしの男性のことをずっと調べあげ、後半はその男に入れあげるセレブな若妻を中心として物語が進んでいきます。

スペンサーの魅力ある相棒ホークもヴィニィも登場しますが、その腕前を披露する機会はまったくなく、淡々としたストーリーで盛り上がりには欠けます。しかしこれは派手なアクションを楽しむのではなく、落ち着いてスペンサーの会話を楽しむモノなのでしょう。

著者のパーカー自身もかなり高齢(77歳頃)の作品なので、スペンサーの思考法にもその老成したところが見え隠れする、じっくりと読ませてくれるたいへん面白い一品です。


夜を賭けて (幻冬舎文庫) 梁石日(ヤン・ソギル)

先般、山本周五郎賞を受賞した「血と骨」(1998年)を読みましたが、それよりも数年前に書かれた作品です。この小説を原作とした映画も作られていて、昨年反原発で一躍有名人になった山本太郎氏が主演し、韓国に昭和30年頃の大阪をオープンセットで再現して2002年に制作されたものです。

その「血と骨」の中にも同じような時代と風景が登場しますが、戦後まもなく大阪城のすぐ近くにあった東洋最大と言われた大阪砲兵工廠跡を舞台にし、在日韓国・朝鮮人が差別や貧乏にまみれ、また警察やヤクザと闘いながら鉄くず拾いで必死で生きていく姿が描かれています。

戦後にこの大阪砲兵工廠跡で鉄くずを集めて売り飛ばしていた話しは、開高健氏の「日本三文オペラ」や小松左京氏の「日本アパッチ族」にも描かれている有名な話しですが、著者の梁石日氏の子供の頃の実体験が下地になっていることは間違いありません。

戦後から10年と言えばまだ日本も貧しく、日本に残った韓国・朝鮮人の生活もたいへん厳しいものでした。そんな中で、終戦直前の8月14日に米軍B29の大空襲で徹底的に破壊しつくされた大阪砲兵工廠跡には、掘れば軍需物資や鉄のかたまりが生き埋めになったまま放置された人間の骨と一緒にザクザク出てきます。

しかし場所は国有地で、そこに埋まっているものは国有財産ということになり、夜中にこっそりと掘り返して盗み出す主人公達と警察がぶつかるのは自然なことです。ただ警察も混乱時期でもあり、広い工廠跡を昼夜見張ることもできず、いたちごっこが続きます。

また自らの家族を殺害し、出所してからヤクザと関わりのある同胞もやってきて、警察とヤクザと一発当てようとする労働者がこの地を舞台にややこしいことになっていきます。すでにもうその面影もほとんどなくなってしまった大阪城公園や京橋付近ですが、こういった歴史に埋もれたあだ花の上に1970年の大阪万博(日本国中はもとより世界中から集まってくる観光客向けに大阪城公園が綺麗に整備されたのも1970年)や1990年の大阪花博(会場の鶴見緑地はこの舞台の京橋のすぐ近く)が、その延長線上にあったのだと言うことを知るにはいいことかも知れません。

前半はアパッチ族の話しがメインとなり、後半はガラリと印象を変えます。主人公の1人がその窃盗容疑で警察に捕らえられ、その罪には執行猶予がついたものの、他の思想的な事件に関与してきたと思われ、不法入国者として長崎にあった大村収容所へ入れられます。

大村収容所は刑務所ではなく強制送還するまでの収容所という扱いながら、実態は北と南で戦争が起き、在日間でも対立するコリアン達を押し込めておく場となっていて、そこでの出来事を書くことで、この大村収容所が戦後に在日韓国・朝鮮人に対していかに人権を無視したひどい施設であったかを伝えるためと推測できます。


ほかならぬ人へ 白石一文

「ほかならぬ人へ」は2010年、第142回直木賞の受賞作品です。父親で作家だった白石一郎氏は「海狼伝」(1987)で受賞しているので、初の親子で直木賞受賞と言うことです。

この本には表題の「ほかならぬ人へ」の他に「かけがえのない人へ」の二編が収録されています。まず受賞作の「ほかならぬ人へ」ですが、主人公は名門資産家に生まれながら兄達と比較すると才能が大きく劣っていると自覚し、大学卒業後は家を出てスポーツ用品を扱う企業に勤める男性の、ちょっと変わった悲劇で終わるラブストーリーです。

話の先行きがさっぱり予測がつかず、意外なことばかりで、う〜むと唸らせられました。ラブストーリーと言っても先般読んだ越谷オサム氏の「陽だまりの彼女」のようなキラキラホンワカしたものではなく、親同士が決めていた幼なじみでもある元婚約者とはお友達付き合いしながら、仕事の接待で行ったキャバクラ譲に一目惚れし家族の大反対を押し切って結婚します。ここまでならばよくある話しですが、そこから驚きの展開が一気に加速していき、読者をグイグイと引き込んでいきます。

さすがにこれ以上は書けませんが、男性が読んでも女性が読んでもワクワク、ドキドキ、最後はウルウルと、読書の素晴らしさを堪能できること間違いありません。できればもう少し長編で書いてもらいたかったところです。

白石氏の小説は私は好きで文庫化された作品はすべて読んでいますが、なぜか映画やドラマになっていません。しかしこの作品はいずれテレビドラマ化か映画化されるのではないでしょうか。この作品なら原作者へ映画権の申込みが殺到していてもおかしくありませんが、どうなのでしょうね。

もう一方の「かけがえのない人へ」の主人公は、周りから羨まれる同僚のエリート男性との結婚が間近にせまった29歳の女性。結婚相手とは別に、昔の男(元上司)と寄りを戻して再び深い交際をしているというしたたかさ。マリッジブルーという言葉が昔からあるけれど、相性のいい昔の男が忘れられず、結婚式直前までフラフラとしているところが、世の中の女性の多くは共感を得られるのでしょう。男にとってはなんだかとてもやるせない一品です。最後の終わり方がちょっと残念かな。


ジョーカー・ゲーム (角川文庫) 柳 広司

柳広司氏の作品では最初に「トーキョー・プリズン」を読みましたが、今までにはないまったく新しい作風に衝撃を受け、その後「キング&クイーン」や「新世界」を続けて読みました。

この作品は日本陸軍のスパイ養成学校を扱った一連のD機関シリーズと呼ばれ、その後も続きますが、この文庫には表題作ほか、幽霊、ロビンソン、魔都、XXと合計5作の短編が収められています。

小説に登場するD機関とは有名な陸軍中野学校を一部モデルとしていると思われますが、第二次世界大戦前の慌ただしく動く国際情勢をにらみ、陸軍の猛反対を押し切って、元スパイだった結城中佐が設立します。各短編ごとに学校の卒業生や訓練中のスパイ達が活躍あるいは挫折する姿を描いています。

日本は伝統的に武士道の「正々堂々と対決する」という考え方があり、相手の秘密を利用して交渉や戦いを優位にする「スパイ行為など卑怯者のやること」という精神が根強くあります。しかし同一民族間の争いならともかく、複雑で怪奇な国際間交渉においてはこの情報収集・分析能力は雌雄を決する重要なこととなりますが、日本はその点で世界に大きく後れを取ってしまうことになります。

また映画や小説で描かれるスパイというのは知的で冷酷でそして華々しくスーパーマン的な活躍を要求されますが、ここに登場するスパイは目立たず社会に溶け込み、透明人間になることが求められます。自分の近くで人を殺めたり逆に殺められたりすること自体は際だって目立つ行為となり、スパイとしては最悪の結果と言うことになります。

いまでは国際的な地位が低くなって、さほど重要視されないとは言え、現在の日本においても世界中の多くのスパイ達がうごめいていることを考えると、なにかとても不気味さを覚えます。

そう言えばまだ英国統治下にあった香港で仕事をしていた時、英国政府ビルの前でなかなか捕まえることができなかったタクシーをやっと停めることができ、ヤレヤレと思って乗り込もうとすると、スーツ姿の白人男性が近づいてきて「どこへ行く?」と聞いてきたので「セントラル」と答えると「俺も途中まで乗せてくれ」と有無を言わせず乗り込んでくる。

相乗りしてどこから来たか?なんの仕事をやっている?など聞かれつつ、世間話しをすることに。その後なにが気に入ったのか名刺を出して「今度自宅でパーティをするから遊びに来い」とパーティの日時と自宅の住所を書いてくれる。「必ず来いよ」と2回念を押され、その強い押しの雰囲気に逆らえず「All right」と返答。

そして上手な広東語でタクシーの運転手に自分が降りたい場所を伝え、先に降りていきましたが、彼が降りたあと、運転手が私に向いて小声で「He is a spy, England spy.」と言ってニタリと。

唖然として見送りましたが、タクシー運転手にまで知られているスパイとはこれいかにって感じです。スパイの親玉で有名人だったのでしょうかね。どうしようか少し迷いましたが、仕事も忙しくパーティには行きませんでした。行っていたら人生変わっていたかもしれませんね。


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スマートフォンからガラ携に戻る人達 2012/4/21(土)

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携帯電話と言えば、華やかで話題性のあるスマーフォン一色です。しかし少し前に「中高年者とスマートフォン」でガラ携の優位性など書きましたが、中高年に限らずスマホからガラ携に戻る人や、ガラ携で十分と意志を明確にする人がまだまだいそうです。

携帯キャリア(DoCoMoやauやSoftbank)はちびちびと従量制で使う携帯ユーザーに、それより毎月1台当たり4〜5千円以上を上乗せできる常時接続で定額制のスマホへ移行させることが、売上向上の至上命題となっています。

そうなると携帯キャリアに本体を買ってもらう携帯メーカー(SONYやNEC、Sharp、Panasonic、外国メーカー)はキャリアに気に入られるようにスマホの開発と製造に力を入れ、テレビ、新聞、雑誌、ネットニュースは大口スポンサーの顔色を伺って、やたらとスマートフォンを持ち上げる記事を書くようになります。それが一種ブームとなってる真相ですが「本当にそれでいいの?」という意見がポツポツ出始めています。

「やっぱり使いにくい!」 スマホからガラケーに戻す人が急増


携帯ショップを見てみると、スマートフォンの数が圧倒的に多い。だが、スマートフォンの普及の陰で、従来型の携帯電話も根強い人気を誇っているという。どうやら、一度はスマートフォンに機種変更したものの「メールが打ちにくい」「こんなに多くの機能はいらない」と従来の携帯電話に戻ってくる人が多いということだ。

また、
「スマホの満足度、従来型より低い JDパワーが携帯電話調査」


J.D.パワーアジア・パシフィックが発表した2011年12月時点の携帯電話端末の顧客満足度調査によると、総合満足度でスマートフォン(高機能携帯電話)が1000点満点の587点だったのに対し、従来型の携帯電話が590点とやや上回った。
調査は、「性能」「操作性」「スタイル・外観」「機能」の4項目で顧客満足指標を設定し、全国の6000人を対象に実施。基本的な通話機能の使いやすさやボタンの押しやすさといった点で従来型の携帯電話の評価が高かった。またスマホはバッテリー性能の評価が低かった。

このような記事も
「使いこなせない?使い道がない?残念な家電ランキングベスト5」


INLIFE は2012年3月19日、同社の Web サイト「インライフ」で実施したアンケート「あなたが使いこなせない、使い道がない家電は?」の調査結果を公表した。同調査は、20歳から50歳までの男女を対象にして実施され、152名からの回答を得たという。回答を集計した結果、残念な家電の上位5位は以下の通りとなった。

1位 スマートフォン 28.3%
2位 ミキサー、フードプロセッサー 19.6%
3位 PC 15.3%
4位 デジカメ 10.4%
5位 食器洗浄機 7.1%

マニュアルが不要で、直感的に使えるというのがスマホの特徴でありながら、意外と使いこなせていない人が多いってことなんですね。

日本のメーカーは、他社に負けないようにとこれでもかというほどの機能を満載し差別化をはかる従来の家電製品と同じ道を歩んでいるような気もしますが、スマホは本質的には通信機能を持った携帯簡易パソコンなので、それ自体で完結する一般家電とはちょっと違います。どちらかと言えば各個人が必要なアプリを購入して人それぞれに千差万別の使われ方がされます。それはちょうどパソコンが黎明期のまだ趣味の世界だった頃ともよく似ています。

一方のガラ携を推し進めてきた各社はすでに行き着くところまで行ってしまい「さぁ次はどうしよう」と悩んでいたところに外国からスマホのた吹いてきて「この風にうまく乗らなきゃ」とばかりにそちらへ目が向いてしまっている状態です。そういう意味ではガラ携はユーザーが望む形を具現化してきた成熟した製品なので、近い将来完全に凌駕するにしてもまだスタートして間がないスマホより価格、耐久性、操作性、携帯性などが優れていて当然です。

ディスプレーの大きさでスマートフォンとガラ携の区分がされるわけもなく(ガラ携でも大きな画面のもある)、また画面が大きくなれば視認性はよくなる反面、バッテリーの持ちが悪くなったり、片手での操作がやりにくくなるのは当然で、功罪それぞれあるわけです。

これらの記事に様々なコメントがついていてなかなか面白い。

結局、ケータイ電話なんだから電話とメールの使いやすさが問題。しかもスマホはすぐに電池きれるし、肝心なときに使えなくなる

・バッテリーの消耗が激しい ・持ちにくい ・高機能すぎて機械音痴には宝の持ち腐れ ・パソコンの代わりにはならない

回線の遅さとバッテリの持たなさに発狂した

スマホを電話機として使う気にはなれないな。あっというまにバッテリなくなるし。いわゆるガラケーの技術は本当に凄い。

スマホは終わるだろうな。もしくは永遠の二番手。二大(台)持ちでないと使えない

(スマホは)ほぼ要らんからな。通話とメールがあれば良い。乗換検索と地図もあれば良い。他は本気で使わん。

片手で操作できるってのが、ガラケーの圧倒的強味だと思うけどな。

片手で操作出来ない物はゴミだろ。両手ふさがるとか、ありえないよなw

スマホはガラケーのパケット定額プランで常に料金上限に達してた人が使うもの。電話とメールだけならガラケーのが良い。

普通に毎月プラス4000円の出費に値するかだな。

月2,500円くらいならスマホに乗り換える。

スマホって通話機能付き小型PDAだからな。しかも価格も維持費もクソ高い。

スマホ使ってるヤツって7000円以上もする。月額料金に納得してるの?俺にはムリだわ。

ガラケー極めれば世界征服できたのにw

正直多機能の部分はほとんど使わない。

仕事=職場内メイン(パソコン有り) 自宅=パソコン有り だとガラケーで十分っていうのが結論だよね。

PC持つの嫌な奴がスマホにするからいいのに、電話と携帯メールで事が済んでる人がスマホ持ったらそりゃ使いにくいわな。それならガラケーの方が圧倒的に使いやすいし。コンビニにしか行かないのにハマー買うようなもんだ。

スマートホンに限った話じゃないが「自分にはどんな機能が必要か」「どんな機能があったら便利に思うか」とじっくり考えず、ただ流行だからというだけで何も考えず安易に飛びつく典型だと思う。

もともとスマホでネットなんて画面が小さすぎるし、中途半端な機能性能でオールインワンにするくらいならメールと通話をガラケーで、ネットはもっと大きな画面のタブレットPCと使い分ける方がいいと思ってた。

電話が欲しいなら普通のを。オモチャが欲しいならパソコン買え。スマホがPCを完全に内包した完成形に至るまではまだしばらくの時間がかかる。今は時期が悪い。

「PCに短し、電話に長し」

40代以降の老眼が始まった世代には見づらいらしいね。

年配層にまでスマホ売りつけてんじゃねーよ。鬼畜キャリアども。

スマホは増えていくよ。でも右か左かでどちらか一方に偏らなくてもいいじゃないか。どういう事情か知らないけれど、人間を食肉用のブロイラーみたいに均質にしたがるから困る。

もちろんスマホユーザーからの反論や意見も多く寄せられていますが、ここではあえてスマホ否定派の意見を採り上げてみました。理由は筆者がまだガラ携(別途タブレット型PCは保有)なので「ひがみ」を含め、同意するところが多くあっただけのことで他意はありません(十分ある)。

結局アンチスマホ派は、
 1)金銭面
 2)操作性(ある程度は慣れだと思うが)
 3)スマホの未完全さ
が非難の対象でしょうか。

私がすごく同意できるのは「毎月プラス4000円の出費に値するか」「老眼が始まった世代には見づらい」「ガラケーのパケット定額プランで常に料金上限に達してた人が使うもの」あたりです。結局自宅でも会社でもネットにつながった自分専用のPCがあればスマホは外出時以外は不要です。外出時にもネットが見られるのは便利なこともあるでしょうが、なければないでどうにでもなるかなって。いざとなればガラ携でもWi-Fiや3Gでネット接続することができます。

今はガラ携の従量制で、通話とメールの月々総額2500円ぐらいで済んでいるところ、スマホに換えると基本的には定額料金となり月々7〜8千円以上がかかってくるのが嫌なので、とりあえずガラ携が壊れるまではこのままにしておくつもりです。

要はスマホでなにをするのか?なにをしたいのか?によって、それと加算される料金を並べ、その価値が妥当なのかで選ぶべきものなのでしょう。私はゲームをやりませんが、ゲーム好きにとっては大きな画面のスマホでできるゲームには魅力があるでしょうし、外出中もTwitterやブログに常時アクセスできるのを魅力に感じている人にとってはスマホは最適でしょう。

また自宅にパソコンや通信回線は持たず、その代わりとしてニュースを見たり友人達とのコミュニケーションツールとして活用するのなら、確かにどこでも持ち運べるスマートフォンは優れたツールかも知れません。将来はそうなっていくのかも知れませんね。

ちなみにスマホの基本機能としてできることは、現在のガラ携でも(お金を追加して支払えば)ほぼできるということも忘れてはいけません。逆にガラ携ではできてスマホではできない機能がまだいくつかあり、その点も今後スマホに乗り換えるかどうかの判断基準となりそうです。


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地熱発電大国への第一歩を踏み出したか? 2012/4/25(水)

600
【とりあえず600回謝辞
おかげさまでリストラ天国日記も600回を迎えました。思えばよくここまで来たもんだと我ながら感心しますが、当初の内容からは大きな変貌を遂げたにも関わらず、飽きず懲りずにお付き合いいただきまして、ありがとうございます。最近の投稿ペースで行くと4年後には1000回となりますが、果たしてそこまで気力・体力がもつかどうかは、ムニャムニャ


以前、再生可能なエネルギーとして、太陽光や風力ではなく地熱発電が日本のエネルギーの切り札だという主旨のブログを書きましたが、先月、ようやく環境省が国立・国定公園での地熱発電の試掘調査を容認したと記事が出ていました。

「地熱発電、国立・国定公園で垂直掘り容認 環境省が新方針」

地熱発電は太陽光や風力発電とは違い、天候に左右されず安定した電力を供給することができ、さらに日本の地熱埋蔵量はアメリカとインドネシアに次ぎ世界第3位と言われているほどの地熱大国です。その想定される埋蔵量はざっと原発20基分2400万キロワットと言われています。

地熱発電所の建設、維持、運営コストは原子力や水力発電所と比べると遙かに安く、環境への影響も放射能はもちろん、Co2も輩出せず、また大きなダムを造って川をせき止めるという自然環境破壊もありません。地熱発電で出てくるのは水蒸気だけです。

よく地熱発電でお湯を汲み上げると温泉が枯れ、地下水の影響がと心配する人がいますが、通常の地熱発電では温泉に使うお湯よりもずっと深い地層からの汲み上げと、熱を利用したお湯は再び同じ場所へ戻しますので、ほとんどその影響はないと言われています。

それに例え全国に何百とある温泉のうちのいくつかに影響が出たとしても、放射能拡散のリスクに日々怯えながら、全国で原発を使い続け、その使用済み廃棄物や廃炉処理に何万年と時間とコストをかけることと比べ、日本人はどちらのほうが幸せなのでしょう。原発設置や維持のためにばらまいていたお金の一部を影響の出た温泉組合や旅館に補償として支払うことも可能でしょう。おそらく原発交付金よりもずっと少ない金額で済むでしょう。

ただ温泉資源で生活をしている人がいることも事実ですので、万が一地熱発電によりなんらかの影響が出てしまった場合の保証制度や損害保険というのも、早く整備したほうがいいかも知れません。そうすれば地元の協力も得られやすいのではないでしょうか。また補償は事業会社だけに責任に押しつけるのではなく、他の原発や水力発電と同様、エネルギー政策を進める国や自治体からも補償を受けられるようになるといいでしょう。

先の新聞の記事によると、昭和49年(1974年)に政府で取り決められた国立・国定公園内での試掘調査を6ヶ所に限定する通知を破棄し、いくつかの条件付きですが開発事業者に認める方向のようです。

なんと言ってもその地熱発電ができる場所というのが、国立・国定公園内が8割と言われています。これから発電事業を行い、それぞれ地域の電力需要や、場合によっては都市部へも供給しようとする既存の電力会社を含む民間業者が、これでようやく一歩前進することができます。

さらに4月9日のNHKニュースでは、
地熱発電拡大へ 業者対象に説明会
原発事故を受けて、自然エネルギーの地熱による発電を拡大するため、熱源が豊富な国立公園などでの開発の規制が、条件付きで緩和されたことを受けて、環境省は9日、開発業者を対象にした説明会を開きました。

とあり、すでに福島県の磐梯朝日国立公園など合わせて5か所ですでに開発計画が持ち上がっているとのことです。一気に弾みがつきそうで期待が持てます。

外国で実績のある国産の地熱発電プラントがすでにありますから、そのシステムを使えば国内産業の育成と発展にも大きく寄与し、今後世界に向けて地熱発電を大々的に輸出するビッグビジネスにもつながります。

一番の問題は送電のところで、現在の地域独占の電力会社が、発送電双方のインフラを押さえている限り、いくら発電しても安く送電網に乗せられない、あるいは採算の合う値段で買ってもらえないということになります。それの解消には発送電分離か、あるいは固定価格買い取り制度の設定などが必要となります。

最後に美しい国立公園内に、無粋なプラントや送電線が建設されることの可否について、心情的に言えば「そりゃないに越したことはない」です。ただすべては原子力発電を代替する必要不可欠なものという考えを持たない限り、感情論で「自然を壊すな!」というのは、電気が必要不可欠な社会の中で暮らしていながら無責任な発言で、最低限度の開発は仕方がないと妥協するしかありません。

環境に優しく自然に大きな負荷を与えない新たな地熱発電所を作り、日本が世界に向けて原発のない経済大国の成功例を示し、そしてその技術やノウハウを提供すればいいのです。少なくとも、地熱発電所の建設と運用は、原子力発電所、水力発電所、高速道路、鉄道、空港などの建設と運用と比べると、自然や環境への負荷や影響は遙かに小さなものと考えます。


     

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社長の年齢と出身地についての統計 2012/4/28(土)

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帝国データバンクが日本の会社の「社長年齢、出身大学、出身地」などの数値を公表してくれていますので、それを元にしてちょいと分析をしてみました。ここでいう社長はなにも上場している大企業の社長に限らず、家族経営のような零細企業の社長も含まれます。というか、質を問わなければ企業の数は圧倒的に中小零細企業が多いわけで、全体数はそういう零細企業の実態が大きく反映されます。

帝国データバンク2012/1/30特別企画:全国社長分析(PDF)」のデータを元にグラフ・表化しました。

まず、社長の年齢ですが、想像通り高齢化の流れに沿ってなのか、着実に上がってきています。逆説的に皮肉っぽく言えば久しく見かけることのなかったずっと右上がりのグラフが複雑に気持ちいいです。


高度成長期末期の1978年からは2年連続して下がったこともありましたが、第二次オイルショック後の1981年以降、31年間連続して社長年齢は上がり続けています。景気もこういう調子で上がり続けてくれるとよかったのですけれどもね。

社長の高年齢化の原因には、
1)定年延長55歳から60歳へ、そしていま65歳へ(役員定年も同様に上昇)
2)寿命(平均余命)が伸びたこと(1980年男性73歳→2009年男性80歳)
3)後継者不足(少子化、核家族化で家業を継がなくなってきた)
などが考えられます。

今後はというと、いま65歳前後の団塊世代の社長が完全に引退をするあと5〜10年近くはこの傾向が続くのではないでしょうか。その後はおそらく団塊ジュニア世代の多くが引き継ぐことになるでしょうから、その時点で一時的には下がることになるでしょう。

もし将来相続財産の100%課税なんてことになったら、親もなく自分に財産のない私は拍手喝采ですが、多くの個人事業主の親は、お金ではなく課税されない事業を子供に遺そうとするでしょうから、社長の年齢も下がっていくことに拍車がかかりそうです。

次に社長と言っても、社員数万名を率いる東証一部上場企業もあれば、法人化した個人商店のような場合もあります。企業の規模別に社長の年齢をグラフ化したのが下記です。


これをみると当然というか大企業ほど社長の年齢が高く、企業規模が小さいほど低く(若く)なる傾向があります。これはベンチャー企業など、新しく事業を始める場合は規模も小さく、比較的若い人がおこなうからでしょう。最近は50代60代の起業が目立つという話しも聞きますが、本流ではないでしょう。

大企業の場合、年功序列制度がまだまだ健在であることの証左です。上場企業にも80歳代の社長さんがまだゾロゾロといらっしゃいます。

しかし1997年からの14年間では資本金1千万未満の小企業が2歳以上年齢が上昇しているのに対し、10億円以上の大企業は約1歳の上昇とその差は縮まりつつあるようです。零細企業(≒個人事業)の高齢化が急速に進んでいるということでしょう。

また企業数(社長数)で考えれば1千万円未満の企業がおそらく半数以上を占めるのが普通でしょうから、社長の平均年齢の上昇は大手企業よりも中小零細企業の社長の年齢に大きく左右されるものと推測できます。

小企業と言えば、過去に何度かブームが起きた学生ベンチャーや、IT起業ブームなどは、この年齢グラフを見る限り大勢に影響を及ぼさないホンの些細な出来事だったようです。

次に出身大学別の社長数です。ここのデータでは出身大学のみの集計となっています。


さすが学生数日本一の日本大学が2位の慶応大学に二倍の大差をつけて圧勝です。

3位は早稲田、以下明治、中央、法政と続き、7位に近畿大学、8位に同志社大学とようやく関西勢が登場します。さらに関東・関西以外の地域では、17位福岡大、23位名城大、25位愛知学院大、35位北海道大、36位東北学院大となっています。これを見る限り東京の大学出身者が大半を占め、地域格差というのが感じられます。

ちょっと意外に思ったのが、国立大学出身社長の少なさで、東大16位、京大24位、北大35位、阪大43位です。国立出身者は官公庁へいく割合が比較的高いからという推測もできますが、やはり卒業生の数がもっとも影響するのでしょう。

それにしては旧帝大に並び旧三商大と言われ多くのエリートが集まってきた一橋大学、神戸大学、大阪市立大学のうち、神戸大学がかろうじて42位に入っているだけで、他2校が入ってこないのも意外に思った点です。

そこで、現社長数を過去50年間の卒業生数で割ってみると、各大学の社長を輩出する本当の実力がわかるかなと考えたものの、多くの大学では過去の年度ごとの卒業生数を公表していません。また過去卒業生総数に関しても公表しているところと、していないところが混在し、100年以上歴史のある学校と設立30年ぐらいの学校とでは卒業生総数に大きなく差が出てしまい無意味なのであきらめました。

その代わりと言ってはなんですが、各出身大学別の社長数を大学(学部)の現在学生数で割ってみて、学生数の規模による優劣を減らしてみることにしたのが下記の表です。そうすれば圧倒的な卒業生を排出する日大が常にトップという面白くもない結果が変わってきます。

出身大学別社長数ベスト30の現在の在校生数を調べ、「社長数÷在校生数」で、その比率が高い順に並べてみました。なおこの計算で出てくるパーセンテージ自体にはなにも意味はなく、社長を輩出する可能性が比較的高いと推測できる大学の順位がわかるというだけです。


結果は、慶應義塾大学が1位、2位中央大学、3位日本大学、4位明治大学、5位に神戸の甲南大学、6位大阪工業大学、7位早稲田大学、8位法政大学、9位芝浦工業大学、10位東京大学の順です。

この30〜40年に学生数(卒業生数)も変わっているでしょうから、正確ではないものの、学校規模を考慮した修正値となり、こちらの順位のほうがユニークで面白そうです。

意外と言っては在校生や卒業生に失礼千万なのですが、大阪工業大学や芝浦工業大学など理系大学が上位にきたり、在校生数が比較的少ない甲南大学や東京大学も上位に顔を出してきます。この順位は学校偏差値や倍率とは違い、ビジネス界で成功する順位と言えるかも知れません。もっとも親が事業家で、その息子が格好ツケに大学へ行き、そのまま親の事業を継いでいるというパターンも少なからずあるのでしょうけれど。

いずれにしても希望すればほぼ全入時代と言われる大学で、採用においても一部を除きあまり出身校を問わなくなってきましたので、社長を出身大学で比べること自体あまり意味のない時代です。しかし、それぞれの大学の卒業生には学校に対する愛着や思いがあり、ライバル校と勝った負けたなどがまだしばらくはあるのでしょう。

最後は、都道府県別の社長の出身地です。通常の順位ならば人口の多い大都市をもつ都道県が上位に来ますので、それじゃ面白くないので、各都道府県人口10万人当たりの社長数で比べて並べたのが下記の表です。


上記を見ると、1位は福井県、2位山梨県、3位島根県、4位富山県、5位山形県といわゆる地方が上位に並びます。大都市を抱える都道府県では北海道が21位、京都府が33位、福岡県35位、東京都40位となります。結構意外な感じがしませんか?

最下位の5つは43位愛知県、44位大阪府、45位千葉県、46位神奈川県、47位埼玉県と大都市圏の府県で占められています。推論ですが、高度成長期時代以降に親か祖父の時代に地方から都会へ移り住み、工場や会社に勤めるサラリーマンとして勤務していた人が多く、その子供達もまたサラリーマンとなり、一方地方に住む(残った)人は地元で商売や事業をおこなっていて、それを子供に継がせているケースが多いのではないかなと。この表ではわかりませんが、企業規模別で大企業だけを抜き出し出身地別を出すと、おそらくはこれほどの差は出ないと思われます。


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