リストラ天国 > コンテンツ > Diary

リストラ日記アーカイブ 2010年9月
読みやすいようにアーカイブは昇順(上から古いもの順)に並べ替えました。上から下へお読みください。
日記INDEXページ(タイトルと書き出し部の一覧)はこちらです

425 棄民政策は日本の伝統か 2010/9/1(水)
426 2010年8月後半の読書 2010/9/4(土)
427 学校ビジネスの暗く長い闇 2010/9/7(火)
428 報道は弱いモノの味方なのか? 2010/9/11(土)
429 twitterについてその3か4 2010/9/15(水)
430 9月前半の読書 2010/9/19(日)
431 失われた世代と雇用問題 2010/9/23(木)
432 9月のDVD 2010/9/26(日)



--------------------------------------------------------------------

棄民政策は日本の伝統か 2010/9/1(水)

425
明治から昭和に入り、日本の人口が急激に増えてきたため、経済恐慌や農村の飢饉が起きるたびに、食糧不足が起こり、労働力の余剰(=失業者の増加)もあり、それらを解決しようと、国策事業として満州(32万人)やアメリカ、南方などへの移民を積極的に進めてきました。

なにぶん当時の情報の少なかった時代すから、政府やそれを金儲けの事業とした団体等の甘言を信じるしかない貧乏な日本人は、行った先では単なる農奴のように扱われ、土地も乾燥地帯など耕作には適さないところばかりで、辛苦をなめる日々が待っていたと思われます。もっとも国内に残っていたとしても、とても厳しい経済環境だったこともあるので、海外移民は一概にすべて最悪だったとは言えないかもしれません。

移民政策に取り組むために拓務省(たくむしょう、1929年から1942年)という組織まで作り、国土が狭く人口密度の高い日本国の人口を減らそうと腐心していたことが伺えます。つまり当時の日本の国内生産力は低く、一方では増加する一方の労働力人口が国内では吸収できず、おまけに長い不況下で、絶対的な人余り状態だったことがわかります。現代ならばそのような貧国には国際機関が様々な援助や支援が受けられますが、当時はそのような仕組みはなく、また裕福な国もそう多くはなかったので、期待はできません。

現在、そのような支援を受けることの多いアフリカ諸国について「多大な支援を受けられるので国民は積極的に働かなくてもやっていける」「強者が弱者を支援することは当たり前だからもっと支援をよこせ」「自立するための支援ではなく、バラマキ型が多い」「援助金を搾取するビジネスが横行」「巨額の資金は特定の政治家や軍隊が先取りし末端まで行き渡らない」など様々な問題を抱えています。

昭和初期当時、貧国日本がそのようにアメリカやヨーロッパから多額の支援を受けていたとしたら、果たして現在のような国の発展があったかどうかは定かではありません。

そしてヨーロッパで第二次世界大戦が起こり、続いて日中戦争、太平洋戦争へと波及していきます。この太平洋戦争で亡くなった日本人は戦闘員が約174万人、民間人が約40万人の合計214万人と言われています。戦闘員の多くは1枚の召集令状で呼び出しを受け、その多くは生死の確認や遺品もないままで1枚の戦死公告が遺族の元へ送られてくるだけという非人道的なものでした。戦前の移民政策と同様、国は国民を単なる労働力か消耗品としか見ていない証拠でもあります。

戦争末期には、例えば満州では多くの移民達を盾にして正規軍は真っ先に逃げ出したり、政府間でシベリヤへの強制労働を勝手に決めてしまい、満州に残った移民や兵隊を早く帰国させようという努力はしませんでした。

終戦後、廃墟と化した日本国内には働くべき仕事場もない状態で、外地からの引揚者などで約600万人もの失業者が溢れることになり、再び海外への移民政策がスタートすることになります。この移民政策には、太平洋戦争で傷ついた日本の評判を回復するために、途上国へ行って開発支援するという大義名分もあったとのことですが詭弁に過ぎません。もし本当にその意志があるならば迷惑をかけたアジア各国やオセアニア、アメリカへ提供するべきはずです。

ところが政府は「肥沃な耕作地が無償で譲渡」や「カリブの楽園」というような誘い文句で、失業と食糧不足で苦しむ多くの引揚者や農民を、第二次大戦にはほとんど関係のなかったブラジルやドミニカなど南米諸国に送り込みました。なぜ南米かというと、戦争で直接剣を交えることがなかったので、日本人の評判がそれほど悪者ではなかった地域だったからでしょう。そう言えばドイツのナチ党幹部の大物も、敗戦直前に主として南米諸国に逃げ出しました。

南米に移住して実際に与えられたのは、政府の誘い文句とは裏腹に、岩だらけの乾燥した土地だったり、塩害がひどく農業に適さない土地だったり、さらに土地が無償で譲渡されるはずが、実際には土地の耕作権だけだったりと、政府や現地の日本大使館にまんまと騙され、移民達の多くは異国の地で地獄を見ることになります。このあたりのことは、垣根涼介氏の小説「ワイルド・ソウル 」に詳しく書かれていますが、想像を絶する内容です。

これらのことからすると、近代国家となってから日本政府は「国民を減らしたい」、あるいは「減ってもやむを得ない」という考え方が主流だったように思えます。移民政策や大量に海外へ派兵することで、国内の食料や燃料などの生活必需品の需給の適正化を図り、労働力の調整をし、あわよくば外国を実質的に支配してしまおうということもうかがえます。

ところが政府や外務官僚の無能さのせいで、結果的には国民の多くの犠牲を払い、騙して海外へ送り込むことになります。また同時に多くの諸外国に多大な迷惑をかけ、損害を与えてしまうことになり、その解決や清算には現在もまだ長く尾を引いてしまう結果となっています。

そして現在の日本はまさに昭和初期、または終戦後と同じく、長期的に労働力が余ってきていて、今後においてもそれが改善する見込はまったくありません。

そうなると日本政府がまず考えることと言えば、海外移民か戦争ということになります。

現状では某知事や一部の少数を除き、戦争の嫌悪感がまだまだ根強く残っているので、それは除外できるでしょう。

一方移民政策については、従来の失敗を考慮すると、あまり表だっておこなうことは難しいのですが、実は民間企業が中心になって、すでに中国をはじめ東南アジア各国に多くの日本人労働者が出稼ぎに行っています。ある製品のコールセンターに電話をしたら、中国にあるセンターにつながり、そこに常駐している日本人が応対するということが、おこなわれています。

国内で日本人を雇うと最低賃金+α(時間給で1000〜1500円)のコストがかかりますが、中国で日本人を採用(または派遣の受け入れ)をおこなえばその約1/5で雇えます。中国で働く日本人は住む場所を提供され、安い生活費のおかげで、日々の生活には困らず、中国語の生の勉強ができて、耐乏生活を続ければ多少の蓄えが(と言っても円高の折、価値は低いのですが)できるという寸法です。

そのうち日本人の労働者のうち半数は海外勤務という会社が出てきても、決して不思議ではありません。政府はまだ直接手を下してはいませんが、巨額の開発援助金を従来のダムや橋などのハコモノから、日本人労働力の提供に変更する可能性もあります(海外協力隊などではすでに実施中)。

結局は日本政府は、自力で国際競争力のある国内産業を育成したり、教育水準や高等教育レベルが世界一高い国を目指すのではなく、安易に余った国民を国外に追い出すことでしか解決できないようです。これを日本伝統の棄民政策というのです。

--------------------------------------------------------------------

2010年8月後半の読書 2010/9/4(土)

426
姑獲鳥の夏 (1994年 講談社) 京極夏彦

小説の舞台は戦後まもなくの昭和20年代後半(1940年代後半〜50年代前半頃)ってところでしょうか(書いてあったかもしれませんが、記憶になし)、とにかくまだ戦争の傷跡がそこここに残っているというような東京です。「背筋が凍るような物語」というわけではないですが、すべて理詰めで密室からの行方不明男性の謎解きをおこなっていきます。

都内にある個人経営の病院の跡継ぎの男性が密室内から忽然と姿を消してしまったので探して欲しいと、人には見えない透視力のある私立探偵に依頼があり、たまたま居合わせた友人とともに病院へ行くと、その私立探偵は警察へ届けろと言って去ってしまいます。そこでその友人が古本屋を営む一方で神社の宮司や憑物落としをやっている別の友人とその妹に頼んで、謎解きに奔走するというストーリーです。

鍵となるのはタイトルにあるとおり「姑獲鳥」(うぶめ)という妊婦の妖怪のことで「産女」とも書きますが、日本各地にそれに類する伝承が残っています。

この小説はウルトラマンや帝都物語の映画監督で有名な実相寺監督の手により2005年に映画にもなっていたそうで、そう言えばテレビのCMで流れていたことを読後に思い出しました。その時は難しい名前だなぁってぐらいしか興味はありませんでした。今度DVDで借りてくるかな。



眩暈 (1992年 講談社) 島田 荘司

多くの本格的推理小説を出している島田荘司氏の作品ですが、読むのはこれが初めてです。島田氏は団塊世代の作家で売れっ子の伊坂幸太郎や綾辻行人にも大きな影響を与えたということですが、直木賞始め大きな賞には縁がなく、同じ多作の推理小説というジャンルでも社会派推理小説の松本清張氏とは対極に位置しているのかもしれません。

この小説は島田氏の代表的な御手洗潔シリーズ28編中のひとつで、1992年に発刊されたものです。本来はこの眩暈の中にもチラッと登場してくるシリーズ1作目で著者のデビュー作である「占星術殺人事件 」(1881年)を先に読むべきだったかなと、ちと反省するところですが、街の本屋さんにはほとんど置いてありません。

内容は子供?の日記から始まり、やがて成長してから自宅の中で殺人事件がおこり、通報するために外へ飛び出せば、信じがたい奇想天外な街の光景が拡がっているといた文章が探偵の御手洗潔の元に届けられ、単なる狂人の想像かと思いきや、それがすべて実際に起きていたことを証明していきます。この謎解きが多少無理なところもありますが、よくできていてビックリです。

長い小説ですが、このような小説ではどこに謎解きのヒントやポイントがあるのかを考えながら読むのが楽しみでもあるので、スラスラとは読めず、しっかり1ページ1ページ深く読んでいき、時には立ち止まって少し前に戻って確認をしたりして読み進めますので、暑い夏の日にクーラーの効いた部屋でゴロリと寝ころびながら読むには最適です。

さっそく前作の「占星術殺人事件 」も読んでみたいものです。書かれたのが今から30年前の小説なので、懐かしい風景にも出会えそうです。


ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか(ちくま新書 2007年) 梅田望夫

爆発的に売れた「ウェブ進化論 」で一躍有名人&お金持ちとなった梅田氏の「柳の下にドジョウ本」です。進化論でも同様でしたが、頭のいい人の特徴でしょうで、言わんとすることはなんとなくわかるのですが、自分の体験やそれを元にした想像の世界にどっぷりとつかって、お気楽な非現実的理想論を説いています。

なので、普通のありきたりの庶民にはどうでもいいことが多く書かれていて、またとことん主観的で「ウェブ進化論」を信奉する梅田ファン以外にはあまりお勧めできるものではありません。


優しすぎて、怖い (1994年 文春文庫) ジョイ フィールディング

500ページを超える長編心理サスペンス小説です。私は差別というわけではないのですが、女性作家が好んで書く延々と続く心理描写や感情表現場面が苦手で、この本はいきなりそういうシーンから始まりますので、5〜6年前に購入後、数ページでイライラして断念してしまい、長らくカバーを掛けたまま本棚にしまってあった本です。

今回は精神的にも肉体的にもゆとりのある夏休みにゆったりと読んだので、最後までキチンと読了することができましたが、やはり私の苦手な場面が多くて(というかそういう場面が8〜9割)、ちょっとげっぷが出るくらいに食傷気味です。

ストーリーは、主人公の美しい女性が街中で突然記憶をすっかり失ってしまい、自分が何者で、なにをしているのかがわからなくなってしまいます。しかも着ている服には大量の血の跡があり、ポケットには1万ドルの現金が入っています。起承転結の起はもうこれで十分でしょう。

犯罪との関わりを避けようと服を着替えお金も隠し、病院へ行くと、偶然知り合いに出会い、自分が結婚していて子供もいることが分かり、しかもこれ以上は望めないと思えるぐらいにとても裕福で恵まれています。ところが、、、ってところがミソなのであとは書きませんが、主人公が心の中でずっとあれこれと考える想像が中心にストーリーは進んでいきます。

タイトルは、記憶喪失で、しかも精神的不安定で、妙な想像ばかりしている妻を、甲斐甲斐しくサポートしてくれる優しくて誰もがうらやむほどの旦那さんのことだと想像します。でもこれじゃぁ明らかにその旦那になにか裏があるな?ってすぐにわかってしまいますね。しかしだからこそ、多くの読者はこの女性主人公の心の叫びに安心して感情移入できるのかもしれません。きっと私は悪くない、悪いのは周りの人達で、私は可哀想な人なんだって。




--------------------------------------------------------------------

学校ビジネスの暗く長い闇 2010/9/7(火)

427
いま我が家には子供が3人いて、すでに長男は大学を卒業してなんとか社会人になったものの、まだあと二人を扶養し、育てなければなりません。しかも当然出来の悪い私の頭脳を引き継いでくれているので、公立高校から国公立大学へと進学してくれるようなことは絶対に期待ができません。

現状は二人目(真ん中)の子が私立大学(2年)へ通っていて、まだあと2年半の学費(半期ずつ納付)が残っています。世の中がいくらデフレになっても大学の高額な学費は途中で下がることは絶対にありません。そしてこの学費の負担がとうとう家計を圧迫してきました。それにいずれは三人目が控えている状態です。

5年ぐらい前ならば、ボーナスを夏・冬そっくり貯金しておけば、その年はなんとかなったものですが、この2〜3年の間に起きた急激な経済環境の変化と、それによる業績悪化により、給料カット、ボーナス大幅減となり、その基準に合わなくなってきた高額な学費と家計のやりくりが非常に厳しくなってきたのです。

私が企業に管理職として勤務し、妻もパートで働き、さらには長男も正社員で働いた給料の一部を家計に入れてくれていても全然追いつかない私立大学の学費ですから、子供を私立大学に通わせている親の多くは、我が家と同様相当に苦労しているのではないかと想像します。

この経済環境が今年も来年も続くならば、とてもその負担には耐えきれず、3年、4年の学費は奨学金をもらって本人が就職してから自分で返済することも考えないといけないなと思っていた矢先にこの記事です。

奨学金滞納に法的措置強化、訴訟急増4233件(読売オンライン) 2010年8月24日
巨額の滞納が問題となっている奨学金の「貸し倒れ」を防ぐため、学生に奨学金を貸与している独立行政法人「日本学生支援機構」(旧日本育英会、横浜市)が法的措置を強化している。
昨年度、奨学金の返還を求めて起こした訴訟は前年度の2.8倍の計4233件に急増した。機構設立当初の2004年度と比較すれば70倍超の件数となる。機構は「不況の影響もあって滞納者自体が増えており、訴訟は今後も増えるだろう」としている。
昨年度の滞納額は、約33万6000人分の797億円と要返還額の約2割を占める。機構が返還しない恐れがあるとみている3か月以上の滞納者も約21万1000人おり、債務総額は2629億円に上る。5年間で2万8000人、842億円増加した。


通常、奨学金の返済は卒業後まもなくしてから返済が始まるものです。しかし新卒の就職率が史上最低で、大学を出てもフリーターや、就職浪人をしている人が多い状況で「返したくても返せない」、また通常は連帯保証人になっている親も今の経済環境で「自分の住宅ローンや生活費だけで余裕がない」といったところではないでしょうか。

私のところも2番目の子供がもし来年、再来年と奨学金をもらって無事に卒業ができたとしても、新卒者の就職環境が好転するという見込みがほとんど期待できない状況ながら、本人がうまく就職してくれなければ返済計画はそう簡単ではありません。

一般的に家計の中で優先される支払としては納税以外では衣食住が優先されるのが普通です。住宅ローンや家賃が滞れば住むところを追われてしまいますのでまずそれが優先されるでしょう。次に水道代や電気・ガス代、電話料金などの公共料金、自動引き落としのクレジットカードが次にくるでしょう。人によりますが消費者金融から借金をしている人は取り立てが厳しそうですのでその返済優先順位は高そうです。さらにその次は食料品や衣服、日用品の生活費で、奨学金の支払いはその後となってしまいます(実際には住宅ローンなどと同様に自動引き落としで、口座に残高があれば有無を言えないと思いますが)。

子供達が自分の学費を働きながら返していくという制度は、親の経済環境に左右されずに最高学府へいけるというたいへんよい仕組みだと思いますが、バブル以降あまりにも高額となってしまい、経営努力をほとんどせず、それが普通であると信じて疑わない私立高校・大学側にもこの奨学金未払いを引き起こした問題があるように思われるのです。

--------------------------------------------------------------------



報道は弱いモノの味方なのか? 2010/9/11(土)

428
2008年2月に起きた海上自衛隊イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故の裁判が続いています。表面上は「弱い者の味方」を主張する一般的なマスコミの論調は当然に「自衛隊にすべて責任があり、亡くなった漁船船員がかわいそう」ということになりますから、世間の多くの人はそれに同意するのでしょう。

私は専門家でもなく、詳しく調査をしたわけではありませんが、ただこのような場合のマスコミの一方的な論調についてはいつも引っかかりがあります。

ちゃんと公平な取材や調査をおこなった上で、さらに不足分は専門家の話しを聞き、両者の主張や言い分をキチンと整理して報道しているかと言えば、そのような形跡がうかがえるようなところはありません。

記事は『あたご衝突「検察主張は虚構」遺族「何言ってるんだ」』と一見公平そうに並べてありますが、明らかに「何言ってんだ」が強調されて刺激的な見出しとなっています。

記事の本文中は、自衛隊側は、『激しい表現で「冤罪(えんざい)」を訴えた』『亡くなられた2人に対する冥福を祈る気持ちは変わりません』『世論が沸騰し、ゆがんだ捜査が行われた』『改めて哀悼の意を表します』『航跡図は虚構。作られた過失で刑事責任を問われるいわれはありません』と謝罪の言葉とともに検察や裁判に対する不満が書かれています。

漁船側の関係者は、『何言ってるんだろうなあ、という気持ち。なぜあの海域で自動操舵(そうだ)しているのかと思うし、過失なしの無罪はあり得ないと思う』『人間のすることじゃない。亡くなった2人がかわいそう』『真実を語ってほしい』『目を閉じると、幼いころに「好きな人ができたら、連れて来るね」って言ったニコニコ顔が浮かぶ』『「死人に口なし」になってはいけない』『あたご艦長が事故直後に涙ながらに謝罪して遺族もわれわれも救われたのに、海難審判では責任回避の言葉が並んでがくぜんとした』『墓前に「謝罪は本物だったんだよ」って報告してあげたい』と強く感情を交えた非難を掲載しています。

どの言葉を掲載するか、放送するかは記者や編集者が決めるので、それしか情報がない読者や視聴者は、自衛隊側の「謝罪」と漁船側の「感情的な非難」という目立つ二面で判断するしかありません。

昔、観艦式で自衛艦に乗艦したことがありますが、素人目ですが最初から感じていたのは、あの巨大な鉄のかたまりの自衛艦と、その1/4ほどの半径で旋回できる漁船とが、もし同スピードの範囲で追い掛け合いをすれば、漁船が圧倒的有利です。つまり狭い海域で逃げる漁船に自衛艦が突っ込むことは不可能ですが、逆ならば簡単にできてしまうでしょう。ちょうど大型観光バスと軽自動車が狭い平坦路でどちらがよりスムーズに動けるかと同じです。

見張りを外に出していなかったことや、右手に見えた漁船を回避する義務が自衛艦側にあることで私も自衛艦側が無罪だとは思いませんが、どんなに注意をしていても、もし小回りの効く漁船が相当のスピードで突っ込んできたら、大きく重く強固に作られている自衛艦はそう簡単には停まったり方向転換きませんので、避けようがないというのも事実です。実際に自衛艦は衝突1分前に全速後進をかけたということですがおそらく停船するまでには至らなかったのでしょう。

死者を出したいへん不幸な出来事でしたが、マスコミやにわかコメンテーターが言う「旧海軍の時から軍艦(自衛艦)はすべてに優先権があり民間の船が避けるべしという風土があるのではないか」は、甚だしい勘違いだなと思っています。もっとも小さな船が大きな船と狭い場所で遭遇したときには、(小回りの効く)小さな船が譲るべしというローカルルールがある場所も多いと聞きます。

さらには文藝春秋 2008年3月6号『週刊文春』には元艦長たちのホンネとして『「漁船は暴走族、砂利船はダンプカー」といって、自分からは近づかない様にしている』という漁船側を非難する記事が掲載されましたが、今回の衝突事故で一方的に自衛艦を悪者にするマスコミやテレビコメンテーターの論調はどうなのかなと思ってしまいます。

漁船の船員では当たり前なのかも知れませんが、死亡した船員はいずれも救命胴衣を身に付けていなかったということで、もし付けていたら衝突の衝撃で負傷はしても命は助かっていた可能性があります。クルマのシートベルトと同様で、ちょっとしたことが生死を分けることがあります。返す返すも双方にとって残念な事故です。


   
--------------------------------------------------------------------

twitterについてその3か4 2010/9/15(水)

429
まだかろうじて飽きずにtwitterやってます。でもホント時間に余裕があるときないざ知らず、暇人と商売人に最適化されたツールって感じもしてきました。

若い人は仲間とメールの代わりにtwitterを使ったりしているようですが、メールじゃダメなのか?って突っ込みたくなるし、相変わらずつぶやきの半分以上がなにかしたの広告と思っていたほうが良さそうだし、暇つぶし以外になにか価値を見出せません。

なら速攻でやめてしまえばいいじゃんって思いますが、今ではネットやテレビでニュースを見る代わりにtwitterを見てるってところかな。つまりニュースを提供してくれる人や企業(メディア)などをフォローしていると、次々とニュースが送られてきます。しかも自分で選んだ趣向にあったものだけ。

しかしこれは一種怖いものがあります。マスメディアもかなり偏向報道やら誤報などありますので100%信じてはいけませんが、twitterのニュースに至っては速報が命なので誤報あり、偏見に満ちた内容あり、わざわざ偽のニュースまで作って送ってくる場合まであり、それらを簡単に信じてしまい次々にリツイート(転送)してしまう人ありで、混交玉石甚だしい限りです。

数カ月やってきてまったく知らない人と気軽にtwitter上でやりとりすることにも慣れてきました。ある程度自分の相性というか感性の合う人と出会い、相手もそう思ってくれるようになるまでには時間が必要です。

もちろん本来の使い方としては実名で登録し、自分の友人・知人を相手にフォローしたりフォローされたりしつつその輪が拡がっていくというのが主流なのでしょう。でも私を含めて匿名でやっている人のほうが割合的には多く、そうなるとあまり個人的に知った人は少なく、輪も拡がっていきません。

中にはフォロー返しを期待して片端からフォローをしていく人も多く見られます。そういう人のフォロワー数を見るとだいたい数千〜数万人のフォロワー(している、されてる)がいます。

経験上、フォロワー数が100名を超えてくると、フォロワーが発するツイートのすべてに目を通すことが難しくなります。1000名を超えるとおそらくフォロワーの発言を読むなんてことはしたくともできないでしょう。

つまりそういう人達は、自分が発言することだけが目的で、それに答えてくれた場合だけ返事を返すが(それさえしない人も多数)、他人が発する自分には直接関わりのない発言にはまったく興味がない(読みさえしない)という自己中心的な人達なのでしょう。

あと多いときで1日20人ぐらいからフォローされますが、その相手を見ると一番多いのが「○○コンサルタント」「○○カウンセラー」「○○セラピスト」「ネットビジネス研究家」「アフィリエート研究家」「SEO研究家」「FXや株式取引友の会」などの個人でビジネスや副業をやっている人達。

もちろんそういう方の過去の発言を見ると、そう変な人達ばかりでもないので、先入観を持ってはいけないのだが、暇なのかそれともtwitterでビジネス拡大を狙っているのかよくわからないけど、あまり積極的にはお近づきにはなりたくないような方々です。しかもそういう方はフォロワー数が数万名というのは珍しくないので、こちらの発言なんかまず読まれることはないでしょう。そんな一方的なコミュニケーションは無意味無価値とも思えます。

いろいろな商品を片っ端に紹介してAmazonのリンクを貼る人がいます。これは明らかにアフィリエート目的でそのリンク(短縮URLに変換されている)をたどって、もし購入者がいればリンクを貼った人にお金がチャリンと入る仕組みです。数万名のフォローがいるので、タイムリーにいい商品を紹介すれば購入につながる可能性はありますが、そのためにtwitterを使うというのはなにか反則のような気がします。私はすぐにフォロー解除しましたが、日々フォローを増やすために奮闘されているのでしょう。

次に学生、主婦、現役引退高齢者と言った暇そうな人達。こちらの人達は、まぁまともなのだけど、愛猫の写真やマクドナルドで休憩中の写真、雲の写真などと一緒につぶやかれても知り合いでなければ面白くもなんともない。

あとはビジネスパーソンに多いのですが、そして自分もよくやってしまうのですが、自分が評論家になって政治や経済や宗教について知ったかぶりで語ってしまう人。140字で語ることってすごく内容が凝縮限されますので発言は直接的、断定的になり、政治家や政策に対しても好きか嫌いかの両極端の発言です。

自分が「こいつ嫌なヤツだな」「こいつとは意見が合いそうもないな」と思えばフォローを解除してしまえばいいだけなので、無理して自分の意見や思想と合わない相手と付き合う必要がないのがtwitterのいいところと残念なところかも知れません。仲良しこよしの同じ嗜好ばかりが周囲に集まってしまうということになってしまい、ますます「違う価値観を認めない」「自分の意見に批判的な人を遠ざける」「他人の話に真摯に耳を傾けない」など自己中心的な集団となっていきます。

そう言う人は(私を含め)、別にブログを持っていて、意図的かどうかは別にして、twitterで発言をすることで、自分のブログに人を誘導しようと考えています。これは別に悪いことでもなんでもありませんが、有名人でもなければその効果は少なく、割に合わずにやがて消え去っていく運命でしょう。

悲しいのは何度も同じ事をつぶやいている人がいます。これはセミナーの誘導であったり、アフィリエート商品リンクだったり、単なる自分の意見だったりと様々ですが、私なんかはまだフォロー数が二百数十名ですので、フォロワーさんのつぶやきは過去分を含めてチェックしていますから、「ありゃこれで3度目だ」とわかってしまいます。仏の顔も3度までということで3度同じことをつぶやいたフォロワーは速攻でさいならします。

自動的に投稿・応答したり、同じ事を繰り返しつぶやくbotという機械的な仕組みがよく使われています。必ずしもbotがダメというわけではありませんが、そういうものを使うというのは、本来ライブでコミュニケーションできる醍醐味があるtwitterという仕組みを否定しているような気がして、私は好きになれません。

--------------------------------------------------------------------

9月前半の読書 2010/9/19(日)

白河馬物語 (文春文庫)  C・W・ニコル
1996年に発刊された本でそのときに購入したものの、数ページで読まなくなった本です。今回14年ぶりにあらためて最初から読みましたが、どうして途中で断念したのか不明なぐらい面白い本でした。

日本で活躍する欧米人は最近では珍しくないですが、1962年に最初に日本に来て、その後離れますが最終的に日本国籍を取り関東や関西の大都市ではなく山梨に居を構える外国人は珍しいでしょう。

昔はテレビなどにもよく出ていましたが、最近はあまり目にしなくなりましたが、もう70歳なんですね。活発にナチュラリストとしてあの大きな太った身体で自然の中を飛び回るのにはちょっとつらくなってきたのでしょうか。著書もここ3年ほどないので、ちょっと健康に心配するところです。

と思っていたら、「少年グリフィン 」という児童向け小説が今年の6月に刊行されてました。まだまだ活躍して欲しい方です。

この小説は、ま、ハチャメチャな内容ですが、自分を主人公にして日本、ウェールズ、アフリカなどを舞台にしたハッピーエンドの小説です。


業火 (講談社文庫)  パトリシア・コーンウェル
1998年に文庫本で購入した本ですが、12年経ってやっと完読できました。有名な検屍官ケイ・スカーペッタが主人公のシリーズものですが、デビュー作「検屍官 」含めそのシリーズを読んでいなかったので、このシリーズ9作目をいきなり読むにあたって予備知識がなく、登場人物の人間関係や過去の経緯がわからず苦労したのが積読することになった原因です。

550ページにわたる長編ですが、その半分ぐらいは起承転結で言えば起が延々と続きます。ちょっと長過ぎって感じです。その代わりにクライマックスの結は1/10以下でいつの間にか終わっています。もっとも本の場合、映画と違ってあとどれぐらいで終わるかというのが残りページ数を見ればすぐにわかってしまいますので、いつ最後の対決シーンが来るのか、まだか?とやや心配しながら読み進めました。

内容は過去の作品に出てきた(らしい)殺人犯が病院から脱走し、その復讐が心配されるが、それとはまったく関係がないと思われた放火殺人事件との関係が次第に明らかになっていくというストーリーです。

FBIとは円満な関係の検屍局だと思っていたのですが、FBIに対して辛辣で批判的な表現があちこちにあり、あれ?っと思っていたら、なんでもこの著者自身FBIとなにかトラブルに巻き込まれたことがあるとかで、そのような内容になったようです。


残念な人の思考法(日経プレミアシリーズ)  山崎将志
人材コンサルタントといえば「元リクルート」が多いのと同様に、ビジネスコンサルタントと称する人の多くは「元アクセンチュア(旧アーサーアンダーセン)」の人が多いというかほとんどなのですが、この著者も例に漏れず東大−アクセンチュア−独立とコンサルゴールデンコースを歩んでいる方です。

最初は本のタイトル「残念な…」を見て、流行語をタイトルにつけただけで中身のないいつものパターンかなと思って読みましたが、なかなかどうして、読みやすくいいことがギュッと詰まっていていい本でした。

読者の対象としてはある程度経験を積んだ後この先キャリアプランをどうしようかと逡巡しがちな20歳代後半から35歳ぐらいまでの人向きです。団塊ジュニア世代に向けたいい戦略です。私のように50歳を超えてから読むのは遅すぎます。というか私のような「残念な人」にならないようよく考えて将来プランを作りましょうと言われているようです。

コンサルタントで独立した場合、代表者が一番力を入れなければならないのは営業力です。アクセンチュアのような大企業時代は顧客から注文が入ってきますが、そのような後ろ盾がない場合は個人を信用してもらうか、営業力がものを言います。

そしてなくてはならないのが、このような本を出しておくことで、営業する際に「こういう本を出していまして…」というのが中小企業のオーナー社長に理解をしてもらうのに非常に有効な手なのです。

内容は、中小企業の経営に役立つノウハウ、会社を辞めて独立を目指すときに注意すべきこと、転職する際のテクニックなど多種にわたりますが、30歳前後のビジネスマンにとって役立つ本だと思います。


きれぎれ (文春文庫)  町田康
2004年出版の文庫本で、芥川賞受賞作品です。やはり6年前に購入したもののその文体というかあってないがごとしのストーリーが理解不能で途中で断念した本でした。

こういう一人称で現実と空想の世界が入り交じり、黙々と進むストーリーは「罪と罰 」のドストエフスキーのようであり、またいけないクスリで逝っちゃっている人の意味のない戯言を聞くようでもあり、なんとも言えません。これが芥川賞というものなんですね。

町田康(まちだこう)氏はロックバンド、俳優、そして作家という異色の経歴の持ち主ですが、作家としてようやく大成功したという感じでしょうか。私はこの小説を買うまではまったく知りませんでした。この小説だって6年前に買ったときは、よく覚えてはいませんがたぶん辺見庸(へんみよう)氏の小説と間違えて手に取ったような気がします。なんとなく語感とか字面とか似てません?似てないか。

物語は親が裕福で面倒を見てもらいながら芸術家を目指していたものの、自分より才能がないと思っていた同級生にずっと先をいかれ、親が設定した見合いを気に入らずに断った相手が、その成功した同級生の妻となり後でみると意外と綺麗だったことに後で気がつき、自分は親が反対するのを聞かずにランジェリーパブで知り合った片付けがさっぱりできないホステスと結婚し、さらに悪いことに、親がやっていた事業がつぶれてしまい生活が破綻して、やむなく会社勤めをすることに、、、となんてことはない物語です。

しかし、なにはともあれ芥川賞です。立派です。



--------------------------------------------------------------------

失われた世代と雇用問題 2010/9/23(木)

431
ロストジェネレーション(ロスジェネ)世代とは日本ではバブル崩壊後の就職が困難であった時期(1993年から2005年に学校を卒業し、超就職氷河期を迎えた人達のことを指しますが、2010年においてはその世代の人達は27歳〜40歳ということになります。

27歳から40歳と言えば団塊ジュニアを含み、今の日本経済の中で、「経験を積み」、「能力を発揮して」、「活発に行動をしている」人達とほぼイコールということをあらためて知ることになりました。

ロスジェネの人達から「もう10年早く生まれていれば、もっとマシな違った人生を歩めた」「社会人のあいだに経済バブルを経験したかった」「入社後一度も景気がよくなったことがない」などの言葉が聞かされます。

確かに1980年代の日本経済は絶頂期を迎えていて「世界に敵なし Japan as No.1」、「アメリカ中の不動産を買い叩け」、「給料が毎年2〜30%上がっていく」、「証券会社のOLのボーナスが20代前半で夏200万円、冬300万円」なんていう時代でした。

しかし時代がそういう時代なので、みんな遊べ歌え買え行け使えで、しっかり堅実に貯蓄に努めていた人はほとんどいないというのが実態で、逆にそういう放蕩が身体に染みついたまま長引く経済不況下で苦しむことになっているわけです。

ロスジェネの人達に言わせれば「そういういい時代を遊び尽くし、身を滅ぼすなら自己責任じゃないか」ということになりますが、65歳以上の団塊世代以上の人達は、既定の退職金と年金を受け取って逃げ切りに成功しましたが、逃げ切れなかった多くの40〜50代の人達がいまその責任を取らされているわけです。

それは、実力主義やら能力主義と言われる成果報酬制度であったり、終身雇用のつもりだったのが会社倒産、売却、縮小にともなう失業やリストラ、給料カットなどです。

そうした中で、もう引退して安全圏に逃げ込んだ人達や、ロスジェネの人達は「雇用対策は若年層向けにおこなうべし」「解雇規制を撤廃して人材流動化を進めるべし」なんて中高年者にとっては一番物騒なことを言い出しています。

ハッキリ言えばバブルに浮かれて、体力勝負ならともかく、ろくに仕事の勉強をしてこなかった40代後半〜50代が、激しい競争にもまれてきた20代、30代のロスジェネ世代に仕事の能力や知識でそうそう勝てるとは思っちゃいません。唯一勝てそうなのは経験値や人間関係ぐらいです。

しかしこの40代〜50代っていうのは、親から莫大な遺産でも転がり込まない限り、住宅ローンや子供の学費などで人生の中で一番お金の必要とする時期なのです。会社から追い出されるわけには絶対にいかないのです。

一番問題なのは、年金もらいながら悠々自適、世帯平均で2000万円以上の現金資産(それ以外にも不動産資産などがあり)を持っている65歳以上の団塊世代以上の元気なご老人達が、まだまだ元気とばかりに、企業や団体、個人で働き続けていることです。その人達が早く完全引退することでどれほどの若い人の雇用が生まれることでしょう。

昨年楽天に契約期間満了にもかかわらず、もう一年監督をやらせてもらえるものと思い、駄々をこねてそれがないとわかると被害者面して文句をたれていた楽天で最高年棒をもらっていた(日本人の中で、推定)老人が典型的な例です。結果的には外国人監督が後を継ぎましたので新たな若い日本人の雇用にはつながりはしませんでしたが。

政治家も評論家も大学教授も作家も天下り官僚や公務員も、もちろん普通の会社員や個人商店主も、みーんな60歳過ぎたら(年金支給がまもなく段階的に65歳からになるので、そうなれば65歳過ぎたら)早く完全に引退してくださいよ。そうすれば日本の雇用は好転しますって。

   

--------------------------------------------------------------------

9月のDVD 2010/9/26(日)

カイジ 人生逆転ゲーム
2009年 監督:佐藤東弥 出演:藤原竜也、天海祐希
人気コミックの映画化でレンタルDVDを借りるとなぜかいつもこの映画の予告編が入っていて、そこまでしてCMを流さなければならないのはたいして面白くないからだろうと思って、借りてきてまで観るつもりはなかったのですが、子供からのリクエストがあってやむなく借りてきました。

結論から言えば「ストーリーはいかにもコミック的でハチャメチャながら、決して後味は悪くないそこそこ面白い」映画です。

カイジというフリーターが保証人になった借金を返すため金融会社の一発逆転のゲームに参加。まんまと口車に乗せられ危機を迎えるけれど機転を利かせ逆転したはいいけど、そうはうまくいかずに核シェルターを作るための地下工場現場へ。そこから抜け出すために死を賭けたゲームに参加し、ただ一人生き残るがさらにまた試練が、、、という次から次へ災難とチャンスが交互に降りかかるジェットコースター映画です。

この映画では「正社員で働けない(働かない)」「給料が上がらず生活が苦しい」「気軽に借金する」などの閉塞感のあるしかも負けクセのついたロスジェネ層が中心に描かれています。

ま、極端な言い方ですが映画の中では「なにも努力をしないクズ」「今まで親に散々甘やかされてきた」「お前達が考えるほど世間はそんなに甘くない」「金は人の命より重いのだ」などドキッとする言葉がいくつもあります。

20世紀少年といい、このようなコミックから実写映画化されるものには、世相をデフォルメし皮肉を効かせ、わかりやすいシチュエーションが準備されていて、ほどほどのハッピーエンドが準備されているというのがスタイルのようです。この映画も続編が作られるかな。

ところで、悪役で登場の香川照之(44歳)って目をむいたときは柳葉敏郎(49歳)にそっくりで芸風がそっくりです。あと天海祐希は一般的に言って美人だというのは理解できますが、女優としてはどうかな。「アマルフィ 女神の報酬」でもそうでしたが、これほど演技が下手な女優はあまり知りません。宝塚女優なのできっと舞台に立たせるとまた違った印象があるのでしょうけど。


アリス・イン・ワンダーランド
2010年米 監督:ティム・バートン 出演:ジョニー・デップ、ミア・ワシコウスカ
ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス 」を実写版映画としてウォルト・ディズニーリメイクしたもので、本来の主演はアリス役のミア・ワシコウスカで、映画のストーリーでもその通りなのですが、さすがに大物の貫禄なのか完全にジョニー・デップが中心の映画という感じになっています。

このDVDにはメーキング場面も入っていて少し観ましたが、後で周囲には他の映像やCGと合成するため、なにもない緑色したスタジオ内で、走り回ったり階段を駆け上がったりするわけで、俳優達の資質としては演技力や表現力というのではなく、それぞれの場面を頭の中でイメージして違和感のない表情を作るというようにすっかり変わってきているようです。

ま、3Dを意識して作られている映画ですが、もちろん2Dで観ても画面が綺麗で、面白くできていて、ディズニー映画であればまず失敗はないなっていう感想です。


第9地区
2009年米・南アフリカ・ニュージーランド 監督:ニール・ブロムカンプ 出演:シャールト・コプリー、デヴィッド・ジェームズ

映画の世界では常識なニューヨークでもなくロサンジェルスでもなく今年Wカップが開かれた南アフリカのヨハネスブルク上空に他の惑星から避難をしてきた大型宇宙船が現れ、それに乗ってきた弱ったエイリアン(エビに似ているので通称エビと呼ばれている)を緊急避難させるためにヨハネスブルグに隔離した難民キャンプを設置するのですが、それが第9地区ということになります。

しかし受け入れ後13年も経つとエイリアンと人間との間に様々な問題が起きてきて、双方が暴動一歩手前まで来ているというのが映画の現在の姿となっています。そこでもっと広くてヨハネスブルグと200km離れた地域へエイリアンを移そうとするのですが、これがまた大変なことで。

ま、誰でもこのストーリーだけを見るとよくあるB級SF映画と思ってしまいますが、これが本当によくできた映画となっています。エイリアンしか使うことができない強力な武器を人間が使えるようにと研究をしたり、マスメディアを情報操作して指名手配をおこない逃げ出した秘密を持つ主人公を捕まえようとするところは十分に現実にあり得そうです。

ただ終わり方がちょっと中途半端なので、おそらくは続編が作られるのではないかと思っています。


ゴールデンスランバー
2010年 監督:中村義洋 出演:堺雅人、竹内結子
2008年本屋大賞、2008年山本周五郎賞を受賞した売れっ子の伊坂幸太郎氏原作の「ゴールデンスランバー 」の映画化です。同氏の本はだいたい読んでいるのですが、この本は知らないなと思っていたら、まだ文庫にはなっていないんですね。

同氏の小説の映画化は「陽気なギャングが地球を回す 」「死神の精度 」「フィッシュストーリー 」など合計すると7本もあります。舞台は伊坂氏の住む仙台が多く、この映画も仙台を舞台としています。

元々「ゴールデンスランバー」とはビートルズの曲で直訳すると「黄金のまどろみ」ということで、「子守歌」からヒントを得て作られたということです。

主人公が友人から呼び出され、眠り薬を飲まされている間に、総理大臣が爆殺されてしまい、その犯人に仕立て上げられてしまうというとんでもなくあり得ないような設定です。

でも一旦そのような状況に追い詰められてしまうと、警察はもちろんマスコミや市民にも追いかけられます。凶悪犯人だとする証拠までねつ造され、犯罪者としての既定観念が作られてしまうと、もう言い訳なんか通用しなくなるというのは現実にも実際に起きていることです。

でも仙台の街を逃げまくり、いろんな人にも助けられて、危機一髪を次々とかわしていきます。絶体絶命に追い詰められたときにも自分を信用して様々な手助けをしてくれる友人や見ず知らずの人がいるというのは、人間性ということなのでしょう。そういう性格はうらやましい限りです。



--------------------------------------------------------------------




←2010年8月へ

2010年10月→

日記INDEXページ(タイトルと書き出し部の一覧)はこちらです

日記アーカイブス
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2015年
2016年
2017年
2018年
2019年

リストラ天国
> コンテンツ > Diary


おやじの主張(リストラ天国 日記INDEX)

リストラ天国 日記(BLOG)