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リストラ日記アーカイブ 2009年8月
読みやすいようにアーカイブは昇順(上から古いもの順)に並べ替えました。上から下へお読みください。

日記INDEXページ(タイトルと書き出し部の一覧)はこちらです
250 7月後半の読書
251 米騒動16年前の悪夢再び?
252 エコとか環境保護という胡散臭さ その1
253 エコとか環境保護という胡散臭さ その2
254 8月前半の読書
255 総選挙を控えてのひと言
256 2009年総選挙ネタ
257 インターネット選挙はいつおこなわれる
258 パスワードから解放されたい
259 国民皆貧乏になっていく
260 飢餓人口10億人、1日の餓死者2万5千人
261 あなたとは違うんです!
262 社内の連絡、メールか直接か
263 本の中の故郷とちょっと小説の話し その1
264 本の中の故郷とちょっと小説の話し その2


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7月後半の読書 2009年8月2日 (日)

250
天下城(下) 佐々木譲 新潮文庫 2009/7/20
終末のフール 伊坂幸太郎 集英社文庫 2009/7/23
片眼の猿 道尾秀介 新潮文庫 2009/7/25
永遠の0(ゼロ)百田尚樹 講談社文庫 2009/7/28
欲しがらない生き方 -高等遊民のすすめ-  岬龍一郎 角川oneテーマ21 2009/7/30


天下城1 天下城2
天下城 (新潮文庫)」 は上巻に続き織田信長の絢爛豪華な安土城の完成、そして謎の炎上をクライマックスに迎えて一気に加速をしていきます。

それにしても日本の城の歴史は石積の歴史でもあったんですね。穴太衆や穴太積みについてよくわかりました。

佐々木謙は「エトロフ発緊急電」や「ストックホルムの密使」など太平洋戦争物、警官小説の「警官の血」や「笑う警官」、それにバイクものやミステリーなどとともにこの歴史物の小説も多く書いています。

全部を読んでいないのであくまでも読んだ中での私の好みですが、(1)「ベルリン飛行指令 (新潮文庫) 」1993年1月(2)「天下城」新潮文庫 2006年10月(3)「夜にその名を呼べば」ハヤカワ文庫 1995年5月と言ったところでしょうか。

いやいややっぱり順位をつけるなんてできません。「勇士は還らず (朝日文芸文庫) 」「ネプチューンの迷宮 (扶桑社文庫) 」「愚か者の盟約 (講談社文庫) 」「昭南島に蘭ありや (中公文庫) 」「鷲と虎 (角川文庫) 」「北辰群盗録 (徳間文庫) 」「くろふね (角川文庫) 」「制服捜査 (新潮文庫) 」「屈折率 (講談社文庫) 」「疾駆する夢(小学館文庫) 」なども当然上位にランクされます。しかし意外にも大きな賞とは縁がないのですね。

著者別読書感想(佐々木譲)


終末のフール
佐々木譲が北海道在住に対し、伊坂幸太郎は仙台在住の作家で「終末のフール (集英社文庫) 」も仙台が舞台です。

3年後地球に小惑星が衝突して人間は生き残れないという混乱した中で、それぞれの普通の人が淡々と生き抜いていく街の様子をドラマ化しています。

同じ舞台で主人公が代わっていくという短編集ですが、それぞれの物語同士に関連性をもたせています。ただまもなくみんな死ぬと思えばやっぱり未来はなく「明るく生きよう」とはなりませんね。

小説内容も全体に暗めです。評判は聞こえてきませんが確か少し前に映画化がされたと思います。同じ伊坂幸太郎著の「陽気なギャングが地球を回す (祥伝社文庫) 」は小説も陽気なギャングが地球を回す プレミアム・エディション [DVD]も評判よかったんですけどね。

著者別読書感想(伊坂幸太郎)


永遠の0
百田尚樹の小説は初めてですが、この「永遠の0 (講談社文庫) 」には引き込まれてしまいました。

カミカゼ特攻で戦死したというまったく知らない祖父のことを急に調べることになった26歳のフリーターが、当初「臆病者」「卑怯者」と言われていた祖父が実は天才的なパイロットで多くの仲間を救ってきたことが次第にわかっていきます。

「必ず妻と子の元に帰る」と言い続けていたはずの祖父がやむを得ず特攻機に乗る前に決断したこと、そして小説の最後に明らかになる事実が、、、う〜ん、ここでは言えません。読んでください。

著者別読書感想(百田尚樹)


欲しがらない生き方
欲しがらない生き方 -高等遊民のすすめ- (角川oneテーマ21 B 121) 」は50過ぎればもう先も見えてるのであくせく働かないで高等遊民的な生き方したらどうですか?という提案書であります。

著者は本人が自覚しているほどには高等遊民化だと思いませんが(しっかりとビジネスしてお金儲けをしていたり)、純粋に高等遊民的生き方に憧憬する人は多いでしょう。

そりゃ仕事もせずにブラブラと自由に生きて、やれ恋愛だ、政治だ、哲学だ、文学だ、趣味だ、など勝手なことをやってなんの責任も持たずに適当に発信をしていればいいのだから。

その代わり一般的に収入はない(団塊世代以上は60過ぎれば年金がもらえるでしょうが)ので、退職金(これも団塊以上はもらえるがそれ以下は厳しい)や親の資産・遺産がたんまりないと長い老後でホームレスか生活保護を受けるハメになりかねません。

また普通50代と言えばまだ住宅ローンと子供の教育費で汲々している人が多いので(まさに私のことです)実感は起きません。

本書でも薦めているヘンリー・D. ソローの「森の生活 ウォールデン (岩波文庫) 」を一度読んでみようと思いましたが、小さすぎる文字で中高年者には読ませたくないという方針の岩波文庫なので、いったんは書店で手に取りましたが断念しました。


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米騒動16年前の悪夢再び? 2009年8月11日 (火)

251
今日「東北は梅雨明けしなかった」というニュースが流れました。
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東北は梅雨明けなく秋に 03年以来6年ぶり
仙台管区気象台は10日、「東北6県は梅雨明けと判断できる時期がないまま、秋への移行期に入った」と発表した。梅雨明け時期は1951年以降発表しているが、特定できなかったのは、2003年以来6年ぶり。
気象台は、東北の梅雨明け宣言を北部と南部に分けて発表しており、03年も北部南部ともに梅雨明けが特定できなかった。梅雨明けがなかったのは、東北北部では5回目、南部では4回目となる。
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2001年と2003年にも同様な梅雨明け宣言なしがありましたが、特に2003年のコメ作況指数は「著しく不良」で1993年以来の大不作でした。

1993年というと米騒動を覚えている人は多いのではないでしょうか?スーパーはもとよりどこの米屋へ行っても国産米は売り切れていて、あるのはインディカ種で長粒のタイ米かよくて味は大きく落ちるが一応ジャポニカ種の中国米やカリフォルニア米といったところでした。

しかも価格は高騰しめざといコメ農家は高値で売れることを見越し農協へは出さず、「闇のバイヤーがコメ農家をまわって高値で買い付けている」とか噂が絶えませんでした。

その後政府も備蓄米を増やしたり、一定量の海外輸入米を毎年買い付けることで、2003年のコメ不作時には特に大きな問題とはなりませんでしたが、さて今年はどうでしょう?

すでに国産野菜の価格がジリジリと上がってきています。中国や東南アジアでの作況にも寄りますが、不況に追い打ちをかけるようにして食糧が高騰しそうな予感がします。

だからといって精米したコメは保存が効かないので、来年秋までの1年分をあらかじめ買い占めておくってわけにもいきません。

そうそう、その1993年の米騒動の翌年まだコメが決定的に不足している時に、今はなき城南電機という家電量販店の名物社長宮路年雄氏(故人)が「あきたこまち」をどこかから大量に仕入れ、ヤミ米として店頭で販売していたことを思い出します。

あのときは多くの国民やマスコミが当時の食糧管理法違反で城南電機を行政指導する食糧庁の役人に対して「まともに米を流通させないで、なに言ってやがる」と嫌悪感を持ったものでした。

本来悪いのは法律を守らない城南電機なのですが「悪いのは法律とそれを厳格に守らせようとする役人」とする世論とその世論におもねるマスコミに私はいいかげんうんざりしたものです。

食糧管理法はその時の米騒動がきっかけとなり1995年には廃止となり、現在の食糧法(通称)では2004年の大改正により誰でも自由にコメを販売ができるようになっています。農林水産庁外局だった食糧庁も2003年には廃止され、総合食料局となっています。

今のところあまりニュースにはなっていませんが、米や野菜の不足と高騰、農業政策の不備などについてこの秋頃(米の収穫期)から大きな話題となりそうです。

また本来この夏場が勝負の「ビール業界(メーカー、小売り店ばかりでなくビアホールのような飲食業も」「冷菓業界」「リゾート地(海の家とか山の家とか)やプール、ゴルフ場」などもこの冷夏となかなか梅雨明けしない天候により大打撃を受けていること間違いなしで、大不況と相まって経営が傾いたりすることになるのではと心配しています。


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エコとか環境保護という胡散臭さ その1 2009年8月12日 (水)

252
「環境にやさしい」とか「エコロジー」とかの言葉がここ数年ずっと流行のようになっています。私のような天の邪鬼の人間にとっては、そのような言葉を聞くたびに言いようのない胡散臭さを感じてしまいます。

言いようのないから言わないのではずるいと思うのでちょっとだけ言います。

以前「恐怖の存在 (ハヤカワ文庫)マイクル・クライトン著」や「偽善エコロジー―「環境生活」が地球を破壊する (幻冬舎新書)武田邦彦著」の読書感想の際に触れましたが、もはやエコや環境は立派な儲かるビジネスとなってしまっているということです。

つまり今では環境活動やエコロジー運動も石油産業や自動車産業と同じ土俵に上がっているということです。

環境保護が各国政府の高い目標だったり、せいぜいNPO団体の活動だったりしたときとは違い、産業となりビジネスとなるとなにが違うかというと、「自動車のある生活」=「便利で豊かな生活」や「石油の確保」=「国家の存続」=「採掘権の国際競争(時には戦争)」であるように、国家や人の欲望や支配を満たすためには手段を選ばず猪突猛進してしまう傾向がこの国にはあります。

また耳に心地よい「エコロジー活動」や「環境保護」を免罪符にして、企業が利益を追求していこうとする姿勢もすでに始まっています。

数年前までは細々とやっていた環境保護団体もブームに乗り、大きな規模になりました。

本来の真摯な使命や姿勢よりも多額の補助金を出してくれる特定の機関や団体、企業のために、またそこで働く多くの職員ために存在価値を高めていく必要に迫られています。

それにより行動や姿勢にバイアスがかかったり、自分やスポンサーに都合が悪いデータは出さなくなったりと、自身を守るためには環境保護活動は単なる建前でしかなくなってきています。

トヨタ自動車の「エコ替え」や政府のエコポイント制度による「エコ家電への買い替え」が本当に「エコ」なの?と疑問に思う人もすでに語られているように多いでしょう。

エネルギー消費の少ない新しい製品への買い替えがエコだというならば、毎年各メーカーがより省エネルギーになった商品を競って開発し発売をしているので、同じように毎年クルマや家電を買い換える必要があるように思います。それが本当にエコなんでしょうか?

それよりも、壊れたときに修理して使い続けるより、新しく買う方が安いという製品があまりにも多く、メーカーの姿勢もそのようになっていることが不思議でなりません。

パソコンならハードディスクが壊れたら、そこだけ新しいものに入れ替えれば基本的には使えますが、テレビの映りが悪くなれば、ブラウン管や液晶パネルだけを交換して使い続けるとはなりません。

修理に出そうものなら「新しいテレビを買ったほうが安いですよ」ときっと言われてしまいます。

私も以前DVDレコーダーが故障したのでわざわざメーカーの営業所の修理受付まで持っていって修理に出そうとすると、なんと買った値段よりも高い修理代を告げられました。

思わず笑ってしまいましたが、悔しいので構わないから修理してくれるよう頼みましたが。それが本当にエコなんでしょうか?

すべてを地球のためになどとほざく巨大メーカーが短期間での使い捨てや、部品在庫を減らすため簡単な修理もおこなわず、他社との競争のために毎年次々と似たり寄ったりの性能の名ばかりの新製品を次々に投入することが本当にエコなのですか?

その2へ続く


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エコとか環境保護という胡散臭さ その2 2009年8月12日 (水)

253
その1から続く

スーパーでは必ず「エコバッグ」と称して地味な布製バッグが売られています。いわゆるコンビニ袋を減らそうという運動の一環と称していますが、まったく馬鹿げています。

以前は捨てていた廃油を技術革新でコンビニ袋として再生した努力を無にして、上等な石油から作るカルシューム入り有料ゴミ袋や上質な綿花と液体がしみ出さないように石油製品で補強、強化したエコバッグをわざわざ作るのとで、どちらが環境に優しいのかちょっと考えればわかることです。

大手スーパーや大手コンビニでは無料で配っているビニール袋を減らして有料のエコバッグを買って欲しいのはビジネス上当たり前のことです。

「環境」や「エコ」を前面に出して、消費者には逆に環境には決して優しくない有料の高付加価値バッグや、有料のゴミ専用袋を買ってもらいたいのは当然のことで、決して環境を思ってのことではありません。子供だましにだまされてはいけません。

同様に携帯電話会社やクレジット会社から本来送られてくる利用明細書についても、最近はやたらと「エコのためネット明細に変更をしよう」と訴えかけてきます。

紙を使うよりもブラウザで見れば環境に優しいというのはわからなくもありませんが、これだけカード情報の流出事件などが起きている中で、毎月利用明細をチェックしたいと思っている人は、毎月紙の明細で送られてくるのでないと困ります。

携帯電話会社やクレジットカード会社は表向きは「紙資源の無駄」「環境保護」を言ってますが本音は郵送料であることは明白なのです。

利用明細の郵送代を含めての手数料や使用料などが当初設定されているにかかわらず、エコブームのおかげでそれを盾にとりコスト削減をおこない大きな利益を得ようとしているだけです。

ネット明細にすれば印刷代と郵送代合わせて1名につき毎月100円を環境団体などに寄付するとかやっているところがどこかにありますか?

食品で無農薬野菜とか有機栽培とか遺伝子操作なしの表示もよく見かけるようになりました。

しかしいったい誰がそれを検査し保証してくれているのでしょうか?

それらが中立な専門機関によってキチンと抜き取りでも構わないので検査が実施されていて、その報告書が例え半年に1回でも定期的に公開されているというのを見かけたことがありません。

つまりはウナギや牛肉やアサリと同様に偽装されていてもよほどひどい状態でない限り一般の消費者にわかるわけがないのです。

本当に無農薬野菜を食べたければ、自分で安全な土地で農地を切り開き、種をまき育てる以外は方法はありません。

もともとの土壌が長いあいだ農薬等で汚染されていたのでは、いくら無農薬で育てても安心な食物ではありませんし、まいた種も、もしかすると汚染されていたり遺伝子操作がおこなわれているかもしれません。

残念ながら善良な農家というのはごく少数派で、多くの農家は兼業含めビジネスとして農業をやっているので、生産性や効率、見かけを重要視します。

そりゃ売れないコメや野菜を少数作るより、売れるコメや野菜をたくさん作りたいのはビジネスとしては当たり前のことです。

そして多くの農家では、自分たちの家で食べるコメや野菜と、出荷するコメや野菜は、ほとんどの場合、作る田畑が違います。

これがどういう意味を指しているかわからない人はいないでしょう。それを私たちは「顔が見える農家が作った」「有名ブランド米」「無農薬野菜」という看板だけをありがたく信用して、高値で購入しているわけです。

実家が大きな農家だという親しい人がいれば聞くときっと教えてくれます。実家で食べる自前の無名のコメとスーパーで買ったブランド米のどちらが本当に安全で美味しいのか。

企業で不正の内部告発というのが数年前からようやく起き始めました。牛肉やうなぎも比内鶏もアサリも内部告発から偽装がばれました。

内部告発がない限り誰もわからないし、誰も調べてはいないということです。また調べたと言っても書類だけだったりで信憑性に欠けていたりします。

いずれ農業でも大規模化が進むにつれてそのような内部告発が起きてくるでしょうが、個人農家では関係者が全員家族だったりしますので、そのような告発する人は決していないでしょう。

人を信用したいのはやまやまなのですが、それがビジネスとなりお金儲けが絡んできた時には、信用は見事に裏切られてしまうことが多いのです。

これが私が環境やエコに対して言いようのない胡散臭さを感じる理由です。


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8月前半の読書 2009年8月15日 (土)

254
静かなる天使の叫び 上 R・J・エロリー 集英社文庫 2009/8/2
静かなる天使の叫び 下 R・J・エロリー 集英社文庫 2009/8/4
火天の城 山本兼一 文春文庫 2009/8/11
リンカーン弁護士 上 マイクル・コナリー 講談社文庫 2009/8/13
DVD 頭文字[イニシャル]D THE MOVIE (実写映画) 2005年 アンドリュー・ラウ、アラン・マック監督 Media Asia/エイベックス
DVD 地球が静止する日  2008年 ロバート・ワイズ監督 米


静かなる天使の叫び1 静かなる天使の叫び2
静かなる天使の叫び (集英社文庫) 」はイギリスの作家が書いたアメリカ南部に住む少年の痛ましい追憶と現在とがスイッチしていく長編小説です。

無実の罪を着せられて刑務所に入ったり、最後で意外な結末が待っているというのはミステリー小説ではお約束のパターン。

少年時代(第二次世界大戦直前)のアメリカ南部の一般家庭の生活などよく描けています。この作家は新人ではないものの和訳されている本はこれだけ。このヒットでこれから増えていくのだろうか。


火天の城
火天の城 (文春文庫) 」は先日読んだ「天下城(新潮文庫) (佐々木譲著)」に続く安土城造築物語。

天下城が穴太石積み職人が主人公だったのに対して、こちらは大工の棟梁が主人公。小説としてはずっと天下城のほうがよくできていると思いますが、安土城の造作などについてはこちらの方が詳しい。

500年前に消失してしまった安土城だが、本当に見てみたかったと思えるような壮大な建築物だった様子が細かく書かれています。

安土城炎上については様々な説がありますが、この本では信長に負けて甲賀に追いやられた六角承禎ら甲賀衆が火を付けたことになっていて、その際城を守っていた信長の次男信雄は嫌いだった父親が作ったこの安土城が燃えるのをそのままに見ていたとも。

リンカーン弁護士 はまだ上編しか読んでいないので感想は次回。マイクル・コナリーのハリー・ボッシュ・シリーズの小説は「ナイトホークス 」以降ずっと読んでいますが、今後はこの弁護士を主人公とした小説がシリーズ化されていくのだろう。

著者別読書感想(マイクル・コナリー)


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総選挙を控えてのひと言 2009年8月17日 (月)

255
民主主義の要である国会議員を選ぶ選挙、しかも衆議院議員を選ぶ選挙のことは総選挙と呼ばれます。

衆議院議員のことだけを代議士と呼ぶように参議院とは区別されています。これは歴史的なものから来ているので、とやかく言いませんが、先週のNHKスペシャルで「気骨の判決」という実話ドラマが放映されてましたが、一見民主主義をうたいながらも、選挙において国家やそれに近い組織や団体が都合のいいようにコントロールをして結果を左右することができるという見本のような話しでした。

それに反することは常識外れで非国民とされます。

それはさておき、ドラマの舞台である昭和18年ではなく現在の選挙においても非民主的で意図的にコントロールされている部分がないかと言えばそんなことはありません。

私がもし選挙に出るならば、マーケティングをおこない、当たり前と言えば当たり前なのですが、年代別人口と年代別投票率を調べ上げ、その中で一番多くの人が投票してくれる年代の層へ向けた公約やポリシィを出すに決まっています。

それが得票するためには一番効率がいいからです。

ではその選挙に出ようとする政治家からみて一番美味しい(得票効率のよい)年代はと言えばどこなのでしょうか?前回の衆議院選挙(2005年)時点での統計を調べてみると

(1)年代別人口数(千名以下は四捨五入)と順位
70歳以上 18,239千名 3
60〜69歳 15,977千名 4
50〜59歳 19,052千名 1
40〜49歳 15,806千名 5
30〜39歳 18,491千名 2
20〜29歳 15,631千名 6

(2)年代別投票率と順位
70歳以上 69.48% 4
60〜69歳 83.08% 1
50〜59歳 77.86% 2
40〜49歳 71.94% 3
30〜39歳 59.79% 5
20〜29歳 46.20% 6

(3)年代別実投票者数(年代別人口×年代別投票率)と投票者率と順位
70歳以上 12,673千名 12.28% 3
60〜69歳 13,274千名 12.86% 2
50〜59歳 14,834千名 14.37% 1
40〜49歳 11,371千名 11.02% 4
30〜39歳 11,056千名 10.71% 5
20〜29歳  7,221千名  7.00% 6

となります。

ということは4年前では50〜59歳が圧倒的に多く、次が60歳代、その次が70歳以上となります。

つまり政治家にとって自分や自分の政党に投票してくれる大事な年代は4年前は50歳以上ということになります(想像するに50代後半の団塊世代)。

なので、年金しかり、税金しかり、雇用問題しかり、医療しかり、介護問題しかりすべて(4年前の)50歳以上を対象とした餌を撒けばいいという結論です。

若者の受験や就学や就職や年金や自殺やネットビジネスなどでは得票できないのは明らかです。

今年2009年はというと、そのまま人口が4年上にスライドしていますから、概ね55歳以上と、今後年代が上がってくると投票率も投票者数も大きく高まってくる30代後半〜40代前半の世代(概ね団塊ジュニア層)向けに対して、喜ばれる政策や公約をやっておけば効率よく得票につながるというわけです。

これは概ね人口比に関係します。

つまり人口比で他の年代と比べると圧倒的に多い団塊世代と団塊世代ジュニアに喜ばれる政策を作った政党が有利になるという当たり前の結果でもあります。

それが、今回の選挙の目玉でもある年金政策であり、住宅政策であり、所得税であり、再就職支援であり、消費税論議であり、少子化対策や教育支援政策なのでしょう。

それでは、その団塊と団塊ジュニアのあいだに挟まれた世代(現在40代後半〜50代前半)や団塊ジュニアより下の世代(30代前半以下)にとってはというと、そんなの知ったこっちゃないというのが政治家や政党の方針のようです。

それが扶養家族控除の廃止と対になった中学生までの子供に補助金ばらまき(平均的には45歳頃は子供は高校生以上で対象外になる)や、派遣就労の大幅な制限(30歳以下の短期就労の機会を奪う)などです。


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2009年総選挙ネタ 2009年8月18日 (火)

256
総選挙に関連してもうひとこと言わせてもらおう。

それは選挙の報道に関してマスメディアの対応についていつも白々とわざとらしさ、それに過去からまったく進歩のない旧態依然とした横並び報道が目に付くというか鼻についてしまう。

巨大マスコミは選挙報道の際には特定の政党や候補者を取り上げることはしないですね。これはできないのではなくやらないという方針があるようです。

報道倫理でなにかの縛りがあるのかないのかわからないのだが、もし縛りがあるとしたら、今後巨大な読者を抱えてる個人ブログでもそうなってしまいそうなものだけど、そういう話しは聞いたことがない。

巨大と言えるか微妙だけど赤旗は当然に共産党の機関紙的な役割を果たしているわけだけど、その他の全国紙についてはあまりそう言った話しは聞きません。

一時は保守系新聞とか左翼系新聞とか言われていた時期もあったが、今は記事だけを読むとどこの新聞なのかまず区別はつかないでしょう。

例えば朝日新聞社が選挙前に「朝日新聞は民主党を応援しています」と宣言をして、自民党のネガティブキャンペーンをおこない、毎日民主党の候補者を一面で取り上げるということをしたら、面白いと思うのですが、それってどうなるのでしょう?

すでに巨大新聞社は瀕死状態なので、生き残りをかけてこのような政治色を出してみるのも面白いのではないかと思う。ならば対抗してライバル読売新聞は自民党を応援し、毎日新聞はみんなの党でも応援してみるとか。

巨大新聞社やテレビの報道ではいつも各政党や政党所属の候補者のバランスを考えた記事数の配分と放映時間配分で、その配分される時間は解散前の衆議院の議席数に沿っているのかいないのか。

ならば新しい政党にはまったくと言ってよいほど記事や放映はないということになり、これもどうかなと。だからそんなことを考えなくてもいいように、各新聞社やテレビ・ラジオ各社は選挙の前にハッキリと「○○を応援します!」と宣言すれば、配分なんか考えないで自由に取材ができていいんじゃないかと思うわけです。

で、自分の支持政党でなければ見たり読まなければいいだけなので、選択する自由は読者や視聴者にゆだねてしまうようにすればいいと思うのだけど。

もちろんマスメディアがウソや誤解を与えるような報道はしちゃいけないと思うが(実際は大手スポンサーに遠慮して報道が偏向したり、自社の不祥事にはしらばっくれたりするのはよくあることだが)、事実と思われることを特定政党や候補者支援のためにどんどん書けばいいんじゃないかなと思ったり。

そのような報道機関が自分の意志で政党や主義を選ぶことができる自由があってこそ、政府や国や官僚が作ったシナリオだけを記事にして国民を騙すような巨大マスメディアが跋扈しない平和が守られるというものじゃないかなと。

戦争中も新聞はみな同じ大本営発表だけを書いて同じ論調で食っていたわけだから。


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インターネット選挙はいつおこなわれる 2009年8月19日 (水)

257
インターネット(以下ネット)に接続するというのは、パソコン(以下PC)だけではなく携帯電話やゲーム機などからも使えますが、それにしても日本のネット利用者数は2008年で9091万人と人口普及率75.3%に達しています(総務省通信利用動向調査)。

しかし10代後半から40代までは90%以上の利用率に対し60代後半では37.6%、70代前半は27.7%と低くなり、年代によって大きく差があります(同調査)。

上記データは携帯でのネット接続も含んでいます。i-Phoneのようなスマートフォンはネット接続と言ってもまったく問題はありませんが、ガラパゴス携帯と揶揄される日本独自規格のi-modeの加入者もネット利用者とされているので、これはちょっと違うかな?と考えてしまいます。

そこで携帯からの接続を除くため、特殊な用途以外ではネットにつながらない(つなげない)PCはもはや少ないだろうと仮定し、PCの世帯普及率を調べると2008年はなんと85.9%となっています(総務省情報通信政策局通信利用動向調査)。

世帯で見ているので実際はPCをまったく使っていない同居人がいても不思議ではありませんが、私の家では5人家族中5人ともネットはよく利用しています。

これほどネットが普及しているのに、相変わらず選挙ではネットを使った活動や投票ができません。

候補者が自分のブログを更新することすらできないのです。うがった見方をすれば、いやこれが本当の理由かもしれませんが、一昨日書いた美味しい年代(60歳以上)を既得権者(政治家やこれから政治家になろうと思っている人達)が囲い込んでおくために禁止をしていると思われても仕方がありません。

つまりいま投票をしてくれるのは60歳以上の高齢者が多く、その年代向けに喜ばれる政策を重点的にPRすれば選挙に勝てる方程式があるわけですが、高齢者がほとんど使わないネットを利用した選挙と投票に変わってしまうと、旧来からの政治家や人生から引退してもおかしくないような老害候補者(ベテラン故に政治力を持っている)にとって危険極まりない代物となっているのでしょう。

また若い政治家だからネットに慣れているかと言えば、政治家を志すような人は普通のビジネスパーソンとは違い、別世界のぶっ飛んだ人が多いので、無知な人が多そうです。ITエンジニアやWebデザイナー出身の政治家ってみたことも聞いたこともないです。

選挙を運営するお金(選挙管理委員会は無駄の代表)も税金、候補者が選挙に使うお金、例えば一等地に構える選挙事務所の費用、選挙コーディネーターや事務スタッフの人件費、ポスター制作・掲示の費用、宣伝カーのレンタル代、質素で真面目そうに見える衣装、チラシ・幟の制作、新聞等への広告、演説会場費用や案内送付費用などなど、その大部分は元はと言えば政党交付金や議員給与、秘書給与などから出ていると考えるとやはり大半は税金の流用だ。

ネット選挙ならそれらのコストを大幅に下げることができる。

またネット投票は、投票率の大幅アップや投票結果集計の簡易性・正確性・即時性とともに、不況で日本経済全体が緊縮ムードの中、税収不足を補うことができ、さらに環境問題においても近所迷惑で静かな環境を破壊する宣伝カーを減らすことができ、ポスターやチラシ、掲示板に使う紙や木材の使用量を減らすことができるネット選挙を反対するべき理由(選挙用品レンタル会社や特定の印刷会社は不満だろうが)はない。

もはや時代はネット選挙の流れを止められるとは思えないのだが、定数削減と同様に既得権者達が自分たちの首を締めるようなことが本当にできるのかという課題だけが残っている。

※デジタルデバイド(情報格差)について問題があるという人もいると思うが、例えば重症患者や高齢で送り迎えがないとが投票所までは足を運べない人でも、ネット環境と誰にもわかりやすい投票画面(目の不自由な人のために音声案内も)さえあれば(これはお役所の当たり前の仕事)誰でも投票ができる。

また自宅にネット環境がない人のために現在の投票所(小学校)だけでなく役所や老人ホーム、集会所、病院、郵便局、コンビニ、スーパーなどに投票機を設置すればいい。

※投票者の本人確認に疑問を持つ人がいると思うが、すでにネットで買い物をしたり、預金の移動や振り込み、住民票の取り寄せ、年金の確認、税金申告などがおこなわれている中で、有権者本人確認ができないというのはナンセンスである。

現在の投票方式でも他人へのなりすましや投票箱の紛失、票のカウントミスが発生しているように100%安全な方法なんてどこにもない。


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パスワードから解放されたい 2009年8月20日 (木)

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仕事や生活の中にインターネットが入ってきてから、どれだけのIDとパスワードを持っていますか?

私の場合、私的に使っているパソコンの中に

Windows XP(1個)
セキュリティソフト(1個)
メールソフト(2種類)
インターネットプロバイダー(2社)
クレジットカード(3社)
銀行(1行)
証券会社(3社)
WEBサービス(yahoo!、Google、Amazonなど合計10数件)
携帯電話キャリア(1社)
損害保険会社(1社)
各種メーリングリスト(上記WEBサービスを除き5件ぐらい)

と、およそ30ものIDとパスワードの認証が必要となっています。

その他に必要に応じパスワードだけを求められるスクリーンセイバー、外付けHDD、一部のWord、Excelファイルなど。

会社で使うネットワーク、メール、種々サービスや携帯電話で使うパスワードを含めるともう50〜60種類ぐらいのID&パスワードを利用していることになります。

もちろんそのうちのIDとパスワードは共通したものを使い、共通IDでWeb同士が乗り入れできるサービスや、ブラウザに記憶させて自動ログインできたりしますが、サービス提供側から指定されるものもありますので、結局20〜30種類ぐらいは存在していることになります。これではとても管理しきれません。

そこで一時期はパスワード管理用ソフトを使っていましたが、これはこれでまた面倒くさいのです。

結局はテキストファイルにパスワードの一覧表を作成し、一部を印刷して保管、同時にパソコンのデスクトップに置いておくという、かなーり危険を承知で管理をしていました。

最近ではさすがに単なるテキストデータでは不用心だろうと思い、WORDで保管し、それにパスワードをかける設定をしています。

パスワードを知るためにパスワードが必要で、そのパスワードはいったいどうやって、、、とまるで喜劇の世界です。

このパスワードですが、理想的な運用法って知っていますか?

1)複雑で難しいワード・数字・記号を混ぜて使う
2)メモは取らず、記憶する
3)3ヶ月に1回は変更する
4)パスワードは15文字以上

だそうです。

スパイや国防関係者でもないとなかなかこのようなパスワード管理はできそうもないと思いますが、業務として個人情報や重要情報、巨額な現金等を扱っている人は常識なのかもしれません。それに加えて生体認証や毎回変わる双方向認証も普及してきています。

でも実際には普通の個人でそこまでやっている人はいないでしょう。15文字なんて冗談じゃないです。

15文字というのがどういう根拠かは不明ですが、少ないよりは多い方がマシということは間違いがなさそうです。15文字ものパスワードを作る時は通常ならば固有名詞やセンテンスを使ったりします。しかしこれが一番危ないのです。

パス破りにかかればアルファベット(大文字小文字の混在)と数字の組み合わせで4〜8桁ぐらいなら数分から数時間で解析が可能です。

そのアルファベットも英字辞書に出てくる固有名詞の組み合わせ、例えば「goodjob0123」なんてパスならおそらく数十秒で解析されてしまうでしょう。そういう解析ソフトがあるのです。

ある人に言わせると、1年に1回ぐらいしか使わないパスワードであれば、覚える必要はなく、その都度「パスワードを忘れた方へ」を押して再発行してもらうのが一番よいとのことでした。

問題は登録したときに使っていたメールアドレスが、なにかの事情で変わってしまった時に再発行のメールが飛んでこないことになりますので注意が必要です。

でも銀行のキャッシュカードって今でも標準はたった4桁の数字ですよね?

ネットとリアルとの違いや、まだICカードが普及する前の磁気カードの限界もあったのでしょうが、この落差は不思議なことです。

いっそのこと、日本でしか使わないパスワードは日本語で設定できるようになりませんかね?例えば「織田信長萌え」というパスワードを設定しておけば、少なくとも1バイト言語(英語やスペイン語、フランス語等)の国から破られる可能性はかなり低くなり、リスクが大きく軽減できるのではないかと思うのです。

中国や韓国のような日本語と同様な2バイト言語からの攻撃には弱いかもしれませんが、それでもリスクを減らすという意味では大きな前進かと思うのですがどうなんでしょう。


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国民皆貧乏になっていく 2009年8月21日 (金)

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厚生労働省が国民生活基礎調査として毎年発表している世帯主年齢別の年間所得を平成8年と平成18年だけ抜き出して表にしてみました。

平成8年 平成18年
29歳以下  364.9万円  306.4万円 -58.5 -16%
30〜39歳 598.0万円 549.9万円 -48.1 -8%
40〜49歳 748.1万円 699.8万円 -48.3 -6%
50〜59歳 850.3万円 734.6万円  -115.7  -14%
60〜69歳 642.2万円 529.9万円 -112.3 -17%
70歳以上 473.5万円 428.8万円 -44.7 -9%

私自身、実感がありますが、この10年間で全世代で年間所得が落ちています。

しかも50〜69歳までの世代の落ち方(落ち額)が激しいことがわかります。特に住宅ローンを抱え、子供の教育費に一番お金のかかる50歳代の年収の落ち方(額)が一番大きいのが気になります。

この50歳代というのは1970年半ばから1980年前半ぐらいのまだ終身雇用制がまだ当たり前の時代に入社し「日本では年齢とともに給料が上がる」「若い間は経験を積む丁稚奉公と考えて我慢しろ」と言われ、安い給料でこき使われつつも、将来のことを考えると、まぁ仕方がないという社会状況でした。

ところがバブルが弾けた90年代に団塊の世代達が40代を迎え、給料が高くなってしまった時に、その処置に困った企業は、いきなり「これからは年功ではなく欧米式に成果報酬型」と一大転換してしまいました。

これでとばっちりを受けたのは、猶予期間中に逃げ切ることができたその団塊の世代ではなく、それに続く現在の50歳代以下ということなのでしょう。

団塊の世代は当初の予定通り年金はほぼ満額が受け取れるし、なにより中途退職をしていなければ多額の退職金を含む年功序列制度の恩恵を最大限受けることができました。

しかしその後の世代は年金は65歳にならないと支給されない、企業の中で退職金制度が崩壊し、退職金は支給しないと規則を変えてしまう企業もでてきました。

そのような規則変更は本来なら企業の都合で勝手にはできないのですが、転職がもはや珍しいことではなくなり終身雇用という考えのない中堅以下の若い人が「退職金のような遠い先のものより少しでも今の給料を増やしてほしい」と考える傾向をうまく利用し、会社もそれ幸いとばかりにある日突然、罪悪感もためらいもなく規程を変えてしまいました。

退職金をもらえると思っていた50代の社員は愕然とするばかりです。

さらに平成8年と18年の年収の比較では、30代や40代の下がる率よりも50代の下がる率がはるかに大きいことがわかります。

平成8年では40代と50代の年収には102万円の開きがありましたが、平成18年はたった35万円の開きしかありません。

これは成果報酬型に転換すると、否応なく健康で活発に働ける30代、40代の評価が一番高くなるからでしょう。

この傾向は今後も変わらないでしょうから、ここ数年のうちに40代の年収が全世代の中で一番高くなるのは間違いなさそうです。

つまり今30代、40代の人は、今もらっている年収がほぼ人生の中での最高年収となり、今後は落ちていくだけという認識が必要だということです。

もちろんその中には役員に抜擢されたり、新しい事業を興し成功を収めて年収が上がる人もいるでしょうが、それば20代でベンチャーを興し大成功を収めるのとさして変わらないぐらい、極めて少数の人だけの話しです。


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飢餓人口10億人、1日の餓死者2万5千人 2009年8月23日 (日)

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これはタブーなのか知りませんが、自分の考え方にもやや疑問と葛藤があるのであえて書いてみます。

最近環境問題とともに、アフリカ諸国の飢餓や内戦による子供達の救済についてよく取り上げられています。

またアジアの貧困や孤児問題も同様です。確かに子供にはなんの責任もないのに飢えて苦しんだり、満足に教育も受けられずに貧困から抜け出せなかったり、中には子供のうちから兵隊として育てられたり売春をさせられたりという話しが後を絶ちません。

2008年のデータでは毎日2万5千人が餓死しているのが世界の現実です。これらの問題をテレビや新聞や小説などで取り上げ、問題提起をしていくのはたいへん重要なことだと思いますし、それによって義援金を集めたりボランティアが助けに入ったりすることで少しは役立っているのだと思います。

しかし最近テレビで見かけるのは、いつも同じパターンで綺麗な女優や芸能人がそういう地区に入って子供達と話しをし感動して涙を流すというものです。

つまり「子供達が苦難の中でたくましく生きているという姿」をなにかドラマかバラエティのように作って流しているようにしか見えないのです。そんなことにお金を使うぐらいならばもっと他の使い方ができないかと考えてみました。

いまアフリカ諸国で必要なのは、食料援助や経済援助よりもまず「大人の教育」ではないかと思うのです。なぜかというと、地球上には「食糧生産の限界があること」「子供の教育は親の責任であること」「そのために親となったものが一生懸命働いて稼がなければならないこと」「戦争や紛争をしても利益があるのは武器を作っている先進国と一部の利権を得る大金持ちと政治家だけで一般国民にとってはなんの利益もないこと」などをキッチリと教えるべきだと思うのです(もっともその国の利権を得ている政治家や有力者がそういう教育を自らするとは戦前の日本を見てもわかるように考えにくいことなのですが)。

食糧問題と子供の出生率については根深い関連があります。アフリカ諸国は現在出生率が6人〜8人という統計があります。

先進国が経済(特に食糧)援助と医療援助を提供し、この出生率がこのまま推移していくと人口爆発でどうなるかは明らかです。

増え続けていく人口が飢えずに食べていける食料や医療はこれからどうしようというのでしょう?

なぜこの問題にもっとメディアが注目したり対策が取られないのかが不思議です。ハッキリ言うと「経済的にちゃんと育てられないなら子供は作ってはいけない」と言うことを大人達に教えるべきではないでしょうか。

もし子供の数が多ければ収入が増えるとか、経済援助が多く受けられるとかと思っているならそれは大きな間違いであることを理解してもらわなければなりません。

他国に対して「子供を作るな」ということが暴論だというのは簡単ですが、日本でも60〜70年前は出生率が4〜5人とかでしたが、教育や経済環境においてそれが今や1.3まで落ちてきています。

このまま出生率の低い国は滅んでいき、出生率の高い国が地球上の食糧を食い尽くすことが自然の摂理だという論理にはならないのではないかと思っています。

子供達に十分な食糧や医療を提供することは非常に大事で、人の親なら誰でもその思いはあるはずですが、その医療を受けさせるだけの経済的なバックボーンが親や親の住む国が提供できないならば、せめてそうなる可能性を少しでも減らすべきではないでしょうか。

もちろん医療や食糧についてはボーダーレスで得意とする分野や余力のある国が支援をするのは当たり前だと思いますが、それだって限界はあります。

日本で言えば産科医や小児科医がたいへん不足している中で、海外にそういった医者を積極的に派遣することはできないと思うのです。

子供達の教育も重要で先進諸国に同情をひくために一番利用しやすいものですが、子供がいくら教育を受けてもその子供を支配している親に前述した教育や知識がないと、結局は子供達は親に従わざるを得なく、兵隊に行けとか、わずかばかりのお金と引き替えに人買いに買われていくということになると思うのです。

なのでまず大人達に教育をし、子供達に勉強をさせる意味を理解させないと、単に無料で食事が出るからとか今は仕事が忙しくないから行かせてるというようになってしまいます。


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あなたとは違うんです! 2009年8月26日 (水)

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某政治家のようにそれを吐き捨てるがごとく他人に言ったことはないですが、自分は人とは違う生き方をするんだとずっとそう思ってやってきました。

それは青年時代の夢であり、存在意義の象徴であり、金銭的な欲求であり、目指したいヒーロー像であり、結婚してからは家長としての責任感であり、自分は普通の人と違った生き方をする、きっとできるはずだと思ってきました。

子供の頃からなにか決められた枠に入れられたり、型にはめられたり、群れをなすことが大嫌いな性格だと自分ではずっとそう思いその行動をしてきたと信じてきましたが、気がつくといつもその心地よい枠の中に留まり、そして型にはめられて満足している自分がそこにありました。

そんなことは20歳の頃にはわかるでしょとか、30歳ぐらいで見えてくるよとか、結婚すればもう決まったようなものとか、例え往生際が悪くても40歳にもなれば達観してなきゃというのが普通の考え方だと思います。

私の場合も何度かそのことを考えはしたものの、その都度、いやいやまだ諦めてたまるかともがき続けました。そしてハッキリと諦めがついたというか限界を感じたのが50歳になったかならないかの時期です。

例えば衣食住の中で一番お金のかかる「住」ではバブル以前に「これから住宅価格が上がっていくのは間違いない」という一般常識から1988年に初めてローンを組み中古マンションを購入。

その後本格的なバブル到来で価格も大きく上昇するも、端から自分の住み処としてのマンションなので売る気はなく絶好の機会を逃します。

バブルが崩壊し始めた頃、子供が増えマンションが手狭になったことで一戸建て住宅が欲しくなり、調べるとまだマンションが購入した時よりも少々高く売れることがわかり、1992年に一戸建てに買い替えますが、ここでより大きなローンを背負うことになります。

マンションも一戸建ても政府がおこなった住宅購入促進の税制優遇に乗っかり、また住宅ブームにも引っ張られたことは間違いありません。

つまり25年や30年という長期にわたり縛られ苦しめらることになる住宅ローンをたった5年間の税制優遇や周りの流行に乗っかって始めてしまったわけです。

仕事では20代を闇雲に働き、30代の頃には地位も収入もバブル時期と重なり絶頂期を迎えます。もしかしたら50歳ぐらいで早期リタイアができるんじゃないかと思えるぐらい、怖いものなしでした。

しかし40歳になった頃に外部環境が変わり始め、20年間勤めた会社の立場や仕事に翳りが見え始めたので、再三転職を勧めてくれた知人を頼り、心機一転で初めて転職をしました。うまくいかないときは環境を替えたぐらいではどうしようもなく、結局2年弱でその会社を退職することに。

すでに44歳、景気が失速していく中で、再就職はかなり厳しい状態でした。ちょうど世の中ではリストラブームで、企業が生き残るために効率の悪い中高年社員を解雇することは善とされ、その流行にまんまと乗せられてしまったわけです。

過ぎ去った人生に「もし」はないですが、もしユニークな生き方をするならば、下記のできなかったことを実践するべきであったと悔やみます。

1)住まいは柔軟に対応ができるように買わずに賃貸を基本にすべきだった
 →資金の余裕があって住宅を買ってもそれは投資と考え、評価が低い間はそこに住み、高値が付けば即売却して気軽な賃貸生活をする

2)結婚することはそれだけで大きな制約がついてしまうが、もし選択の余地があるなら、自立ができる職業や能力を持った相手を選ぶべき
 →特に経済面で頼られてしまうと身動きがとれなくなる

3)自分の子供はいれば嬉しいが、相手が望まなければいなくても構わない
 →子供を育てるには莫大な労力と資金が必要で、果たしてその覚悟と準備があるか?
 →扶養家族手当や子供手当は今はほとんどなく子供の数が多いことは損をする仕組み
 →今度の民主党マニフェストで子供手当とか中学・高校無料化とあるが私にとって20年遅すぎる。票田である私より15年後の団塊ジュニア向けの政策と思われる

4)若いうちにもっと勉強や趣味の時間をとり、その人脈や知識を拡げておく
 →仕事絡みの知人や友人ばかりだと真の親友はなかなかできない

5)仕事に対する意欲が高いあいだに自立できる独立や起業という選択をする
 →途中で終身雇用のシステムが崩壊したことを理解していなかった
 →独立するのは失敗してもまた再就職してやり直しがきくタイミングがある

すべてにおいて独自性もなく、官僚や政治家の戦略にまんまとはまり、企業の変化についていけず、団塊の世代から10年後の忘れられた気の毒な世代の代表として、ピンチを抱えた今があるのだなぁと感じています。


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社内の連絡、メールか直接か 2009年8月28日 (金)

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eメールが普及し始めた20年頃前からよく登場するのが、社員同士のコミュニケーションに関連して特に急ぎではない連絡を「メールで伝える」のか「直接話す」かについての論争があります。

メール派、直接派とそれぞれに言い分やメリットデメリットがあり、結局はなんとなく使い分けるというのが実際のところなのでしょう。

50代以上の中高年者と30代半ばぐらいの一番社内では忙しくしている人は「直接話す(せ)」派が多いような気がしますが、私は断然にメール派だったりします。

その理由ですが、

1)メールだといちいち相手が集中している仕事の手を止めなくてもすむ
2)伝えたいことを文章にまとめるので整理ができ要点を伝えられる。また伝え忘れを防げる。
3)伝えたことやその返答などがその日時を含めてデータ(記録)として残る
4)参考データ、ファイルや参考URL(リンク先)などが一緒に送れるので効率的

逆にメールだと不十分に思えることは

1)文章の書き方や表現方法を誤ると相手に誤解を与える可能性がある
2)メールはビジネスライクなので相手に対する気遣いや+αの話しができない
3)ことの重要性や軽微の判断がつきにくい
4)相手が「メール」よりも「直接話すほうが好き」な場合だと嫌がられる
5)相手の体調や顔色を見てお互いに機微な対応ができない

かなと。

ただ世間一般では多くの場合「メールがコミュニケーション不足を引き起こした」とか「相手の顔を見て話すことの重要性」とかメールを使った社内間の連絡については否定的な意見が多いと言うことも承知しています。

ただ、顔を合わせてのコミュニケーションが必要な場合は、お互い時間の調整をして会議をすればいいし(それが無駄な会議の増える要因でもありますが)、単なる連絡であればそれほど相手の顔色をうかがう必要もないのではないかと思うわけです。

オフィスの形は以前は各部署ごとに机がくっつきひとつのシマになっていて、社内の連絡は顔を上げて声を出せば同じシマにいる人には伝えられ、遠い人には内線電話か直接席まで歩いていって話しをするのが普通でした。

ところが今のオフィスの主流は各人がそれぞれ仕事に集中ができるよう仕切られたスペースとなっています。相手が席にいるかどうか、暇なのかテンバっているのかわからない場合が増えています。

そのようなオフィス環境では、なにかに集中している時に緊急の時は別として自分が誰かに邪魔をされたくないのと同様、相手の集中を途切れさせるような事は避けたいものです。

そう思うと、自分の都合だけではなく相手を慮り、例え近くに座っている人へもメールで連絡となってしまうことが多いのです。

どちらが正しいとかは決めつけられないと思いますが、やはり大人としては「時と場合によってうまく使い分ける」という玉虫色的模範解答が優勢なのでしょう。


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本の中の故郷とちょっと小説の話し その1  2009年8月29日 (土)

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数々読んだ小説の中に、自分の故郷や現在住んでいる地域が登場することがあります。

その小説を買うときはそのようなことは思ってもいなく、読んでいると「おやおや」と懐かしさでにやぁ(探偵スペンサーの相棒ホークみたく)とします。あくまでも自分だけの世界ですがメモとして。

私は生まれ育ったところと、社会人になってから9度ほど引っ越しをしていますが住んだところはいずれも大都市圏周辺の普通の田舎くさい住宅街で、歌舞伎町や六本木や道頓堀や祇園などのような刺激的な街でも、函館五稜郭や長崎のオランダ坂のような観光名所でも、多摩ニュータウンや高島平団地や千里ニュータウンのような有名な住宅街でも、尾道や軽井沢のような風光明媚な場所でもないわけで、したがって小説なんかに出てくるようなことはまずありません。

しかし作家が自分の体験したことを書く私小説の場合、その作家の生活範囲に偶然入っていた場合、時として私が長く住んでいた場所が小説に登場したりします。

それだけでも驚きなのですが、さらにその作家が自分と同世代で、ちょうど同じ頃にその街で過ごしていた情景がでてきたりするともうこれは涙が出てきそうになるぐらい懐かしかったりするものです。

百万遍 古都恋情
実はそんな小説のひとつが花村萬月著の「百万遍 古都恋情」です。「百万遍」は著者の私小説的作品で、登場する街や店などは当時のままかなりリアルに出てきます。

花村萬月氏の小説は過去に何冊か読みましたが、どうもエロスとバイオレンス描写が激しかったり、表現が直接的過ぎたり(著者はそういうスタイルをあえてとっているとのことらしい)して、私はあまり好きな作家ではありませんでした。

しかしこの小説で描かれる風景が私には懐かしく思え、読んでいくうちに主人公が私の故郷の近くに住み始め、そういや私も小説の主人公(たぶん作者)と同じ風景を見ていたぞというゾクゾクした気持ちになってきました。

そして、この作者とは年齢的に近いのではと思って調べてみると、学年で3つ違い(私が年下)でした。ちなみに「百万遍」は1作目が「百万遍 青の時代 」で2作目が「古都恋情」のサブタイトルが付きますが、1作目の舞台は東京や川崎で、2作目が私の出身地が登場する「古都恋情」です。

同じような長編で未完の作家の私小説的小説には五木寛之著「青春の門 」が有名ですが、私が読んで記憶に残っているのは伊集院静著「海峡―海峡幼年篇 」シリーズや白川道著「病葉流れて」シリーズ、宮本輝著「流転の海」シリーズなどがあります。

いずれも貧乏だけどやんちゃで感受性豊かな少年から青年時代が生き生きと描かれています。

しかもどの作品も共通して女性にもてまくりというのがああ小説なのだと実感させられるわけです。しかし伊集院静氏は当時人気絶頂の女優夏目雅子(故人)を射止めるなど、凡人とは違いそれぞれモテる素養は十分あったということなのでしょう。


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本の中の故郷とちょっと小説の話し その2 2009年8月30日 (日)

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小説の中に出てくる故郷についてその2です。

にぎやかな天地
私の生まれ育った田舎町が登場する小説には先の「百万遍 古都恋情」以外に、宮本輝著の「にぎやかな天地 (中公文庫) 」があります。

その風景の描写もわずかですがうまく描かれていていました。

宮本輝氏は神戸出身で私より10歳も年上なので遠い世界の作家と思っていましたが、なんだかよく知った同級生のような親近感がわいてきます。



深夜ふたたび
志水辰夫著「深夜ふたたび (徳間文庫) 」はイギリスの作家ギャビン・ライアルの小説「深夜プラス1 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 18‐1)) 原題Midnight Plus One」の完全焼き直しで、使われてるジョークまでまったく同じ。

それと知らずに両方を買って読まされた私は金返せバカヤロ!と怒り心頭でした(実際に徳間書店の読者アンケートでクレームを書きました)。

せめてどこかにその旨が書いてあればまだ許せるのですが、後ろの解説にもどこにも書かれていませんでした(当時)。

ただ「深夜ふたたび」のスタート地点が私の出身地のすぐ近くだったこともあり、とりあえずその後は暴れないでいます。

太陽の塔
森見登美彦著「太陽の塔 (新潮文庫) 」も読んで初めて気がついたのですが、物語の主人公が住む下宿があるのが私の出身地近くで、詳しく書かれていますので、たぶん作者が住んでいたか、行動範囲(友人が住んでいたとか)にあったのでしょう。

調べてみたところ2007年に発刊された「有頂天家族」も舞台は同じ場所のようですが文庫化はまだです。

その1で登場した花村萬月著の百万遍の少年時代を書いた「百万遍 青の時代(新潮文庫) 」では私が現在住んでいる地域(川崎市北部)が登場します。

ただし時代は今から35年ほど前のことなので、今では大きく変わってしまっていますが、まだ文中そのままに現存している風景も登場してきます。しかし35年の月日というのは多くのものが消滅してしまうものだとあらためて知った次第です。

犯人に告ぐ 犯人に告ぐ
雫井脩介著「犯人に告ぐ(双葉文庫) 」は2007年に映画化もされ、私は原作の小説とレンタルでDVD「犯人に告ぐ 」を見ましたが、原作の小説では今住んでいる場所からそう遠くない以前住んでいた実在する住宅街とそこにある警察署が舞台となっています。

住宅街と言っても東急が昔に開発したどこにでもある地味な住宅地(最寄り駅には普通しか停まらない)で、そこで子供の連続殺人事件が起き、神奈川県警本部から曰く付きの刑事が所轄警察署へ出向いてくるというストーリーです。

映画(DVD)でも犯行場所を伝えるときにその住所が出てきますが、フィクションとはいえショッキングな事件ですから原作と比べると場所が特定できないような配慮がなされていました。

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